b.H.ヒストリア外伝 『Hello World』 第2章 せいぎのありか 【前回のあらすじ】  お兄様、出番なし。  第9話 足止めと遭遇 「――ふぁ……」  あくびを噛み殺しながら、黒髪の少年は窓の外へと目を向ける。  二階から見下ろす町の景色はいまだ薄暗く――だけど、耳に届くのは小鳥のさえずりに、やかましい鶏の声、そして、人の活気。静寂の世界は終わりを告げて、いくつもの音が重なり合っていく。町が目覚めようとしているのだ。 「ふぁぁぁぁ……」  そんな景色をぼけーっと眺めながら、少年は、今度は遠慮なく大あくびをする。  昇りはじめた朝日に眩しそうに目を細めながら――その下には立派なくまができている――ポツリと、オーラント・ヴェルガはつぶやいた。 「……くそねみぃ」  ここはドメシアの町の小さな宿屋――『星蘭亭』。  元は古民家だったものを宿屋として改装したという、外観も内装もどうにも古臭さのぬけない寂れた宿屋である。とはいえ、これでも普段利用しているような最下級の宿に比べればずっとマトモなのだ。なにせ飯は出るし洗濯はしてくれるし風呂もある。なによりベッドはふかふかだ。そのくせ料金はとても良心的であり、懐事情があまりよろしくないヴェルガたちにとっては実にありがたい宿屋であった。  交易都市を出てから数日。魔術結社を目指す旅が、いよいよ本格的にはじまろうとしている。節制を心がけなくてはいけないヴェルガたちがいつもよりちょっとだけ贅沢をした理由はそのためで、しっかりと体を休めて英気を養おうというのだ。特に――どう見ても調子が悪そうなくせに「大丈夫です。平気ですから」と意地を張る誰かさんに、きちんと休息をとってもらおうという意味合いが強かった。  なのに。 「……」  じろりと、ヴェルガはベッドを見る。  ベッドでは苦しそうに寝息を立てているキサラ・レイシアの姿があった。 (ったく。面倒かけやがって)  宿に泊まったその日の夜、夕食中にキサラは倒れた。熱を測ってみればものすごい高熱で、こんなになるまで泣き言ひとつ言わなかったキサラに感心するとともに、ヴェルガは強い苛立ちを覚えたものだ。  それから一晩――ヴェルガたちの介抱のかいもなく、キサラはいまだに寝込んでいる。 (そういえばデパートでも弱ってたな、こいつ)  あれはやはり前兆で、慣れない環境と旅に、ついに身体が音を上げたのかもしれない。  そもそも旅というのは過酷なものだ。  行きたい場所へのルートを確認しながら駅馬車をうまく使い、あるいは徒歩で移動し、時には野宿も必要となる。都会から遠ざかるほど治安は悪くなるし、怪我や病気になろうものならその分計画は狂ってしまう。故に、旅人や冒険者はその準備にこそ万全を期すという。  だとすれば、ろくな準備もないまま旅に放り込まれたキサラには、心身ともに大きな負担がかかっていたはずだ。まして旅の仲間は魔族と魔術師である。そんな状況ではいつ体調を崩したっておかしくはなかったのだ。  そんな当たり前のことを、ヴェルガは今更ながらに思い知らされていた。 「……ふぅ」  再び窓の外を眺めながら、しかめっ面でため息をこぼす。 (まいったな)  ヴェルガの心配事はキサラのことだけではない。  なにせ教会に追われている立場なのだ。もしも再び彼等と遭遇したとして、戦うべきか、それとも逃げるべきか。……逃げるとしても、キサラは快復するまで動けない。そうなると彼女を置いていくしかないのだが――……それはそれで、なんだか嫌であった。 「……」  元々敵だった少女だ。  聖女の後継者であり、人質として連れ回しているだけの少女のはずだ。  だが――彼女が望んで自分たちと行動を共にするというのなら、受け入れてもいいのではないか。今のヴェルガは、そんなふうに考えていた。 (……情でも移ったか)  情けないことだと、自嘲気味に笑う。  彼女がどう望もうとヴェルガにとってキサラは人質だ。生き残るためにはその命を絶つことだってあるかもしれない。そんな相手に情を抱くなんて、笑い話にもならないではないか。……あるいは、それがキサラの狙いなのかもしれない。相手に取り入ることで身の安全を図る。賢いやり方だろう。 (……馬鹿か、俺は)  ヴェルガは眠り続けるキサラを見つめる。  彼女がそんな女でないことは短い付き合いのヴェルガにだってわかっていた。