b.H.ヒストリア外伝 -θ- 『Hello World』 第2章 せいぎのありか 【前回のあらすじ】  お兄様、悩む。  第13話 リヒトとゼロ  爆炎が弾け、強力な閃光が目の裏を焼く。  リヒトは小さく呻いたあと、ゆっくりとまぶたを開いて――眼前の光景に言葉を失った。燃え盛る炎、破壊された町、焼け焦げた住人たちの遺体。まるで地獄のような光景だった。  その獄炎の中心に佇むのは、ひとりの黒い影だ。 「――魔術師……!」  彼が何気なく腕を振るうと、再び炎が巻き起こり何人もの悲鳴を飲み込んでいく。  そんな悪行を、黙って見ていることができるリヒトではない。 「やめろおおおおおおおおおお!!」  叫び、槍を手にして魔術師へと立ち向かう。悪逆非道を成す魔術師。聖堂騎士団の一員として――いや、人として、その存在を絶対に許すわけにはいかない。……許してはならないのだ! 「はあああああああああ!!」 「――」  魔術師がこちらに気づき、炎を放つ。  リヒトはかろうじで炎を避わすと、魔術師へと肉薄する。槍を振るい、炎が放たれ、幾度の攻防の果てに相手を壁際まで追い詰めたリヒトは、その体へと渾身の力で槍を叩き込む。肉と臓腑、そして壁を撃ち貫く感触が手を通じて伝わってきた。 「正義は――負けない!」 「――、ぁ」  魔術師の唇から小さな声が漏れる。  その、声。  聞き覚えのある声に――――リヒトの鼓動が、ドクリと脈打った。 「え……」  改めて、魔術師を見る。  黒い影。いや。彼。ちがう。彼女、は。 「……キサラ」  リヒトの声は震え、手は震え、腕は震え、やがて全身が震えていく。槍を通して滴り落ちる鮮血は、いつの間にか大きな血溜まりとなっている。世界は急速に色を失っていき――ずぶり、と。血溜まりに呑まれたかのように、リヒトは身動きひとつとれなくなった。 「どうして……」  どうして。  どうしてキサラが。どうして魔術師なんかに。どうして自分は気づかなかった。そもそも気づいてどうなるのか。悪は征伐する。正義を成す。リヒトは当たり前のことをしただけだ。だから、どうして、こんな事になっているのかが、リヒトには理解できない。  どうして。  どうして、キサラは、悪に―― 「――」  キサラの眼差しがゆっくりと動き、リヒトを見つめる。  綺麗な碧い瞳は血に淀み、くすみ、光を急速に失いつつあった。  ごふり――と、一度だけ大きく吐血する。血溜まりをさらに広げながら、最愛の妹は、何を考えているのかわからない眼差しのまま、恨めしそうに、自分のことを口にした。 「――お兄……様……」  そうして、キサラ・レイシアは死んだ。  あっけなく、死んだ。  正義の名のもとに、リヒト・レイシアの手により、死んだのだ。 「――――」  まず視界に飛び込んできたのは見慣れない天井だ。小奇麗なそれが滞在しているホテルのものだと気がつくと、リヒトはゆっくりと身を起こした。……呼吸が荒い。徐々に息を整えながら、軽く頭を振る。寝汗にまみれたパジャマが気持ち悪かった。 「……夢、か」  つぶやく声は、薄暗い部屋の中へと溶けていく。  耳に届くのは、雨の音。朝だというのに薄暗いのは、この天気のせいだろうか。 (僕は――なんて夢を)  両手を見る。いつもと何も変わらない自分の手のひらだというのに、キサラの血肉を抉った生々しい感触が残っている。――思い出すだけで、吐き気がする。胸を抑え、再び荒くなる呼吸と気分を落ち着けた。  そうして、ゆっくりと視線をめぐらし―― 「……」 「……」  じー……と、ベッドの横でこちらを覗きこんでいる、ポポ・クラウディアと目が合った。 「ぎゃあああああああああああああ!?」  思わずのけぞるリヒト。  そんな部下へと、ポポは相変わらずの冷めた眼差しで口を開く。 「ぎゃーって……失礼だな、君は」 「す、すいません」  慌てて姿勢を正すと、リヒトはペコリと頭を下げた。 「ずい分とうなされていたな」 「いえ……。少し夢見が悪くて、その……」 「ふぅん」  ポポはさして気のない返事を打つと冷蔵庫へと向かう。戻ってきた彼女の両手には牛乳瓶が一本ずつ。左手に持ったそれをリヒトのサイドテーブルに置くと、残った一本をポポはぐいっと飲みはじめる。同室で過ごすようになってから知ったことだが、彼女は毎朝牛乳を飲むことを欠かさなかった。 「ほら、君もどうだ」 「あ……すいません」  リヒトはサイドテーブルの牛乳瓶を手に取ると、ちびりちびりと口に運ぶ。喉を潤す冷たさに、リヒトははじめて自分の喉が痛いほどにひりついていたことを自覚した。 「……ん」  ポポがリヒトのベッドへと腰掛ける。ちょうどリヒトの横に並ぶ形だ。ふたりはしばし無言で朝の牛乳を味わった。  と―― 「で、悪いキサラがどうしたって?」 「ごほ!?」 「おうっ!?」  急にむせたリヒト。ポポは驚いて立ち上がると、鼻から白いものを流しながらえづいている彼のために慌ててティッシュを差し出した。リヒトはちーんと鼻をかむと、何度も咳き込みながら息を整えていく。 「まったく、なんなんだ君は」 「……げほ、ごほ……いえ、ホント、すいません」  呆れ顔のポポを涙目で見て――リヒトは、ふいと視線を逸らした。  そんな部下をジト目で睨みながらポポは言う。 「……リヒト、君はいったい何を隠しているんだ?」 「ふぇ!? い、いえ、僕は別に――」 「嘘をつくな。昨日からの君は何かがおかしい。……ボクにも話せないような、そんな秘密なのか?」 「そ、それは……」  話せるか話せないかで言えば――話せないだろう。  聖騎士は聖人として聖堂騎士団、いや、精霊教会そのものを代表する存在でもある。魔の者に対する教会の立場はすでにはっきりとしており、最悪、ポポが「キサラを征伐する」と言い出す可能性すらあるのだ。  しかし…… (でも……ポポさんなら)  彼女との付き合いはまだ日が浅い。だがその中でも、ポポという少女の色々な面を見てきたつもりだ。大人びているようで子供っぽく、かと思えば特務騎士隊の隊長として部下への気配りも忘れてはいない。まだ十二歳の少女の双肩に背負わせるには聖騎士という立場は重すぎるはずなのに、それと真摯に向き合い立派に務めを果たしている。  有り体に言えば――リヒトはポポという少女を人間として信用しているのだ。  もしかして彼女ならば、キサラの件についても答えを導いてくれるのではないだろうか。 「――あの、ポポさん」 「ん?」 「少し、……相談があるんです」  ためらいがちながらも真剣なリヒトの声に、ポポも表情を改める。リヒトと向かい合うように自分のベッドに腰を下ろすと足を組み、牛乳を一気に飲み干した。 「……いいだろう。話し合おうじゃないか、リヒト」  そういう彼女の口周りには、白いものが残っていた。 「――つまり、キサラ様が魔術師に与してる可能性があると」 「はい」  話を聞いたポポは、こめかみを抑えながら疲れたように息をつく。その表情は険しく、リヒトは背中が縮こまるような思いだった。 「どうしてそんな大事なことを黙っていたんだ」 「……すいません。どうしたらいいのか、わからなくて……」 「……」  黙りこむポポの様子に、リヒトは自分が誤った選択をしたのではないかという不安が大きくなっていく。もしもポポがキサラの征伐を決めたとしたら、一介の従士であるリヒトにその命令を拒絶するすべはない。 (……どうして、こんなことに)  あの敬虔なキサラが魔になびいたというだけでも混乱しているのに、もしかしたらその生命を奪うことになるかもしれない。あの凄惨な悪夢が脳裏に去来し、リヒトの全身から血の気が引いていく。  そんな青白い顔の部下を見ながら、ポポは苛立ちをあらわに口を開く。 「……気に入らない」 「すいません、でもキサラは――」 「キサラ様のことじゃない。リヒト・レイシア、君の態度が気に入らない」 「え……」  思わぬ発言にリヒトは目を丸くする。 「ボクに大事なことを隠したのは、君がキサラ様を大切に思っているからだろう? ならば信じてやるべきだ。そして胸を張れ。僕の妹は、魔道になんか堕ちているはずがないって」 「……」 「よしんば魔道に肩入れしていたとしても、その程度で君は妹を嫌いになるのか?」 「そ、その程度って、一大事じゃないですか!」 「そうか?」 「そうかって……聖騎士が、そんな」 「ボクは教会を信じているわけではないからね」 「なっ……」  リヒトは絶句する。 「もちろん精霊のことは信じてるし、敬愛もしてる。ただ、それとこれとは別なんだよ。少なくともボクは――ボクやヴォルトはね」  ヴォルト・スプグリグエル。ポポの父のようなものだと言う筋骨隆々とした聖騎士。穏やかな中にも厳しさを併せ持つように見えた彼もまた、教会の信徒ではないという。 「ヴォルトは元は傭兵だったそうだ。