b.H.ヒストリア外伝 『Hello World』 【前回のあらすじ】  キサラ、泣く。  第6話 覚悟と決意 「――キサラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」  リヒトは絶叫とともに剣を振りかぶる。  相手は少年。魔族か、魔術師か、それとも構成員か。魔族だとしたらリヒトの手には絶対に負えない相手だ。キサラを連れてこの場を離れ、ポポや加藤との合流を目指すべきだろう。  だが、そんな判断を下せる冷静さは、今のリヒトにはなかった。  思考が燃えている。目の前が真っ赤に染まっている。身を焼くような憎しみというものを、リヒトは生まれてはじめて体感していた。  やっと再会できた妹の姿は、以前とは違っていた。  長く綺麗だった黄金の髪は短く切り取られ、妹の趣味とは正反対の黒い衣装に身を包み、碧い瞳は悲痛な涙に濡れている。キサラの身に何かが起こったことは確定的で、大事な妹を傷つけた相手へのどうしようもない怒りは、温厚な青年を怒り狂わせるには十分すぎた。 「あああああああああ!!」  少年へ向けて剣を振り下ろす!  夜の森に煌めく剣閃は、しかし間一髪で避わされてしまう。 「くっ――!」 「ち、くそ!」  少年は懐からナイフを抜き放つ。  そうして再度激突。得物のリーチ、重量ともに剣が圧倒的に上なのだが――相手はうまく力を受け流し、リヒトよりも素早く次の行動に打って出る。 「は――!」  迫り来るナイフの刃。リヒトは慌てて身を引くが避わしきれず……薄く頬を切られてしまう。血がにじむ感覚と熱さに、リヒトの中でわずかながらも冷静さが戻ってくる。思いは激しく、思考は静かに。それこそが戦闘の鉄則だ。 「……はぁ――……」  大きく息をつく。  ……相手も間合いを保ったまま、荒い呼吸を鎮めている。これでわかった。相手は魔族ではない。正騎士を何人も血の海に沈めた魔族が自分程度にそこまで取り乱すはずがないからだ。加えるなら、戦闘という行為自体にも不慣れだろう。おそらくは対人戦どころか魔物とすらまともに戦ったことがない、完全な素人だ。  だがリヒトに不利な要素もある。少年の動きは自分よりも素早く正確だ。推測するならケンカは得意なのだろう。命のやりとりは含まれないとはいえ、人を相手に暴力を振るうことに慣れているのは厄介だった。 (それに――)  剣を握る腕に力を込める。この森林の中では剣よりもナイフの方がより自由に動き回ることができるのだ。リヒトも普段使っている槍ではなく剣を選んできはしたが、武器の利が相手にあることは間違いない。 「――」  油断はできない。  この戦いは、絶対に負けることは許されない戦いなのだ。  何故ならば―― 「お兄様!」 「下がるんだ、キサラ!」  自分の背後にはキサラがいる。  ずっとその身を案じ続けていた、リヒトの大事な、たったひとりの残された家族。  妹を守るためにも、絶対に、負けられない――! 「サウカ・レサ・ルビア……」  静かに呪文を唱える。  体内のマナを高めることによる身体能力の強化、および武具にマナを注ぎ込むことによる性能強化。最低限の戦闘の準備が、これで整う。 「……ヴェルク・エル・ゼルク」  相手もまた何事かの呪文を唱える。  きっと、今の自分と同じように戦闘力を高めたのだろう。  ここからが本当の戦いになる――リヒトは昏く目を光らせると、強く、剣を握り直した。      §  水面(みなも)に映る月を眺めながら、ゼロは深いため息をこぼした。  ――これからのことを考えると気が重い。とりあえずの目的地とした魔術結社には旧知の友がいるのだが……はっきり言って、あまり会いたくはなかった。  なにせ、あの男は復讐に囚われている。最後に会ったときも熱心に魔術結社へと誘われた。今の村を捨てることはできないと断ると、失望したように去っていったが――そんな男の元へと身を寄せようというのだから、自分の不甲斐なさにため息も出るというものだ。 (……今の私を見たら、あいつは……笑うだろうか)  復讐を否定してまで守りたいと願ったものは守れず、怒りにその身を焦がして……  あまつさえ、今は教会に追われる身となってしまった。 「……」  精霊教会の強大さをゼロはよく知っている。聖堂騎士団の苛烈さもまたよく知っている。彼等に狙われて逃げきれるはずはないと理解している。それでも……ゼロは、ヴェルガを死なせたくはなかった。 (……あの時、私は、オーラントの手を取るべきじゃあ、なかったんだ)  おそらく――あの征伐の中、ヴェルガの父君は魔術をまともに行使しなかったはずだ。強い魔術を使えば、心の奥で繋がっているゼロに気がつかれる可能性がある。もっと早くに征伐に気がついていたなら、ゼロは惨劇に間に合っていたかもしれない。  それを彼は拒んだのだ。  絶望的な戦いにゼロと――なによりも息子を巻き込ませないために、死ぬまで魔術師として戦うことはしなかった。そこにあるのは息子への愛情だ。息子には生きていてほしいと願い、身命をとしてゼロに託してくれたのだ。  なのに、ゼロはその想いに応えきれなかった。  一時の憎悪で彼の願いを踏みにじった挙句に、ヴェルガの人生そのものを深い闇に突き落としてしまった。あの日、あの時。ゼロは怒りをこらえてヴェルガを諭し、新たな人生を歩ませてやるべきだったのだ。  だから、せめて――ヴェルガだけは、なんとか生き延びさせてやりたかった。  と―― 「――ん?」  ゼロは眉をひそめる。  直後だった。ゆらり、と水面が波打ち――……瞬間、生成された水の刃が夜を裂く。 「うお!」  身をひねり、なんとか避わす。標的を外した水刃はそのまま背後の樹木を真っ二つに切断し霧消する。研ぎ澄まされた水流は鋼をも切り裂くという話を思い出し、ゼロはゾッとした。 (これは……精霊術!?)  その考えを証明するかのように、今度は川が激しく渦を巻き、水飛沫を上げながら異形を生み出しはじめる。それは巨大な牙と爪と、何故か大きく可愛らしい耳もった謎生物――水でできたドラゴンのような物になると、瀑布の如き勢いでゼロへと襲いかかってきた。 「ちっ――!」  舌打ちすると、黒翼を展開。飛翔しこれをやり過ごす。だが水竜っぽいものは追撃の手を緩めない。木々をなぎ倒しながら方向転換すると、ゼロ目掛けて羽撃(はばた)いてきたのだ。 「……この、不細工め!」  右手を大きく振りかぶる。その先に灼熱の塊を生じさせると、ゼロは水竜っぽいものへと叩きこんだ。魔術の炎は見事に水竜っぽいものを仕留めるが――爆発音とともに視界を蒸気が埋め尽くす。