b.H.ヒストリア外伝 『Hello World』 第2章 せいぎのありか 【前回のあらすじ】  お兄様、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム。  第7話 神父と騎士(前編)  カメイダート・デパート。  新進気鋭のカメイダート商会の有する、衣食住から趣味物、さらに娯楽施設まで幅広く備えた、百貨店といわれる巨大店舗である。四年ほど前に風の都に開店した本店は、その目新しさ、便利さによって瞬く間に市場を席巻、人々の生活に定着したという。  そんな百貨店の二号店がここ、交易都市モーマッカに誕生したのは半年前のことだ。 「……むぅ」  人。人。人。圧倒的な人の海に、オーラント・ヴェルガは辟易する。  ド田舎で生まれ育った彼にしてみれば、風の都の商業区画ですらアホみたいに人が多かったのに、ここは密度、情熱、活力――それに伴う疲労も含め、すべてが風の都の比ではなかった。 (苦手なんだよなぁ、人混みは)  ぼさぼさの黒髪をかきむしり、ヴェルガは舌打ちをした。  加えて―― (……俺が、こいつのお守りなのか)  ちらりと隣を見る。  そこにいるのは金髪碧眼の少女――キサラ・レイシア。  彼女はどこか物憂げな表情で、百貨店の人波を眺めている。 (ち、恨むぞ、ゼロ)  ヴェルガは今ここにはいないパートナーへと、唇を尖らせるのだった。  魔術師オーラント・ヴェルガ。  そして契約主である魔族ゼロ。  ふたりは現在、精霊教会――彼等の擁する聖堂騎士団に追われる身だ。  事の発端は、ヴェルガの村が教会に滅ぼされたことに遡る。  教会が認定する異端を殲滅する征伐。  聖堂騎士団の手により行われるこの虐殺を、ゼロとヴェルガは運良く切り抜けることができた。……できて、しまった。血と無念で埋め尽くされた故郷の亡骸に、ふたりは教会への復讐を固く誓い、敗北必死の戦いへと乗り出した。  彼らのとった手段は、風の聖女シルフィードの抹殺。  そのために大聖堂を襲撃したのだが、肝心の聖女は不在であり、仕方なくその場に居合わせた少女を人質として脱出することに成功する。  その少女こそキサラ・レイシアであり、彼女は次代の風の聖女であった。  つまり教会からしてみれば、魔族に大聖堂への襲撃を許した上に聖女の後継者まで拉致されてしまったことになる。おそらく長い教会史を紐解いても、これ以上の辱めはないだろう大失態であった。  もちろん、黙ってみている教会ではない。  すぐさま聖騎士――聖堂騎士団の中でも選りすぐりの達人を隊長とした騎士隊を組織し、キサラの奪還と魔族への征伐を目的として送り出した。  そうして、数日前。  両者はついに激突し――……激戦の末、かろうじでゼロたちは勝利をもぎ取り、なんとかその場を切り抜けることに成功したのだ。  以来、教会の目に留まらないよう、気の抜けない逃避行を続けている。  ……の、だが。 「――あ? 服?」  カメイダート・デパートの一角。  人混みを避けるようにしながら、ゼロとヴェルガ、そしてキサラは今後について話し合っていたのだが―― 「うむ。先日の戦いで私のお気に入りはボロボロだ。替えの服もとぼしいし、ここらで旅支度だけではなく身支度も整えた方がいいだろう」 「……どうでもいいだろ、服なんて」 「何を言うか。衣食住は心の栄養源だ。それを疎かにしていては勝てる戦いも逃してしまうぞ」 「カップ麺が好物の奴に言われたかねーよ!」  ヴェルガは深々とため息をこぼす。  元々、ヴェルガは交易都市に足を運ぶことに対して否定的だったのだ。なにせ今は逃亡中の身なのである。教会の連中に嗅ぎつけられないよう人目を忍びたいと思うのは、彼にとって当たり前の選択肢だった。  もっともゼロいわく「安心しろ。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中だ」ということらしいが。  まぁそれはともかく、長期の旅に備えて一度しっかりと支度を整えた方がいいのはたしかであり、ならばということでヴェルガもしぶしぶ交易都市行きに納得したのだ。  それが、まさかデパートで衣装あさりになるなんて。  そんな不満が顔に出ていたのか、ゼロはどこか優しげな眼差しでヴェルガを見る。 