b.H.ヒストリア外伝 『Hello World』 【前回のあらすじ】  キサラ、着替える。  第4話 征伐と残り火  安宿の食堂には、ほんわり甘い香りが漂っている。  時刻は午後――陽も傾きかけてきた頃。  昼食はとうに終え小腹がすいてくるような時間帯に、この甘美な香りに逆らえるものは稀だろう。事実、今か今かとよだれを堪える冒険者たちの姿が食堂にはある。  厨房に立つのはひとりの少女だ。  肩口で切りそろえた金髪を三角巾でまとめ、漆黒のワンピースの上から白いエプロンを身につけた十代半ばの少女。彼女はどこか楽しそうに厨房を駆け回っている。  彼女の名前はキサラ・レイシア。  作っているのは、アップルパイだ。 「……よし」  小さく頷くと、キサラはオーブンよりパイを取り出す。見た目も匂いも問題ない。焼きたてパイの香ばしさは、キサラも納得の会心の出来であった。  キサラはパイを小さく切り分け、用意してあったお皿に盛り付けていく。  飲み物も用意したし、あとはテーブルへ運ぶだけ―― 「ふむ」 「あっ」  ふいに後ろから伸びてきた手がアップルパイをひとつまみする。慌てて振り返ると、そこにいたのはいつの間にやって来たのか魔術師の少年――名前はたしか、オーラント・ヴェルガ。釣り上がった赤目にボサボサ黒髪の、一見するとそこらの路地裏でたむろしていそうなガラの悪い少年である。もっとも、その正体は世界の破滅を宿願とする魔術師であるのだから、比べられたら不良たちも困ってしまうだろうが。  ヴェルガは「あっちぃ」と顔をしかめたものの、キサラが止める間もなくアップルパイをパクリと頬張ってしまう。さくさく。もぐもぐ。ごっくん。浮かぶ顔は、終始しかめっ面であった。  そうして食べ終わってからたっぷり十秒、舌なめずりをしながら、ぽつりと、言う。 「……甘すぎるな」 「な――!」  唖然とするキサラ。 「か、勝手に食べといて何を言っているんですか、貴方は!」 「ちっ、うるせーな。別にいいだろ」 「いいはずないじゃないですか! だいたいそれは、あの方たちに頼まれて作ったものですよ!? 貴方にどうこう言われる筋合いはありません!」  食堂を見るキサラの先には屈強な男たちの姿があった。ヴェルガも顔を見たことがある。たしか……宿に寝泊まりしている冒険者だ。あきらかに凄腕だぞと言わんばかりの筋骨隆々とした男たちは、まだかまだかとアップルパイを待っていた。  ……と、いうか。 「ちゅるるる……ん、んぐ」 「……」  ヴェルガは顔をしかめる。  冒険者グループの隣の卓で、カップ麺を美味しそうにすすっている見知った男の姿が目に入ったのだ。それは本当ならこんな所で見かけていい姿ではなく、――それを言うなら、そもそもキサラが厨房に立っていること自体がおかしかった。 「おい」 「なんですか」 「なんでお前、外に出てるんだ」  キサラ・レイシアは人質である。  精霊教会の象徴ともいえる風の聖女を受け継ぐはずであった彼女は、大聖堂を強襲した魔族の青年ゼロの手によりさらわれて――今に至る。当然、キサラに自由行動なんて認められていない。常にヴェルガかゼロの監視下におかれ、部屋から出ることさえ許されていないのだ。  今日も偵察や買い出しで午前中から外出していたヴェルガにかわり、ゼロが少女を見張っている、はず、なの、だが。 「……あのヒトがカップ麺を買いに行くから、同行しろと」  自分の言葉にイマイチ説得力がないことを理解しているのか、キサラの声にも困惑が滲んでいる。ヴェルガは大きなため息をつくと、カップ麺をすすっている青年――黒コートを脱ぎ、赤いシャツ姿のゼロの元へと大股で向かっていった。  ノッシノッシという擬音の似合う、いい歩きっぷりである。 「何してんの、お前」 「――んぐんぐ、んぐ」 「飲み込んでから喋ってくれ……」  げんなりしているヴェルガ。 「んぐ。――見ての通り、カップ麺を食べている。醤油だ」 「そういうことじゃねぇよ」 「冗談だ。……ふむ、どこから話すべきか……。……まず、私はカップ麺の補充のために売店へと赴いたのだが――」 「赴くな。まずそこから間違ってるだろ」 「――そこで私は何やら悩める冒険者たちと遭遇した。どうも彼等は一仕事を終えたあとらしく宿に頼んで軽食でも作ってもらおうとしていたらしい。しかし思ったよりも料金が高く、踏ん切りが付かない様子だった」 「ああ、まぁ、ボッタクリだしな。てか外食すればいいだろ飯なんか」 「いいリンゴが手に入ったそうだ。食べないともったいない。そんな彼等へあの娘が声をかけた結果――ご覧の通りとなったわけだ」 「……」  ことの成り行きに、ヴェルガは頭を抱えてみせた。  ……どこから突っ込んだらいいのかわからない。キサラを連れ出すこと、彼女をひとり厨房に立たせたこと、すべて一歩間違えれば逃走劇に発展してもおかしくはなかったはずだ。そうならなかったのは、運が良かったのか、キサラが意気地なしだからなのか――  ヴェルガは冒険者達に聞こえないようにこそこそと話しかける。 「お前な……もしもあいつが逃げ出そうとしたらどうするつもりだったんだ」 「ちゅるり。