b.H.ヒストリア外伝 -θ- 『Hello World』 第2章 せいぎのありか 【久しぶりなので、ちょっと真面目に前回までのあらすじ】  魔族ゼロの大聖堂襲撃で拐われた聖女候補のキサラ。  キサラはゼロやその相棒である魔術師ヴェルガと過ごすうちに、彼らもまた自分たちと同じく人の心を持っているのではないかと疑問を抱く。  一方精霊教会は、キサラを奪還するために聖騎士ポポ、元神父である加藤と彼と契約した双子精霊、そしてキサラの兄であるリヒトによる特務騎士隊を結成する。  激しいぶつかり合いを経て、なんとか逃げ延びたゼロたち一行。だがキサラが体調を崩し、ドメシアの町にしばらく滞在することに。路銀を稼ぐためにバイトに精を出すゼロだが、職場にはリヒトの姿もあった。特務騎士隊もまた、トラブルでこの町で足止めを受けていたのだ。  ゼロはリヒトを警戒しながらも、彼から特務騎士隊の情報を引き出そうとするが… 【ざっくりキャラ紹介】 ・キサラ・レイシア  金髪碧眼の少女。風の聖女の候補になるも、運が悪くてゼロに拐われた。敬虔な教会信徒だったけど、ショッキングな体験の連続で思考がだいぶニュートラルに。 ・ゼロ  魔族(翼人)の青年。炎魔術で攻撃する。だけど得意なのは癒やしの魔術。地味に料理上手。その正体は、ただの魔族よりも強大で長命、つまりワンランク上である大魔族。 ・オーラント・ヴェルガ  ゼロと契約を交わした魔術師。彼の相棒として相応しい男になりたいと思っている少年。ケンカばっかりだったキサラとは、互いに最近デレあってきてるけどあんま自覚はない。 ・リヒト・レイシア  キサラの兄。クラスは従士。妹と同じく敬虔な信徒。ようは正しい人。ゼロとは同じ職場だけど今まで顔を合わせたことがなかったため、相手の正体には気づいていない。 ・ポポ・クラウディア  特務騎士隊リーダー。クラスは聖騎士(ホーリーナイト)。冷静だけど歳相応に子供っぽいところもある少女。豚が嫌い。大嫌い。 ・加藤マルク  元神父という経歴をもつ正騎士。特務騎士隊では最年長でポポの補佐役。普段は穏やかだけど魔の者に対しては冷酷。リリアナとレミーという双子の精霊少女と行動を共にする。  第11話 スラムとドラゴン  リヒト・レイシアは苦学生であった。  二人暮らしの妹に苦労をかけさせたくなかったので、学校で勉強に励みながら放課後はアルバイトに精を出した。毎日が忙しく大変であったが、それだけに帰宅した自分を出迎えてくれる妹の笑顔がとても嬉しかったものだ。  とにもかくにも、リヒトがブラウン亭のウエイターとして名乗りを上げたのも、学生時代のアルバイトの経験を活かせるだろうと思ったからである。  ところが――…… 「リヒト君、四番卓のお客様に!」 「は、はい」  ゼロに言われ、一息つく暇もなくリヒトは給仕へと戻っていく。 (予想以上に大変だ、この仕事)  大衆酒場ブラウン亭は、酒だけではなく料理にも力を入れている。そのため他の酒場よりメニューが豊富であり、それだけ注文も多い。夜ともなれば店は大変な賑わいを見せ、給仕を行うリヒトは常にてんてこ舞いの状態であった。 (これでも、いくらかは楽になってるはずなんだけど)  現在、ブラウン亭は夕方から夜間だけに絞って営業している。それはブラウン店主が慣れないリヒトとゼロのことを思って決めてくれたことだ。おかげさまで、リヒトは余裕をもって繁盛時に望むことができ、仕事にもなんとか追いつくことができていた。 (あ、四番卓はベンジャミンさんだ)  アルバイトをはじめて数日。すっかり顔見知りになった働き盛りの男たちへと、リヒトは酒と料理を運んでいく。 「お待たせしました」 「おぅ、リヒトの兄ちゃん。あんがとよ」  ニカッとベンジャミンは笑うと、たくましい外見に違わぬ豪快な食べっぷりで料理をむしゃむしゃと平らげていく。彼の部下たちも実に旨そうに飲み食いをしている。そんな彼等を見ていると、リヒトも自然と笑みが浮かんできた。  