でも腕を見込まれて聖騎士として招かれた。ボクも似たようなものだ。――だから、ボクたちは教会の信徒ってわけじゃない。自分の信じることは自分で決めるし、その責任も自分で取る」  そう言い切るポポの声は強く、リヒトには彼女の小さな体が嘘のように大きく見えた。 「リヒト。君は何を信じたいんだ?」 「――僕は……」  ……その問いかけに、リヒトはすぐに答えを返すことができなかった。  ポポに相談すればキサラの件について答えが見えるかもしれない。そう思ったのはやはり間違いであった。何故ならポポは、より深い所へ剣を突きつけてきたからだ。 (僕の信じるものは……)  まぶたを閉じる。  浮かび上がるのは、キサラの笑顔。両親の墓地。いつかの冬の日に自分を導いてくれた聖女様の声。学校で習ったという聖歌を聞かせてくれるキサラ。優しい歌声。それを燃やし尽くすのは、あの黒い髪の魔術師だ。彼をかばうようにキサラは前に飛び出し――……、――ゼロは言っていた。正義のために大切な人を捨てれるのかと。怪盗ドラゴンは妹を守るために悪と知りながらその道を行くという。 (僕は……)  やがて幻は消えてなくなっていく。  残された黒い世界の中、リヒトの問いかけに答えてくれる者は、誰もいなかった。 「……リヒト・レイシア。君には今夜の任務、待機を命じる」 「え――」  ハッとし、リヒトはポポを見る。  彼女はいつも通りの淡々とした表情で、リヒトのことを見つめていた。  今夜――  今夜は、そう。怪盗ドラゴンの予告日だ。町の警察騎士隊に協力することを決めたクラウディア特務騎士隊は、それぞれ別の形で怪盗を待ち受けることにしている。当然リヒトも頭数に入っていたわけだが…… 「どうやら任務に就くには精神的に不安定なようだ。しっかり休んで気持ちを整理するといい」 「そ――……それは」 「返事は?」 「…………わかりました」  頷くリヒトを見届けると、ポポは立ち上がり部屋を出ていこうとする。 「何処へ?」 「警察隊と打ち合わせ」  そう答えると、パタリと静かに扉は閉ざされた。 「……」  部屋にはひとり、リヒトだけが残される。  だが静寂には程遠く――ぽつりぽつりと、陰鬱な雨音が耳に届いてくる。  窓の外を、見る。  ……雨は、夜までには止むのだろうか。      § 「だーかーらー、雪といえば雪合戦だろうが! 相手の攻撃を避けて、雪玉を作って、投げて、それが楽しいんじゃねーか!!」 「違います! 雪だるまこそ王道です! あの可憐な眼差しに、静かな雪の中に佇む可愛らしさ……それが最高なんです!!」 「…………いったい何をしているんだ、君たちは」  夕刻――  バイトから帰ってきたゼロは、呆れながらため息をついた。  ヴェルガとキサラの口喧嘩。ここのところすっかりお馴染みとなったそれは、ゼロからすればまぁよくも毎回しょうもないことでこれだけ言い争いが出来るものだと、逆に感心してしまうレベルのものばかりであった。  話を聞いていると、どうやら今日のお題は雪の日の遊び方のようだ。  どうやら雨の話から飛躍してそうなったらしいが…… 「ゼロはどう思う!?」 「ゼロさんはどう思います!?」 「――仲がいいな、君たちは」 「仲良くなんてねーよ!」 「仲良くなんてありません!」 「……」  いや、まぁ。ふたりの関係が落ち着いてくれたことは歓迎すべきなのだが。  ちなみにゼロはかまくら派である。ゆったりとした空間で銀世界を望む――ああ、実に素晴らしい。お茶とこたつと蜜柑が揃えば完璧だ。きっとすさまじい憩いの場になることだろう。……まぁ、かまくら作りなんてやったことはないので全部想像だったりするわけだけど。  ――と、それはともかく。 「そういや今日はやけに帰りがはやいな。まだ夕方じゃないか」  何か問題があったのかと、そう言外に問いかけてくるヴェルガに対し、ゼロは軽く頭を振ってみせる。 「昨日からバイト仲間が休んでいてな。気になって、少し休みをいただいてきた」 「そんな理由かよ」  顔をしかめて言うヴェルガに、ムッとしたのかキサラが言い返す。 「そんなってなんですか。友達思いは素敵なことです」 「今は金が少しでも欲しいんだぞ。バイト仲間をそこまで気にしてもしょうがないだろ」 「お金って……卑しい人ですね、貴方は」 「い――誰がイヤラシイだ、誰が!」 「卑しいって言ったんです! 毎日そんな事ばっかり考えてるから聞き間違えるんですよ、えっち!」 「んだと!?」  再びわめきあう少年少女を尻目に、ゼロは一昨日の出来事を思い返す。  怪盗ドラゴンと邂逅したあの夜から、ゼロはリヒトの姿を見ていない。ブラウン店主にも何も連絡はいっていないそうだから、無断欠勤ということになるだろう。あの真面目を絵に描いたような青年からは想像できない事態だった。  だが、ゼロには彼が店へ足を運べない理由は察しがつく。  今夜だ。  あと数時間で、リヒトは怪盗ドラゴンと――リクと向き合うこととなる。 「……なぁ、キサラさん」 「は、はい!?」  声をかけると、ビックリしながらキサラはこちらへと振り向いた。子供じみた言い争いをしていたことを自覚したのか、気恥ずかしさから顔が赤くなっていく。 「……あの、なんでしょうか」 「君の兄は、どんな人なんだ?」 「……? どうしたんですか、急にそんな……」  ゼロは答えない。  リヒトのことは気になるが――彼と会っている、とは、キサラに伝えるべきではないはずだ。卑怯だと思いながらも、ゼロはキサラの言葉に耳を傾ける。  首をかしげながらも、キサラは自身の兄のイメージを言葉にしてくれた。 「一言でいえば、真っ直ぐな人、でしょうか」 「……」 「とても誠実な人です。正義を信じ、誰かのためになることに迷いのない、自慢の兄です」  そう言って、少しだけ、キサラの顔に影が浮かぶ。  胸元でぎゅっと強く、手を握りしめた。 「ただ……それだけに、こうと決めたらなかなか諦めてくれません。そういう意味では、兄はとても意地っ張りでした」 「そうか」  答えてくれたキサラの深い愛情と悲しみに気付き、ゼロはわずかに目を逸らす。兄との関係性がこじれてしまったことを、この優しい少女が悔いていないはずがないのだ。そして、ふたりが再び手を取り合えるかどうかも――今はわからない。  大好きな兄と離れて、魔族や魔術師と行動を共にする。  不安にならないはずがない。  寂しくないはずが、ないのだ。 「お前、何かあったのか」 「いや――……いや、なんでもないさ」  訝しむヴェルガに、ゼロは努めて明るい表情で首を振ってみせた。 「さて、私はそろそろ休むとしよう。キサラさん、オーラント、おやすみ」  そう話を切り上げると、ゼロはそそくさと部屋を後にする。 「おやすみなさい……」 「……なんだ、あいつ」  キサラとヴェルガは顔を見合わせると、不思議そうに首を傾げ合うのであった。      §  日が沈む前には雨は上がり、――空はわずかながらも夕焼けを見せてくれている。  高級ホテルの一室。  窓から赤く染まっていく景色を眺めながら、リヒトは唇を噛み締めた。  今朝ポポに言われた通り、怪盗ドラゴン捕縛任務からリヒトは外された。一方でポポや加藤は任務のための準備を行っている。特にポポはやる気満々といった体で、すでにホテルを後にしていた。  だが――自分はこのままでいいのだろうか。  迷いが強い焦燥感をうみ、リヒトはいてもたってもいられず部屋を飛び出した。  とはいえ――とくに行く宛てがあるわけでもない。  ポポの言いつけを無視できるほどの強い衝動もなければ、大人しく従っていられるほどの従順さもない。何もかもが半端な迷い人は、気がつけばホテルに備え付けられた馬車工房へと足を運んでいた。  目の前には青と白を中心とした鋼の車体。機械文明を応用し、荒道さえも平然と駆け抜ける性能を持つ聖堂騎士団の馬車。そして――その修理に勤しんでいる、作業着姿のリヒトより年下の少年。  ルクス・コムラサキ。クラウディア特務騎士隊の御者を務める彼は、リヒトに気がつくと慌ててペコリと頭を下げた。 「リヒトさん、どうかしましたか?」 「え、ああ、うん――。なんとなく、様子が気になって」  ここに足を運んだ理由はわからない。逸る気持ちを落ち着けたくて見慣れた馬車を見に来たのかもしれないし、ルクスと話して気を紛らわせたかったのかもしれない。……そういえばと、リヒトは思う。 (……ルクス君はどう思うんだろ)  ルクスは教会の馬車隊に所属する少年だ。馬車隊は聖堂騎士団の遠征や信徒の巡礼の旅など、馬車を必要とされる場面でその運行全般を担う部署であり、元々はとある運送会社が教会と懇意になるうちに吸収同化されたのがルーツだという。そんな彼等であるのだから、同じ教会の仲間でも、正義に対する考え方がリヒトたちと違っていてもおかしくはない。 「少し……いいですか?」 