ゼロは咄嗟に顔を覆った。  その一瞬のスキを、誰かは見逃さなかった。  蒸気の煙幕を薙ぐように飛来したのは巨大な鎖付き鉄球。メテオハンマーという物騒な通称を持つ破壊力が売りの質量武器だ。ゼロとて直撃すればただではすまず、しかしその大砲のような一撃はもはや回避不可能であり―― 「……くっ!!」  ゼロは鉄球が激突する寸前、まさに紙一重のタイミングで鎖を腕で打ち払い無理やり軌道をねじ曲げる。だがその代償としてゼロの腕を回転軸にし、鎖が巻き付き締め上げていく。巨大鉄球の遠心力も加わり、腕へとかかるでたらめな破壊力にゼロは呻いた。……砕けるか、千切れるか。そうなる前に、マナを腕へと集中させ肉体をさらに強化。激痛が走るも、なんとか腕を破壊から守ることには成功する。 「……!」  長く伸びる、鎖の先。  そこには小柄な影がある。  ――やがて、濃霧のごとき水蒸気は強風により晴れていき――ゼロは予想通りにして予想外の襲撃者と対面する。  そこにいたのは、ひとりの騎士だった。  まだ幼い容貌をした――青髪青目の、少女騎士であった。 「…………聖堂騎士団。まさか、追いつかれるとはな」  ゼロの頬を、汗が伝う。  こんな物騒な武器を振り回すのだから、てっきり巨漢の男だと思っていたのだが――まさかこんな少女だったとは。そして、先ほどの水の精霊術。他に伏兵がいるのかもしれないが、仮にこの少女騎士の仕業だとすれば精霊術も一流だ。力も術も、戦闘の趨勢を見極める眼力までもが騎士のレベルを軽く超えている。ただ者とは思えなかった。 「君たちは、そこの魔術結社の生き残り……だろう?」  淡々と少女騎士が応える。  眼下に見えるのは、ゼロが長い時を過ごした……守れなかった、大切な村(もの)。 「仮にそうならば、この周囲に潜伏している可能性が出てくる。加えて、こんな夜半に火を使うなんて不用心にも程がある。火だけではなく、煙や匂いも足跡となることを知っておいた方がいい」 「なるほど……それは盲点だった。ご教授痛みいるよ」  軽口で答えながらも、ゼロの胸中は焦りで満ちていく。  こちらの居場所がある程度特定されていたとするならば、つまり―― 「――君の連れの方にも、ボクの仲間が向かっている。覚悟を決めろ、魔族」 「く……」  ヴェルガは喧嘩慣れしてるだけの一般人みたいなものだ。騎士が相手となれば、まず勝ち目はない。となれば、一刻も早くこの少女騎士を下して駆けつけなければならない。 (オーラントは、殺させない……!)  使命感と殺意が混じり闘気となり、少女騎士へと叩きつけられる。  その、直後。  ――――――…………ゾクリと悪寒が走る。  ゼロの左右で突如として風が爆発する。解き放たれた暴風の中から現れたのは、鬼のような形相をした双子と思わしき少女たち。彼女たちが風の精霊であり、光の屈折を変化させ姿を隠していたことにゼロが気づいたときには――すでに、手遅れだった。 「きゃははは、ははははははははははははははは……!!」  狂嵐の精霊が哄笑する。  解き放たれた暴風は高く掲げられた手に再び集中、極限まで圧縮されていく。それは嵐であり、竜巻であり、風の刃だ。街ひとつに甚大な被害を与えるだろう自然の脅威を小さな結界内に閉じ込めた、まさに殺戮のための風の精霊術だった。  この規模の精霊術をただの精霊が扱うことは不可能だ。  考えられるのは――彼女たちが大精霊であるか、あるいは――精霊術師と契約し強大な力を得た契約精霊であるか。どちらにしろこんな精霊術の直撃を受けてはひとたまりもなく、彼女たちが絶好の機会を得られるようにゼロの戦意を誘導した少女騎士は見事だったと言う他ない。 「く――」  逃げようにも鎖に腕をとられ、新たに対抗するための魔術を起動させている時間はない。  焦りに顔を歪めるゼロへと、殺風の砲弾は容赦なく解き放たれ―― 「きゃははははははははははは!!」 「きゃははははははははははは!!」  耳障りな声とともに、風の精霊術は炸裂した。  爆音。  そして豪風。  解き放たれた莫大なエネルギーは、オリハルコンでできたメテオハンマーの鎖すらもやすやすと引きちぎる。少女騎士は吹き飛ばされそうになりながらも必死に体勢を保ちながら、炸裂するエネルギーに霞む爆心地から目を逸らさない。  ……やがて、風が収まったとき――少女は、はじめてその顔色を変化させた。 「……驚いた。アレを受けて無事、なのか」 「無事に……見えるか?」  返す言葉には苦い色が混じっている。だが、魔族は――ゼロは、生きていた。  着ていた服はボロボロだ。破けた服からのぞく肌からはいくつもの鮮血が見て取れる。だがそれでもゼロは無事で――自らをここまで追い詰めた少女たちに、わずかながらの敬意とふつふつと湧き上がる殺意を覚えていた。 (ちっ――胸が、熱ちぃ)  ドクリドクリと全身をマナが脈打つ。ずっと体の奥底に封じていた力の一端、それを急遽無理やり引きずりだしたのだ。灼けた石を飲み込んだに等しい激痛が慣れない体を苦しめていく。のたうち回りたくてしかたがなかった。  だが、おかげさまで――命拾いをした。  マナによる肉体強化とは根本的に違う、ゼロ本来の力の解放。戦いの日々を終え、村の一員として生きていくことを誓ったあの日から封じてきた過剰な力を、今再び、ゼロは呼び戻したのだ。 「――――はぁ……」  長く深く息を吐く。熱さに体が慣れていくのと同時に、かつての自分が――戦場で生きていた頃の感覚が蘇っていく。血に塗れる高揚感が、命の削り合いによる魂の躍動が、ゼロを戦士として再び目覚めさせていく。  ゼロは鋭い眼差しで、右手の先を、ついで左手の先を見る。  そこには顔面をわし掴まれ、苦しそうに暴れている双子精霊の姿があった。 「ぐ、ぎ、が……!!」  先ほどの精霊術で全力を出し切ったのか、双子はじたばたともがくだけだ。か細い手でゼロから逃れようと必死に抵抗を繰り返している。だが、すべて無駄な足掻きだった。 「――この子たちは精霊、だな」  言うと、ゼロは両手の先を発火させる。魔術の炎は瞬く間に爆発炎上し双子精霊の意識を奪い取った。そうして、ゴミを捨てるかのようにその体を放り投げる。少女たちは力なく墜落していった。 「……ふむ」  黄金の瞳が今度は少女騎士へと向けられる。  睨めつけるように、吟味するように――ゼロは顎に手を当てると、探るように言葉を投げかける。 「……意識を刈り取っても君は飛び続けている。……てっきり君と契約を結んでいると思っていたのだが、外れか。