彼等だけではない。ブラウン亭には、今夜も多くの笑顔が溢れている。その賑やかさの理由のひとつは、間違いなく美味しい料理の数々だろう。 (すごいなぁ……ゼロさん)  給仕に戻りながら、リヒトは料理を作った人物へと思いを馳せる。  ゼロ。元は給仕のバイトであった、赤い髪の青年。  彼の忙しさはリヒトの比ではない。大量の注文をひとりで捌くには相応の立ち回り方というものがあるのだ。それにそって、ゼロは手を休ませることなく複数の料理を平行して仕上げていく。  そうして出来上がった料理を、リヒトは客へと運んでいくのだ。 (――なんだか、楽しいな)  不謹慎にも、そんな事を思ってしまう。  リヒトがブラウン亭で働くことになったのは、自分の失態でブラウンに怪我を負わせてしまったからだ。本当なら給金だっていらないのだが、ブラウンが雇うという形に拘ったため、リヒトはアルバイトととしてブラウン亭の手伝いをすることになったのである。  つまりは償いのために働いているわけであり、それを楽しいと感じてしまうことはどうしても後ろめたいのだ。  だけど…… 「おーう、ベンジャミンじゃねぇか。早速飲んでるな」 「よぉダニエル! 相変わらずしけてんなぁ!」 「馬鹿ぬかせ、儲かってしょうがないっての! 領主様には感謝だな」 「町の開発が軌道に乗ってくれたからな。ありがてぇよぉ、ホント」 「どっこらせと。さて、何食うかな。オススメある?」 「そうだな。今日は――……」  客たちはみな笑っている。  酒と食事を煽りながら、他愛もない世間話に興じて一日の疲れを癒している。ここにあるのはただ、あたたかな世界だけだ。その末席に加われることは、リヒトにとっても喜ばしいことであった。 「――そういや、また出たんだってな、例のアレ」 「ああ――ドラゴンか」  そんな時、ふと、ぶっそうな響きを含んだ会話が耳に届く。 「なんでも昨日は西の館を襲ったとか」 「マジかよ、やるねぇ!」 「警察もだらしねぇよなぁ。いい気味だけどよ」 「いやいや、あのドラゴンだぜ? 警察なんかじゃ歯がたたない――」 (……ドラゴン?)  なにやら不穏な会話に、ついつい聞き耳を立てていると―― 「おーい、リヒト君! 頼む!!」 「あ、すいません。今行きます!」  ゼロに呼ばれ、リヒトは給仕の仕事へと戻っていく。  夜はまだまだ、はじまったばっかりだ。本当に忙しくなるのは、これからだった。      §  翌日。  リヒトは夕刻の出勤時間まで、ドメシアの町をあてどもなく歩いていた。それは、この町に着いてから毎日のように繰り返している、もはや日課のような行為。キサラ・レイシア――たったひとりの残された家族である、誰よりも大切な妹の足跡を追い求める行為であった。 (……この通りも、やっぱり、何もないか)  リヒトはため息をこぼし、肩を落とす。  魔族と魔術師にさらわれたキサラを取り戻すための旅をリヒトは続けている。今は馬車の修理のためにこの町で足止めを受けているが――だからといってただ待ち続けることもできず、リヒトは時間が許す限り、町を歩きまわり妹の足跡を探していた。  だが、それでキサラが見つかる可能性は……限りなく低い。  ポポの推測によると魔族たちはすでにドメシアの町を過ぎ去り、今頃は更に遠くへと逃げ続けているはずだ。そうとわかっていてなお無駄なあがきを続けているのは、居ても立ってもいられないからに他ならない。 (キサラ――)  昨夜のことだ。  リヒトがホテルに戻ると、ロビーで御者のルクス少年が加藤と何かを話し合っていた。  聞こえてくる内容からすると、どうやら馬車の修理状況についての説明のようだ。気づいてしまった以上、無視することもできず、リヒトは加藤たちの元へと足を向けた。 「ただいま帰りました」 「リヒト君。……今、帰りなのですか」 「すいません、お店が忙しくて」  頭を下げるリヒトに、加藤は温和な顔をわずかに歪める。