「――オーラント。たまには羽を伸ばせ」 「はぁ?」 「これから先は過酷な旅になるだろう。英気を養うのも一人前の戦士の条件だぞ」 「――」  それは――わからないことも、ない。  逃亡者だからと言って、四六時中気を張り続けるなんて不可能だ。そんな生活を続けていてはあっという間に疲弊し、いざという時ににっちもさっちもいかなくなるだろう。 「で、でもな」  英気を養うという意味では、自分よりもよっぽど必要な奴がいるんじゃないか――そう思い、ヴェルガはゼロを見返した。  ゼロ。翼人と呼ばれる黒い翼を隠し持つ、赤い髪と黄金の瞳を持つ魔族。  ヴェルガにとって掛け替えのない相棒でもある彼は、先日の激しい戦いで相当の深手を負った。傷そのものは癒しの魔術でなんとかなったのだが、目で見えない消耗にかなり疲弊していた様子であったのだが―― 「いいな」 「……」  ゼロの声には、静かだが有無をいわさぬ迫力がある。優しさと厳しさが同居した、兄や親友としてではなく、師としての彼の声だった。  この声にヴェルガは弱かった。何故なら、己の未熟さを嫌でも思い知ってしまうからだ。もしもヴェルガに力があるならば、兄でも親友でも師でもなく、戦友として――共に並び立つ者としての顔を少しは見せてくれるはずだ。  少なくとも、父とゼロがそうして並び立つ姿を、ヴェルガは幼少時から何度となく目に焼き付けてきた。 (――俺じゃ、まだまだ頼りないんだ……)  悔しさにヴェルガは拳を握りしめる。  一方、ゼロは無言のヴェルガを肯定と受け取ったのか、続いて静観していたキサラへと声をかけた。 「そうだ。キサラさん」 「……なんですか?」 「せっかくだ。これで君も身支度を整えるといい」  ゼロが差し出したのは巾着袋。貴重な軍資金であった。 「な――お前な!」  ヴェルガたちの懐事情は決して豊かではない。というか、安定した収入など望めないのだから節制節制また節制で可能な限り切り詰めていかなければならないのだ。だというのに、人質なんぞに財布を預けるとはいったい何を考えているのか。 「……」  キサラはゼロから巾着袋を受け取る。  最初こそ目をぱちくりとさせ不思議がっていたが、ゼロが彼女の耳元で何事かささやくと、ボッと顔を真っ赤にし、キサラは恥ずかしそうに頭を下げた。 「……ありがとう、ございます。……ゼロさん」 「……うん」  ゼロもまた微笑み返す。 「――ちっ」  その様子がなんとなく面白くなくて、ヴェルガはこれみよがしに舌打ちすると忌々しげに顔を背けた。 「では――そうだな。二時間後にここに集合ということで。いいな、オーラント」 「あ? あぁ――勝手にしろ」 「それでは、解散だ」  言うと、ゼロは軽く手を振りながら人混みの中へと消えていく。  その後姿をジト目で見送りながら――――オーラント・ヴェルガは、今さらながら重大な問題に気がついた。 (――って、ちょっと待て)  ゼロ一行の関係は対等ではない。なにせ魔族と魔術師と人質だ。風の都に潜伏中は、キサラは常にゼロの管理下におかれていた。――まぁ何故かパイを焼いていたこともあったりしたが。  そのゼロが別行動である。  だからといって、まさかキサラをひとりにするわけにもいかず――……と、いうことは。 (……俺が、こいつを監視するのか?)  呆然とヴェルガは立ち尽くす。  キサラもまた、巾着を手にしたまま、動かない。  そうして――どれだけの時間が過ぎたのか。 「……」 「……」  無言のまま、ヴェルガとキサラは立ち続けていた。 (ち、恨むぞ、ゼロ)  キサラの様子を盗み見ながら、ヴェルガはひっそりと嘆息する。  キサラ・レイシア。  この少女のことが、オーラント・ヴェルガにはいまいち理解できない。  性格はおとなしい――もとい、おとなしかったのだが、ゼロやヴェルガと行動を共にすると覚悟を決めたせいか、最近はちょっと様子が違ってきていた。  今までただ怯えてるだけだった少女が、必死に背伸びして、自分たちと向かい合おうとしている。それがよくわかるからこそ、ヴェルガにはキサラがわからなかった。 (何考えてんだかな、こいつは)  聖女の後継者として、魔族ゼロや魔術師ヴェルガに敵意を剥き出したったキサラ。  