……ん、それはないだろう」 「なんでそう言い切れるのさ」 「ん。だって――」  一方、話し込む魔族と魔術師を横目で見ながら、キサラは思う。  ゼロとヴェルガ。その関係性はまるで兄弟のようだ。どこかズレた兄を真面目な弟が呆れつつ支え、まだ未熟な弟を兄が見守り導いている――そんなふうにさえ見えてくる。  そんなふたりが、怖い。  そう感じてしまった自分が、怖い。  まるで当たり前の人間のように行動するこの異端たちの存在が、キサラは恐ろしくてしかたがなかった。 「……どうぞ、アップルパイです」 「おお、うまそうだ! ありがとうなお嬢さん!」  テーブルに料理を運ぶと彼等はみな笑顔で頬張りついてくれた。沈んでいた心が、ちょっとだけ温かくなる。自分の料理で誰かが笑顔を見せてくれる。それはやはり、とても幸せなことで、とても嬉しいことだとキサラは思った。 「ん、んまいな。やるなぁお嬢さん。どうだ、うちのチームに入らないか?」 「え――」 「おい!」  半眼で冒険者を睨むヴェルガ。 「はは、冗談だよ冗談。この子みたいな器量良し、そうそう手放すはずもないしな!」 「そういう意味じゃなくてだな」  豪快に笑う冒険者に、ヴェルガはどこか気圧されながら抗議する。こういう筋肉の塊みたいな粗野な男は苦手だった。  と―― 「それに……お嬢さんたち、旅人じゃないな? 髪も肌も綺麗すぎる」 「……っ!」  息を呑むキサラ。  ヴェルガは怒気を滲ませて、警戒もあらわに冒険者をけん制する。 「――あんたらな」 「は、冗談だって。余計な詮索はしない、それが俺たちのルールってもんだ」  肩をすくめる冒険者。 「……」  キサラはふと思う。  ここで彼等に事情を話し、助けを求めたのなら――……もしかして…………  ……――ダメだ。そんな事をすれば魔族が黙っているはずがない。彼は聖堂騎士たちを何人も血の海に沈めた恐るべき男なのだ。見ず知らずの人たちを命がけの危険に巻き込むわけには、絶対にいかない。 「――っ」  キサラはぎゅっと唇を噛みしめる。  そんな少女の懊悩を見透かしたように――ゼロは薄く笑みを浮かべていた。  アップルパイをたいらげた冒険者たちはキサラに礼を言うと、部屋へと引き上げていった。  キサラはというと調理の後片付けを行っている。宿の利用規約でも厨房を借りたなら片付けまで行うことになっているし、キサラ自身もきちんと洗い物をしないとどうにも気分が落ち着かない。  食器を一枚一枚、丁寧に洗っていくキサラ。  そのくせスピードはおそくなく、ヴェルガはキサラの手際の良さに感心した。 「お前、慣れてるのな」 「ずっとやってきましたから」  レイシア家の台所はキサラが切り盛りしてきたのだ。こんな事くらいは朝飯前でありことさらに誇る気はない。というか、魔術師に褒められても嬉しくはない。 「……」  いつも自分を褒めてくれていたのは――お兄様。  心優しい騎士見習いの、リヒト・レイシア。  兄は今頃どうしているのだろうか。もう、自分が魔の者にさらわれたということは知っているのだろうか。知っていたならきっと、無理をしてでも助け出そうとしてくれるはずだ。  だから……兄が何も知らないことを、キサラは祈る。  兄が魔術師たちとの抗争に巻き込まれてしまう。  それは彼が聖堂騎士団への入団を決めたときからキサラが危惧していたことだ。優しい兄は戦いが苦手だというのに、凶悪な魔の物を相手にはたして刃を振るうことができるのか…… 「――」  ふいに恐ろしい映像が脳裏に浮かぶ。  魔族ゼロ。  大量の聖堂騎士を倒して回った彼の炎に、兄が焼かれ―――― 「――!」  ふるふると強く頭を振る。  嫌な想像を追い出すように、そんな未来は訪れないとすがるように、キサラは努めて洗い物へと集中する。  しかし、それでも、兄を心配する心は変わらない。  漠然とした不安を消し去るように、キサラは祈った。 (お兄様、どうか、ご無理はなさらないでください……)      §  魔族というものは大きく五つの種族に分かれているという。  ひとつは魔人。冥帝ヘルを魔王に仰ぐ、赤や青といった特異な肌の色をした魔族たち。  ひとつは翼人。魔王シヴァを仰ぎ、空を舞うための翼を隠し持つ魔族たち。  ひとつは堕人(おびと)。黒死将ハルシャギクを仰ぐ尾を生やした魔族たち。  ひとつは獣人。闇元帥ラセフォールが率いる獣の力を持った魔族たち。  そして最後に――鬼人。  東方の魔王と恐れられる夜姫カグヤのもと、彼等は五百年ほど前に聖王国の大地の都を攻め滅ぼし――この世界より大地の大半を奪い去った。世界滅亡の危機は、風のマナで残された僅かな大地を浮遊させることでなんとか回避できたが――魔族は間違いなく、この世界を一度は滅ぼしかけたのだ。  そんな魔族たちを信仰し、滅びさえ願う。  魔術結社というのはつくづく理解できないと、リヒト・レイシアは強く思う。 「……」  夜――  昼間は普通の村に偽装した魔術結社も、その正体を表す時間。  集落の広場では複数人の黒フードの男たちが集い、巨大な炎を囲み何かの儀式を執り行っている。