「はぁ、なんでしょうか」 「大切な人のために悪いことを、そうと知っていてやるのを、ルクス君はどう思います?」 「……はぁ、悪いこと、ですか」  眉根を寄せて考えこむルクス。……たしかに、これだけでは具体性もなく、いまいち意図が伝わらないかもしれない。 「……人と会ったんです。その人はとても貧しい暮らしをしていて、妹のために盗みを働いています。僕は彼を止めようとしたんですけど……うまく、説得する言葉が、出てきませんでした」 「……」 「悪いことが正義のはずはないんです。かといって、妹さんを見捨てることが正義のはずもない。その想い自体は間違いなく正しいもののはずなのに……。……彼は、僕へ犯行予告を告げて去って行きました。僕は、どうすればいいのか、わからなくなってきて……」 「それは――」 「僕は、どうすれば……」 「……」  悩みを打ち明けるリヒトに、ルクスは困ったように顔を伏せた。  やはり難しい問題なのだろう。あるいは、急にこんな話をされて戸惑っているのかもしれない。怪盗ドラゴンと実際に会ったのはリヒトで、兄妹に自分たちを重ねて視たのもリヒトの勝手だ。無関係であるルクスに答えをもらおうということ自体がおかしいのかもしれなかった。  と―― 「迷う必要はありませんよ」  足音と強い声に振り向けば、やって来たのは茶髪の神父――加藤マルクだ。彼もまた怪盗ドラゴン対策に駆り出されることになっている。その準備の途中なのか、いつも一緒の双子の精霊の姿は見当たらない。 「リヒト君。――今の話は、怪盗ドラゴンのことですね?」 「……!」 「君がこの件から外されたのを不思議に思っていましたが……そういうことでしたか」  加藤は軽く息をつくと、リヒトの顔を覗き込む。  その瞳はとても真剣で、リヒトは目を逸らすことができなかった。 「いいですか、リヒト君。たしかに怪盗ドラゴンにも事情はあるのでしょう。捉え方によっては彼も正しいのかもしれない。ですが、どんな犯罪者も多かれ少なかれ何かの理由を抱えているものです。だからといって、法と秩序を踏みにじることが許されるわけではありません」  加藤の言葉は、リヒトの中へじわりと染みこんでいく。  かつては本職の神父だったという加藤マルク。迷える若者を導くように、彼は自らの正義を揺るぎなく紡いでいく。それは紛れもなく、リヒトも信望していた正義のカタチそのものであった。 「彼等はどこまでも自分勝手で、なにひとつ正当性もない、紛れもない悪です。悪党に情けをかければ――それは必ずしっぺ返しとなります。……後悔、するだけです」  それは――どこか、自身に言い聞かせているみたいで。 (加藤さん……)  つらい思いをうちに秘めた、悲しげな瞳だった。 「……そのことを、よく考えてください」 「……」  加藤は踵を返すと、馬車工房を去っていく。 (僕は……僕の、やるべきことは……) 「……リヒトさん」  心配そうな、ルクスの声。  その声に応えられないまま――迷いの晴れない顔で、リヒトは加藤の背中を見送った。      §  そうして、日は落ち、夜になって。  怪盗ドラゴンは、あっさりとディッグロウ家から宝を盗ることに成功した。      §  一仕事を終えた怪盗ドラゴンは、夜の町を駆けていく。  その手にあるのは竜のうろこだ。怪盗ドラゴンの由来となったディッグロウ家の至宝である竜とは、希少な竜の素材のこと。かつてはひとつしか盗み出せなかったそれを、今夜、怪盗ドラゴンはすべて奪い取ることに成功したのだ。 「は――」  薄く笑うと、獲物を懐へと仕舞いこむ。  あとは追跡を振り切るだけだ。安全を確認したらスラムの住人であるリクへと戻り、何くわぬ顔で家へと帰る。そうして、頃合いを見計らって竜のうろこを売り払えば、当面の生活資金に困ることはないだろう。 (……にしても、簡単な仕事だったな)  警備は厳重ではあった。屋敷の中から外までみっちりと配備された警察騎士たちは、最大規模だった前回以上の人数であり――だが、それだけの数をもってしても怪盗ドラゴンには取るに足らない。どれだけ見事な警戒網であっても必ずスキはあるわけで、それを見逃す怪盗ドラゴンではないからだ。  ただ、人数が多いだけの警備。  まだ死に物狂いで向かってきた前回の方が手強くて――予告状まで出しただけに、どこか拍子抜けしてしまうリクであった。 (予告状か)  我ながら馬鹿な真似をしたと今さらに思う。リクは伊達や酔狂で盗みを働いているわけではない。妹を救うため――ただそれだけの理由で悪道へと堕ちたのだ。だから、怪盗だなんだともてはやされること自体が、苦痛でもあった。  それが――どうして、怪盗らしい真似なんてしてしまったのか。 「……」  胸中に浮かぶのはリヒトの姿だ。  そしてそれと重なるようにして、もう顔も姿もろくに覚えていない、とある青年の姿が浮かんでいく。彼は教会に仕える神父だった。彼との出会いが、リクの生き方を一度は正しく導いてくれたのだ。 「――ほんと、バカだったな、俺は」  リクの少年期は満ち足りたものだった。  優しい両親に生意気な弟と、生まれたばかりの可愛い妹。穏やかな毎日は、どこにでもある、だけど幸せな家庭の姿そのもので――それを不満に思えたのは、ようは反抗期だったのだろう。リクはなかば衝動的に町を飛び出したのだ。  だが世の厳しさと無縁だった甘ったれの少年は、外の世界でろくに生きていくこともできず……、やがて、人の道を踏み外した。  野盗の集団に拾われたリクは、下っ端として、数々の悪事に手を染めたのだ。  その中には人殺しもあった。  はじめて誰かを殺した夜は一睡も眠れなかった。だけど、いつしか、そんな感情も置き去りになっていく。  そうした日々が一年も続いて――……今からおよそ七年前、契機が訪れた。  どこかの村を襲ったとき、ひとりの神父により野盗たちは返り討ちにあったのだ。  死ぬ、と思った。  今度は自分の番なのだと恐怖した。  しかし神父はならず者たちの命乞いを聞き、彼等の命を奪うことをしなかった。  馬鹿な人だと思った。  同時に、愛が深い人だとも思った。  誰かを信じ愛を分け与えることに迷いのない生き方は、リクに平穏な日常への思いを回帰させた。すでに大人になっていたリクは、家出した自分の幼稚さを後悔し、家族への思いを募らせる。  父も母も、弟も妹も、みんな自分を心配しているのだろうか。  ……いや。ずっと心配し続けているはずだ。だって、そういう人たちだったのだから。  会いたい。  会って、謝りたい。ごめんなさいと言いたい。ありがとうと言いたい。  冷たい牢獄の中で、生きながらえた命を確かめながら、リクは家族を思い涙した。  その後――  運良く牢から出ることができた。……というか、脱獄する機会が巡ってきたのだ。  野盗たちは神父への復讐に燃えていたが、リクはそんな気持ちにはなれなかった。神父の慈悲があればこそ家族への思いを確かめられたのだ。感謝の気持ちこそあれ、憎む道理など一欠片もない。まして今のリクは一刻も早く家族の顔が見たかった。  リクはひっそりと野盗たちの前から姿を消した。下っ端なんてどうでもよかったのか特に追手がかかることもなく、それが彼等との最後の別れとなった。なので、彼等がどうなったのかはわからない。ただ、なんとなく、神父への復讐は果たせないまま、ろくな顛末を迎えていないだろうと、そんな事だけは確信していた。  とにもかくにも、リクは故郷へと――ドメシアの町へと帰ってきた。  久しぶりに会う家族。  彼らの顔が、楽しみだった。  なのに――急激な町の成長についていけず、家族はスラム街での生活を余儀なくされていた。加えて、父と弟は流行病で死に、母も妹も患っていた。  かつて嫌悪し、再び求めた平穏であたたかい幸せな生活なんて、すでにどこにもなかったのだ。  それでもふたりは笑顔で馬鹿な長兄を出迎えてくれた。  リクは悔しさで泣いた。  その日ほど、自分の馬鹿さ加減に呆れ、恨み、呪ったことはないだろう。自分がどれほどのものを捨ててしまったのか、痛いほどに理解してしまった。自分が家出などせずしっかりと家族を支えていれば、スラム街に落ちることもなかったかもしれない。落ちたとしても、父や弟は死なず、母も妹も病気にはならなかったかもしれない。  それは仮定の話だ。  世の中はそんな都合よく回ってはいないと今のリクには理解できている。  だけど、こうであったなら――という後悔はなくならない。どれだけのモノを捨て落として生きてきたのか、振り返るだけで心が挫けてしまいそうだった。  だから、必死になって、働いた。  スラムの住人が定職につくのは難しい。正規の日雇い仕事か、不正規の犯罪まがいの仕事か――あるいは、犯罪そのものか。実入りがいいのは後者だが、リクは再び悪事を働く気にはなれず、わずかにこぼれてくる日雇い仕事で生き繋いだ。  