キサラ・レイシアは真面目な少女だ。だからこそ魔術師という存在を自分の目で確かめるために、すべてを投げ打つ覚悟で同行を申し出た。 「……」  いずれヴェルガは、この少女とも決着をつけなければならないだろう。それがどんな形になるのかはわからない。ただ、お互いに納得の行く形で終われたらいいと、漠然と思う。 「――ちっ」  我ながらふやけた思考に、忌々しげに舌打ちをする。  とにもかくにも、キサラが快復しないことには身動きが取れないことに変わりはない。だが、彼女の病気は容態から察するに風邪などの軽いものではないだろう。そのため常備薬ではどうにも心許なく、ゼロが使える癒しの魔術は外傷にしか効果がない。うまく病状に適した薬を調達できればいいのだが――、とりあえずは宿の女将が特製の解熱薬を持っているそうなので、しばらくはそれに頼ることになりそうだった。……もちろん、その分のお金は取られてしまうのだが。 「……」  ……お金といえば、もうひとつの心配事もある。キサラの快復が長引いた場合のことだ。  それは――  コンコンコン。  ――と、ドアが軽くノックされ、ヴェルガは顔を向けた。  そっと入ってきたのはゼロだ。眠っているキサラを起こさないように、物音に気をつけながら静かに歩いてくる。ヴェルガもまた声を潜めて相棒へと問いかけた。 「……どうだった?」 「快復するまで滞在させてもらえることになった。……当然、宿泊料はとられるがな」 「だよなぁ……」  ヴェルガはぼさぼさの黒髪を苛立たしげにかきむしった。  そう。今もっとも切羽詰まっており、絶対に避けては通れない大きな問題が――金だ。故郷の村を出てからかれこれ数週間。交易都市で思い切って使ってしまったこともあり、懐事情は非常に厳しかった。 「……オーラント」 「ん?」  いつになく真剣な表情で、ゼロは言う。 「私はアルバイトをしようと思う」 「バイト?」 「ああ。オーラントも知っての通り、このままでは路銀が底を尽きる。こうなってしまっては仕方がない。少しでも稼がないと旅を続けるのは無理だ」 「そうなると……ギルドか。あるといいんだが」  旅人がお金を稼ぐ常套手段は、冒険者ギルドに登録し仕事を回してもらうことだ。特に荒事は報酬も高い。冒険者たちの主な収入源は魔物退治という話もあるくらいである。  とはいえ、それは大きな街ならば、だ。  ゼロたちが滞在しているような平凡な町ではギルドの規模が小さいか――その手のものがない場合も多い。これといった特色もなく旅人もあまり足を運ばないとなれば、ギルドを置く意味も薄くなるからだ。事実、ヴェルガの故郷の田舎村ではギルドなんてものはなかった。需要がないのだから当然だろう。  この町にギルドがあるかどうかはわからないが、仮になかったとすると、自分の足で仕事を探し、こつこつやっていくことになるわけだ。 「ギルド自体はあるそうだ。なんでも最近は町の開発を進めていて、人手がいくらあっても足りないそうだからな」 「ほぅ、それは助かった。なら早速探しに行くか」 「いや――実はな、女将さんに相談したら、仕事をひとつ紹介してもらえたんだ」 「へぇ」 「知り合いが経営してる店だそうだ。期間はキサラさんの病気が治るまで。給金はそれほど高くはないが日当で融通も効く。悪くない職場だと思う」 「あの女将、意外とやり手なんだな。……で、何やるんだ?」 「ウエイターだ」  それっぽいポーズを決めて、ゼロは言う。  ……派手なシャツと、トゲトゲ頭のままで。 「へ、へぇ」  ヴェルガは目線を逸らしながら、曖昧に頷いた。 (こんな店員が出てくる飯屋とか嫌だぞ、俺)  というかこの風体で大丈夫なのだろうか。……いや、女将はこの風体のゼロを紹介する気になったのだから、そういう店なのかもしれない。例えばオシャレな飲食店などではなく、荒くれ者の集まる酒場とか。 「……」  それはそれで働きたくないなぁとヴェルガは思う。  だが……贅沢を言っていられる場合ではないことは十分にわかっている。 「……仕方ないな。俺もひと働きするとしよう」 「ん?」 「あ?」  首を傾げあうふたり。 「…………俺も働くんじゃないのか!?」 「いや。働くのは私だけだ。――彼女を放っておくわけにはいくまい?」  ゼロの視線の先には、今も苦しそうにしているキサラがいる。  