それとも伏兵の契約精霊か――」  精霊と契約した精霊術師は、その属性においては契約精霊としか交感できないため、精霊が意識を失った場合は精霊術の行使ができなくなる。もしも少女騎士と双子精霊が契約関係にあるのなら、双子を倒した時点で少女も飛翔できなくなり楽に事が運んだのだが……まぁ、そう上手くはいかないということか。  とにかく、早々に双子精霊を倒せたのは大きいはずだ。こちらを狙っている伏兵か、それともヴェルガの方に向かった相手かはわからないが、相手の戦力を大幅に削ぐことができたのだから。  あとはこの、武器を失った少女を倒すだけ――…… 「――」  少女騎士は静かに腕を向けてくる。その先から放たれたのは風の精霊術。渦巻く豪風の一撃をゼロは羽撃き回避するものの、森へと着弾した精霊術は木々を薙ぎ払い大地をえぐり砕いていく。  それはまるで契約精霊の力を借りているかのような、すさまじい一撃だった。 「……ははっ!」  ゼロは嗤い、少女を見る。その暴力的な視線を少女騎士は微動だにすることなく受け止めた。それどころか、逆にマナが高まっていく。……なるほど、彼女もまた全力には程遠かったというわけか。 「ふ――たいしたものだな、君は……いったい何者だ」 「――神聖騎士団、聖騎士ポポ・クラウディア。覚えなくてもいいよ」  途端、だった。 「……クラウディア、だと?」  ゼロの怒りの色が変わる。  燃えるような戦意は消え去り、昏く冷たい、静かで深い、大事なものを嬲られたかのような怒りが身を浸していく。  怨嗟の眼差しが少女騎士を睨み据えた。 「ふざけやがって……! お前ごときが――、その名を、名乗るんじゃねぇよ!!」  それは、血を吐くような――魂からの叫びだった。      § (お兄様、だと?)  襲撃してきた聖堂騎士の一撃をいなしながら、ヴェルガは舌打ちをした。金の髪に、碧い瞳。顔立ちも面影がある。だとすれば、本当に――このふたりは兄妹なのだろう。 (わざわざ妹を助けに来たってか。ご苦労なことだ、な――!)  気迫と共にナイフを振るい、オニイサマの左腕を切り裂いた。だが手応えはない。傷は浅いのだろう。 「ちっ――」  まただ。  もう何度となく攻め入っているのに、致命的な一撃を与えることができない。さすがは聖堂騎士団の一員といったところか、どうやら紙一重でこちらの攻撃を回避しているらしい。 「はぁ――!」  相手が反撃を試みる。だが剣という得物が災いして、ひどく攻撃が単調だ。木々に遮られ自在に振り回せる余裕がないのだから、戦闘素人のヴェルガにだって見切ることは容易かった。  とはいえ―― (はは、これが、戦闘。命のやり取りか……!)  喧嘩なんかとは違う。たとえ単調な攻撃でも一撃でも喰らえばそれで終わりだ。今まで生きてきたすべてが、これから生きる未来さえもが水泡に帰す。その激しい高揚感にヴェルガは熱い息をこぼした。 「――こ、の!」  ヴェルガは再び切り込んでいく。何度かの打ち合いのあと――足をもつれさせ、オニイサマはよろけた。絶好のチャンスを、もちろんヴェルガは見逃さない。これで終わりと、渾身の一撃を振り下ろし―― 「……!」  しかしそれは、またしても寸前で避わされてしまう。まるで見えない何かに邪魔をされているかのように攻撃が決まらない。苛立ちにヴェルガは舌打ちした。 「お兄様!」 「大丈夫だ、キサラ!」  間合いを保ちながら、ヴェルガとオニイサマは睨み合う。  キサラの――兄を心配する悲鳴が、いちいち癇に障った。 (くそ……こいつ、どんな手品を使ってやがる?)  ここまでの戦闘で、ヴェルガにも相手の力量というものがわかりはじめている。おそらく戦闘経験は圧倒的に相手に分があるだろう。だが、人に向けて剣を振るうことに見え見えの躊躇いがある。怒りに身を焦がしながらも、一線は越えられていないのだ。  きっと、優しい男なのだろう。 「……」  しかしそれは、ヴェルガにとっては付け入るスキでしかない。本来なら優位に戦えるはずのオニイサマが劣勢を強いられているのは、得物の不利と、覚悟のなさが原因だ。  ならば、そこを突く。徹底的に、突く。  キサラには悪いが――……お前のオニイサマには、今日、ここで、死んでもらう。 「はあああ!」  気迫とともにオニイサマは突撃してくる。  ヴェルガは静かに瞳を閉じた。――自らの中に眠るひとつの繋がりを感じ取る。ゼロ。友人にして兄、そして師匠。彼との繋がりが熱も持ち、ヴェルガの中でひとつの力として膨れ上がっていく。  不思議だった。  今までろくに成功していないのに、どういうわけか失敗するビジョンが浮かばない。 「――ヴェルク・エル・ゼルク」  絶対の確信とともにヴェルガは腕を突き出し、その幻想を、具現化する。 「燃え尽きろ――!!」  閃光とともに解き放たれたのは……炎の魔術。  逃げることも避わすこともできず、その邪悪な炎は、ひとりの青年を飲み込んでいく。  キサラ・レイシアの悲痛な叫びが、夜の森にこだました。      §  魔族による大聖堂襲撃事件。  その戦いで傷ついた者、亡くなった者の大半にはある共通点があった。それは、熱傷――魔術の炎に焼かれた者が大多数だったのだ。  魔術は精霊術と違い属性には縛られない。炎だけではなく、風も大地も水も、練度によっては光や闇、さらに刀剣や銃、色や音などといったマイナー属性にすら干渉することが可能だ。幅広い選択肢による対応力の高さも魔術の脅威のひとつなのだから。  なのに、襲撃者は炎の魔術しか使わなかった。  ここから推測されるのは――魔族は、炎の魔術を専門としている、もしくはそれ以外の属性は戦闘に耐えるレベルではない、ということだ。  ならば、まずは水の精霊術で奇襲をかける。相手が魔族だと確証が得られたならば、より大規模な精霊術で攻撃、そうなれば相手は水と相反する炎の魔術を使ってくる可能性が高い。そうなれば一時的に視界を奪うこともでき、こちらが戦場の主導権を握ることができる――……  それがクラウディア特務騎士隊の立てた作戦であり、実際、最初の段階ではうまく事が運んでいた。作戦に狂いが生じはじめたのは、双子の奇襲の失敗からだろうか。――いや、正確には奇襲自体は成功した。ただ、その奇襲を相手がものともしなかっただけだ。  それはつまり――もはや加藤マルクの出る幕はないということを意味している。 「……」  双子精霊を介抱しながら、加藤は悔しさに歯噛みする。  ふたりとも息はある。可愛らしい顔は見るも無残なことになっていたが、どうやら無意識化でも治癒が働いているらしく、今も徐々にだが復元に向かっている。彼女たちの心はまだ折れてはいないのだ。  