だが――ほどなくして母は死に、リクに残された家族は妹だけとなった。  リクは追い詰められていた。  このまま真面目に働くだけでは、妹を失うのもそう遠くはない。たしかに神父の慈悲と愛情には深く感動し人生観さえ変わったが……今、リクが守らなければならない大事なものとは、なんなのか。  ……リクはその日、領主の館からひとつの宝物を盗んだ。  売りさばいて得た金は膨大で、おかげで妹の治療薬も買うことができた。事情も知らずに喜ぶ妹と、神父の姿が交互に浮かび、リクは後ろめたさと共にひとつの結論を得ることとなった。  それは、譲れない思い。  何をしても、どんな手段を使ってでも、大切な人を守る。  そう誓ったのだ。 「……今でもバカか、俺は」  リクは自嘲気味にひとりごちる。  少なくとも、こんな生き方を選んでしまった自分はバカ以外の何者でもない。リヒトの言うとおりに、胸を張れる生き方ができればどんなによかったか。妹のために――妹を理由に犯罪者になったことは後悔はしていない。だが、それでもバカだとは思うのだ。 (だから、かもな)  正直なところ、どうしてリヒトや警察へ犯行予告を行ったのか、わからない。なんとなく、自分の中ではこうなのだろうなという理由付けはできているのだが、それだけではない気もしているのだ。 (……多分、俺は確かめたいんだ。俺のやったこと。俺の生き方を、あの人が認めてくれるかを)  ――リクが改心するきっかけを与えてくれた神父。野盗さえ許し、やすい命乞いさえ迷うことなく受け入れ、救いの手を差し伸べてくれた恩人。教会の神父である彼の価値観には、少なからず教会の正義が影響を与えているはずだ。  だから、聖堂騎士団の一員であるリヒトへと犯行予告を行ったのだ。彼もまた教会の正義を価値観にしているはずだ。その彼が自分をどうするのか――そこに、あの人の姿を見ようとしている。  警察騎士隊への予告状も似たようなものだろう。  正々堂々、真正面から体当りした結果でないと、自分が知りたい答えは見えてこないんじゃないか。そう思ってしまったのだ。 「――は!」  黒ずくめの覆面の下で、リクの口が皮肉げに歪む。  ……考えれば考えるほど、まったく筋の通っていないアホな理由であった。 (まったく。何してんだかな。答えなんかわかりきってるだろうに!)  だからリクは、他にも理由があるのだろうと思う。  たとえば自分の正体を知ったリヒトの反応。リクの動機を知った彼は、何事かに悩みひどく狼狽していた。自分の何が彼の心をささくれ立たせたのかはわからないが――そんな彼だからこそ、リクは危ない賭けを行うつもりになったのかもしれない。  もっとも。  予告状まで出したというのに警察たちは腑抜けており、想定していた危険なんて、何もなかったわけであるが――…… 「……ん?」  前方に広がる夜の闇。それに、わずかな違和感を覚え――リクは足を止める。  人気のない路地裏に待ちかまえていたのは小さな影。  白い騎士甲冑を着こみ、鎖のついた鉄球を手にした小柄な少女だった。 (――ん? てっきゅう……?)  直後だった。  リクは思わず目を疑う。  何故なら、小柄な少女がまるで玩具のような気軽さで、手にした鉄球をぶん投げてきやがったからだ――!      § 「――避けられたか」  メテオハンマーの一撃を鮮やかな体捌きで避わすと、怪盗ドラゴンは慌てて屋根の上まで跳び上がり逃走を再開する。真正面からぶつからず逃げの一手を選んだのは、今ので実力差を理解したからか。 (……逃さないけど)  小柄な少女――ポポ・クラウディアは、メテオハンマーを抱えたまま、その重さなんて感じさせない軽やかな身のこなしで屋根の上へと跳躍する。  ――夜の町。  月明かりの下、屋根から屋根へと逃げていく黒い影を視界に捉え、ポポは迷わず追撃戦へと移行する。ふたりの距離は急速に縮まっていき――再びメテオハンマーの射界に捉えると、少しの躊躇もなく振りかぶってぶん投げた。 「――!」  空気を粉砕しながら迫る轟音に、怪盗ドラゴンは慌てて回避行動を試みる。  メテオハンマーは再度、虚しく空を薙いだ。 「ふむ」  ポポは足を止めると、力を調節し、間違って家々を破砕しないよう鉄球本体の軌道を変更、戻ってきたそれを受け止めた。それから視線を投げかければ――黒ずくめの姿は、すでに遠く。一連の動作のうちに稼がれた距離を詰めるべく、ポポは再び屋根の上を駆け出した。 (……さて)  ポポが立てた作戦は、怪盗ドラゴンの逃走経路を絞り込むことであった。  戦闘に持ち込めばまず負けはない。だがディッグロウの屋敷の中では戦いにくく――なにせメインの武器が鉄球や鉄槌なのだ――迎え撃つなら町中がいい。そうなるといかに怪盗の逃走経路を限定するかが大事であり、ポポは警察騎士隊をうまく配置し警備に濃淡をつけた。  その読みは見事に当たり、こうして怪盗ドラゴンと遭遇することができたのだ。  だが、誤算がなかったわけではない。 (……よく逃げる)  ポポの攻撃を、屋根から屋根へ飛び移り必死に逃げ続ける怪盗ドラゴン。  逃げ足の達者さは、この一年の警察騎士隊との鬼ごっこで磨きあげたものか。町中ではなく屋根の上での逃走劇を試みたのも、視界が広い分こちらの動きを捉えやすく、回避に専念できるからかもしれない。  一方で、こちらは殺さないように手加減をしなくてはいけないのと、屋根の上とはいえ市街地であるため派手な攻撃ができないこと、加えて土地勘もないと制約だらけだ。  結果として、ポポは怪盗ドラゴンを仕留ることができずにいた。 (この手の仕事ははじめて――なんて言い訳は許されないな)  聖騎士クラウディアの名で怪盗退治を引き受けたのだ。できなかったではすまされない。これは王国騎士団に対する、聖堂騎士団の挟持を賭けた戦いでもあるのだから。 「……」  ――と、そこまで考えて、ポポは不意に釈然としない気持ちに囚われる。 (……だいたい、なんでボクはこんな事をやっているんだ)  面倒な事件に関わる羽目になったのは、そもそもこの盗っ人がドラゴンの御名を騙っていたせいだ。その相手がちょろちょろちょろちょろと逃げまわり、さらに手間を掛けさせられている。  メテオハンマーを振り投げる。  また、すんでで避けられる。  メテオハンマーを振り投げる。  またまた、すんでで避けられる。  メテオハンマーを振り投げる。  またまたまた、すんでで避けられる。  ――――なんだか、ものすごっくイライラしてきた。 「……いい加減に、」  たしかに怪盗ドラゴンはよくやっている。  よくやってはいる、が――しかし、それもここまでだ。  何故なら、聖騎士に追われてただの怪盗ごときが、いつまでも逃げおおせるはずがないのだから――!! 「しろ……!」  怪盗が次の屋根へと跳び移る瞬間、その足をついにメテオハンマーが直撃する。鎖を通して伝わってくるのは、足を粉砕する確かな手応え。跳躍に失敗した怪盗は、そのまま無様に町中へと転げ落ちていく。鉄球を手元に戻しながら、ポポは表情を変えることなく勝利を確信した。  ――だが。  そんなポポを嘲笑うように怪盗は再び姿を現した。砕いたはずの足は何事もなかったかのように、またしても屋根から屋根へと跳び逃げていく。 「な――」  これにはポポも動揺した。  たかが怪盗ごときを仕損じた。――動揺はそのまま怒りへと転じていく。 (癒しの術か、それとも霊薬か……どちらにしろ、生半可じゃいけない)  ポポから膨大なマナが吹き上がると、周囲に三色のマナの塊が出現する。殺さない程度に威力は調節するが――逆に言えば、生きていられる程度の威力で、奥義を解き放つ。 「トライスマッシャー!!」  夜空を切り裂く鮮烈なる白光。  だが、怪盗はそれを避わした。  …………避わしたのだ。ポポ・クラウディアがその名に恥じないために編み出した、最強の攻性砲撃精霊術、それをよりによって小さな町の泥棒ごときが――避わしたのだ! 「――!」  ポポの中で急速に怒りが膨れ上がっていく。  こんな恥辱は、はじめてだった。 「あいつ……許せない!」      §  ――数時間前のことだ。  夕食を終え、部屋に戻ったヴェルガは不思議そうに眉根を寄せた。何故なら先に戻ったはずのゼロはベッドで眠りの中にいるのではなく、椅子に腰掛けたまま、窓からぼうっと雨上がりの夕焼け空を眺めていたからだ。  ちなみに、ここ最近常用していた派手派手なシャツではなく、以前着ていたのと似たような黒い服に着替えている。そのせいもあってか、どうにも辛気臭い雰囲気を強く感じてしまうヴェルガであった。 「……お前、寝たんじゃなかったのか」 「オーラントか……」  応えるゼロの顔はどこか悩ましげで、ヴェルガは小さく息をこぼすと後頭部をかいた。 