それが何を意味するのかはリヒトにはわからない。だが、遠く離れた茂みの中、彼等の様子をうかがうリヒトたちにさえその異様さはひしひしと感じられた。  なんというか――空気が違う。  リヒトは風の精霊と交感したことがないので、あまりどうこう詳しく言えるような立場ではないのだが、それでも彼等を取り巻く空気は澱み、風は濁っているとわかってしまう。一流の騎士であるポポや加藤なら、より詳細にその邪気を感じ取れていることだろう。  事実――ポポたちの目つきは厳しかった。 「……リヒト君。あれを御覧なさい」  加藤マルクが黒フードのひとりを指さした。  儀式は佳境に入ったのか、その大柄な人物は一歩進み出るとフードを脱いで――側頭部より角の生えた異形をあらわにする。瞬間、リヒトの全身は恐怖に震えた。角の生えた男。人ならざる者。世界の敵――……魔族だ。 「どうやらハズレみたいだ」  ポポはさして感慨もなさそうに、魔族を見て言う。 「あの男は鬼人。キサラ様をさらったのは翼人。ひとつの魔術結社に複数の魔族がいる可能性はほぼないから、別の魔術結社の仕業と見ていいだろう」 「そう……なんですか?」 「結社に比べて魔族の数が足りてないんだ。だから魔族のいない魔術結社も多い。……逆に例外もあるけどね」 「例外?」  首を傾げるリヒトに、加藤はつぶやくように、その名を言った。 「……魔術結社ソーサラー。始祖の名を冠する、最古にして最大、最悪の魔術結社……」  加藤の声は、昏い。  穏やかな顔はそのままなのに――いや、そのままだからか。まるで得体のしれない凄みすら感じてしまう。 (この人たちは……騎士、なんだ)  ポポも加藤も、数々の戦功をあげてきた偉大な騎士であるという事実に、いまさらながらリヒトは圧倒される。彼等に置いていかれないようしっかりと付いていかなければならないと、リヒトは握る拳に力を込めた。  とはいえ、リヒトの任務は戦闘そのものではない。  キサラ・レイシアの捜索。それがリヒトに与えられた命令だ。この集落にキサラがいる可能性は限りなくゼロに近いらしいが、それでも何かしらの手がかりはあるかもしれない。戦闘の混乱に乗じその足跡を探すのがリヒトの役目であった。  とはいえ――魔術結社に乗り込む以上、戦闘に巻き込まれる可能性は高いだろう。  そうなったとき、はたして…… (僕は……戦えるのか? 彼等と)  緊張と不安に胸が痛む。  だが、はたしてそれはどちらの意味なのか。  魔術師との実力差を危惧しているのか、それとも――……もっと別の何かなのか。 「ポーたん!」  ふいに上がる少女の声。  元気よく、あるいはおずおずと挙手しているのは、加藤の付き人を務める双子少女だ。 「私たちは何をすればいーのー?」 「――君たちは加藤の指示に従っていればいい」 「……わかり、ました」  元気なリリアナとお淑やかなレミー。この小さな女の子たちも戦いを前に少しも気負っている様子がない。それは子供故の無知なのか、戦場に慣れてしまっているからなのか。どちらにしろ、やはり子供を戦いに参加させることはおかしいのではないだろうか。 「あの――」 「ん、どうした?」 「いえ、その………………その、木箱は?」  以前ポポに説得されていることもあり言い出しにくく、リヒトは視線を彷徨わせ――ふと目に止まったのは、馬車からずっとポポが背負ってきた頑丈そうな木箱だ。木箱にはポポ直筆と思われる、羽の生えたウサギともネコともとれる謎の可愛らしい生物のイラストが描かれている。なんというか、ある意味では双子以上に戦場に似つかわしくないファンシーな代物であった。 「竜だ」 「竜!?」 「好きなんだ……竜」 「はぁ」  色々と共感しかねるセンスにリヒトは曖昧な返事を返す。  ポポはしばらく得意気にしていたが、リヒトの淡白な反応に頬がうっすらと赤くなっていく。わずかに眉根をしかめると、こほんとわざとらしい咳払いをした。  木箱を担ぎ直して、言う。 「これはだね、君にとっての槍と同じだよ」 「……? それって――」 「――そろそろ頃合いだ。……準備はいいか?」  ポポは静かな顔と声で一同を見回す。加藤は、双子少女は、力強く頷いた。最後にリヒトも、息を呑みこくこくと頷いて――…… 「それでは、行こうか」  次の瞬間、魔術結社たちの儀式場に爆風が舞い上がる。たった一瞬で距離を詰めた聖騎士は、威風堂々先陣を切り与えられた使命を担う。  聖堂騎士団による、魔術結社征伐のはじまりであった。      §  突風とともに儀式場は吹き荒らされる。炎は舞い散り近くの家屋に焼け移り――夜は瞬く間に赤く赤く赤く赤く燃え上がっていく。  その中心に立つのは、小さな影。  まだ初等教育を終えたか終えてないかという年頃の青髪青目の少女――ポポだ。 「……」  ポポは静かな眼差しで戦場を見回していく。  いまだ状況を把握できていないのか、魔術師たちは困惑に顔を歪めている。まるで心地よい夢から強制的に醒めさせられたかのような、間の抜けたな面構えだった。  そうして――いち早く事態を理解した誰かが、かすれた声で、つぶやいた。 