そのくせ、ヴェルガの絶体絶命の危機には身を挺してかばってくれた。しかも相手は自分を助けに来てくれた兄である。お兄様と呼び兄を慕っているこの少女が、兄を裏切ってまで自分たちを庇い立てし、あまつさえ進んで行動を共にする――  ――私は貴方たちを見極めなければなりません。魔族とはなんなのか。魔術師とはなんなのか。……その真実を、私は、知りたいんです。  そんな事を言ってはいたが――ヴェルガはどうにもキサラの心情をはかりかねていた。  と―― 「……なんです?」 「あ、いや――」  キサラと視線が絡み合う。  なんとなく気恥ずかしくなって、ヴェルガは顔を逸らした。 「――なんでもねぇよ」 「そうですか」 「……」 「……」 「なんだよ」  じーっとこちらを見てくるキサラに、ヴェルガはイラッと片眉を釣り上げ睨み返す。 「――なんですか」 「いや、お前がなんだよ」 「そっちこそなんなんですか」 「……」 「……」  ぷいっと、二人同時に顔をそらす。  その視線の先は、人の海。  百貨店は、相変わらずの大繁盛だ。 「……ったく。どこからこんな集まってくんだか」 「風の都でも流行ってましたよ。友達がよく話してました。私も一度だけ行ったことがあります」 「一度だけなのか」 「お兄様と一緒に。でもそれっきりです。商店街のみなさんを裏切るようで、あまり楽しめませんでしたし」 「ふーん……そんなもんかね」 「はい」 「……」 「……」  ……――気まずい。  ヴェルガはうっすらと冷や汗をかく。会話になっても先が続かず、なのに沈黙はどうにも居心地が悪い。おそらくキサラも同じような気持ちなのではないだろうか。一緒に時間を過ごさなければならない相手としては最低最悪であった。 (ったく。こんなんで何が羽を伸ばせだ、あのアンポンタン!)  この針のむしろのような時間がひたすら続くのではないかと、ヴェルガが覚悟を決めかけたその時―― 「あの」 「あ?」  キサラがおずおずと、小さく手を挙げる。 「……私、行きたい所があるんですけど」 「あ、どこだよ?」 「それは――その、……内緒です」  どこか後ろめたそうにキサラは言う。その頬はうっすらと朱が差していた。 「あの……それで、できれば、私ひとりで……ついてこないでもらいたいのですが」  どこかもじもじと、懇願するように少女は言う。  その様子に、ヴェルガはすぐさま理解した。 「なんだ便所か」 「な――!」  かぁっと顔を赤らめるキサラ。 「ち、ちちち、違います!! な、何を言ってるんですか、こんな所で!!」  キサラはきょろきょろと周囲を見回す。幸いにして人の流れは激しいままで、いちいちふたりのやり取りに耳を傾けている酔狂な人物はいないようだった。 「もう、いいです! 勝手にします!!」 「あ、ちょ、おい――」  プリプリと頬をふくらませ、ずんずんと先を行くキサラ。ヴェルガは慌てて後を追う。  いくつかの店を通り過ぎ、キサラが入っていったのは、服屋。…………というか、女性用下着の店だった。 「――っ!?」  店頭で思わず足を止めてしまうヴェルガ。キサラは店内へと消えていった。 (そう、きやがった、か――!)  冷や汗がだらだら流れまくり、なのに顔は真っ赤っ赤に染まっていく。顔が引きつり、不気味な含み笑いさえ浮かんでくる。……下着屋。ちょっとお洒落に、ランジェリーショップ。文字通り下着を売るお店。下着っていうのはアレだ、ブラとかパンツとか、そういうのだ。……そういえば以前、ちらっとキサラの下着を見たことがあった。女の子らしいピンク色で――――――――って、 (違ぇ!!)  何をアホなことを考えているのか。今はそれどころではない。監視者としてのヴェルガの覚悟と度胸が問われている。――そもそも、どうしてあの女はこんな所へ来たのか。やはりスキを見て逃げ出す算段なのではないか。 (ああ、いや……そういや、ずっと着っぱなしなのか)  教会から拉致ってきたのだから当然といえば当然だが、キサラはずっと同じ下着を着続けている。ヴェルガやゼロでさえ着替えているのだから、そう考えると不快感は半端ないだろう。好きにしていいお金があるなら、まず第一にどうにかしようと思ってもおかしくはない。 (……あいつ、どんなの買うんだろ)  やはりこう、フリフリしてヒラヒラしてるんだろうか。