「なぁ、何があったんだよ」 「……ん?」 「隠し通せると思うなよ。何かあっただろ、絶対」 「……」  ゼロはうつむき、――しばしの無言ののち、ヴェルガへと向き直る。  その、とても真剣な眼差しに、自然とヴェルガの意識も引き締まっていく。 「オーラント。……力を貸してほしいと言ったら……お前は力を貸してくれるか?」 「ああ」  即答する。 「……」 「……? なんだよ」 「……いや、まだ詳しいことは何も言ってないのだが」 「相棒から頼られたんだ。黙って胸を貸すのが男ってもんだろ」 「――オーラント」  息を呑むゼロ。  ヴェルガはそんな相棒へと決意を告げる。 「お前が何を悩んでるかは知らないけど、悩むくらいなら迷うなよ。あの時あーすればよかった……なんて後悔してもしょうがねぇだろ。だから俺を頼ってくれ。俺の力が必要だってんなら、存分に使ってくれていい。だって……俺達、相棒だろ」 「……」  まるで意外なことを言われたように、ゼロは無言だ。  ヴェルガは……なんだか、少しだけこっ恥ずかしくなってきた。 「…………ま、まぁ、頼りないってのは、わかってるつもりだけどさ」 「いや」  ゼロは首を振る。その口元には微笑みが浮かんでいた。 「改めて頼もう。勝手な私事だが、どうか力を貸してくれ、オーラント。――助けたい人と、見届けたい人がいるんだ」 「わかった。任せてくれ」  これみよがしに、ヴェルガは胸を張ってみせる。 (後悔するな、か。まったくだ)  以前、看病中にキサラから借りて読んだくだらない少女小説。その登場キャラの誰かが、たしかそんなようなことを言っていたのを思い出す。実にしょうもない、くっだらない話ではあったが――案外、自分も似たようなレベルなのかもしれない。  もしも、何かに悩むゼロを放っておくという選択をしたならば、きっとヴェルガは後悔するだろう。何故なら悩み事すら相談されないくらい、自分は守られるだけの立場にいると、そう認めることにほかならないからだ。  そんなのは絶対に嫌だった。  オーラント・ヴェルガは、亡き父のように――相棒として、ゼロの側に並び立ちたい。  だから、ゼロが自分を頼ってくれたことは何よりも嬉しかった。今までの守られるだけの自分から、少しだけでも前へ進むことができたのだから。  故に、即答。  ゼロの頼み事がどんな内容だろうと、必ずやり遂げてみせる。  それがヴェルガの決意だった。  ――とはいえ。 「いきなりハードすぎるだろ、これ!?」  現在――  負傷した怪盗ドラゴンと入れ替わり、逃亡する偽ドラゴンことオーラント・ヴェルガ。  全身を適当に見繕った黒ずくめの衣装に包み、必死の形相で夜を跳ぶ。  怪盗ドラゴンを討伐するために動くだろう騎士隊。その目を欺くための囮役こそがヴェルガの役目であり――、蓋を開けてみれば、それはほとんど命懸けの逃避行と化していた。 「くぅぅぅ!」  心臓バクバク、汗をダラダラさせながら、ヴェルガは先程の出来事を振り返る。  うっかり足を滑らせ体勢を崩したその瞬間、すぐ横の空間を白い閃光が灼き貫いていったのだ。まさに偶然、紙一重の奇跡でもってオーラント・ヴェルガは生き延びることに成功していた。……いや、直撃したとして死ぬかどうかはわからないが。だが少なくとも、死んだ方がマシかもしれないほどの、とんでもない力が込められた精霊術だということはヴェルガにすら理解できた。  そんな相手に追われているのだ。  新米魔術師であるヴェルガにとって、その重圧(プレッシャー)は吐きそうなほど半端ではなかった。 「くっそ、ゼロの奴、とんでもねぇ役回しやがって……!」  思い出すのは、ゼロとの会話。  詳しい事情を話し終え、改めて自分に協力を申し出た相棒はこう言ったのだ。  ――私は、怪盗を助けたい。だが、私が出て行って戦うわけにはいかない。だからオーラント。どうか、私に力を貸して欲しい。 (出て行けないか……。嘘、言いやがって)  もしもヴェルガが騎士隊に追い詰められたなら――きっとゼロは怪盗ドラゴンを放置してでも駆けつけてくるはずだ。魔術師と契約した魔族なら、契約相手の安否もある程度はわかるときく。ヴェルガの負傷はすなわち、作戦の失敗に他ならなかった。 「それじゃ、ダメ、なんだよ――!」  ゼロと並び立てる本当の意味での相棒になるためにも、この危機を自力で乗り越えなくては話にならない。そう言い聞かせ、魔術で強化した身体能力をフル活用し、ヴェルガは屋根から屋根へと必死で駆け抜けていく。 (ここは商店街で、あっちはスラム……だから、こいつを撒くには……!)  以前、霊薬作りで町中を駆けずり回ったかいもあり、簡易ながらもドメシアの町並みは頭に入っている。与えられた役をやり遂げるためにも、ここはなんとしても逃げ延びなければならなかった。  ……と、いうよりも。 「――げぇっ!?」  後方から迫り来る強力な力の気配。  ヴェルガは振り返ることなく身をかがめ――そのすぐ上を、風の斬撃が通り抜けていく。 (やべぇ、死ぬ。死ぬぞコレ)  精霊術の射界に捉えた瞬間、後方の追跡者が放ってきたのは問答無用の斬撃術だ。あんなものが直撃したらただで済むはずがない。ヴェルガは生き延びるためにも、何が何でも逃げ延びなければならなかった。 (くっそー、恨むぜ、ゼロ!)  とにもかくにも足を動かす。町の中に逃げ込めば強力な精霊術や凶悪なハンマー攻撃は防げるだろうが……それではジリ貧だ。息を殺してこの追撃者をやり過ごせる自信はヴェルガにはない。だからこそ、屋根を跳躍し、一刻も早くあの場所へ。 「……」  ちらりと後ろを振り返る。  ちょうど、見るからに不機嫌そうな無表情をしたお子様が、今度こそをと鉄球を振りかぶっているところで…… 「ちっくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」  叫び、限界までマナをみなぎらせ大きく跳ぶ。  凶悪なハンマーが迫り来る音に、文字通り、死に物狂いでヴェルガは逃げた。      §  ヴェルガと共にディッグロウ家を張り込み続け、事が起こったのが十数分前。逃亡する怪盗ドラゴンを追いかけ、そこに聖騎士ポポ・クラウディアが立ち塞がり――足を砕かれ落下したドラゴンを受け止めたゼロは、彼の足に治癒魔術を施した。  傷は……一言で言えばひどいものだ。  骨も肉もグチャグチャで、ゼロが治癒魔術を得意としていなければ回復は無理だったかもしれない。もっとも、完治には程遠い状態だ。無理な治癒は対象への負担も大きく、このレベルの傷になれば鍛えぬかれた一流の戦士でも、完治させるのは体力的に厳しいためだ。  だから、今のリクは一応歩ける程度であり、ゼロの肩を借りながらゆっくりと逃亡を続けるのがやっとであった。 「く……」  傷が痛むのか、リクは歯を食いしばる。 「大丈夫か? ……急ぐことはない。君の足をやった者は、私の相棒が引きつけてくれている。今は無事に家へ戻ることだけ考えるんだ」 「……ああ」  額に脂汗を浮かばせながら、リクは一歩ずつ歩いて行く。走ることは到底無理で、今は歩くのにも精一杯。……おそらく、もう二度と、怪盗稼業に手を出すことはできないだろう。それどころか生涯ハンデを負って生きざるをえなくなった。  ゼロは思う。  ――怪盗ドラゴン。その罪へのひとつの答えが、これなのだろうか。 「……」  ――と、黒い覆面からのぞく眼でゼロを見つめ、リクが問いかけてきた。 「……なぁ。どうして俺を助けるんだ」 「君のことを好ましい、と思ったからだ。むざむざやられるのを見ていられなかった」 「そうか」  小さくそう答えると、再び歩き出すリク。  その肩を支えながら、ゼロも一緒に歩いて行く。  しばしの、無言。  しばらくして――ふたりは足を止める。  場所は路地裏。  奇しくも……三人が出会った、出会うこととなってしまった、路地裏だった。  ――否。 「……そういや、あんたに助けられたのは二回目だな」 「そうだったな」 「この前も今日も、あんたのおかげで俺は生きてられる。本当に、ありがとうな」  ふたりはあえて、ここを選んだのだ。  こうなるんじゃないかと――そうわかっていながら、あえて路地裏へと足を運んだ。 「――」  ゼロは自分たちの前に立ちふさがる従士服の青年を見る。  月明かりの下――金髪碧眼の青年は、悲しげな眼差しで自分たちと相対した。  リヒト・レイシア。  ゼロにとっては仕事仲間で、引き裂いてしまった兄妹で――見届けなくてはいけない人。 「――リヒト君」 「ゼロさん。あなたは……」  ふたりの会話を遮るように、リクはゼロから離れて前に出る。おぼつかない足取りで、それでも、懐からナイフを取り出すと身構えた。 「……抜かないのか?」 「くっ……!」  唇を噛み締め、リヒトも遅れて剣を構える。