「征、伐……」  それが呼び水となったのか。魔術師たちは顔色を変える。それは各々微妙にニュアンスの異なる表情ではあったが、簡潔にまとめてしまえば「絶望」の一言で足りるだろう。  彼等は感じ取っているのだ。  ポポ・クラウディアが巡らせているマナ。その莫大さ、文字通りの次元(レベル)の違いを感じ恐怖し怯えている。何をしたって敵わない。問答無用の絶望感は、魔術師たちから抵抗しようという勇気さえ軽々と奪っていった。  今まで他人事だと思っていた未来。  警戒はしていても、自分たちは大丈夫だろうとたかをくくっていた未来。  それが今、裏返ろうとしている。  だが―― 「鎮まれ!!」  儀式場に轟く声に、魔術師たちはハッとする。  ――魔族。  魔術結社の頂きに立つ鬼人の男は、周囲の視線を集めながら悠々と歩み出ていく。聖堂騎士を前にしても微塵も揺るがないその姿は、魔術師たちの折れかけた心を奮い立たせるには十分だった。 「――」  ポポもまた、魔族と視線を交じらわせる。  男の鋭い眼光と、少女騎士の冷たい瞳。両者の眼差しに乗せてマナがぶつかり合い戦場の空気は一変する。魔術師たちは戦慄した。自らが崇める盟主の実力に。そして、そんな盟主と渡り合う――この、幼い少女の底知れなさに。  吹き荒れるマナの嵐に実体はない。  赤く燃える夜は、されど静かで――だからこそ、魔術師たちはどうしようもない不安と恐怖に駆られていく。  その一方で、魔族は大胆不敵に哄笑した。 「く――はは、はははは! これは久しぶりに愉しめそうだなぁ、騎士よ……!」  直後。  魔族の体からマナが迸る。ただでさえ大柄な男であったが――それが一回り、二回りは大きくなったかのような錯覚さえ抱いてしまうほどの力の開放。人類を凌駕するもの、魔術師たちの長たる男の姿が、そこにはある。  しかし、ポポの態度に変化はない。  相変わらず淡々と、無感情の青い瞳に魔族の姿を映しながら――小さく、口を開いた。 「一応聞いておくけど」 「ぬ――」 「……キサラ様をさらったのは、君たちではないだろう?」 「キサラサマ?」  眉を顰める魔族。  その反応だけで十分だ。ポポは背負っていた木箱を降ろすとフタを開け、何かを取り出していく。まず出てきたのは柄(グリップ)だ。次に取り出したのは人の頭ほどの大きさの鉄球。最後に、両者をつなぐようにジャラリ……と音を立てて鎖が現れる。  次の瞬間――  ポポは豪快に鉄球を振り回す。しっかりとグリップを握り、大きく右腕を旋回。五メートルはあるだろう鎖が軋みを上げ、遠心力で鉄球もまた大きく旋回していく。  木箱にて運搬された、ポポ・クラウディア愛用の武器。  それは鎖付き鉄球――メテオハンマーとも呼ばれる、質量兵装であった。 「な――!」  その小さな体では到底不可能な動作(パワー)に魔族も魔術師たちも目を疑う。しかしそれはまぎれもない現実で――ポポは表情ひとつ変えることなく鉄球を魔族へ向けて叩きつけた。 「く!」  魔族は慌てて避ける。見た目に反した素早い動きだったが、代わりに鉄球は彼の後ろにいた魔術師に直撃してしまう。すると鉄球からマナの刺が生え、さらに高速回転。鉄球の衝突だけでも即死だったろう魔術師の体は飛散し、無残な肉塊へと変わり果てていく。 「……ぁ」  一瞬の、静寂。  そうして――  悲鳴。絶叫。怒号。それぞれがそれぞれの叫びを上げ、魔術師たちは逃げ出していく。彼等にもはや鬼人の勇姿は映らない。なにせ仲間のひとりが目の前でミンチにされたのだ。その恐怖は筆舌に尽くしがたく、目の当たりにした異様な光景はわかりやすい死の恐怖となって魔術師たちを襲っていた。 「……」  鬼人の男もまた、強く歯を食いしばる。  鍛えられた大の男でも振り回すのに苦労するだろう鉄球を、あんな小さな少女が軽々と、しかも片手で振り回している。それを可能にしているのはおそらくマナによる肉体強化だ。体内のマナを用い身体能力を強化する術は戦士として必須の技能ではあるが――ここまで途方もない強化を見たのははじめてだった。  それを平然とやってのける、この、少女は――!! 「――お前は……何者だ」 「聖騎士(ホーリーナイト)、ポポ・クラウディア。……覚えなくてもいいよ」      §  憐れに逃げ惑う魔術師たちであるが、精霊教会の征伐からは何人たりとも逃れることはかなわない。  なぜなら、彼等の前には加藤マルクが立ちはだかっていたからだ。 「く、どけぇ!!」  ひとりの魔術師がとっさに加藤めがけて風刃の魔術を放つ。相手は神父だ。背こそ高いものの、その体には戦士特有の筋肉の盛り上がりは伺えない。戦場に似つかわしくない穏やかな顔もあわさり、恐怖に追われた彼が魔術による排除を選択したことは至極当然とも言えるだろう。  もっとも――  ポポ・クラウディアが幼い少女とは思えない戦闘力を有しているように、この加藤という元神父もまた、ただの優男ではない。 「トリニカ・トカ・ヴトゥカ。風よ――!」  声とともに加藤の全身より豪風が放たれる。それは風の壁となり魔術の刃をやすやすと打ち消した。