たしかに……今の彼女をひとりぼっちにすることは、ヴェルガにもためらわれた。 「というわけだ。後は任せたぞ、オーラント」 「あ、ちょ――」  パタリ、と。  静かにドアは閉ざされた。 「……」  眉根を寄せて、ヴェルガはがっくしと肩を落とす。 (……またかよ)  つい最近もこの女のお守りをやらされたばかりだというのに、どうしてまたこんな事をやらなければならないのか。 「ちっ」  ヴェルガは舌打ちするとベッド脇の椅子に腰を下ろし、苛立たしげにキサラを見た。 「……」  金糸のようにきれいな髪は寝苦しさで乱れ、おでこに冷えたタオルを乗せた顔は赤く染まり、やわらかそうな唇からは苦しげな吐息がこぼれている。……こうして見ると、本当に弱々しく、触れば壊れてしまいそうだった。  特に目がいってしまうのは――やはり、短く切られた髪だろう。  長かった彼女の髪はヴェルガが憎しみで切り裂いてしまった。……実のところ、長髪の彼女がどういう姿をしていたのかさえヴェルガは思い出せない。ひどいことをしてしまったと、今なら思う。 「――」  ヴェルガは静かに髪へと手を伸ばす。  その黄金の一房に触れかけて――すんでのところで慌てて手を引っ込めた。  わざとらしく、舌打ちをする。 「なんで俺が……」  キサラの寝顔を見つめながら、つぶやくように、言った。      §  この町――ドメシアは風の大陸においてはごく標準的な普通の町である。人口は多すぎず少なすぎず。商工業共にこれといって特徴的なものがあるわけでもなく、観光に適した何かがあるわけでもない。あえて特徴を上げるとすれば、隣接する森は広大で魔物が住み着いていたり、教会がないため王国騎士団の勢力が強いことくらいだろうか。  だが、そんなドメシアの町にも転機が訪れている。  交易都市モーマッカの発展にともない、いつしか人と金が集まりはじめ最近は都市開発が進んでいるのだ。人が集まれば金が動き、金が動けば経済は発展する。今、かつてないほどドメシアの町は活気に溢れていた。  その影響は、古くから店を構える酒場にも及んでいる。  歓楽街の一角にあるちょっと年季の入った酒場――それがゼロの勤め先となる『ブラウン亭』だ。酒と食い物に彩られた町の男たちの社交場として長年親しまれてきたこの店には、日が暮れると辺り一帯よりかなりの汗臭い男たちが集まり、わいやわいやとくだらない激論に花を咲かし、大声でがなり、笑い合っている。  そんな中を華麗に舞いながら給仕をこなすのが、ゼロに求められた仕事であった。 (なるほど)  脂ぎった男たちと渡り合うには、ヴェルガやキサラのような少年少女では厳しいだろう。その点、長身でチンピラ風味なゼロならば見劣りはしない。女将の紹介は理にかなったものといえるだろう。 (こういう給仕も悪くはない)  せわしなく各テーブルを回っては注文を取り、酒や食べ物を届けていく。その運び方は実に堂に入ったもので、店主のブラウンは初日から感心しきりであった。 「ゼロといったか。お前さんやるな。さては前にどっかで勤めてたな?」 「……器用なだけですよ」  そんなこんなで、ゼロのウエイター生活は順調にスタートを切った、  …………はずだった。 「いらっしゃ――い!?」  条件反射で来客に笑顔を向けて――その途中で、思わずゼロは硬直した。  町の男たちの汗臭い社交場に現れたひとりの爽やかな青年。  その姿に、ゼロは見覚えがあったのだ。 (リヒト・レイシア……!?)  見間違えるはずはない。  服装こそは聖堂騎士団のものではなく私服となっているが――キサラと同じ金髪碧眼のこの青年は、ゼロたちを追撃しているポポ・クラウディア騎士隊のリヒトだ。  リヒトはきょろきょろと店内を見回すと、開いてる席を見つけて腰を下ろす。メニューに目を走らせながら悩む姿はただの客そのものであり、どうやら任務で訪れた、というわけではなさそうだが…… (まさか、もう追いつかれたのか――!?)  問題はそこだった。  本当なら通りすぎているはずの町に留まることになった結果、騎士隊に追いつかれてしまったのだ。ゼロたちは徒歩と駅馬車が移動手段であるが、おそらく騎士隊は自前で馬車を持っているのだろう。資金も潤沢だろうし、機動力の差はいかんともしがたかった。  とにもかくにも、同じ町に宿敵が滞在しているというのは――いくらなんでもまずい。