その剣先は、いまだ迷いに揺れている。 「……来ると思ったぜ」 「どうして、ですか。正義を成そうというのに、どうしてそんな、悪の道を……!」 「やっぱ、それがあんたの出した答えってわけか……」  自嘲気味にリクは笑う。  すでに何度も繰り返した問答。リヒトに何を言われようと、リクの答えは変わることはない。ゼロも、リヒトも、この場にいる誰もがわかっていることだった。  なのに、叫ばずにはいられない。  正義と悪。――悲痛な想いに乗せた、それはリヒトの答えだった。 「――いいぜ」  リクは低く身構える。  我流で鍛えた戦闘スタイル。真正面からぶつかれば、従士とはいえ騎士団で正規の訓練を受けたリヒトに及ぶべくもなく、加えて足まで負傷している。勝ち目なんて、端からない。  ただ、それでも。 「――俺の正義を、裁いてみろよ聖堂騎士団!!」  怪盗ドラゴンは、リヒト・レイシアへと挑みかかる――……!  ――――それは、幼いころの、とても大切な思い出だ。  両親を失い、妹とともに出かけた冬の夜。訪れた聖誕祭で妹とはぐれたリヒトは、必死に妹を探し続けて――それでも見つからず、挫けかけた。  そのとき、耳に飛び込んできたのは風の聖女シルフィード様のお言葉だった。  正義を成しましょう。  正しい行いを、信じましょう。  ……そうだ。  リヒトにとって何よりも正しいことは、妹を守りぬくことだ。  聖女様のお言葉に励まされ力を取り戻したリヒトは、再び雪の中を立ち上がり、人混みをかき分けて――……妹の小さな手を、捕まえた。  それは、リヒトの信じる正義のカタチ。  だからこそ――胸を張って、この正義を、信じていく。 「――」  リヒトの剣が一閃し、怪盗ドラゴンのナイフを弾き飛ばす。  そのまま柄頭で後頭部を一撃、意識を刈り取って――勝負はあっさりと決着した。 「……」  路地裏の闇に倒れ伏す、黒ずくめの青年。 「……僕は……」  何か言おうとして、だけど、何を言いたいかはわからない。正義は自分にある。なのに、胸の奥の息苦しさは、より強くリヒトを締め付けてくる。  だけど――ぼうっと突っ立ってはいられない。  まだ、終わったわけではない。怪盗ドラゴンと一緒にいた男、ゼロ。彼が怪盗へ協力したというのなら……それはつまり、彼も、悪、ということに、なるのだから。 「……」 「……」  リヒトとゼロは、静かに向かい合う。  お互いから視線を逸らすことはしない。構えをとるわけでもない。敵意をぶつけあうのでもなく、かといって以前のように穏やかな空気でもない。――リヒトはごくりと息を呑む。黒い服に身を包んだ友人は、まるで別人のように冷たく見えて、ただひたすらに、距離を感じた。  ……やがて、ゼロは静かに踵を返す。  慌ててリヒトは声を上げた。 「ま、待ってください!」 「……」  足を止め、ゆっくりとゼロは振り返る。 「……ゼロさんは、その……」 「どうして、私が彼に力を貸したか、か?」 「……はい」 「逆に問おう。君はどうして、彼と戦ったんだ?」 「……」  それは――彼が、悪だからだ。  怪盗。盗賊。犯罪者。世を乱す悪の存在。どんな理由があろうと、その事実は揺るがない。  だから…… 「……正義を成すのは、僕たちの役目です……」  風の聖女も言っていた。  正義を成せ、と。――正しい行いをすることは、リヒトにとっては当たり前のことだ。  そう。悪は裁かれなければならない。  何故ならそれが、正義だからだ。 「リヒト君。君は本当に、何もわかっていないようだな」 「――え?」  顔を上げる。  自分を見つめるゼロの表情は――ひどく、悲しそうであった。 「いいか、リヒト君。悪と対立するのは正義ではない。善だ。そして――正義と対立する正義というのも、あり得るんだ。……だから人は、自身の正義を信じなければならない。後悔がないように、だ」 「……」 「――君は今、本当に、後悔していないのか?」 「――……」  後悔なんてしていないと言いたかった。だけど、声に出すことを躊躇ってしまい――それ自体が、答えでもあった。 「さようなら、リヒト君。――できれば、もう二度と会わないことを祈っているよ」  そう言い残して、ゼロは去っていく。 「――」  答えは得たはずなのに、なにひとつカタチにならず――無言のまま、夜に消えていく友人を見送るしかない。  リヒトは泣き叫びたいような衝動をこらえ、強く、胸元のロザリオを握りしめた。      §  ポポ・クラウディアは猛省の中にいた。  怪盗ドラゴンとの追いかけっこのすえ、辿り着いたのは町の外に広がる森の中。すでに怪盗はどこかへと消え、虫の音と荒い獣の息遣いだけが耳に届いている。 「……」  怪盗ドラゴンに、逃げられてしまった。  だからこそ、ポポは猛省する。 (……どこで間違えた……?)  落ち着いて考えれば、理由はいくらでも見つかった。  まず、作戦からして失敗だった。  戦いやすさから屋敷ではなく町での追撃戦を選択したくせに、ポポ自身の武器がそれに不向きすぎた。力に任せ、メテオハンマーの連撃で周囲を薙ぎ倒す――ポポの得意な戦型は今回に限ってはご法度であり、いちいち鉄球を回収しながらの行動は著しく機動性を損なっていた。相手の誘導こそ成功したものの、それ以外はあまりにも稚拙だったとしか言いようがないだろう。  その、追撃戦にも大きなミスがある。  侮っていた相手に攻撃を避わされ――知らずムキになった。飛翔精霊術で空から追撃していれば屋根の上を駆けずり回るよりも迅速に行動できたし、得意の瞬動術で距離を詰めることもできたはずだ。そもそもメテオハンマーが不利なら鉄槌に切り替えればいい。なのに、あくまでも追いかけっこと鉄球に固執してしまった。  それらをすべて投げ打って、最終的に精霊術まで行使したというのに結果に結びつかなかったのは、ようは冷静さが欠けていたからだ。イメージをカタチにするのが精霊術なのだから、心の乱れは術の仕上がりに大きく影響する。あの時のポポはきっと三流精霊術師と大差ないしょぼさだったのではないだろうか。 「……」  つまり、結論を言うならば――ポポ・クラウディアは、熱くなり過ぎていたのだ。  たとえるならば、型抜きに失敗して、悔しくて、何度も何度も何度も挑戦し続けた挙句に全敗したようなものだろうか。たまる一方のイライラは判断力を大きく鈍らせ、結果として怪盗ドラゴンは聖騎士の追撃から逃れきったのだ。  ……未熟。  それ以外の言葉が見つからない、圧倒的なまでの敗北であった。 (……ヴォルトはどんな顔をするだろう)  親代わりの男を思い浮かべる。  今回の顛末を知ったなら――あの男は、きっと腹を抱えて大笑いするだろう。そして言うのだ。大きな手で自分の頭を乱暴になでながら「いいねぇ、少しは子供らしくなってきたじゃないか」と。 「……」  すこぶる不愉快だった。  ポポはもう十二歳だ。聖騎士として独り立ちを果たし、すでに部下まで持つ身となっている。子供扱いされていいはずがなく、加えて先輩後輩、師と弟子、擬似親子――そんな関係を織り込んであの男と向かい合うのは、とてつもなく気分が悪かった。  ――どうも、世間ではそういうのを反抗期、というらしいが、その辺りの感情は自分でもよくわからない。具体的にヴォルトに自分をどう見せたいのか、彼にどう扱って欲しいのか、それもよくはわからない。  わかっているのは……今回は、ひどい失敗をしてしまったということだけだ。 (……任務は、どうなっただろう)  今思えば、自分が追っていた怪盗ドラゴン――あれは果たして本人なのかすら怪しかった。もしも入れ替わっていたとするなら、おそらく足を砕いた直後か。だとしたら本物は今頃悠々とアジトへ帰還しているかもしれない。  だが、それはないだろうという不思議な確信もあった。  自分がダメでも加藤がいる。子供じみた失敗をした自分と違い彼は本当に大人だ。冷静沈着に策を練り、見事怪盗を絡めとっていてもおかしくはない。  それに、リヒト・レイシア。  待機こそ命じたが、おとなしく従っているかはわからない。彼を惑わすキサラ・レイシアの幻影、その向き合い方を義賊退治に求めたとしてもおかしくはないのではないかと、ポポは思う。  ――とまぁ、怪盗退治についてはそれほど心配はしていない。とはいえそのすべてを出し抜いて逃げおおせた可能性もあるだろうし、聖騎士としてどのような言い訳をすれば聖堂騎士団への痛手を減らせるのか、そのこともきちんと考えなくてはいけないだろう。  部下の責任は隊長の責任でもある。  今回の件は成否も含めて全面的に自分のせいであり、ましてポポは聖騎士としてクラウディアの名を背負っているのだ。ここから先はより一層の注意を払い、警察騎士隊にスキを見せないようにしなければならなかった。  ……そのためには。 (このままでは帰れないか)  ポポは軽く周囲を見回す。  月明かりもまばらな夜の森。自分を囲むようにして――大きな影が、三つ、四つ。……いや、もっとか。ドメシアの森にはグリズリーと呼ばれる大型の魔物が住み着いているそうだが、どうやらその群れと遭遇してしまったらしい。  まさに、いっぱしの騎士でも息を呑むような危機的状況。  だがポポの心は、自らの幸運に打ち震える。  だって、このままでは――手ぶらでは、絶対に帰れないのだから。 「……」  ポポは無表情のまま鉄球をしまうと鉄槌を組み立て、軽く振り回してみる。空を薙ぐ音が心地いい。今夜は周囲に被害を与えないよう破壊に特化した武器を振るうことの難しさを知ることができた。森を破壊するわけにはいかないのだから、この状況は今夜の反省会としておあつらえ向きの状況と言えるだろう。 「さて」  ――全身にマナが満ちていく。  グリズリーの一匹が、目の前の小さな獲物の大きさに気づき怖じ気づくが……もう遅い。  鉄槌の一撃が、稲妻のような勢いでグリズリーの頭部を吹き飛ばした。      §  とぼとぼと、リヒトはスラム街をリクの家へと向かっていた。  気絶した怪盗ドラゴンは警察騎士隊に引き渡した。一年間、ドメシアの町を騒がせ続けた怪盗はついにその歴史に幕を閉じる。これで町に平穏が戻った。……戻ったのだ。  だけど。  何も知らないまま、大好きな兄を失ってしまった妹は――どうなるのだろう。 「……」  気持ちの整理はついていないが――兄がもう二度と帰ってこないと、ソラには伝えなければならない。それは怪盗ドラゴンに引導を渡した、リヒトの役目であるはずだった。  ――ソラは、どんな顔をするのだろう。  考えようとしても、考えられない。  空虚な痛みを抱えたまま歩を進め、やがてリクの家が見えてくる。  ボロボロの家。窓からはぼんやりと灯りが見えている。……まだ、起きているのだろうか。どこかへ出かけた兄の帰りを、ひとりさびしく、待ち続けているのだろうか。 「……」  止まりそうな足を使命感で突き動かし、重い体にムチを打つ。  鍵はかかっていない。  覚悟を決めて、そっと――扉を開く。  ――と。 「え……」  リヒトは呆然と目を見張る。  ソラは薄汚れたベッドの上で、双子の少女と共に毛布に包まれ眠っている。そんな少女たちを優しく守る青年が、こちらに気づくと顔を向けてきた。――よく見知った顔。神父服を着た彼は、加藤マルク。リヒトの旅の仲間だった。 「……君が来ましたか」 「どうして加藤さんが?」 「君の話が本当なら、怪盗は必ずここへ戻ってくるのでしょう? 場所を特定するのに苦労はしましたが……すべての作戦が失敗した場合に備えていたわけです」 「そう、ですか」  怪盗ドラゴン対策は個人の裁量に任されていた。加藤もポポとは別の策を練り、こうして待ち構えていたというわけだ。……もっとも、その怪盗も、すでにリヒトが倒してしまったのだが…… 「――」  ソラは兄の真実を知らないまま、穏やかな寝息を立てている。その両隣にはリリアナとレミーが寄り添い、三人仲良く眠っている姿はとても微笑ましいものであった。 「……いい子ですね、ソラさんは」 「優しい子です。とても兄思いで……」  言葉が詰まる。その兄を、リヒトは裁いたのだ。 「君が来たということは、作戦は成功したのですね」 「……はい」 「……もしかしてリヒト君が怪盗を?」  リヒトは頷いた。 「――答えは出たんですね」 「その結果として、僕はここに来たつもりです」  その言葉に嘘はない。  リヒト・レイシアは、自分で正義を選びとった。その選択に、間違いはないはずだ。  だけど…… 「……加藤さん。この子は、これからどうなるんでしょう?」 「君は、どうしたいんですか?」 「え――」 「どうするために、ここへ来たんですか?」 「それは……」  ……責任感に突き動かされるようにして、リヒトはここへ来た。  だけど、ここに来て、ソラと会って、リクの罪を告げて――結果、彼女が負うだろう心の傷を、リヒトは本当にわかっているのだろうか。 「……」  ――わかっているはずだ。  だからこそ、こんなにも心が重い。体が重い。  リヒト・レイシアは、ソラという女の子を苦しめるために、ここへ来たのだ。  ……だけどそれは、本当に正しいことなのか。  無垢な少女に残酷な現実を突きつけることが、本当に、リヒトの正義といえるのか。  ――君は今、本当に、後悔していないのか?  そんな事を言い残した友人がいた。  彼は、後悔がないように――怪盗ドラゴンへと味方したのだろう。では、リヒトにとって後悔しない選択とは何か。今、この状況で、リヒトが本当に選びたい道とは……なんなのか。 「加藤さん」  ……リヒトはゆっくりと、口を開いた。 「僕は……彼女へ怪盗ドラゴンのことを伝えにきました。だけど、できるなら、彼女には知ってほしくないです。だって、苦しむに決まってます。大好きな兄が悪いことをしてただなんて……そんなの、苦しまないはずが、ないんです」  そうだ。  キサラのことで思い悩むリヒトには、すべてを知ったソラの気持ちもよくわかる。  兄を止めることができず、ましてその理由が自分にあると知ったなら、この子は兄の罪さえ背負おうとするだろう。優しい子なのだ。そんな少女の人生を、縛りつけていいはずがない。  罪は贖わなければならない。  だけど、それは怪盗ドラゴン――あくまでもリクの話であって、妹は関係ないはずだ。 「……」  ……わかっている。そんな事は言い訳で、単にソラへ真実を伝えることから逃げているだけかもしれない。兄と引き離されるソラの痛みを無視している時点で、これはリヒトのワガママだ。自分勝手な正義の解釈だ。誰にも胸を張れない卑怯者のやることだ。  でも。  それでも…… 「可能なら、何も知らないままで――綺麗な思い出のまま、兄と別れさせてやりたい。勝手だって、わかってますけど、でも……この子が苦しむ必要は、ないんです……」  眠り続けるソラ。  今――彼女はどんな夢を見ているのだろう。できれば夢から覚めても、どうか、優しい世界の中で生きて欲しい。そう、願ってしまう。 「ずい分とまぁ、勝手なことを言いますね、君は」 「……すいません」 「でも――気持ちは、わかります」  加藤は軽くため息をつくと、リヒトを見つめる。  その瞳は、優しかった。 「――たしか、馬車が直るまでは、まだ時間がありましたね?」 「え、ええ、ルクス君が言うには……」 「でしたら、手紙を出しましょう」 「手紙、ですか?」 「ええ。交易都市の教会支部へ。……この子はひとりでは生きていけないでしょう。彼女に罪はありません。彼女から兄を奪ったというのなら、私達は責任を取らなければならない。――教会の孤児院に預けましょう」 「……ほ、本当ですか!?」 「私だって鬼じゃありませんから。まぁ、しばらくは警察隊に預かっていただくことになりますが……」  そう言って、少しだけ疲れたような顔をする加藤。  警察騎士隊との調整となると、また色々と面倒事があるのだろう。ただのスラムの少女を教会が引き取る――なんてことを彼らが額面通りに受け止めてくれるとは限らず、怪盗ドラゴンとの関係を悟らせないまま話を進めるのはきっと大変だ。 「ありがとうございます、加藤さん」  そして――実際にそんなゴタゴタを行うのは下っ端のリヒトではなく加藤やポポになるはずで、リヒトはただただ、頭が下がる思いだった。      §  ――――こうして、ドメシアの町を騒がせた怪盗事件は結末を見た。  怪盗ドラゴンが捕まったという話は住民の間で衝撃とともに語られたものの、数日もすれば別の話題に取って代わられていく。しょせん彼らからすれば怪盗の存在は町の賑やかし程度であり、記憶に留めておく価値はなかったということなのだろう。  それが、リヒトには少しだけ悲しかった。  ……一方で、クラウディア特務騎士隊としての任務は大成功だ。なにせ怪盗だけではなく長年ドメシアの町を悩ましていた森の魔物までをも退治したのだ。上役であるロンドベル・ハスハーは深く感謝を表しており、クラウディア特務騎士隊の――聖堂騎士団の名誉は守られたといっていいだろう。  もっとも、事件を完全に解決したとは言いがたかったりもする。  ポポを森まで誘導したという怪盗の協力者。リヒトには心当たりがあるその存在を、ポポは警察騎士隊へ伏せてくれたそうだ。加藤いわく、相手に一杯食わされたのが悔しいから黙っているのでしょうとのことだったが――怪盗の詳しい身辺調査となればソラにも色々と危害が及ぶ可能性があったので、リヒトとしてもこの流れはありがたかった。  あくまでも事件は怪盗ドラゴンの単独犯。  怪盗ドラゴンの正体はスラム街に住み着いていた浮浪者の青年。  そうでなければならないのだ。  