さらに豪風は収まらず、魔術師たちを吹き飛ばし風圧で押しつぶすようにして身動きを封じていく。  まるで意思を持ったかのような、あまりにも不自然な風の動き。事実、戦場を吹き荒れる豪風はひとりの男に支配されていた。  加藤を睨み据えながら、魔術師は呻く。 「……精霊術師、か!」  魔の力を借りるものを魔術師と呼ぶように、精霊の力を借りてキセキを体現する者を精霊術師という。魔術師と違い彼等は術者の属性に限定されるものの、より強力な術を行使することが可能だという。  例えるなら、魔術は広く浅く、精霊術は狭く深く。  そのような違いはあるものの、自らの想像を具現化させる――という意味では両者は同じだ。なので、術師同士の戦闘ではその力量差が如実にモノを言うことになる。  つまり――これが精霊術によるものならば、魔術の力で対抗できるはずなのだ。 「ぐ、ぬう……うおおお……ッ!!」  魔術師は風への干渉を試みる。  必死の形相だった。地べたに這いつくばりながらも、持てる力のすべてを振り絞り風の重圧を振りほどこうともがいていく。そんな男を、しかし加藤は穏やかな表情さえ浮かべ、くすりと微笑んで……  ごきり、  と、風の重圧を強めその両足を粉砕した。 「が――ぎゃあああああああああああああああああっ!!」  悲鳴をあげて悶える魔術師。加藤はさらに彼の両腕を押しつぶす。両手両足の骨を粉々にされた魔術師はのたうちまわる。いつの間にか、彼だけが風の重圧より解放されていた。 「ふ――はぁ、あ、ああ……」 「……」  息も絶え絶えの魔術師を悠然と見下ろしながら、加藤は言う。 「――懺悔なさい。自らの過ちを認めるのなら、精霊もまたあなた方に多少の救いを与えてくださるでしょう」  まるで断罪者。  罪深き男を裁く正義の体現者が、そこにはいた。  しかし―― 「……だ、れ、が」  魔術師にも意地がある。彼は精一杯のつよがりを浮かべると、不敵に微笑んでみせた。 「誰が、テメーらなんかに頭を下げるかよ……! この、糞野郎ども!!」 「そうですか」  加藤は彼の態度に特に何も感じ入るものはなかったのか――微笑をたたえたまま魔術師の頭を粉砕する。  まるで叩き潰されたトマトのように、魔術師の命はあっさりと潰えた。 「――」  血の匂いが漂いはじめるなか、ゆっくりと風の重圧は解かれていく。  為す術もなく倒された仲間の亡骸を目にしながら、魔術師たちは、ふらふらと立ち上がった。 「さて。……あなた方はどうしますか?」  格の違いを見せつけた神父は言う。  ……魔術師たちは動けない。おそらく仲間の仇討ちも、戦場からの逃走も、この神父の前では至難の業だろう。進退窮まるとはまさにこのことだった。  その時だ。  後方で――儀式場で大きな爆炎が上がる。鬼人と少女騎士が争っていた場所だ。何があったのかはわからないが、彼等は自然と何があったのかを理解していた。  偉大な盟主は少女騎士に屠られた。  そんな、昨日まで想像すらしていなかった事態を、魔術師たちはあっさりと受け入れてしまった。押し寄せる絶望と恐怖は、彼等に最後の決断を迫っていく。  すなわち、少女騎士に殺されるか、精霊術師に殺されるか。 「――」  ――いや。目の前の相手はしょせん精霊術師なのだ。鉄球を軽々振り回すような人外(バケモノ)ではない。いくら強力ではあっても、あくまでも人間の規格内の存在にとどまっている。  ならば、生き残るためにやることは、決まっている。 「……」  残された魔術師たちは、互いに頷き合う。  一縷の望みにかけ、魔術の詠唱を開始しようとした、その直後――  ――――――――さわりと、風が吹く。 「うわわ。敵さんがいーっぱいだね、レミー!」 「リリアナ……ダメだよ、先生の邪魔したら」  物影よりひょっこり顔を出したのは双子の少女。加藤マルクの専属従者である、リリアナとレミーであった。 「――!」  魔術師の動きは早かった。双子の少女は騎士甲冑も着ていなければ、武器を持っている様子もない。彼女たちは戦力外だと判断し、あっという間に少女に飛びかかるとふたりを羽交い締めにして捕らえてしまう。  人質、だった。 「はは、――おい、精霊術師。このガキンチョの命が惜しければ、おとなしく――」 「リリアナ。レミー」  魔術師の声を遮り、加藤マルクは口を開く。  この期に及んでなお、いつも通りの、穏やかな表情だった。 「いいよ。やっても」 「――いいの!?」 「……本当、に?」  リリアナは元気よく、レミーはおずおずと、加藤を見る。加藤は頷いて応えた。 「あはっ――ねぇ、おじさん」 「おじ……!?」  魔術師を見上げると、リリアナは満面の笑みを浮かべて、言った。 「死ね」  ……それが魔術師の男が聞いた、生涯最後の声だった。  次の瞬間、男の体は少女たちから生じた風に斬り刻まれていた。精霊術による風の刃だ。双子の少女たちは呪文も何もなしに強力な精霊術を発動させたのだ。  普通、人が精霊術を発動させるには呪文が必要となる。精霊との交感が術の起動には必須だからだ。  その過程を省略できるとなると、それは―― 「こいつら!!」  魔術師のひとりが炎の魔術を放つ。