呆れたように息をついた。 「酒場の給仕ですか……。自身の過失とはいえ、正直、私はあまり賛成はできません」 「ポポさんの許可はもらっていますが……」 「ポポさんもあまりいい気はしていませんよ」 「え……そうなんですか?」 「あの方はあまり感情を表に出しませんから。慣れてくるとわかりやすい所も多いですけどね」  言われてリヒトは思い返す。  ――ポポにアルバイトの話を切り出したとき。自分のせいで怪我を負ったブラウン店主の力になりたいと言ったリヒトへ、ポポは静かにコクリと頷いただけだった。その際のポポはいつも通り表情の変化に乏しく、気持ちを汲み取ることはできなかったのだが……実のところ、呆れていたりしたのだろうか。 「リヒト君。わかっているとは思いますが、私達の任務はとても大事なものです。本当なら任務以外のことに時間を割くのは許されません。たまたま今は身動きがとれないため、私もポポさんも大目に見ていますが――そのことを忘れないで下さい」 「……はい」  言われるまでもなかった。  自分の本分を、リヒト・レイシアは忘れてはいない。  忘れられるはずもなかった。  リヒトに与えられた大事な任務。ブラウン亭で過ごす時間は予想外に楽しいものであったが、それでも心の奥底にある感情を揺るがすことはできない。  ――キサラを助けだすという決意と、魔族や魔術師への怒り。  そのふたつこそが今のリヒトを支えているすべてだと言ってもいいだろう。たとえ何があろうと揺らぐことのない覚悟だった。  だから―― 「……」  懐中時計を確認すると、夕刻までにはまだ時間がある。 (まだ、捜せるな)  リヒトは雑踏の中へと足を進めた。  その日、リヒトが最後に訪れたのは、町外れにあるスラム街であった。 (ここが……スラム)  リヒトは息を呑む。  眼前に広がるスラム街の有り様はその俗称に違わぬものであった。痛んだ建物と建物の間を埋めるように木材や廃材で作られた小屋が立ち並び、路肩には回収されることのないゴミが散乱している。生活環境は極めて悪く、衛生状態も最悪だ。ドメシアの町が小奇麗なだけに、その落差は痛烈で、強烈だった。 (ひどい……な)  そう思ってしまうことこそがひどいのだろうが、それでも、そう思わずにはいられない。 (スラムはどこにでも生まれる可能性はある、そうだけど)  ドメシアの場合は都市開発を急ぐあまり多くの労働力を求めすぎた。その結果、あふれた労働者は行き場を失い、町外れに無秩序に住み着くようになって――それがスラム化へとつながっていったそうだ。  そういう都市の問題に、リヒトも色々思うところがないわけではないが、今、大事なのは別のことである。 (ここなら魔術師たちも潜伏しやすいかも)  リヒトは荒れた往来へと視線を向ける。そこには、ボロ布を継ぎ接ぎしたような服をまとった男性や女性、老人から子供まで、様々な人の姿がある。人が暮らすには適さない環境ではあるが、それでも人は住んでいるのだ。  そうして、こういう場所こそ逃亡者は好む――と、リヒトは聞いたことがあった。 (……よし)  リヒトは意を決すると、通りがかりの青年へと声をかける。 「あの、すいません。お聞きしたいことがあるのですが……」 「……なんだ、あんた」 「いえ――その」 「外から来たのか」 「あの……失礼しました」  まるで獲物を見定めるような男の眼差しに、リヒトは引き下がる。  青年だけではない。続いて目が合った中年男性は、ぎょろりと目を見開き威圧するかのようにリヒトを睨んでくる。――見回せば、周囲の人々の反応は似たり寄ったりだ。好奇の視線、不快の視線、羨望の視線、嫉妬の視線。様々な感情は、しかし、そのすべてがある起点によるものであった。  つまりは―― (僕は……歓迎されていないんだな)  その理由も様々だろう。たとえば、スラムの住人とは違うリヒトの見た目にも原因があるのかもしれない。汚れをきちんと落としてある髪と肌、小綺麗な服。