その、怪盗ドラゴン――リクは、警察騎士隊によって収監されている。準備が整い次第、裁判にかけられることになるのだろうが……彼にとって、幸福な結末が訪れることはないだろう。  だが、彼が何よりも大切にしていたソラの未来は守られた。  ソラは現在、特務騎士隊の依頼ということで、リクとの関係は伏せられたまま警察騎士隊に保護されている。こちらも準備が整い次第、教会が引き取りに訪れることになっていた。  彼女はまだ、実の兄が何をしていたのかを知らない。  この先、知る日が来るのかもわからない。  リクと離れて別の町へ行くことをどう説明したのかも、リヒトは知らなかった。……結局、ソラのことは加藤へ任せきりで、リヒトは顔を見せることさえ出来なかったのだ。  そして、それはもうひとり。  できればもう会いたくはないと言い残して去っていった――バイト先の友人。  彼ともずっと、会えずじまいだった。      §  ドアを開けると、昼過ぎだというのに店の客入りは上々だ。  それなりに席は埋まっていて、そこでは友達同士が軽くだべりあったり、恋人らしきふたりが楽しそうに語り合っていたり。親子連れの姿も見え、客と注文が入り乱れひと息つく暇もない夜のことを考えると、本当に、静かで穏やかな時間だった。  思えば、この店では色々なことがあった。たまたま足を運んでみたら、食べ物は安くて美味しいし、変な服をした態度の悪い店員がいて、それでも通い続けていたらちょっとした騒ぎが起こって、店で働くことになって。  ――そんな日々の中で、いつの間にか、態度の悪い店員とは友人となっていて。 「……」  大衆酒場ブラウン亭。  数日前まで給仕を努めていた店へと、リヒト・レイシアはやって来ていた。 (久しぶり……だな)  クラウディア特務騎士隊は、怪盗ドラゴンを逮捕したあとの事後処理に追われて、リヒトも今日まで顔を出すことが出来なかったのだ。……いや、違う。事後処理で大変なのは隊長であるポポやその補佐を務める加藤であり、従士であるリヒトには大した仕事は回ってこなかった。ブラウン亭に顔を出すことはいつだって出来たのだ。  だから、結局は。  ゼロと顔を合わせるのが気まずくて、足を運ぶことを避けていただけだ。 「ん……おう」  店に入ることを躊躇し入り口で立ち止まっていると、カウンターで新聞を読んでいた褐色肌の巨漢がこちらに気づき顔を上げる。店主であるマウンテン・ブラウン。リヒトは怪盗ドラゴンのことをきっかけに無断欠勤を続けていたわけで、その後ろめたさから思わず視線を逸らしてしまう。  豪快なようで繊細で、仕事に厳しいブラウンがリヒトへ怒らないはずがない。  だが、ブラウン店主は相変わらず親しげな様子だった。 「リヒトじゃねぇか。久しぶりだな」 「え、ええ……はい、どうも」 「なんだ、まだ調子悪いのか? まーほれ、とりあえず中入れよ。んなとこ突ったられても邪魔だ」 「は、はい」 (調子……?)  言われるままリヒトはカウンター席へと腰を下ろす。ブラウンが水を持ってきてくれた。 「ゼロから聞いたぜ。病気で寝込んでたんだってな。もう大丈夫なのか?」 「あ……」  ブラウンの態度に合点がいく。  無断欠勤の続いたリヒトを、ゼロはちゃんとフォローしていてくれたのだ。 (ゼロさん……)  ……そういえば、そのゼロの姿は店内にはない。  気になって聞いてみようとして――今更に、気づく。ブラウンの怪我が治っている。腕に巻かれていた包帯はとれ、かつてと同じくたくましい腕があらわになっていた。本当なら、まだ治る怪我ではなかったはずなのだが…… 「……腕、治ったんですか?」 「あん? おう、ゼロの奴が精霊術でさくっとな。最初からやってくれりゃよかったのによぉ」  ガハハと笑うブラウン。  リヒトは癒しの術が使えるわけではないので詳しい理屈はわからないが、術での治療は体力の消耗を招くという。ブラウンの体調が戻るまでは様子を見ていたとか、おそらくそういう理由なのだろう。  とにもかくにも、気になるのはゼロのことだ。  急速に、ある予感が膨らんでいく。逸る気持ちのまま、リヒトはブラウンへと尋ねた。 「あの、………ゼロさんは、どうしてますか?」 「ん――?」  ブラウンは不思議そうに首を傾げる。 「なんだ、聞いてないのか」 「え――」 「あいつなら、旅だったよ」 「――」  それは、予想していた結末だった。  あの夜、自分の前から去っていった友人は、たしかに、こう言ったのだ。  ――さようなら、と。 「そう――ですか」  なんだろう。  ホッとしているのか、悲しんでいるのか、悔しいのか。そのどれでもないのか。  とても納得のいく別れ方ではなかったのに――彼と向き合わなくてすんだことに安堵している自分が確かにいて、それがリヒトには苦しくて苦しくて仕方がなかった。 (僕は……最低だ)  うつむき、強く、唇を噛み締める。  ――そんなリヒトに気を遣ったのか、ブラウンは厨房に引っ込むと、しばらくして何かを抱えて戻ってきた。 「そうだ、せっかくだし、お前さんがもらってくれ」 「これって……」 「ああ。あいつの忘れ物だ」  カップ麺。  ――ゼロが厨房に置き溜めていた、賄い用のカップ麺だ。 「……」  お湯を注ぐこと、三分。  人工調味料のかおりに、しかし、ブラウンは軽くしかめっ面を浮かべるだけで何も言わなかった。  リヒトはずるずると、カップ麺をすする。  具も残さず、スープも全部飲んで――――……  ――……ゼロさんはどうしていつもカップ麺なんですか?  ――好きだからだが。 「はは……」  リヒトは、ちょっとだけ、微笑んだ。 「まっずい。……やっぱり、ゼロさんの料理の方が、ずっと美味しいですよ……」  こぼれてきた涙を、リヒトは拭った。      §  見上げれば、空は快晴だ。  旅の途中。駅馬車に揺られながら、ゼロは吸い込まれそうな青空を眺めている。 「……どうかしたのか?」 「ん?」  そんなゼロへと、オーラント・ヴェルガが心配そうに話しかけてくる。ゼロはようやっと、自分が不景気な顔をしていたということに気づき、慌てて表情を取り繕う。 「なんでも……」  ない、と言いかけて。  自分のワガママに命懸けで付き合ってくれた相棒へと、それは不誠実だと思い直した。 「なぁ、オーラント」 「なんだよ」 「正義って、なんだと思う?」 「はぁ?」  訝しげな顔をするオーラント・ヴェルガ。 「正義……正義ねぇ」  考えこむヴェルガの隣では、キサラ・レイシアが無言で彼の言葉に耳を傾けている。聖女候補であった彼女からすれば黙っていられない話題であろうが――魔術師たちの真実を見極めると決めた今となっては、気軽に正義についてを口にできないのかもしれない。 「うーん」  ヴェルガもまた、空を見上げる。  太陽の眩しさに目を細めながら――自分の考えを、徐々に言葉にまとめていく。 「……正義なんてどこにもねぇだろ。正義ってのは、ただの自己正当化だ。自分が正義だって思えばなんだって正義になる。正しいことなんざ人で違って……いいんじゃねぇの、それで」 「……そうか」 「まぁ、強いていうなら」  ニヤリと、ヴェルガは笑う。 「俺たち魔術師に正義はないけどな。世間の秩序って奴から疎まれ、追放された外道の存在。そんな俺達には正義を語ることさえ許されないのさ」 「……なんです、それ。カッコつけてるんですか?」 「あ?」  キサラはどこか不満そうに頬をふくらませながら、ヴェルガを見る。 「……素直になればいいのに、ほんっっっと捻くれてますよね、ヴェルガさんって」 「ヴェ……な――、だ、だれが捻くれてんだ、お前ほどじゃねぇよ!」 「私のどこが捻くれてるんですか?」 「そ、それは、――……その」 「ほら、貴方の方が捻くれてます。子供じゃないんですから、まったく」 「んぎ――!」  言い合うふたりへ、ゼロは呆れた顔で息をつく。 「……仲がいいな、君たちは」 「よくねーよ!」 「よくありません!」 「……」  がたごと、がたごと。  馬車は揺られていく。  見上げた空は本当に青くて――……胸の奥の寂しさが、少しだけ和らいだ。  がたごと、  がたごと、  次の町まで、もう少しだ。 「オーラント」 「なんだよ」 「……無茶をさせたな。ありがとう」 「……おう」  ヴェルガはすっと拳を突き出してくる。  ゼロも握り拳を作ると、コツンと打ち付け合い、微笑みあった。  キサラはそんなふたりの様子を、不思議そうに眺めていた。  つづく 【あとがき】  第2章最終三部作、後編です。  これにて第2章完結。……うん、長かった。見切り発車ってよくないですね−やっぱ。  第3章も最初期と比べてちょっと変えたい所もあるんで、年末までに公開できればラッキー程度の気持ちで頑張りますです、はい。というか現状公開できたら奇跡。  まぁ、まったりやってきますー。