しかし、今の加藤には――精霊術を使えない精霊術師には戦いに介入するすべはない。仮に双子の意識が戻ったとしても、はたして加藤に何ができるのか。精霊術と魔術が交差する空の戦場は、すでに加藤が立ち入ることができないほど、凄まじかった。  今の加藤は、まったくもって、無力なのだ。 (――――と、そう思ってくれると、ありがたいのですが)  加藤マルクは激闘の続く夜空を見上げる。  彼の表情には悲壮感はあっても絶望感はない。虎視眈々と機会を伺う狩人の眼差しであった。  契約精霊を失った精霊術師は無力だ。  それは間違いない。  だが――加藤マルクはただの精霊術師ではない。本来なら聖堂騎士団において準騎士や従士を率いて任務をこなす正騎士でもあるのだ。いわば聖堂騎士団を代表する騎士のひとりであり、その加藤が精霊術以外の戦闘手段を備えていることは必然であった。 (リリアナ、レミー……)  たしかに彼女たちを倒されたことは悔しいし、悲しい。だが、それで相手が自分を無力化したと思い込んでくれるのならば、加藤にはまだ戦いようがある。可愛い契約精霊のためにも、ここで膝を折ることは加藤には許されない。 (さて――)  とはいえ、魔族と正面切って戦える実力は加藤にはない。なにせあのポポ・クラウディアとやりあえる魔族である。加藤がこの局面で行えることはポポの補佐だろう。魔族に傷を与えることはできなくとも、スキくらいなら作れるかもしれない。  そのためには――…… 「……」  胸に下げた大型のロザリオを握る。  最後にもう一度、慈しむように双子精霊を見ると―― 「……行ってくるよ。リリアナ、レミー」  加藤は息を潜めるようにしながら、森の中に分け入っていった。  精霊術師は自分の属性と対応する精霊のみと交感が可能だ。それはつまり、複数の属性を持つのならば複数の精霊から力を借りられるということでもある。  ポポ・クラウディアは多重属性だ。  風、水。そして――大地。 「ネファル・ネニュファル。――大地よ、ボクの意に従え」  ポポは呪文とともに静かに腕を掲げる。すると、先ほどの一撃で砕かれた大地の破片が音を立てて舞い上がり、彼女の眼前に円陣を描くように配置されていく。 「――斉射」  高く掲げた腕を、大きく振りぬいた。  それを合図に大小数十の岩塊が魔族へと襲いかかっていく。高速で撃ちだされた質量の塊は、ただそれだけでとてつもない脅威だ。当然ながら魔族はこれを迎え撃つべく炎の魔術を起動する。  生み出されたのは灼熱の魔法陣。――炎の盾だ。  岩塊の群れと炎の盾が激突する。結果、岩塊は爆発し、あるいは溶解し消えていく。だがその衝撃までを吸収できるわけではなく、魔族の体勢はわずかに崩れ――そこに生じるスキこそが、ポポの狙っていたものであった。 「――!?」  すべての岩塊を溶かし終えた魔族、その背後へとポポは加速し回りこむ。数瞬遅れて魔族が気づくが、もう遅い。 「――はぁ!」  白いマントを翻しながら旋回し――瞬時に組み立てたウォーハンマーを勢いのままに振りかぶる。ポポの武器は主武装(メインウェポン)であるメテオハンマーだけではない。普段は分解し鎧に仕込んである組み立て式のウォーハンマーもまた、ポポの剛力を活かすのに最適な武装のひとつである。  だが…… 「む――?」  ウォーハンマーは魔族の腹部へと命中する。しかし直前にマナを集束させ強化したのか、返ってきたのは肉ではなく鋼を打ち付けたかのような硬質な手応えだった。 「この……!」  魔族が牽制に炎を放つ。ポポはすぐさま飛び去った。  聖堂騎士団に大打撃を与えた魔族と、聖堂騎士団最強の聖騎士のひとり。  ふたりは間合いを取り、空中で対峙する。 「――やるな、お前。聖騎士は伊達じゃないってところか」 「君こそ。今ので殺れないとは思わなかった」  痛そうに腹を押さえている魔族に、素直にポポは賞賛を送った。今まで何人もの魔族を葬ってはきたが、ここまで苦戦を強いられたのははじめてだ。おかげで無意識に魔族というものを舐めていたことを自覚し、反省する。  ――相手は魔族。  人間の魔術師なんて比較にならないほどの邪悪。  聖騎士として、ポポ・クラウディアは負けることは許されない。これは個人の決闘ではない。世に正義を示すための征伐なのだ。 「……」  魔族はすでに満身創痍だ。たしかにリリアナとレミーの攻撃で倒しきれなかったことは痛いが、決して効いていないわけではない。彼女たちの奮闘に報いるためにも――次こそは、絶対に仕留める。  決意とともに、ポポは体内のマナを高めて呪文を紡ぐ。 「ネファル・ネニュファル……」  伝説の聖騎士クラウディアは三つの獣を従えていたという。その名を襲名したポポは、伝説にあやかりひとつの技を作り出した。風と、大地と、水と。自らの持つ三つの属性を複合させた大精霊術。  その名も―― 「――いくよ、トライスター」  魔族――ゼロは、その光景に戦慄した。  ポポと名乗った少女騎士が呪文を唱えると、すさまじいまでのマナが迸る。それは赤、青、緑、三色の光の帯となり、ポポを囲むように螺旋を描いていく。やがて三つの光は少女騎士の胸の前に集束し、白く輝くエネルギー体となった。 (まさか……そこまで)  複数属性の精霊術の同時起動、およびそれらを反発させることなく集束、融合させる――これはもう努力でどうにかできる次元ではない。完全に才能の世界――精霊に祝福された天才のみが到達できる技の極みであった。 (まったく、この期に及んで……底の見えない娘だ)  ポポの青い瞳が真っ直ぐにゼロを射抜いてくる。  静かな声が、力強く呪を紡いだ。 「――トライスマッシャー!」  白い閃光が夜を染め上げ、三色の螺旋をまとい爆発的な力の奔流が解き放たれる。  それは直撃すれば消し炭にされてもおかしくない、大規模砲撃精霊術。  そんな一撃を前に、しかし、ゼロは不敵な笑みすら浮かべて―― 「は――!」  巧みな翼さばきで紙一重でこれを回避する。砲撃の余波で皮膚が裂け血が滲み一部は熱傷と化すが――その痛みこそが、ゼロに勝利を確信させる。  トライスマッシャー……たしかに恐ろしい技だ。  発射速度は速く、範囲も広い。おそらく射程も十分だろう。威力はまさしく最強で、当たれば一撃必殺の強力無比な精霊術だ。惜しむらくは空中戦での使用になったことか。翼人は空中戦に特化した魔族であり、精霊術を使わなければ空を飛べない人間とはそもそも地の利が違っている。  だからこそ――ゼロの勝機が見えてくる。  これほどの大技なのだ。費やされるマナの量とて尋常ではないはずであり、聖騎士といえどどれほどの余力が残るというのか。