リヒトの姿はあきらかにスラムの外で暮らす者であり、それが彼らの妬心を煽っている可能性もあるのだ。  まともな食事、まともな衣服、健康な生活、健全な人生。  それはスラム街の誰もが望み、取りこぼしてしまった当たり前のモノだった。 「――……っ」  リヒトは粘りつくような居心地の悪さを感じながらも、スラム街を進んでいく。  諦めて引き返すという選択肢はなかった。藁にも縋りたい思いでキサラを捜しているのだ。聞き込みが出来なくとも、自分の目と耳で確かめるだけのことだった。  そして…… 「……ん?」  ふと、道端に座り込んだひとりの少女が目に留まる。  黒い髪をした痩せた少女だ。年の頃なら十歳になるかならないかといったところだろうか。他の住人と同じようにボロボロの服をまとった彼女は、目の前に空き缶や草花などを並べてちょこんと体育座りをしていた。  不思議に思い、リヒトは近づいていく。  すると、おずおずと少女はリヒトを見上げてきた。  並べられているのは言ってしまえば使い道のないモノばかりだ。だがその横には値段が書かれた段ボールの切れ端も置いてある。――リヒトは、ようやっと理解した。ここは、この女の子のお店なのだ。 「どうぞ、ごらんになってください」 「あ、うん……」  この年頃の子供が持つべき活力が抜け落ちたかのように、少女には元気がない。それはリヒトが知っている子供の姿とは程遠いもので、怒りとも悲しみともつかない感情に、強く胸を締め付けられる。 (――こんな子供が、こんな事をしないと、生きていけないなんて……!)  リヒトはやるせない思いとともに、しゃがみこむと一輪の花を手にとった。道端で摘んできただろう花はすでに半ば萎れている。しかし、この小さな女の子が一生懸命集めたものだと思うと、自然と微笑みが浮かんできた。  優しい声で、リヒトは少女へと声をかける。 「――そうだな。これを、くれるかな」 「え、あ――ありがとう、ございます」  ペコリと少女がお辞儀をする。リヒトは微笑んで、懐から財布を取り出すと一枚の紙幣を少女へと手渡した。 「あ……あの、おつりが」 「おつりはいらないよ。この花にはそれだけの価値があるから」  我ながらキザな台詞だとは思うが、そこに込められた気持ちに嘘はない。傲慢や憐れみとは違う、それは人としての当然の気持ちだった。 (少しでも力になりたい。――弱い人たちを守ること。それは、聖女様もおっしゃっていた人の正しい在り方だ)  聖女シルフィードの姿が思い浮かぶ。  美しい金髪をたなびかせ、純白の衣装に身を包んだ風の聖女。彼女の言葉は精霊王の言葉であり、いついかなるときも清く、正しく、尊かった。 (きっとキサラだってこうしたはずだ)  そしてリヒトの知る妹も、この少女の力になってやりたいと思うはずだ。  そうしたリヒトの気持ちが伝わったのか、少女はおずおずと紙幣を受け取ると、お財布の中へとしまいこんだ。勢い良く、お辞儀をする。 「あ、ありがとうございます」 「また来てもいいかな」 「は、はい!」  そんな別れの言葉を交わし、リヒトはスラム街の探索を再開する。少女は見えなくなるまでリヒトを見送ってくれていた。その小さな笑顔に、胸の中がほんのりとあたたかくなる。 (喜んでくれてよかった)  いつまで町に滞在できるのかはわからないが、少しでもあの子の力になれるならスラム街へも毎日通おう。そんな事を思いながら、リヒトは清々しい気持ちで歩を進め、 「――ぁ」  小さな音だった。  ふいに聞こえてきたそれが、誰かの上げた声だと――悲鳴だと思ったのは、何故なのか。  リヒトは血相を変えると慌てて道を引き返す。  ――さっきの女の子。  倒れた彼女と、その荷物をあさっている若い男。覚えている。スラム街に来てはじめて声をかけた男だ。こちらを値踏みするような不快な視線を投げかけてきた男は、リヒトの姿に気づくと舌打ちをして走り去っていく。 「待て!」  当然、男は待つことはない。