それは少女のひとりに命中し、肘から先を消し炭に変えた。しかし少女は泣き叫ばない。苦痛の声さえあげない。渦巻きはじめた風の中心に、ただ俯いたまま立ち続けている。  そして、魔術師たちは見た。  焼き落ちた少女の腕に光の粒子が集まり――腕が、再構成されていくのを。 「せ、精霊……!」  慄く声が、彼女たちの正体を暴く。  ――精霊。  その存在は広く知られていても、彼女たちを実際に見かけたことがある者は少ないだろう。非実体としてならそれこそ世界中のどこにでもいると言われているが――彼女たちを感じ取るにはある種の才覚を必要とされており、まして実体を伴って人界に現れることは珍しい。  彼女たちの肉体は仮初のものだ。  精神生命体である彼女たちにとっては精神体こそが本体であり、物質体は物質世界に直に干渉するための手段でしかない。故に、いくら破壊されようと再生する。その心を――精神を挫かない限りは精霊に有効打は与えられない。  とはいえ、仮初めの肉体だろうと破壊されれば少なからず心に傷を負ってもおかしくはない。なのに、微塵も揺るがず、動じず、自らの腕を再生するなんて――……! 「こいつら――」  言葉はそこまで。  双子が放った風の刃が魔術師たちの首を跳ね飛ばす。あるいは腕を。あるいは足を。腹を。耳を。指を。乱れ飛ぶ刃は、しかし正確に魔術師のみを屠り続けていく。  瞬く間に、戦場は血の海に沈んでいく。 「きゃは――」 「きゃはは――」  鮮血の世界に哄笑が響く。  双子精霊は顔を上げる。ふたりの表情は、先ほどとは似ても似つかない――ぎょろりと目を見開き、血の愉悦に歓喜する、悪鬼羅刹の如き殲滅者の顔であった。 「きゃはははははははは!! きゃははははははははは!! 楽しい、楽しいね!!」 「うん、すっごく楽しい! ほらほら、もっと頑張ってみなさいよ!! きゃはははは!」  もはや、どちらがどちらかもわからない。  彼女たちは元の人格すらかき消えてしまったように――あるいは、こちらが本来の姿なのか。狂嵐の殺戮者となった双子少女たちは、嬉々として魔術師たちを殺し回っていく。 「……」  その光景を、加藤マルクはあたたかな眼差しで見守っていた。足元に転がる躯には祈りすら捧げず、穏やかな微笑を浮かべ続ける。  何故なら、加藤は元神父だ。  魔術師へ祈る心など、持ちあわせてはいなかった。      § 「あの子たち、精霊だったのか……!」  リヒトは荒れる戦場を横目に集落を駆け抜けていく。  双子精霊の巻き起こした風により炎はなおのこと燃え広がり、もはや集落は阿鼻叫喚の有り様だ。それは魔術師だけの話ではない。集落で暮らしている人々――魔術結社の構成員すべてが、征伐から逃れようと必死だった。  炎の夜。  一見するとただの村人でしかない彼等が、自分を見ると恐怖に泣き喚き逃げていく。 「く……!」  胸の奥に芽生えた感情を押し殺し、リヒトは村長のものと思わしき一際大きな家屋へと踏み込んでいく。リヒトの役目はキサラの足跡を掴むことだ。おそらく何もないだろうが――それならそれで、しっかりと何もないという確証を得られるに越したことはない。  あるいは本当に――何がしかの手がかりがある可能性だってある。  キサラのためにも手を抜くことなどできるはずもない。 「……」  家の中には誰も居ない。おそらくもう逃げたのだろう。……槍を握る手に汗がにじむ。もしもここに誰かがいた場合、自分はどういう手段を選んだのだろうか。 「……ん?」  書棚を漁っていると、ふと、一冊の本に目がいった。村長が記したこの集落の記録だった。リヒトは妹の手がかりを求めそれを開き――愕然とした。  ここは元々、ごく普通の平和な村だった。  しかしある日突然、魔族と魔術師たちがやって来た。  彼等はあっさり集落を占領すると自分たちの拠点とした。集落から出ることは禁じられ、逆らえば殺される。どうしようもない絶望の中、生きるために、村人たちは魔術結社に協力するよりすべはなかった。  お願いだ。  誰か助けてくれ。  精霊のご加護を、どうか私たちに――――! 「……」  リヒトはふらりと、家を出る。  集落は燃えている。風に煽られ炎は広がり、村人たちは逃げていく。彼等は知っているのだ。今宵何が起こっているのか。リヒトたちがどういう目的でここに来たのか。彼等にとって自分たちは救い主ではない。命を狩りに来た死神なのだ。 「……」  力ない足取りでリヒトは歩いて行く。  どこに向かっているのか自分でもわからない。ただ炎と血に染まる世界を、意味もなく彷徨った。  そして―― 「ぁ……」  ドンと、誰かにぶつかってしまう。相手はよほど慌てていたのか受け身も取れずに盛大に転倒した。誰かは少女だった。顔を上げた彼女と目が合う。年の頃ならキサラと同じくらいだろうか。素朴で可愛らしい女の子だ。  リヒトは彼女を助け起こそうと手を伸ばし―― 「ひっ、ああ……」  少女は恐怖に顔を歪め、這うようにして後退った。 「――」  リヒトは無言だ。  何を言えばいいのか、何をすればいいのか。自分の立場が、なすべきことがあやふやになっていく。