マナは戦闘行動のすべてを支える力の源泉と言っても過言ではない。マナの尽きた聖騎士など、ただの小さな女の子でしかないのだ。 (故に、今こそが好機――!)  ゼロは両手に灼熱の魔術を灯すと、聖騎士を狩るべく羽撃こうとして――――  すぐ、目の前。  いつの間に懐にはいったのか――そこには、ここにいないはずの、ポポがいた。 「な――」 (どうして、こんな所に!)  ……似たような場面が、つい先程も存在した。  岩塊を捌き切ったゼロの背後に、いつの間にか彼女は回りこんでいた。てっきりスキをつかれたものだとばかり思っていたが――本当に、ただそれだけだったのか? (いや、違う。こいつは――彼女は……!)  相手の死角をつき、ずば抜けた脚力で一瞬で間合いを詰める瞬間移動技能――瞬動術。戦況を正確に捉えるだけの経験と眼力がないと使いこなせない技を、こんな、少女が……! 「く――!」  どう見ても子供な容姿に、心のどこかで過小評価していた。この少女は聖騎士。忌々しいが、たしかにクラウディアを名乗るだけはある――聖堂騎士団最強の一画なのだ。  ゼロは己の迂闊さに歯噛みする。  だが――……戦慄は、まだ終わらない。 「ネファル・ネニュファル……」  青い瞳がゼロを見据え、再度少女から三色のマナが迸っていく。 (まさか、まだ撃てるというのか、あれを!?)  小さな体には不釣り合いな剛力無双。  一瞬で直線距離を詰めてくる爆発的な加速力。  一流の精霊術師でも一発で枯渇するだろう大精霊術の二発目。  それらを可能としている力の源泉、それは――…… 「……!」  少女騎士のウォーハンマーに、トライスマッシャーのエネルギーが集束していく……!  トライスターはポポの所有する三属性を圧縮、解放させ爆発的な破壊力を生み出す精霊術だ。それにはいくつかのバリエーションがあり、砲撃精霊術として打ち出すトライスマッシャー、メテオハンマーにエネルギーを集束させさらに破壊力を向上させたトライスター・壊式(えしき)、そして―― 「……トライスター・槌式(ついしき)」  手にしたウォーハンマーに莫大なマナが集束していく。単純な破壊力なら壊式には及ばないものの、代わりに取り回しの良さでは上回る、ポポ・クラウディア最強の近接精霊術である。 「く――!」  魔族の顔が苦渋に歪む。  おそらく二発目のトライスターに驚愕しているのだろうが――戦闘においてマナ不足になることほど恐ろしいものはない。まして強敵と戦っているのだ。外せば負けが確定してしまうような技を用いることなどできるはずがない。トライスターの消費マナは莫大だが、ポポはそれを最大三発は放つことが可能であった。  そう。怪力も高速移動も、あくまでポポの才能の片鱗でしかない。  常人の数倍はある圧倒的なまでの保有マナと、それを最小限の消費で最大限に使いこなす天賦の感性。  それこそが、幼い少女を聖騎士にまで押し上げた才能(スキル)であった。 「ちぃ!」  魔族はあわてて炎の盾を展開する。  だがそんなもので防げるほど、槌式はやわではない。  ポポは大きく振りかぶると、魔族の脳天目掛けてウォーハンマーを振り下ろす。マナをまとった鉄槌は炎の盾と激突、眩しい火花を散らすも――槌式の前では硝子細工も同然に破砕され、持ちこたえられたのは一秒にも満たなかった。 「ぐ――」  呻くような、絶望の声。  ポポの瞳に魔族が映る。  その顔は――  死ぬ。  これで私は、死ぬ。  村のみんなのように殺される。それはある意味では相応しい結末なのかもしれない。とても大事な人達だったのに、肝心なときに私は何も守れなかった。そんな役立たずの恩知らずが行き着く結末としては、むしろ上等だろう。  ……そうして、静かに、心は折れる。  あっさりと砕かれた魔法陣の盾の向こう――迫り来る裁きの鉄槌をしっかりと胸に刻み込みながら瞳を閉じて…………、……――心の奥底で、私は、オーラントの熱を感じた。 「……!」  そうだ。  冗談ではない。  こんな所で死んでたまるか。私にはまだ守らなければならない人がいるのだ。そのためには絶対に死ねない。死んでたまるか。生き残るためには――なんだってやってやる。  深く、深く意識を研ぎ澄ます。  こんなものではなかった。  かつての力、かつての戦術眼(タクティクス)、かつてのマナ、かつての自分。  あの方の配下としてこの世界で戦い、彼等とともに歩むことを誓った自分。……そうだ。あの頃の私の力は、こんなものでは決してなかった。  だから、もっと深く、深く、深く。  だからもっと、鋭く、鋭く、鋭く。  ゼロという存在の奥底に根ざした大きな扉。その錆びついた扉を、今、無理矢理にでもこじ開ける――!  ――その顔は、されど、決して諦めてはいなかった。 「……――!」  槌式が決まる瞬間、魔族から膨大なマナが迸る。それは物理的な力の奔流となり、ポポの小さな体を吹き飛ばす。すぐさま体制を立て直すポポだが――彼女の青い瞳は驚愕に揺れていた。  まるで別人のようにケタ違いなマナの爆発。  吹き荒れるマナの嵐はそれこそ深淵の中を覗きこむように底が見えず、ポポは思わず圧倒される。 「く――」  圧倒されたのは、一瞬だけ。  しかしそれは、致命的なまでの、一瞬だった。 「な……っ」  いつの間に近づかれたのか、目の前には魔族の異様が立ちふさがっていた。傷だらけで、血まみれで、とても戦闘に耐えられるようには見えないのに――不思議とその体に揺らぎはない。まるで幽鬼のような凄みすら伴い、魔族は黄金の瞳でポポを見下ろしている。 (瞬動術……いや、これは)  ただ単純に、速くて強い……!?  ポポは槌式を振り回す。だが魔族は右腕を伸ばすと、あろうことか素手で打撃部を受け止めてみせた。当然、受け止めきれるものではなく――その指、皮、肉、骨は削げて溶けて崩れていく。それでも魔族は表情ひとつ変えず、両腕に再度灼炎をみなぎらせ、そのまま打撃部を握りつぶし溶解させた。途端、拠り所を失ったトライスターのマナは霧散してしまう。 「――っ」  舌打ちすると、ポポは柄だけになったウォーハンマーを魔族の腹部へと突き立てる。魔族はそれを打ち払うことも避けることもせず――そのスキさえ惜しみ、逃がすものかとポポの右の二の腕を掴みとる。  ――文字通りの、焼きつくような激痛。  だがポポはその一切を表情に出すことなく、左拳にマナを集中。剛力無双の鉄拳を魔族の顎へと打ち込んだ。瞬間、腕の拘束が弱まる。ポポは高速移動で距離を取ると、炭化しかけている二の腕に水の精霊術で具象化した癒しの水をまとわりつかせた。