かといって少女を置き去りにすることもできず、リヒトは追跡を諦めるしかなかった。 「だい、じょうぶ……かい?」  いたわるように少女へ声をかける。  力いっぱい殴られたのか、少女の顔にはアザができていた。並べられていた空き缶や草花は踏みにじられ、散らかり、少女の財布は奪われている。リヒトが去ったあとに何が起こったのか、一目瞭然であった。 (……僕の、せいだ)  あの男は外から来たリヒトが金を持っていると見抜いていた。だからずっと後をつけていたのだろう。そのことに気づかずにリヒトは少女にお金を渡してしまった。  その結果が――これだ。 「ごめん、なさい……う、うぅ……」  泣きながら謝ってくる少女の頭を、リヒトはあやすように優しくなでる。 (何をしてるんだ、僕は)  強く、強く――歯噛みする。自分の軽率な行動で少女に怪我を負わせ、泣かせて、謝らせて――……こんな事になってほしかったわけではない。だけど、こうなったのは全部自分の責任で。リヒトは、情けなくて仕方がなかった。  と―― 「ソオオオオオラアアアアアアアアアア!!」  誰かの叫び声が聞こえてくる。  声の方を向けば、土煙を上げながら奮然と走ってくるひとりの影。――リヒトと同年代らしきその青年は、勢いそのままに大きく跳躍すると、全力の飛び蹴りをリヒト目掛けて放ってきた。 「から離れろおおおおおおおおおおおおおおお!!」 「うわっ!?」  慌ててリヒトは蹴撃を回避する。青年は少女をかばうように仁王立ちすると、厳しい眼差しでリヒトを睨めつける。体勢を直しながら、リヒトは青年と向かい合った。 (このふたり……兄妹?)  リヒトがそう思ったのは、青年の顔立ちがどことなく少女と似ているという以上に、その鬼気迫る雰囲気に自分に通じる何かを感じたからだ。大切な妹に危害を加える相手がいるのなら、兄として絶対に許せるはずがないのだから。  それにしても、いい蹴りであった。聖堂騎士団で従士として鍛えているリヒトだからこそなんとか避わせたものの、これが一般人だったら間違いなく昏倒ものの一撃だろう。というかリヒトが避わせたことも多分に幸運であり、青年がかなりの実力者であることを伺わせた。 「お前、ソラに何をしやがった!!」 「何って……」 「許さんぞ、てめぇ!」  叫ぶと青年からうっすらとマナが立ち昇る。戦闘訓練を積んだ洗練されたマナとは違うが、その力強さには眼を見張るものがある。戦うとなったら手強いかもしれない。  ……と、いうか。 「やめて、おにいちゃん!」 「ソラ?」  少女が――ソラと呼ばれた彼の妹が兄へと泣きつく。怪訝そうな顔をしながら、しかしリヒトへの敵意を少しも解かないまま、青年は妹の言葉へと耳を傾ける。 「お兄さんはわるくないの。わたしをたすけてくれたの……」 「え……?」  眉根を寄せ、青年はリヒトを見た。      §  スラム街では珍しくもない掘っ立て小屋のひとつ――そこが兄妹の家だ。 (ここが……スラムの家)  ふたりの家に招かれたリヒトは、悲しげに目を伏せた。  家の中は外観通りに荒れており、隙間風とともに砂埃が平然と入り込んでいる。天井の一部は崩落しており、そこを代わりに塞ぐのは穴の開いたシートだ。おそらく雨漏りは確実で、その対策のためか錆びたバケツがいくつか床に置かれている。少ない家具はそんな環境のためか痛みが激しく、部屋の隅っこでは、崩れた瓦礫が積まれていた。  自分とキサラが住んでいたアパートとは程遠い――これが、スラムの家。  ここで、この兄妹は、暮らしているのだ。 「……」  それでも、狭いながら散らかってはいないのは、物の少なさ以上にきちんと整理整頓や掃除を心がけているからだろう。住んでる人の几帳面さがよく表れている家だった。……なんとなく、几帳面なのは妹だけな気もするが。 「ささ、楽にしてくれ」 「あ、はい。……どうも」  進められるままにテーブルに向かい、硬い椅子へと腰掛けた。