それともシンプルに……? 色はこの前はピンクだったけど、白とかも定番なのかな。意外と黒は――いや、でも、ううん…… (って、があああああああああああああああ!?)  頭を抱えヴェルガは呻く。  思考を歪めて嗜好が暴走、もとい、余計な雑念に心をかき乱される。これではいけない。たしか昔の誰かが言っていた。心頭滅却すれば火もまた涼し。意味はよくわからないが、たぶん心頭を滅却すれば火も涼しいとかそんな意味だろう。 (お、落ち着け――落ち着け、とりあえず落ち着くんだ、俺!!)  ぜぇ――、はぁ――、とランジェリーショップの前で大きく深呼吸をくり返すヴェルガ。  その時だ。 「あの」  おそるおそる掛けられた声に、ヴェルガは肩を震わせ振り返る。  ……店に入りたいらしい女性客が、ものっすごく冷たい目で、ヴェルガを睨んでいた。 「…………」  ヴェルガはおずおずと後退ると、ぷいっとそっぽを向き、わざとらしく唇を吹きながら通行人を装い店の前から遠ざかっていく。  五歩、十歩、二十歩――  ある程度遠ざかると、くるりと下着屋へと振り返る。  とりあえず、出入口さえ見張っていれば―― 「……うげ」  例の女性客が、いまだに氷点下の眼差しでヴェルガを睨み据えていた。  慌てて視線を反らすと、テキトーに足を動かしうろちょろとする。人混みの中、付かず離れず怪しまれずに――すでに手遅れな気もするが――女性用下着のお店を見張り続ける。  なんとなく。  なんとなくだが――ヴェルガの中に存在する男の矜持(プライド)が、ボッコボコにノされていく気分だった。 (うー……くっそ、なんで俺がこんな目に……)  顔を真っ赤にしながら、少年は心の奥で泣き崩れるのだった。      § 「……そうですか。任務は、失敗したと……そう言うことですね、ポポ」 「…………そう、なる」  苦々しい声に、ポポ・クラウディア――キサラ奪還のために組織された特務騎士隊を率いる少女騎士は、やはり苦々しく頷いた。  ――風の大聖堂。  風の都ウェントゥスの中心にそびえ立つこの白亜の大聖堂は、風の精霊王とその聖女シルフィードが住まい、風の聖堂騎士団の本拠地があり、世界の風を司るマナクリスタルが安置されているという、まさに世界の要所のひとつでもある。  そんな大切な場所を、よりにもよって魔族に襲撃されたというのだから、聖堂騎士団の怒りは想像に難くない。  その大聖堂の一室で、ポポ・クラウディアは風の聖女より強い叱責を受けていた。 「――聖騎士ポポ。あなたは、現状を正しく理解しているのですか?」 「……その、つもり」 「私はそうは思えませんが」  聖女シルフィードは、深々とため息をこぼした。 「今、まともに動けるのはあなた方だけ。この大事件がどう終息するかは、聖騎士ポポ。あなたの采配にかかっているのです」  ――魔族による大聖堂襲撃。  この前代未聞の大事件により風の聖堂騎士団は戦力の三割近くを一夜にして失ってしまった。幸いなのは、騎士団長をはじめとした一部の正騎士は任務で大聖堂を出ていたため無事であったことだろうか。とはいえ、再度の襲撃の可能性を考慮すると、残った戦力の大半を防衛に回さなければならなかった。  加えて、事件を広めないための情報工作にも人員を割かなければならない。市民たちもそうだが、何より厄介なのは王国騎士団だった。  王国騎士団――あくまで教会に属する聖堂騎士団と違い、聖王国が正式に所有する騎士団であり、その実力は聖堂騎士団と伯仲するという。  彼等の存在により、この事件における教会の対応は著しく制限されている。なにせ検問ひとつとっても王国騎士団の許可が下りなければ不可能なのだ。都市の治安維持は王国騎士団の領分であり、あくまで教会の――民間の戦力である聖堂騎士団が勝手に行うことはできなかった。  さらに厄介なことに、聖堂騎士団と王国騎士団は利害関係もあり裏では対立が続いている。彼等に検問の設置を要請しようにもその理由を根掘り葉掘り探られるに違いない。そうなると、魔族による大聖堂の襲撃を許し聖女候補を拉致されたことが露見し、事件を大きく喧伝されてしまう可能性すらあった。  大聖堂を守備しつつ、市民や王国騎士団を相手取り情報戦を行う。  それが今、聖堂騎士団が行わなければならない最優先事項であった。  ――故に、キサラ・レイシアの捜索および奪還にすべてを注げる騎士隊はひとつだけ。  すなわち、クラウディア特務騎士隊である。  だと、いうのに。 「それが、そんな――みっともない」 「……」  ポポの体のあちこちには包帯が巻かれ、頬にはでかでかと湿布が貼られている。傷が治りきっていないのだ。まぁ、全身丸焼けの致命傷を負った人間の姿としては奇跡的な回復であり、それだけ加藤の処置が正確で、ポポの治癒精霊術がずば抜けていたということでもあるが。  しかし、ポポが魔族相手に敗北したという事実は変わらない。  各地の聖堂騎士団より選りすぐった正騎士たちで結成される神聖騎士団。その中で上位七人にのみ与えられる称号が聖騎士だ。教会の黎明期に始祖に仕え世界に平和をもたらした七人の騎士にちなんで授けられたその名の意味は、あまりにも特別だ。  聖騎士の敗北。  それは教会の正義の敗北であり、決して許されることではない。  聖女シルフィードが怒りを露わにするのも、もっともだった。 「……次は、こうはいかない。必ずキサラ様を奪還してみせる」 「次。次ですか。次とは――いつです? 逃げ続ける魔族を、また探し出せると。そう断言できるというわけですか」 「……」  ポポは口をつぐむ。  シルフィードの言うとおり――そんな確証は、ない。 「……風の都から離れるほど王国騎士団の勢力が増していきます。そうなると、ますます私たちは動きが制限される。……そんな中での奪還任務は、厳しいでしょう。……本当にあなたで大丈夫なのですか――ポポ・クラウディア?」 「――行き先の見当はついている。ボクたちの追撃をこれから先も逃れ続けようというのなら相応の準備がいる。森を抜けて、なおかつ見つかりにくい街ならば交易都――」 「聖騎士ポポ」  強い調子で、聖女シルフィードはポポの言葉を遮った。 「私は、あなたに魔族を倒せるのかと、そう問いかけているのです」 「――」  その言葉に、ポポはわずかに眉根を寄せる。  冷静な少女が垣間見せた不快感。だが反論することはできなかった。事実として聖騎士ポポは負けた。奥の手たるトライスターを使ってまで、あの魔族に上をいかれたのだ。 「……」  だから、ポポが返せるのは決意だけだ。  必ず任務を成し遂げるという強い意志。あの魔族を今度こそ倒すという聖騎士としての――いや、人としての覚悟。未だ癒えない傷跡が、なおのことポポの意思を後押しする。  今度こそは。  絶対に、負けない。 「もう一度訪ねます。あなたを信用しても、いいのですね?」 「――クラウディアの名にかけて。二度の敗北はない」  シルフィードの眼差しを真っ向から見つめ返し、ポポ・クラウディアは断言する。  その言葉を受け、風の聖女は静かに頷いた。 「わかりました。……ならば手段は問いません。かならずキサラを救い出しなさい」 「……了解した」  ポポもまた、頷き返した。  聖女への報告を終えたポポは、コツコツと足音を響かせひとり大聖堂を歩いて行く。  青い髪に青い瞳。いまいち何を考えてるのかわかりにくい無表情。それはいつも通りのポポの姿であり――だから、その青年がいつも通りポポに声をかけてきたのはある意味当たり前ではあった。 「ポポさん!」 「――」  ポポはじろりと声の主を見る。  金髪碧眼に優しげな顔立ちをした青年――キサラの兄である従士リヒト・レイシアだ。  リヒトは走ってきたのか、あさく息を整えながら姿勢を正した。  そして―― 「申し訳ありませんでした!」  深々と頭を下げる。 「僕が力不足なばかりに魔術師を倒せず――キサラを、助け出せませんでした。僕さえもっとしっかりしていれば、こんな事には――……」 「……」  どうやらポポがシルフィードに呼び出され、しかも叱責を受けているらしいということを聞いたらしい。あの戦いでキサラ・レイシアに一番接近したのはリヒトだ。確かにリヒトがもう少し強ければ魔術師を倒してキサラを奪還し、また違った展開にはなったかもしれない。  彼が責任を感じているのは、とても真面目な性格だからだ。  その点に付いてはポポもとても好意的に見ているのだが…… 「あの……ポポさん?」  反応がないポポを訝しんだのか、おそるおそる、リヒトは顔を上げる。  