まずすぎる。だが、キサラが快復していない以上こちらからは動くことはできない。最悪の展開だった。 (……はやく立ち去ってくれるといいのだが……)  そんな事を考えながらも、ゼロは今の仕事をこなしていく。  懐から取り出すのはサングラス。以前の接触ではこちらの顔は見られていないのだが、特徴はポポや神父を通して伝わっているかもしれない。用心に越したことはない。 「……いらっしゃい、ませ!!」  ドン、と、力みがちに水をテーブルに置く。  驚いたリヒトは碧い瞳をまるまると見開き、ゼロを――態度最悪のサングラスのウエイターを見上げた。 「ご注文は、お決まりになりました、か!」 「え、えぇと……」  目をパチクリとさせながら、リヒトは頬をかいた。      § 「ただいま戻りました」 「ん――」  机に向かいっきりのポポ・クラウディアがそっけなく返事を返す。  リヒトはなんとも言えない居心地の悪さを感じながら、部屋へと入っていく。  夜――  騎士隊が泊まっているのはそれなりに大きな宿屋だ。さすがに風の都や交易都市のホテルほど立派ではないが、ドメシアにおいてはおそらく一二を争う高級ホテルだろう。リヒトは生まれこそ貴族であるものの、その人生の大半は一般市民としてごく普通に暮らしてきた。おかげさまで、自分の家よりも立派なホテルに緊張してしまい、どうにも気が休まらないのだ。  加えて……部屋には聖人であるポポもいる。  クラウディア騎士隊は全部で二部屋をとっており、それぞれポポとリヒトが、加藤とリリアナとレミーが利用している。リヒトは「男女で分ければいいんじゃないでしょうか」と意見したが、双子精霊が加藤と離れることを嫌がる上に、ポポはポポで「丁度いい。君とじっくり話をしてみたいと思ってたんだ」とか言いはじめ、結局、こんな胃が痛くなりそうな部屋割りとなってしまったのだ。 (……はやく馬車、直らないかな)  クラウディア特務騎士隊がこの町に滞在している――というか足止めを受けている理由は、馬車の故障にあった。魔族たちに追いつこうと結構無茶な速さでとばしてきたせいか車体にガタがきてしまい、御者にして馬車整備も担当する少年ルクスが早急な修理を申し出たのだ。  騎士隊としてはそんな悠長なことは言ってはいられない。  だが、もしも事故を起こしてしまえば誰かに迷惑をかけるおそれがある。それを見過ごすことも、ポポをはじめ騎士隊のみんなが望むところではない。――結局、ドメシアの町でそのまま修理を行うことになり、リヒトたちはもどかしい滞在を続けることとなったのである。 「……」  そのポポといえば、さっきから無心で筆を走らせている。  何をしているのかはわからないが――ポポとふたりっきり、というのはやはり心が休まらない。聖人で聖騎士で、しかも思春期の女の子とふたりっきりという状況は何かと気を遣ってしまうのだ。 (……キサラも色々あったよなぁ。下着を一緒に洗うなとか、不潔ですお兄様とかいきなり怒り出したり)  リヒトは懐かしさに、寂しげな微笑を浮かべながら荷物を置く。  そして、椅子に腰掛けようとした、その時だ。 「……何か発見はあったのか?」 「え――」 「キサラ様のこと。町に探しに出たんだろう?」 「あ――、はい」  ポポの問いかけに、リヒトはコクリコクリと頷いた。  クラウディア特務騎士隊は魔族と魔術師に拐われたキサラを探している。ポポの予測が正しいのなら、奴らは交易都市を抜けてこの町を去り、今頃はさらに先へと進んでいるはずだ。  だから、おそらく、この町にキサラはいない。  そうとわかっていても――ただ黙ってじっとしていることができず、リヒトはひとり妹の足跡を探していたのだ。  とはいえ、何かあったのかと問われれば――…… 「……変な店員のいる店がありました。料理は美味しいんですけど」 「そうか。ボクも行ってみたいな」 「それは……。えぇと、酒場なので」 「……飲んできたのか?」 「いえ、それはさすがに」  この町に滞在している間、騎士隊は休息をとることにした。リヒトが従士服ではなく私服で行動していたのはそのためで、町での聞き込みも任務としてではなくあくまでもリヒトが自発的に行っていることだ。  なので、酒場で飲んでこようと別に構わないのだが……休息中とはいえ騎士隊の一員である以上は規範的な行動が求められているはずだ。