やはり傷んでいるらしく、人の重みに軋みを上げる。続いて兄妹も、リヒトの向かい側へと腰を下ろした。 「改めて名乗らせてもらうぜ。俺の名はリク。こっちは妹のソラだ」 「……ソラです」 「僕はリヒトといいます。旅人です」  自己紹介を終えると、リクは深々と頭を下げた。 「リヒトさん。さっきは本当にすまんかった。本当に申し訳ない! 妹の恩人にあやうく怪我をさせるところだった!」 「あ、いえ――」  リクの謝罪に、しかしリヒトは困った顔を浮かべるだけだ。  何故ならソラが傷ついた責任は自分にあるはずで、彼がリヒトへ怒りをぶつけたこと自体は間違っていないのだ。だから、こうやって頭を下げられてしまうと、かえって後悔の感情ばかりを抱いてしまう。 「元はといえば、僕が――」 「いや、違うって。その泥棒男が悪いんだ、全部」  謝ろうとするリヒトを遮り、少女の兄は憤慨してみせた。 「あんたはソラを助けてくれた。それは間違いない。胸を張ってくれ」 「……ありがとう、ございます」 「だから、その礼だ。あいにくロクなもんがないけど、せめて飯でも食ってってくれ」  リクが合図すると、ソラは台所らしき所へ向かい、小さなお皿にパンを乗せて戻ってくる。お皿は、そっとリヒトの前へと置かれた。 「それじゃ……いただきます」  リヒトはお辞儀をするとパンを口へと運んだ。ぱさぱさのパンは、まずかった。だけど兄妹の心遣いには味を凌駕する温かさがある。まずいけどまずくない不思議なおいしさは、幼いキサラが頑張って料理をはじめた頃の記憶を思い起こさせた。 「……おくちにあいますか?」 「うん、おいしいよ」 「……ありがとうございます」  はにかむように少女は笑う。その頭をリクは少し乱暴になで、良かったなと笑いかける。それにソラはますます恥ずかしそうに顔を染めてうつむいた。  見ているだけでほっとする、仲睦まじい兄妹の様子。  リヒトもまた心があったかくなるのを感じ、同時に、ひとつの疑問が浮かび上がっていく。 (……二人暮らしなのかな)  部屋の様子から察するに、他に誰かが暮らしているようには見えないが……この兄妹がスラムで暮らさざるを得なくなった理由は、いったいなんなのだろうか。  リヒトのそんな疑問に気づいたのか、リクは気さくに聞いてくる。 「……俺たちがどうして二人暮らしなのか、気になります?」 「それは――」 「両親と弟……ソラにとっては兄ですけど、みんな流行病で亡くなったんです」 「――」  さらりと言われた話の重さに、リヒトは目を見張った。  だがリクは重い空気を厭うように苦笑さえ浮かべてみせる。彼等にとってはすでに乗り越えた話であって、だったらリヒトが落ち込むのはお門違いなのだろう。 「まぁ、そういうわけで、それからはふたりで暮らしてます。スラムって言っても、悪いことばかりじゃない。雨風をしのげるだけでもありがたいってもんすよ」 「……辛く、ないんですか?」  言って、バカなことを聞いてるなとリヒトは後悔する。  家族を失い、たったひとりの妹と新しい暮らしを開始する。それだけでも大変なのに、その環境はとても過酷だ。辛くないはずなんてないではないか。 「まぁ、多少は。――だけど、いつまでもここにいるわけじゃない。町で出稼ぎもやってますから、いつか普通の家で暮らすのが俺達の目標です」  そう言い切るリクの眼差しはとても強く、前向きだった。 「でもこいつには寂しい思いをさせちゃって……すまねぇな、ソラ」 「ううん……おにいちゃんが、がんばってるの、しってるから」 「ありがとな。でも、お店をやるのはしばらくやめてくれ。兄ちゃん気になって仕事に集中できないよ」 「……うん、わかった。ごめんなさい、おにいちゃん」 「あああああもう、謝るなよソラァァ! 悪いのはお前に乱暴働いた糞野郎なんだから!」  ぎゅぎゅぎゅーっと、強く妹を抱きしめるリク。  兄の愛情を強く感じるのか、ソラは嬉しそうにはにかんでいる。  