治癒の術は、四大の中では水と大地が得意としている。  魔族は鉄槌の柄を焼き落とすと、力強く羽撃き再び接近してくる。――速い。単純な最高速度ならまだポポに分があるが、相手は無制限に空を駆けられる翼人なのに対し、こちらは高速移動のたびに相応のマナを消費する。すでにトライスターを二発も使っている今のポポの残量マナは心もとなく、長期戦は選択肢になかった。  ならば…… 「――!」  魔族が驚きに目を見開く。  ポポは決着を着けるべく、高速移動で逆に魔族へ突撃したのだ。左腕の鉄拳強化はまだ解除してはいない。ふたりの衝突速度がそのまま威力へ転化され、ポポの鉄拳は魔族の鳩尾(みぞおち)へと音を立てめり込んだ。 「――、……!」  血反吐の混じった呼気をこぼす魔族。だが、死なない。それどころか意識を奪うことすらかなわない。ウォーハンマーのときと違い今回はマナによる強化で防いだわけではないというのに、魔族は微笑さえ浮かべていた。 「……気味が悪いな」 「そうか?」 「そうだ」  ポポは蹴撃を打ち込むも魔族は身をひねり避わし、そのまま両手を合わせると炎を集束、砲撃を撃ちだした。絶妙なタイミングで放たれた烈火の魔術を回避すべく、ポポは高速移動で大きく後退する。  だが、魔族の追撃は終わらない。  高速移動を終えた直後を狙い新たに炎の魔術を起動。広範囲にばらまかれた火炎魔術は炎の津波となり、ポポを呑み込むべく夜空を燃やす。 「――っ」  ポポは咄嗟に精霊術で水壁を展開。なんとかこの一撃を凌ぎきるも、炎水の衝突により辺り一面は蒸気に覆われてしまう。 「しま――」  相手の意図に気づいた――その瞬間。  蒸気の闇より魔族の青年が現れいでる。その手に宿るは、炎の魔術。魔族は両手を掲げ、集束された炎は巨大な灼炎塊となり解き放たれる。  ポポはとっさに顔を覆い――直後、その全身を灼熱の魔術が包み込んでいった。 「――……」  …………遠ざかる意識の中、ポポは、師から聞いたある話を思い出していた。  魔族の中には飛び抜けて戦闘力の高い個体がいる。  彼等は一般の魔族に比べてはるかに長い寿命を持ち、さらに自らの存在を封印することにより、力の減少と引き換えに若さを保ち続けるものまでいるという。  そういう個体は限られているため滅多に遭遇することはないだろうが、万が一戦うことになったときは、死を覚悟して挑むべし。  その名は大魔族。  魔族を超えた魔族――――大魔族。  とさり、と音を立て、聖騎士の小さな体は地に落ちた。 「……」  その光景に、加藤マルクは言葉を失う。  茂みの中――加藤はポポの助けに入ろうとずっと機会を伺い続け、しかしその圧倒的な戦闘についぞ最後まで介入する機会を見いだすことができなかった。  完全に、加藤の力不足である。  だが己の無力さを痛感するより先に、加藤の中をひとつの感情が染め上げていく。  その顔には、いつもの穏やかな微笑みは、すでにない。 「……」  あの、ポポが……聖騎士ポポ・クラウディアが、敗れた。  それはにわかに信じ難い光景であり、体は戦慄に震える。加藤はポポ以上に強い存在を知らない。ポポをはじめとした聖騎士が負ける光景など想像さえしたことがなかった。それは盲目的な信頼ではあったが、同時に彼女たちの次元を超えた強さを知っているからこそでもあった。  つまるところ――  あの魔族もまた、加藤では及びもつかない高みに立つ強者であるということだ。 「――はぁ――――……、――はぁ――――……」  激戦を制した魔族もゆっくりと地上へ降りてくる。  茂みの中で、加藤はより息を潜めた。  ……魔族の全身は傷だらけであり、呼吸も荒い。消耗しきっているのは明らかだった。  特に酷いのは、ポポの必殺技を受け止めるなんて無茶を強いた右腕だ。もはや腕の形をなしてはおらず、ただ血を垂れ流すだけの肉の塊になっている。その状態でポポと戦っていたというのだから、加藤はただただ、その狂気に慄くしかなかった。 「……っ」  ――と、魔族が小さく呻き、彼の右腕は淡い光りに包まれていく。それは癒しの魔術なのか、傷は見る間にふさがり腕としての機能を取り戻していく。光が収まると、感覚を確かめるように、拳を握っては開いてを繰り返した。  だが、彼の顔は晴れない。  完治させるだけのマナが残っていないのか、まだまだ本調子には程遠いのだろう。全身の傷をすぐさま癒やさないのもそれが原因か。敗れこそしたが、ポポは魔族に深い爪痕を残したのだ。 「……」  ふいに魔族は目を見開く。  驚きの視線は墜落したポポへと送られて――やがて魔族は、呆れ混じりにつぶやいた。 「まったく……どうなってんだ、この娘は」  加藤も遅まきながら気がついた。  ポポにはまだ、息がある。  全身に酷い火傷を負い、意識を失いながらも……まだ、呼吸をしている。  だが、さすがにこのまま放置すれば助からないだろう。早急な治療が必要だった。 「……」  そう判断したのか、とどめを刺さずに魔族は踵を返す。  その背中へと、加藤は思わず飛び出して――声を投げていた。 「――待て!」 「……」  足を止め、振り返る魔族。  ただそれだけだというのに、背筋が凍る。いくら消耗しているとはいえ相手は聖騎士を倒した猛者なのだ。加藤ごときが手に負える相手ではない。せいぜいなぶり殺されるのがオチだろう。  そう理解していてもなお、このまま魔族から身を隠し続けることができなかった。  リリアナも、レミーも、ポポも、そしておそらくリヒトも。  みんな決死の覚悟で戦っているというのに、自分だけが隠れているなど、できるはずがない――! 「……」  魔族の黄金の瞳がうっすらと細められる。  満身創痍の肉体から、それでも戦闘のためのマナがじわりと滲み出しはじめ、加藤の意識はひりついた。  その恐怖を振り払うように――静かにロザリオに手をかける。  武器――  戦うための、武器。  精霊術師である加藤が、今、戦うために必要な武器。それは……手元にある。  ――ルーンセイバー。  主に精霊教会の黎明期に使われたという、マナを刃として具現化させる特殊武器。加藤のそれは普段はちょっと大きめの銀十字として首から下がっており、いざとなれば十字架の剣として、あるいは弓矢として機能する。  双子精霊を欠いた加藤の唯一の戦闘手段にして奥の手――それがルーンセイバーだった。 (――狙うなら、不意打ちしかない)  一見すると徒手空拳の加藤が、突如として剣を具現化させ斬り込めば、あるいは勝機が見えてくるかもしれない。圧倒的な実力差を覆すにはもはや、これしか手段はないように思われた。  