だから賑やかな客の様子に何度となく誘惑されたものの、リヒトは食事をとるだけで酒類を頼むことはしなかった。  その判断が正しかったのか――  ポポは筆を休めると、くるりと椅子ごとリヒトへと振り向いて、青い瞳で頷いた。 「なんで飲まないんだ? 嫌いなのか?」 「え?」 「……ヴォルトは任務中でもガバガバと飲んだくれていた。夜な夜な街に遊びに繰り出してはフレダの怒りを買っていた」 「は、はぁ」 「君はどうして飲まないんだ?」 「と、言われましても」 「……そういえば、君はいったい何歳なんだ?」 「僕ですか? 二十二になりますけど……」 「若いな」 「はぁ。……ポポさんは何歳なんですか?」 「女性に歳を聞くのか君は。失礼な奴だな」 「す、すいません」 「……三十五だ」 「さ――!?」  リヒトは絶句する。  ポポの外見年齢はせいぜいが十二、三といったところだ。とてもではないがそんな年齢には思えないが――同時に妙な説得力もあった。子供とは思えない頭の回転の速さや強靭な精神力。歳不相応な貫禄にも、それなら納得がいく―― 「…………冗談だ」 「え……」 「そうか……ボクはそんな歳に見えるのか」  少し悲しそうに、ポポは言った。 「ああ、いえ、その。そんなつもりじゃなくてですね……!」 「わかっている。素直だな、君は」 「……」  ポポは再び机に向き直ると、無言で筆を動かしていく。  めまぐるしく変わる微妙な展開の連続に、リヒトは休んでいいのかの判断さえつかずに呆然と立ち尽くす。  そのまま、数分。  ようやっと椅子に座ろうとリヒトが動き出したその瞬間、計ったかのようにポポは大きく背伸びをする。リヒトはビクリと肩を震わせた。 「よし……できた」 「な、何を書いていたんですか?」 「似顔絵だよ。魔族の。ボクらの間で情報の共有をしようと思って」  先の戦いで、ポポと加藤は魔族と、リヒトは魔術師とキサラと遭遇した。ならば、それぞれが相手の情報を持ち寄れば、敵の姿がより明確に浮かび上がってくるはずなのだ。 「……これがボクが戦った男だ。赤い髪と、黒い翼の――魔族」  ポポから似顔絵を手渡され、リヒトは視線を下ろす。  そこに描かれていた魔族の顔は――なんというか、ものすごく反応に困る絵であった。下手というわけではない。ただ、どうにも個性的すぎて、人相書きにはいまいち向いていない絵柄なのだ。  ……と、いうか。 「……赤い髪」 「そう。地獄の炎のように真っ赤だった」 「……金の瞳」 「ギリギリと釣り上がっていた。実に性根が悪そうな悪魔的な目つきだった」 「……牙の生えた口」 「あの大きな口で得物を捕らえて噛みちぎるに決まっている。恐ろしい男だ」 「……腕が四本?」 「ちなみに口からは強力な破壊光線を吐き出す。まさに異形の怪物だ!」 「……」  なんかもう、私怨が混ざりすぎちゃってて、ちっとも参考にならないんじゃないだろうか……? 「しゃ、写真でもあれば良かったんですけどね」  絵から目をそらしつつ、リヒトは曖昧に笑う。  ありのままの世界を切り取り絵にするという古代文明の遺産――写真機(カメラ)。ごく一部でしか使用を許されていないソレを、もちろんリヒトたちが所持しているはずもない。 「ないものねだりをしても仕方がない。……それで、キサラ様の特徴は……特に変わりはないのか?」 「え……」 「え、じゃない。キサラ様と再会できたのは君だけだ。助け出すべきお方の特徴こそ共有しておくべきだろう」 「それは――」  リヒトは、しばし声をつまらせ…… 「は、はい。以前と同じ……です」 「ふむ。長い金髪を大きなリボンでまとめた、碧い瞳の少女。服は聖ルフィア女学園の学生服……と」 「……」  怪しまれなかっただろうか。  ……嘘をついてしまった。これでは情報を共有する意味がなくなってしまう。それどころか間違った情報は混乱を呼び、キサラへつながる手がかりを失ってしまうかもしれない。  だけど――  ――お兄様に、人殺しをさせたくありません!  脳裏に浮かぶのは魔術師をかばったキサラの姿。  自分の身を顧みず、よりによって魔術師なんかを助けてしまったキサラ。その、必死の顔が忘れられない。自分を見つめる碧い瞳には、喜びと悲しみと戸惑いと、そして間違いなく反感が込められていた。