だが、その表情に、兄のいない寂しさを感じてしまうのは、リヒトの考えすぎだろうか。 (キサラも……こんな顔をしていたのかな)  二人暮らしの兄妹。出稼ぎに出ている兄と、待ち続ける妹。それはリヒトとキサラの関係にも当てはまる。自分の前ではいつも笑顔しか見せなかった妹も、やはり寂しい思いを抱えていたのだろうか…… (そうか。このふたり、似てるんだ)  リヒトとキサラ。  リクとソラ。  家族を失い、身を寄せ合って生きていくそのさまは――自分たちにそっくりだ。 (キサラ……)  ズキリと、胸が痛む。 (……キサラは、無事なんだろうか)  仲睦まじいふたりの様子に、しかし、リヒトは強い寂寥感を抱くのだった。  それからリヒトたちは、他愛もない話をした。  寂しさと同時に感じるのは優しい気持ちで、自然と心もあたたかくなる。  そんな時間を過ごしていたら、いつの間にか、陽は沈もうとしていて――さすがにそろそろ帰らないと、仕事の時間に間に合わなくなりそうだった。  確かに後ろ髪を引かれるのを感じながら、リヒトは言う。 「それじゃ、そろそろ僕は行きますね」 「世話になったな、リヒトさん」  家の外まで見送りに出てくれたリクと握手を交わして――ふと、リヒトは思う。 「そういえば、リクさんも町で働いているんでしたね」 「ん、ああ……うん」 「僕はブラウン亭という酒場で働いていますので、良かったら顔を出してください。今なら腕の良い料理人もいますし、ごちそうしますよ」  懐からメモ帳を取り出すと、簡単な地図を書いてリクへと渡す。受け取りながらリクはどこか視線を泳がせ……一瞬だけ、バツが悪そうな顔を見せる。  そんな不思議なリクに、リヒトは小首を傾げた。 「どうかしました?」 「なんでもないけど。……そうだな。気が向いたら行かせてもらいますよ」 「僕もです。リクさんは何処で働いているんですか?」 「え、ああ……」  歯切れの悪い表情を浮かべ、言葉を濁すリク。 「?」 「――と、いつまでも引き止めてちゃ悪いな。ソラ、ごあいさつは?」 「うん。リヒトさん、ありがとうございました。あの……また、あえますか?」 「そうだね。また今度、遊びに来るよ」  リヒトは優しくソラの頭をなでてやる。  目を細め、少女は笑った。 「それではリクさん。また、いずれ」 「ああ。次会える時を楽しみにしとくぜ、リヒトさん」  手を振りながら、リヒトは踵を返す。  リクもソラも、姿が見えなくなるまで、リヒトのことを見送ってくれていた。 (いい人たちだったな)  あたたかい気持ちで、改めて懐中時計を確認する――……と、 (うわ、やばい!)  カンカンに怒るブラウンとゼロの姿を想像し、リヒトは大慌てでスラム街を駆けて行った。      §  後日――  この出会いを、リヒト・レイシアは、ひどく後悔することになる。      §  ――同刻。  夕日のさしこむ役場の一室に、ふたりの男の姿があった。  ひとりは髪に白いものが混ざりはじめた中年の男性――警察騎士隊の幹部であるゼービック・カイラムだ。若い頃から警察騎士として働いてきた叩き上げである彼は、治安維持統括として、明日から二日間開催される宝石展の警備の最終打ち合わせのために役所へと赴いていた。  ゼービックはこの手の仕事が苦手だ。元から愛想のない男である上に、現場で生きてきた彼からすれば裏方の政治臭い駆け引きはどうにも胃が痛くなる。とはいえ幹部としてそんな我儘を言えるはずもなく、なんとか愛想を振りまいて和やかに打ち合わせを終えようと彼なりに頑張っていた。  もっとも、その鋭い眼差しは険しさを増していく一方で――打ち合わせ相手への不快感を募らせているのは誰の目から見ても明らかであったが。  ゼービックの向かいに座る青年が、どこか芝居かかった仕草を交え、口を開く。 「正直、私はあなた方に強い不安を抱いています。この一年、あなた方はことごとく彼に出し抜かれ――まったくの無力を晒し続けてきた。