ここはどこだ。相手は誰だ。自分は誰だ。ここは魔術結社。魔術結社に侵略された人々の住む村で、この子は魔術結社に無理やり従わされていた女の子で。  そして、自分は――……  その時だった。 「……た、助け、て……」  か細い声。  だけど確かに聞こえた、少女の声。  リヒトの耳に届いた――届いてしまった、少女の声。 「……」  だから、リヒトにはもう、それ以上は無理だった。  相手は魔術師ではない。それどころか自分たちが庇護すべき被害者だ。そんな少女に向ける剣など持ちあわせてはいない。そう――自分が何をすべきなのか、今ならわかる。リヒトの思考は今までのモヤモヤが嘘のようにクリアだった。  改めて、リヒトは手を差し伸べる。 「――安心していいよ」 「え……」 「僕は、君たちを助けに――」  ――瞬間だった。  リヒトのすぐ側を鉄球が飛んで行く。耳に残る轟音と共にそれは少女の顔面に命中し、砕き、弾け、破壊し――――……首から上を肉塊とかした少女は、力なく倒れ伏した。 「……」  ビチャリと、顔に生温かいものがこびりつく。  それが何であるのか、リヒトは確かめられない。心が震えている。だが体は動かず立ち尽くす。予想だにしていなかった事態に意識が追いつかない。……何が起こったのかはわかる。目の前の光景がすべてだ。少女は死んだ。あまりにもあっけなく、この上もなく無残に、その命を撒き散らした。  だというのに、彼の意識はそれを拒絶する。自分たちの行っていることから目をそらす。 「ぐ、ふ――」  硬直していたのはどれくらいだったのか――  唐突にリヒトは口元を抑える。身体の中からせり上がってくるものを堪えきれず、ついには膝をついて吐き出した。 「うげ――、が――――――、……はぁ――……、はぁ――……」  荒い呼吸をくり返す。  やがてリヒトは、涙の滲む目で少女を殺した相手を――ポポ・クラウディアを見上げた。  かすれる声で、問いかける。 「どうして……ですか?」 「……?」  質問の意図がわからないのか、ポポは首を傾げた。 「……ここのみんなは、利用されていただけなんです。だから僕たちは、僕たちこそが、彼女たちを、助けなくちゃ――」 「君は何を言っているんだ?」  ポポにしては珍しく、その顔には呆れの色が強く滲んでいる。 「ボク達は魔術結社を倒しに来たんだろう?」 「違う、彼女たちは――!」 「魔術結社の一員だ」 「……ッ!!」  這いつくばり、声を荒げる部下に何を思ったのか――ポポは炎上する集落を指さし、諭すような声音で語りかける。 「リヒト・レイシア。君は火事をとめるためにはどうする?」 「え……」 「答えは簡単だ。鎮火するしかない。小さな炎も含めて、すべてだ。たいしたことはないと残り火を放置するような真似はしないだろう。その残り火から、再び火事が――それも、前の火事を上回る大火が引き起こされるかもしれないんだ」 「……」 「それと同じだよ。魔術師は――魔術結社に関わったものは処分しなくてはならない」 「……」  それは――……それは、そうだ。  だけど。目の前で死んだ彼女はどうなる? 彼女だけではなく、救いを求めていた彼等を魔の者として裁くことは、はたして正しいことなのか。その先に待ち受けるものは本当に――……いや、違う。もしも征伐から生き残った魔術師がいたとしたら、再び大勢の血が流されるかもしれないのだ。ポポの言い分は正しい。はずだ。  しかし。  でも。  だって。  だけど―――― 「……わかった」 「え――」  思考の渦に呑まれていたリヒトは、ポポの声に顔を上げる。  少女騎士の青い瞳に映る自身の姿は、あまりにも弱々しく、頼りなかった。 「リヒト・レイシア。今の君には何も期待できない。あとは全部ボク達でやるから――君は適当に休んでいるといい」 「――」  それで終わりとばかりに、ポポはリヒトの返事を待たずに歩き出す。  その先は、戦場の残り火。  炎と悲鳴と怒号と嵐の中へ、小さな後ろ姿は怯むことなく消えていった。      §  結局――  魔族一名、魔術師十三名、魔術結社構成員八十六名、全員の死をもって征伐は完了した。  集落を包んだ炎と風は消え去り――あとには、無残な亡骸だけが残される。  彼等を埋葬するものはいない。  魔術結社だった村に近づこうとする物好きはいないからだ。もしも魔に情けをかけたことがバレたなら、今度は自分たちが異端と認定され征伐される恐れさえある。それほど教会による魔術結社の排除は強硬で、それを支える絶対的な人々の信頼があった。  世界を犯す毒。  ――魔術結社。  それに傾倒した末路は、幸福なものであっていいはずがない。  故に、この小さな集落は亡骸を晒し続ける。  誰に悲しまれることもなく、誰に悼(いた)まれることもなく――生命の尊厳さえ否定されるような、凄絶な最期を伝え続けるのだ。      §  荒廃した集落を見ながら、リヒトはひとり物思いに耽る。  実感するのは、己の無力さ。  脳裏をよぎる――、目の前で死んだ、少女の姿。 「僕は……」  ――誰も助けられなかった。 (……違う)  この考え方が間違っているのだ。