だと、いうのに。 「――それはルーンセイバーか。……ずいぶんと懐かしいものを使っているな」 「な……!!」  愕然とする加藤。 (読まれた――、いや、知っていた!?)  現在の聖堂騎士の主流は実剣と精霊術の併用だ。ルーンセイバーは携帯の容易さや応用範囲の広さが売りではあるが、代償として使用時にマナをどんどん消費してしまう。肉体強化と精霊術に加え、ただ切り結ぶだけでマナを消耗していては、まともに戦うことすら難しい。いわば使用者をすごく限定する武器であり、加藤自身もルーンセイバーの起動時間はせいぜい五分が限界だった。  故に、黎明期を過ぎた頃にはすでに趣味の武器となっていたというが――…… (……これを使う者と戦ったことがあったのか……!)  強く、唇を噛みしめる。  万事休す――不意打ちすらできない加藤では、どう考えてもこの魔族を倒すことは不可能であった。  だがそれでも、聖堂騎士としての、意地がある。 「――」  加藤が意を決した、その瞬間。 「――おい」 「……!」  魔族が声をかけてくる。親密さなどもちろんないが、かといって敵意も悪意も感じられない。それどころか、どことなく敬意を含んでいるかのような声音だった。 「神父なら癒しの薬くらいは持っているだろう? その娘はまだ息がある。使ってやるといい。助かるかもしれないぞ」 「――」  思わぬ言葉に加藤は息を呑む。警戒心が上がっていく。 「……どうして、そんな事を?」  ポポを――聖騎士を助けることに魔族にメリットなんてない。必ず裏があるはずであり、いったい何を企んでいるのか見極めようと、加藤は鋭い眼差しを魔族へと向ける。  だが――魔族は軽く肩をすくめてみせるだけだ。 「さぁな。私にもよくわからんが……きっと、感動したのだろう」 「感動?」 「戦っていて、昔を思い出した。……そうだな。彼等に面影を重ねているのかもしれない。だから今、ここで死なせるのは惜しい」 「情けをかけるというのですか、魔族が!!」 「そうとってもらってもいいさ」  言うと、魔族は今度こそ踵を返す。  ばさりと、大きく羽撃いた。 「な、待て!」  だが、加藤の声が届くことはなく――――魔族は、夜闇に紛れて見えなくなっていった。      §  灼炎の塊が、ひとりの聖堂騎士を呑み込んでいく。  耳に響くキサラの絶叫に心の何処かで鈍い痛みを感じながらも、ヴェルガは勝利を確信する。ゼロと契約してからはじめての魔術行使であったが――その手応えは今までの比ではない。  これが魔族と契約をするということなのかと、ヴェルガの血肉は沸き立った。  だが―― 「……!」  炎に包まれたはずのオニイサマに、しかし目立ったダメージは見当たらない。まるで炎がこけおどしであったかのように、あっさりと灼炎の塊を突き破ってきたのだ。 「な――ッ」  驚くヴェルガ。  あの炎を喰らい無傷でいられるはずがない。そんな事、絶対に――ありえない。ありえないのに、目の前まで迫った聖堂騎士は突撃の勢いを利用し剣撃を繰り出してくる。ヴェルガはかろうじでナイフで受け流すも、その衝撃、一撃の重さは今までの比ではなかった。  舌打ちし、間合いを取る。  頬を大粒の汗が流れていく。 (どういうこった……!?)  オニイサマの剣撃に特に目立った変化はない。相変わらずの凡庸な一撃だ。  なのに、どうしてこう、――ここまで鋭く、重くなった!? 「はぁ!!」  戸惑うヴェルガの様子に好機を見たのか、一転して聖堂騎士は攻勢に転ずる。単調な連撃だというのに、やはりヴェルガはなんとか避わし、受け流し、身を守るのに精一杯だった。  あきらかに――相手の動きが、違う。  いや、それだけではない。  同時にヴェルガの動きもまた、急速に鈍く、脆くなっていく。 (くそ――、こんな!)  魔術はイメージだ。  幻想を具現化させ世界を侵すキセキのひとつ。あの時たしかに手応えはあったのだ。自らの想い描いた通りに炎は生み出され炸裂した。決して魔術の起動に失敗したわけではない。  ならば。だと、いうのなら―― (俺には……俺こそが、覚悟を……!)  考えられる答えはひとつ。  オーラント・ヴェルガには、この男を――人を燃やし殺すための炎が、イメージができなかったということだ。 「はぁぁ!!」 「ぐ――」  剣戟の火花が舞う。以前とは比べ物にならない鋭い一撃に、ヴェルガは呻く。  思い当たる節は他にもあった。  ずっと戦闘を優位に運んでいたヴェルガは、されど一度たりともこの男にまともな一撃を与えることができなかった。……もしも、その原因が無意識に人を傷つけることを避けていたからだとしたら。 「――くぅ!」  最初から、ヴェルガに勝ち目なんてなかったということだ。 (畜生……!!)  ヴェルガは毒づき、呪う。  こんな、情けない自分を――ただ、呪う。  一方でリヒトの闘志は一撃ごとに洗練されていく。剣を振りかぶるたびに迷いや戸惑い、その他諸々の弱い感情が削ぎ落とされていき――その都度、一撃の威力は確実に増していく。  いつしかリヒトは、魔術師を追い立て狩る側へと回っていた。 「この――!」  大きく剣を振り下ろす。紙一重で避わされた。  ――こいつはキサラを傷つけた。  振り下ろした剣をそのまま横に薙ぐ。今度はナイフに受け流された。夜闇に火花が散る。  ――こいつらは、魔術師。  後退る魔術師へとすぐさま追撃の一突きを叩き込む。  ――こいつらは世界を破壊する邪悪。世界に仇なす存在。だから、ここで倒さないとダメだ。それこそが自分たちの役目。聖堂騎士団としての――務め。 (だから!!)  ギン、と音を立て、リヒトの一撃がついに魔術師のナイフを弾き飛ばす。  慌てて後退しようとした魔術師は足をもつれさせ、尻餅をついた。 「……!」  それは魔術師にとっては致命的で、――リヒトにとっては、絶好の好機。  脳裏に飛来するのは燃える村。  助けてと言った見知らぬ少女。  リヒトはその腕を振り払い、手にした槍で胸を貫く。  赤くあかく赤くアカク、――世界が、染まる。  ――そうだ。  相手は魔術師。世界の敵。キサラを酷い目に合わせた、魔術師なのだ!! 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」  咆哮が響き渡る。  リヒトは魔術師の体へと突き立てるべく剣を振りかぶる。赤い世界。黒い夜空も深い森も目の前の仇敵ですらすべてが鮮血に染まっていく。――意識が、赤熱していく。  ――そんな、世界の中で。  リヒト・レイシアは、魔術師の前に両手を広げて立ちはだかる、誰かの姿を、見た。  ――お兄様。お兄様も……戦われるのですか?  ――うん。きっと、いつかはそうなると思う。  ――私は嫌です。お兄様には、危ないことはしてほしくありません。  ――ごめんな、キサラ。……それでも僕は、あの方の力になりたいんだ。  ――はぁ。ホント、お兄様は頑固です!  ――そうかな。  ――そうです。でも、仕方ありません。お兄様がそう仰るのでしたら――  私が、お兄様を支えてみせますから。  ――――……ひどく、静かだった。  わずかな風が片口までになった髪をさわりと揺らしていく。その場の誰もが、まるで時間に忘れ去られたかのように止まっている。呼吸さえ凍ってしまったかのような、とても寒くて冷たい静かさだった。 「――」  そんな静寂の中。  ヴェルガをかばうように飛び出したキサラは、驚きに顔を歪めながら、白い切っ先を見つめていた。剣……敵を斬るための武器。まだ真新しいソレは、今回の任務のために与えられたものだろうか。白い刃先はキサラの目と鼻の先で静かに震えている。 「……」  ――全身が震えている。  少しでも兄が剣を止めるのが遅ければ、今頃キサラはこの剣に斬り裂かれていた。自分で自分がわからない。どうしてそんな危険を犯してまで飛び出してしまったのか。あのまま黙って見ていれば、きっと自分は兄と一緒に大聖堂に帰ることができたのに。  なのに、兄がヴェルガを殺そうとしていると理解した瞬間に――体が動いてしまった。 「どう……して……」  同じ疑問は、兄の口からもこぼれていた。  信じられない事態に顔を青ざめさせながら、震える声で、妹を糾弾する。 「なぜ、そいつをかばうんだ、キサラ!!」 「お兄様に人殺しをさせたくありません!」  咄嗟について出た答えに、キサラは遅れて納得した。そうだ。自分は、兄がヴェルガを殺すなんて、嫌なのだ。それはつまり……キサラ・レイシアの中で、オーラント・ヴェルガという魔術師の見方が変わっていることにほかならない。  彼は――  彼等は―― 「そいつは――魔術師だろ」 「……っ!」  困惑する兄の顔が――キサラの胸に突き刺さる。  兄はこう言っているのだ。  魔術師は人間ではないと。  そしてそれは――数日前まで、キサラも思っていたことであった。 「……、……それは……」  キサラが答えようとした、その刹那。  ――突如として、目を覆うような閃光と熱量が場を眩ます。 「な――!」  思わずリヒトは目を細め――白くくすんでいく世界の中で、大切な妹が何かを言うのを、見た。だがその声が届くよりも先に、リヒトは後頭部に強烈な衝撃を感じ意識を狩りとられる。  ……しばらくのあと、意識を取り戻す。  顔を上げたその先には、すでにキサラの姿も、魔術師の姿もなかった。 「キサラ……」  リヒトは唇を噛みしめる。血がにじむほど、強く拳を握りしめた。  あと少しだったのに。  もう少しで、助けることができたのに。  なのに……  助け、られなかった……! 「キサラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」  リヒトは叫ぶ。  胸の奥に濁り続ける何かを吐き出すように、慟哭した。      §  ゼロはヴェルガとキサラを両脇に抱えながら、夜空を静かに飛翔していく。  眼下に流れる広大な森の風景に、ヴェルガは吐息をこぼす。  人間である彼に空をとぶための翼はない。飛行魔術を覚えればいつかは飛べるのかもしれないが、ゼロが風系の魔術を得意としていない以上は厳しい道程(みちのり)だろう。契約魔術は契約魔族の得意不得意に影響されるのが利点であり欠点でもあった。 「……」  ヴェルガはちらりと、横目でキサラの様子をうかがう。  金の髪に隠れてその表情は伺えない。  ……キサラの兄との戦いは、駆けつけてくれたゼロによってひとまずの決着を迎えた。  ゼロが得意の火炎魔術でオニイサマを焼き殺さなかったことが意外ではあったが――おそらくその手間さえ惜しんで逃亡することを選択したのだろう。ゼロの体には死闘のあとが無数に刻まれていた。  意外といえば……キサラの反応もまた、意外だった。  ゼロに担がれる際に、この女は何故か抵抗しなかったのだ。  目の前で倒された兄を涙をこらえた眼差しで見つめ、だけどすがりつくこともなく、なのに未練たっぷりの様子で――そのくせ結局、おとなしくゼロに従った。  いったい、この女は何を考えているのだろう。  ――と、ふいに高度ががくんと下がる。  驚きゼロの顔を見て――そこではじめて、ヴェルガは気がついた。 「……お前」  歯を食いしばり、必死の形相でゼロは飛んでいる。かろうじでつないだ命を、それでもなお振り絞るようにして、逃走のために黒い翼を羽撃かせている。  そうして、森の中、ゼロはゆっくりと着地する。  両脇に抱えたふたりを下ろすと、ふらりと立ちくらみ、膝をついた。 「……大丈夫なのか、お前」  身体的な負傷だけではない。まるで体の芯から――生命(いのち)の底から魂を吸われたかのように、やつれて見える。実際にはたくましい肉体はそのままなのに、ひどく、衰えたかのように錯覚してしまうのだ。  そんなヴェルガの心配を吹き飛ばすように、ゼロは穏やかに微笑んでみせた。 「ああ。私の方は問題ない。……それよりも急ごう。追手から少しでも離れたい」  歩き出すゼロ。  しかしヴェルガは動かない。同じく立ったままのキサラと、真っ向から視線をぶつけ合っている。 「……オーラント?」  ゼロは眉根を寄せるも、ヴェルガは応えない。  自分の中で処理できない何かを持て余しながら、同じように――だけど、強い決意を秘めた碧い眼差しと向かい合う。 「……お前、どうして俺をかばった」 「……わかりません。ただ、私は――貴方たちを、見極めなければなりません。魔族とはなんなのか。魔術師とはなんなのか。……その真実を、私は、知りたいんです」  言うと、キサラはゼロのあとを追い歩いて行く。  しっかりと、大地を踏みしめて。 「――ち、胸糞悪りぃ奴だ」  ヴェルガもまた、遅れて続く。  三人の道行く先は、月明かりもまばらな夜の森。  深くて暗い、闇の中。  ――夜明けはまだまだ、先のことだった。  つづく 【あとがき】  ご愛読ありがとうございました!  チラ裏先生の次回作にご期待ください!!  ……というネタはおいといて、これにて第一部完。  次回は――しばらく間があくかも。できれば秋には再開したいところだけど、さて。  とりあえず、もうちょいキサラたちにお付き合いいただけると嬉しいです、はい。