そんなあなた方に大事な宝石展を任せようというのです。私の心情、あなたにもわかるでしょう?」 「――申し訳ない。ですが」 「言い訳は聞き飽きました」 「……」  返す言葉もなく、ゼービックは押し黙るしかない。  相手の青年の名はロンドベル・ハスハー。町の上役を務めるため聖王国から派遣されている彼は、今回の宝石展の開催を急遽取り決めた男でもあった。  ロンドベルはその神経質そうな顔を歪めながら、疲れたように息をこぼす。 「実はですね、今、この町にとある騎士が滞在しています」 「騎士?」 「ええ、素晴らしいお方です。ですから、私は思うのです。あなた方ではなく――……」  ロンドベルの言葉。  その内容に、ゼービックは目を剥いた。  王立アークランド騎士団・治安維持部隊――通称『警察騎士隊』は、その名の通り王国騎士団の下部組織だ。その役目は街に生きる人々の生活を守ることであり、彼等は聖堂騎士団よりよっぽど社会秩序に貢献していると自負している。  なのに聖堂騎士団に比べて王国騎士団――ひいては警察騎士隊の大衆人気が低いのは、精霊王や聖女といったわかりやすく、かつ美しい象徴がいないせいであろう。そしてそれは、王国騎士団の聖堂騎士団への強い対抗心となって表れている。  有り体に言えば、ふたつの騎士団の関係はあまりよろしくないのだ。  だからこそ、ゼービックにとって、その話は受け入れがたいものであった。 「…………今、なんと?」 「彼女へ協力を仰ぐべきだと言ったのです。……あなた方にとっては面白くない話でしょうが、領主様も――ディッグロウも我慢の限界です。このままでは他方の領主方に面目もたちませんし、これ以上は彼を野放しにはできません」 「……」  ゼービックは強く歯を食いしばる。  ロンドベルの言い分もわかるのだ。町の信用を失うだけの失態を警察騎士隊はくり返してきた。だが、だからと言って、そう簡単にロンドベルの提案を受けいれることができるわけもない。警察騎士隊にもプライドがあるのだ。彼の提案は、なけなしのそれに止めを刺しうるものであった。 「……そう怖い顔をしないでくださいよ」  ロンドベルは肩をすくめてみせる。 「実のところ、この話は私にとっても面白いものではありません。やはり町の問題は町の力で解決すべきでしょう。なので少しだけ領主様には妥協していただきました。――次が最後です。もし、次も失敗するようなら、その時は彼女へ協力を仰ぐことになるでしょう」 「――そうですか」  ロンドベルの温情に、しかしゼービックは渋い顔を浮かべるだけだ。  正真正銘、次が最後の機会となる。警察騎士の汚名をそそぐためにも絶対に負けは許されない大勝負。……だが、神出鬼没のアレとどう戦えばいいのか。勝利のためのきっかけさえ掴めないのだから、せっかくの温情も死刑宣告に等しかった。 「――安心してください。私にいい考えがあります」 「なんだと」 「出現する日時さえ絞り込めれば、ある程度の対策は可能でしょう?」 「アレは物語の登場人物とは違う。予告状などないのだ。通り名に惑わされないでいただきたい」 「そんなものはなくとも、動きくらいは読めますよ。だって彼は、光り物に目がないんですから」  言って、ロンドベルは薄く笑う。  ――そもそも、この打ち合わせはなんのためのものなのか。明日から開催される宝石展。もともと予定にはなく、急に開催が決まったそれの意味に気づき、ゼービックは息を呑む。 「まさか、そのために……?」 「……いいですか。手段は問いません。必ず成果を見せなさい」  ロンドベル・ハスハーは瞳を細めて、ゼービック・カイラムへと告げる。 「必ず彼を――……ドラゴンを仕留めて見せなさい。いいですね」 「……了解した」  是非もない。  決意を込めて、ゼービックは深く頷いた。  つづく 【あとがき】  お待たせしました、久しぶりのハロワです。  第2章完結三部作(前編)的な内容です。次回は多分はやめにうp…る。かも。かも?