それはわずかなものでしかないが――今のキサラとみんなを会わせることに、リヒトが不安を抱くには十分だった。 (キサラ……)  妹は――……どうしてしまったのだろう。      §  それはいつの事だったか。  幼いころ、風邪を引いた。それはとにかくひどい風邪で――外で遊ぶどころか、ベッドから起き上がることもできなくなってしまったくらい、弱ってしまった。  元気だけが取り柄みたいなモノだったから、とにかくすごいショックだった。だけど、子供には子供なりの意地がある。お見舞いに来た友人たちにも弱ってる姿なんて見せられず、へたへたの心と体でいつも通りに振る舞った。  ――大丈夫、平気だから。  友達はそんな安っぽい演技を信じ込んでくれたようで、安心したように部屋を出て行く。  ドアが閉ざされ、静寂が訪れる。  それからしばらくして、どこからか聞こえてくるのは友人たちの楽しそうな声。  なんだか無性に腹立たしく、泣きたくなってきて――深く布団を被り、ぎゅっと目を閉ざし続けた。  そうして、夜、目が覚めた。  暗い部屋。  誰もいない部屋。  痛む頭と熱い体を抱えたまま、――――世界に自分は、ひとりぼっちだった。 「――ん」  目が覚めたキサラの視界にまず飛び込んできたのは、大きな手。……眼前に迫っている、オーラント・ヴェルガの手のひらであった。 「きゃああああああああああああああああああああああ!?」 「うおっ!?」  大きな悲鳴に慌ててヴェルガは手を引っ込めた。  キサラもまた真っ赤な顔で身を起こす。その勢いで、おでこから生ぬるいタオルが落っこちた。そんな事は気にせずに、キサラは急いでベッドの端によると慌てて枕を抱きかかえる。 「な、ななななな、何してるんですか、貴方は!?」 「な――何、って」 「まさか、また私に……」 「またってなんだ! なんにもしてねーよ! ふざけんな!」 「ふ、ふざけてるのはそっちでしょう!?」  キサラは混乱しながらも叫ぶ。  寝起きにいきなり男がいて、自分に何かしようとしている――という絵面は、キサラからすれば色んな意味で身の危険を感じてしまう状況だった。特に相手はあのオーラント・ヴェルガ、昔セクハラまがいの目に遭わされた相手だ。寝起きの混乱は、そのままキサラの怒りへと転化されていった。 「だいたいなんで貴方がここにいるんですか! 私の部屋ですよ!!」 「お前がぶっ倒れたから、お守りさせられてんだよ!」 「ぶ――?」  記憶を探るように眉根を寄せるキサラ。 (――そう言えば)  どうにもイマイチな体調のまま無理して旅を続けていて――ついに昨夜、食事の時間に力が入らなくなった。眩んだ視界と、ゼロとヴェルガの声。それもいつしか、熱い身体にかき消され――……そこから先は、すべてが曖昧だ。 (そっか。私は……)  事情を理解し、キサラの怒りは緩やかに静まっていく。  代わりに心に浮かんできたのは、迷惑をかけてしまった申し訳なさだ。 「あの……すいません、私――」 「ったく。毎度毎度ぶっ倒れやがって。どんだけひ弱なんだっつーの。いい加減にしやがれ。モヤシかお前は。バーカ」 「バ――」  キサラの額にピシリと血管が浮かび上がる。  バカ。  よりにもよって、バカ。  それはあまりにも稚拙な罵倒だというのに、どういうわけか、聞き逃すことができなかった。一度は静まったはずの――だけど、先程とは微妙に異なるムカムカとした感情が、キサラの中で急速に膨れ上がっていく。 「バ、バカは貴方でしょう!? 見るからにバカそうじゃないですか! 私はこれでもクラスで成績上位だったんですからね!」 「ほーう、いったな。じゃあ95849×79876は!?」 「8532584です」 「んな――!」 「ふふん。どうせ答えもわからず適当に言ったんでしょう。そういう所がおバカだっていうんです!」 「ぐぬぬぬ……ちっ、栄養は胸だけじゃなく脳みそにも回ってやがったのか」 「な――! む、胸は関係ないでしょう!」 「うるせー、この、デカチチ女!!」 「で、デカ、――何言ってるんですか、このスケベ!!」 「誰がスケベだ、誰が!!」 「貴方ですよ、このエッチ!! イヤラシイ目をしないでください!」 「し、してねーし!!」 「してました!」 「いつだよ!」 「今、さっき、現在進行形で!!」  喧々囂々。  ふたりとも顔を真っ赤にしながら、売り言葉に買い言葉の応酬が続いていく。