その碧い眼を見つめ返しながら、ポポはムスッと、口を開いた。 「ポポ様だ」 「へ?」 「ポポ様と呼べ、この、三下が!!」 「え……えええええええええええええええええ!?」  驚き目を白黒させるリヒト。  それもそうだろう。今まで聖人クラウディアとしての立場を振りかざさず、気取らない付き合いを望んでいたポポが急に態度を変えたのだ。驚くなという方が無理だった。 「え……えぇと……その」 「……」 「も、申し訳ありませんでした、ポポ様!!」  リヒトはさっきよりもなお深々と頭を下げる。淡白なようでいて温厚で、冷たいようで優しいポポがこうまで激怒するほどの致命的なミスだったのだと、今さらながらにリヒトは理解する。  そうだ。自分さえもっとしっかりしてれば、ポポに恥をかかせることはなかった。……自分は、聖クラウディアの名を、汚してしまったのだ……  取り返しの付かない事態に、リヒトは涙をこらえ、唇を噛みしめる。  これ以上情けない姿を、ポポに見せたくはなかった。  ――そんなリヒトに、ポポは言う。 「ポポさんと呼べ!」 「え……ええええええええええええええええ!?」  再度目を白黒させるリヒト。  なんとゆーか……さっぱり、彼女の意図がわからない。 「……」  一方、混乱する従士リヒトを見ながら、ポポは自己嫌悪に陥っていた。  ポポの表情は聖女への報告を終えたあとからずっと変わらない。だが、決して聖女からの叱責が堪えていないわけではないのだ。元から感情の発露が不得意な少女であるというだけで――長い付き合いで気心の知れた者ならば、今の彼女が大変に機嫌が悪いということは手に取るようにわかるだろう。  つまるところ――ポポは、リヒトに八つ当たりをしているだけなのだ。  と―― 「――それくらいにしてあげなよ、ポポちゃん」  飄々とした男の声に、ポポとリヒトは振り向いた。  そこにいたのは、聖堂騎士団の鎧をまとった黒髪黒目の大男だ。年齢は四十に近いだろうか。いかつい顔にガッシリとした体格は山賊の親分でも通用しそうな風体だが、その目の輝きは決して粗暴ではなく――むしろ理性と知性の強い輝きを放っている。頭のいい筋肉バカ、という表現がピッタリの男だった。 「あ、あなたは……?」  少し警戒気味にリヒトはたずねる。  聖堂騎士の鎧を着ている以上、リヒトよりも上位の騎士なのだろうが――見たことのない顔なのだ。従士は任務で正騎士に同行することが多い。リヒトも全員の騎士の顔を記憶しているわけではないが、これほど印象的な男ならばそうそう忘れることはないはず、なのだが。  ならば、他の都からやってきた騎士?  あるいは―― 「……」  ポポはすっと手を伸ばすと、大男の顔……というか、口元に生えたチョビヒゲを指さした。 「……ヒゲ」 「ん?」 「それ……、……似合わない」 「マジ?」 「うん、マジ。剃っちゃった方がいい」 「それは嫌だなぁ。まぁ見てなって。すぐに立派なおヒゲになるから。こう、ズビーンとしてさ」  両手で伸びたヒゲをイメージしてみせながら、大男は笑う。  その体格に違わない見事なまでの大笑いだった。  リヒトはためらいがちに、煩わしそうに耳をふさいでいるポポへとたずねる。 「あの、ポポさ、……ポポ様。この方は……」 「……ポポさんで頼む」 「あ……はい」  ポポは細く長い吐息をつくと、大男のことをリヒトへと紹介する。 「彼はヴォルト・スプグリグエル。ボクの知り合いだ」 「ヴォ…………え、スプグリグエル!?」  今日何度目かの衝撃に見舞われたリヒトは、慌てて片膝をついた。  リヒトも名を聞いたことがある。ヴォルト・スプグリグエル。聖スプグリグエルを襲名した、つまりは聖騎士だ。しかも神聖騎士団の中でも最強の四人――四希天のひとりに数えられる実力者でもある。 「おいおい、ひどいなぁ。知り合いって。そんな言い方、お父さん悲しいぞ」 「お父さん!?」  思わず素っ頓狂な声を上げるリヒト。 「……父ではない。彼はボクの師匠なだけだ」 「親代わりでもあったじゃないか」  むーんと唇を尖らせすねるヴォルト。なんというか、こう……微妙に気持ちが悪かった。 「それで。ええと、君は――」 「リヒト・レイシア。キサラ様の兄で、ボクの部下だ」 「――リヒト君か。