キサラはヴェルガが看病してくれたことには感謝している。――しているけれど、それを上回る怒りが彼女の心を頑なにしていた。  ――そもそも、看病をしていたかどうかも怪しいくらいだ。  ヴェルガは常日頃からキサラをひとりにするのを嫌がっている。それはキサラが逃げ出すのではないかと警戒しているからで、つまりはちっともキサラのことを信用していないからだ。今回だって同じことで、単に自分を監視していただけに違いない。  そう思うと、まずます怒りは大きくなっていく。  だからキサラはドアを指さし、強い調子で声を貼り上げた。 「もう、いいから出てってください!」 「――、……――ちっ!」  しばしの沈黙の後、ヴェルガは舌打ちをして出て行った。 「……」  途端に、しん、と部屋は静まり返る。  キサラは大きく深呼吸をする。吸って、吐いて、吸って、吐いて――熱い吐息が、目に見えるようだった。 「――っぅ」  病気だというのに無茶をしたからか、ズキリと頭が痛み出す。全身がひどい倦怠感に襲われ、キサラは布団を羽織るとベッドへと横になる。これというのも、全部あの男のせいだ。自分を怒らせて、いったい何が楽しいのだろう。 (なんなんですか、あの人は!)  まぶたを閉じてもヴェルガの顔と罵声がちらついて、なかなか眠れない。  一刻も早く休みたいのに――本当に、なんて嫌な男なのだろう。 「……」  弱った心と体で、キサラは何度となく寝返りをくり返すのだった。  ――夢を見る。  夢の中で、無数の火花が散っていく。  青年と少年。  白い騎士と黒い魔術師。  森の中で繰り広げられるふたりの男の剣の舞。それはとても素早く、激しく、鮮烈な、命の削り合いだった。  やがて勝負は結末を迎える。  青年は、追い詰めた少年をへと手にした剣を振り下ろす。  それは正しい終わり方だ。  青年の勝利こそ自分がずっと望んでいたことで、その先の未来こそ自分が歩くべき道なのだから。  なのに――……その、表情。  少年を見る青年の顔は、どこまでも激しい怒りと悲しみが刻まれた、誰かの顔であった。  ――ふと、キサラ・レイシアは目を覚ました。  灯りの消えた暗い部屋――……まだ、夜だ。ゆっくりと視線を巡らせれば、ベッドの近くで椅子にもたれかかるようにして居眠りをしているヴェルガの姿がある。キサラが寝付いたあとに、またやってきたのだろう。 (出て行ってって、言ったのに)  そう思いながらも、キサラはしばらくヴェルガの寝顔を見つめ続ける。  思い返すのは――彼との最悪の出会い。  感情を爆発させた自分へと、ヴェルガもまた怒りを露わにした。  その、表情。  それが――あの日の兄と重なってしまう。あの日、兄が垣間見せた激しい怒りと悲しみは、間違いなくヴェルガがキサラへ向けたものと同種であった。魔術師固有の狂気だと思いたかったソレは、大切な何かを理不尽に奪われた者の、魂の慟哭だったのだ。 「……」  キサラは静かに体を起こす。  ――と、おでこから冷たいタオルがポトリと落ちる。サイドテーブルには氷水の入った洗面器がおかれている。……もしかして、さっきはタオルを変えようとしてくれていた、のだろうか。 「……」  胸の奥に不思議な痛みを覚えながら、キサラは改めて寝入っている少年を眺め見る。  適当に手を入れただけのボサボサの黒髪に、伏せられていてもわかる目付きの鋭さ。身長は高い方だと思うが、とりわけ体格に恵まれているわけでもない。確かに彼は魔術師で、性格も口も態度も悪いが――こうしてみると、普通の少年と変わりがなかった。 「……貴方は」  キサラは、ゆっくりと、ヴェルガへと手を伸ばしていく。 「貴方は……何者、なのですか?」  おずおずと、その頬に……触れる。  ……あったかい。  手のひらに感じるのは、間違いなく、人の温もりであった。  と――  廊下から足音が聞こえてくる。近づいてくる人の気配に、ヴェルガは小さく呻き声を上げて――……ゆっくりと、目を開いていく。  キサラは慌てて布団の中へと潜り込んだ。  人の気配に目を覚ましたヴェルガは、あくびをひとつ噛み殺しながらドアへと顔を向ける。  静かにドアが開き、顔を出したのは赤髪の青年――ゼロだった。 「ただいま」 「ああ。おかえり」  応えるゼロの表情に疲れを見て取ったのか、ヴェルガは声を潜めて問いかける。 