楽にしていいよ、堅苦しいのは嫌いなんだ」 「は、はぁ」  言われておずおずと、リヒトは身を起こした。 「うちのポポが迷惑をかけて済まないね。この子、一見味気ないからわかりにくいけど、機嫌が悪かったんだ。……まぁ、さっきのはただの八つ当たりだ。君が責任を感じることじゃないよ」 「で、ですが――」 「……ヴォルトの言うとおりだ」  ポポはリヒトを見上げると、しばし逡巡したあと、ペコリと頭を下げた。 「少し気が立っていたんだ。……すまなかった」 「え、ええええええええええええええ!?」  聖騎士に謝罪されるという異常事態に、またしてもリヒトは戸惑いの声を上げる。 「そ、そんな事は気にしてませんから! ど、どうか顔を上げてくださいっ!」  ポポに謝られるなんて、いったいどうしたらいいのかわからなくなってしまう。真面目な青年従士にとって騎士は尊敬すべき相手であり、まして聖騎士なんて本来なら雲の上の人でしかないのだ。 「……」  ポポはゆっくりと顔を上げる。  その頬は彼女にしては珍しく――うっすらと赤らんでいた。リヒトへの謝罪を悔しがっているのではない。八つ当たりなんて醜態を晒した自分自身を恥じているのだ。 「ははは。まーボクは久しぶりに子供らしいポポを見れて満足だったけどね」  ニヤニヤと笑うヴォルトの足を、ポポは思いっきり踏んづけた。 「ぐえ!?」  絞め殺された鶏みたいな悲鳴を上げるヴォルト。ポポの足からはうっすらとマナが立ち上っており、自慢の馬鹿力で捻り潰したことは明らかであった。 「おーいててて……ひどいなぁ」  けんけん足で涙目を浮かべるヴォルトであったが、やがて痛みが引くと、真面目な顔でリヒトを見つめてくる。  その眼差しの力強さに、リヒトは息を呑んだ。 「あー、すまないがリヒト君。少し席を外してもらっていいかな? ちょっとこの子に大事な話があってね」  口調こそ軽いオッサンのままだ。  だが――その響きが、重みが変質したことを、リヒトは肌で感じていた。ちりちりと空気が震えている。ただそこにいるというだけで、すべてがヴォルトに飲み込まれていくかのような幻想。これが私人ではなく公人としての――聖騎士スプグリグエルとしての、ヴォルトの顔なのだろう。 「――了解しました。それでは、失礼します」  姿勢を正すとリヒトは深々と一礼する。  そうして、踵を返して歩き出して――――その背中に、少女が声をかける。 「……リヒト」 「……はい」 「まだ、ボクたちの戦いははじまったばかりだ。次こそは、キサラ様を助け出そう」 「――はい!」  振り返り力強く頷くと、リヒトは今度こそ、その場を去っていった。 「……いい子だなぁ」  小さくなっていく青年の背中を見送りながら、感慨深げにヴォルトは言う。 「ポポちゃんも昔は素直だったのに……どこでこんなに捻くれちゃったかなぁ」 「……どうして、あなたがここにいるんだ?」  うんざりした口調でポポは言う。  弟子だった頃ならともかく、今はお互い聖騎士という多忙な身だ。実際、ヴォルトの顔を見るのも実に一年ぶりであった。  探るようなポポの目線に、ヴォルトは真面目な顔で頷いた。 「聞いたよ。情けをかけられたそうじゃない」 「……」 「君が負けるとは相当な相手だったんだろうね。……生きて帰ったことは評価するけど、負け方はちょっとザンネンだったかな。でもまぁ、不思議なこともあるもんだ。わざわざとどめを刺さないなんて、魔族も何を考えているんだか――……ん?」  ヴォルトは首を傾げる。  ポポが暗い怒りの眼差しで自分を睨んでいることに気づいたからだ。  相手が大魔族とはいえ、正義を掲げた戦いに負けて情けまでかけられたのだ。ポポにとっては屈辱だろう。だが、ポポの心は決して屈してはいない。ポポはまだ幼く、その戦闘力もまだまだ伸びしろがあることをヴォルトは知っていた。  この敗北は、必ずポポの力になる。  自分の次に神聖騎士団の中核をなすのはポポ・クラウディアであると、ヴォルトは固く信じていた。 「闘志は衰えていないようだねぇ。結構だ」  ぽん、とポポの頭に手を置くヴォルト。ニヤリと笑う。それは誇りに満ちた顔で――聖騎士として以上に、ひとりの親としての顔であった。  が、ペシッと、ポポは無言でその手を振り払う。 