「バイト、どうだったんだ」 「ああ、大丈夫だ。何とかやっていけそうだ。……問題もあったがな」 「問題?」 「実は――いや、いい。明日話そう」 「……そうか」  遭遇した問題とやらは気になったが、明日でもいいというのならすぐに対処が迫られるものではないのだろう。あるいは、下手に動くとまずいのか。どちらにしろ新たなるトラブルの予感に、ちょっとだけ気が滅入りそうになるヴェルガであった。 「そちらはどうだ?」 「ん――ああ」  ベッドのキサラへと顔を向ける。  少女はこちらへと背を向けながら静かに寝息を立てている。一時期は本当に苦しそうだったことを思えば、今は随分と落ち着いていた。このまま元気になってくれるとありがたいのだが……さて。 「さっき目を覚ましたんだけどな。今はまた寝てるよ」 「……交代するか?」 「いやいい。バイトで疲れてんだろ。こっちは俺一人で十分だ」 「……ずい分とその子を気にかけるじゃないか」  少し意外そうにゼロは言う。 「オーラントはその子のことを嫌っていると思っていたんだが……」 「……嫌いだろうな」  言うと、ヴェルガは軽く苦笑する。 「だけどな、病気の時は心細いんだよ。特に目が覚めると誰もいないってのは結構くるんだ。……だから、まぁ。俺でもいないよりはマシだろう」  実際に顔を合わせればさっきみたいにケンカにしかならないのだろうが、それでも、ひとりじゃない、ということは心強いものだとヴェルガは知っている。弱った心に熱を入れられるのなら、喧嘩上等、罵声上等だった。  ……いや、イラッとくるのに違いはないし、キサラにとっては文字通りの余計なお世話なのかもしれないが。 「そうか……そうだな。無理はするなよ」 「ああ」  軽く手を振ると、ゼロは自分の部屋へと戻っていく。  それを見送るヴェルガの視界の片隅で――キサラがもぞりと動いたような気がしたが、おそらく、気のせいだろう。 「――ったく。面倒ばっかかけやがって」  つぶやくと、ヴェルガは大きくあくびを噛み殺す。  布団の上に転がっていたタオルを取ると、キサラのおでこへと乗せてやるのだった。  つづく 【あとがき】  僕は7656034724ちゃん!(電卓的な感想)  Q:カメラとか馬車とか文明レベルがわからないんだけど^^  A:ハロワの時代設定は『現代編』に準拠してるんでそんな感じで  現代編の文明レベルは「現代人が異世界いってストレス感じない程度に生活水準が高い中世世界」です。簡単にいえば、トイレは水洗で水道も普通に通ってるけど陸上交通機関はそんなに発達してないくせに浮遊大陸をつなぐ飛空艇やらは当たり前に運行されてる、そんな世界です。  随分とちぐはぐしてますが、大昔に機械文明がアホみたいに発展しまくって世界が一度滅びかけたりしたので、精霊王たちが過ちを繰り返させないように文明の管理をはじめた結果、こんな歪なコトになっています。  あと見かけ上は地球と同じものに見えても、その仕組みは全然違ってたりします。水道やカメラなんかも地球と違ってマナの力で支えられていたりします。この世界は何か困ったことがあったらだいたいマナの力押しでどうにかなる、そんな世界(キリッ  Q:聖堂騎士団と神聖騎士団と聖騎士?  A:聖堂騎士団の一部隊の名称が神聖騎士団(ディバインナイツ)で、神聖騎士団の中で上位七名に与えられる称号が聖騎士(ホーリーナイト)です。  聖騎士になると「スプグリグエル」「トゥビエル」「トルクアレト」「アタリブ」「クラウディア」「ヴィスウェン」「カパルントーゼ」という教会黎明期に活躍した伝説の聖人の名をひとり襲名することになります。聖人はみな同格であり、襲名する名前は聖騎士本人は選べません。  聖騎士七名のうち、実力者四名は四希天とも呼ばれています。上述の通り、誰がどれを襲名するかは選べないため、時代時代によってそのメンバー構成は変わります。  聖騎士になるためにはいくつかの手段があります。神聖騎士団の中で功績を上げるのが基本ですが、聖堂騎士団にも所属してない実力者がスカウトされて一足飛びに――というパターンもありえます。ヴォルトなんかは傭兵からのスカウト組。スプグリグエルになる前はヴェルツリーでした。鈴木ボルト!  ちなみに現在の聖騎士は五名。枠が二名ほど空いてる状態です。