「……ひどいなぁ」  情けない顔で、ヴォルトはしょんぼりと肩を落とした。 「――あなたもキサラ様を?」 「ん? ああ、いや。ボクは別件だよ。ただ……次代の聖女が魔の者にさらわれるなど前代未聞だからね。このまま事が進まないようならば――」 「あなたが……、いや、神聖騎士団が出ると?」 「もしくは異端審問会、かな」 「……」  不穏な名にポポは顔を曇らせる。 「あいつらが出張ってくると確実にろくな事にならないからなぁ。そうなる前にケリをつけてくれ。――頼んだよ、ポポ」 「……わかってる」  異端審問会。  聖堂騎士団とは独立した教皇庁直轄の組織である彼等は、独自の判断で異端を認定し裁くことが許されている。その為に異端審問官は、赤子の頃から徹底した戦闘教育と絶対的な精霊教会への忠誠心を叩き込まれるという。  聖堂騎士団が、教会の掲げる正義に従い行動する者たちであるならば、  異端審問会は、正義という概念そのものが形を得た存在と言ってもいいだろう。  そんな彼等が動くとしたら、それは――…… 「……」  ポポは知らず、強く拳を握りしめていた。 「――そう言えばさ」 「?」  リヒトが去っていった方向を眺めながら、ヴォルトは言う。 「なんだか前にもいたよね、あんな子がさ。彼、今頃どうしてるのかな?」 「……元気にしてるよ。彼もね」      §  大聖堂にある騎士宿舎。  正騎士用のそれは準騎士よりもずっと豪華で、部屋も広い。ベッドも大きく、子供がふたり並んで寝ていても問題ないくらいだった。 「……」  部屋の主――加藤マルクは、慈しむように双子を見る。  ベッドで安らかな寝息を立てている彼女たちは、あれから目覚めてはいない。魔族との戦いで負った重傷は外観こそ完治しているものの、彼女たちは精霊――精神生命体であり、本当の傷がどれほどのものなのか、それは誰にもわからない。 「……リリアナ。レミー」  静かな声は、すぐさま静寂へと溶けていく。  ……この子たちとの付き合いも、気がつけばもう五年になる。最初はどうなることかと不安だらけだったが――今ではもう、掛け替えのない加藤の半身だ。  だからこそ思ってしまう。  これで良かったのかと。  自分の戦いに――この子たちを巻き込んで、本当に良かったのかと。 「私は……」  ――去来するのは、あの日の出来事。  加藤マルクという男のすべてを変えた、ひとつの事件だ――……  ……――それは、月の綺麗な夜のことだった。  小さな村で暮らす神父、加藤マルクが月夜の散歩で立ち寄った湖。その湖面が、突如として波打った。 「……これは」  呆然と、加藤はつぶやく。  渦巻く風が水面を波打たせ、その中心に光の粒子が集まっていく。それはやがて大きな光の塊となるが――、一段と激しい風が吹くと、突如としてふたつに分裂する。  加藤はただ、その様子を固唾を呑んで見守り続ける。  徐々に光は収まり、粒子はヒトの形を作りはじめる。白銀の髪を長く伸ばした、幼い女の子。瓜二つの顔立ちをした、まるで双子のようなその姿。  彼女たちは小さな体をふわふわと浮かばせながら、月の光の下にこの世界に顕現を果たす。  そうして――  少女たちは、瞳を開いた。 「……」 「……」  青い眼差しと赤い眼差し。  ふたつの視線は、ぴたりと同時に加藤を捉え―― 「……あなたは、だぁれ?」  ふたり同時に、言葉を紡いだ。 「……私は、加藤マルクと申します。この村で、神父をしています」 「……しんぷ?」  ふたりは顔を見合わせ小首を傾げる。 「あの――、あなた達は……?」 「わたし?」  加藤を見ながら、やはり同じように首を傾げてみせる双子の少女たち。  しばし、そんな不思議な動作を繰り返していたが…… 「わたし……」 「わたしたち……」 「わたし、たち、は……」 「わたしたちは、だぁれ?」  歌うように紡がれた言葉に、加藤は思わず息を呑んだ。  わずかな風に、湖面は揺れる。  ゆらゆらと、ゆらゆらと――月明かりもまた、静かにたゆたう。  それが、加藤マルクとリリアナとレミー。  のちの聖堂騎士団の正騎士と、狂嵐の双子精霊の出会いであった。  つづく 【あとがき】  第2章開始ですー…っていきなり前後編になった\(^o^)/  ご覧の通り、次回は加藤と双子の過去回メインです。