そもそも自分たちは魔術結社を倒すためにここへ来た。彼等は自らの欲望のために世界に仇なす邪悪だ。かけるべき情けなど存在しない。たとえそれが望むと望まざるとに関わらず――彼等の傘下に入ったのなら、同罪だ。  だから、そう。  あの時自分が選ぶべきは彼女に手を差し伸べることではなく――彼女の命を終わらせてやることだった。 「……」  想像する。その様を。血に塗れる、彼女を。  ……手が震える。  それは彼女だけの問題ではない。もしも遭遇していたのが生粋の魔術師だったとして、はたして自分は戦うことができたのか。槍を武器に、剣を武器に、この躯の世界に参入することができたのか。  ――リヒト・レイシアは、人を斬る覚悟が、できていたのか? 「……気にしているのか、リヒト」  ふいにかかる声。  振り返ると、そこにいたのは聖騎士ポポ・クラウディア。――自分よりもずっと幼いのに、躊躇うことなく使命をはたしきった少女。彼女の白い騎士甲冑はところどころ返り血に濡れている。その姿に、リヒトは胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。  思わず目をそらす。  彼女の姿を、まともに見ることができなかった。 「……すいません、ポポ様。――自分は、結局……」 「ポポさん」 「え?」 「ポポさん、だ」 「……」  彼女の声にはリヒトを責めるような響きはない。  まるで征伐などなかったかのように、彼女はいつも通り、静かだ。 「――気にすることはない。君がかかったのは、はじめて戦場に立つ者がかかる麻疹(はしか)のようなものだ。覚悟さえできればじきに乗り越えられる」 「覚悟……」  リヒトは噛みしめるようにその言葉をくり返す。  ポポ・クラウディア。  神聖騎士団最年少の聖騎士たる少女は、その小さな身体で、いったいどのような思いを抱いて地獄のような世界を戦い抜いてきたのだろうか。  と―― 「まーまーリヒリヒー、元気出しなって!」 「……リヒリヒさん……ふぁいとっ」  加藤に連れられやって来た双子の精霊少女が、それぞれリヒトを慰めてくれる。  戦闘中の狂態はどこへやら。少女たちは普段通りの――リリアナは元気な、レミーはおとなしい女の子の姿に戻っている。なんとなく、リヒトは胸をなでおろした。 「僕の名前はリヒトなんだけど……」 「リヒリヒ?」 「リヒリヒさん」 「……うん、じゃあ、それで」  そろって首を傾げる少女たちに、思わず苦笑する。  双子少女は本当に以前のままだ。征伐でみせた荒ぶる姿は影も形もない。精霊は精神生命体だ。心の状態が直接肉体に現れるというのなら、彼女たちが魔へ抱く苛烈さは相当なものなのだろう。  なにせ、こんな愛らしい少女たちが――あそこまで憎悪をみなぎらせるのだから。 「……」  リヒトは思う。  もしも――もしも自分もそんな激情に沈むことができるのなら、こんな弱い心を捨てて、きちんと覚悟を決めることができるのだろうか。 「……しかし、やはりキサラ様の手がかりはありませんでしたね」  加藤は顎に手を当て、考えこむように言う。 「これからどうしますか、ポポさん。さすがになんの手がかりもない状態では捜索のしようもありませんよ」 「ふむ……」  今後のことについて話し合うふたりに、リヒトは気持ちを切り替える。  ――今回のこと。  はじめての征伐は苦い経験で終わったが、クラウディア特務騎士隊の本当の使命は別にある。魔族にさらわれたキサラを助け出す。それは騎士隊にとっても、リヒトにとっても、何よりも勝る最優先事項なのだ。 「……ん」  ややあって、ポポは考えをまとめながら、口を開く。 「――元々、この魔術結社の征伐はボクひとりで行うはずだった。なぜなら事前調査で魔族がいることがわかっていたからだ。魔族は手強い。下手に騎士隊を送り込むよりも、聖騎士ひとりに任せた方が、スムーズにことが進むと上層部は考えた」  一騎当千の実力者で有無をいわさず制圧する。  相手が手強いと判断し、その上で聖騎士の力を絶対視しているからこその計画だった。 「逆に考えよう。大聖堂に魔族が単騎で攻め込んでくる状況とはなんだ?」  今回の征伐とはわけが違う。  まさか魔族ひとりで大聖堂を落とせると考えたわけでもあるまい。大聖堂は聖堂騎士団の本部でもある。ポポだって、単騎で魔術結社ソーサラーを滅ぼしてこいと命令されたら反発するだろう。いくら隔絶した力を持っていようとムリなものはムリなのだ。  そんな無理を、どうして魔族は押し通そうとした……? 「魔族が単独で動いているとは考えにくいですね。必ず後ろ盾があるはずです。……しかし、それにしてはあまりにも軽率な行動なのが気になります。はじめて事件の報を聞いたときは、使命を抱いた攻撃ではなく、情念に突き動かされた襲撃だと思いましたから」 「――それだ」  ポポはポンと両手を打つ。  青い眼差しが少しだけ険しさを帯び、加藤とリヒトへ向けられる。 「加藤、リヒト。ここ最近――そうだな、ひと月以内に魔術結社の征伐があったかどうか、わからないか?」 「――私は先日まで長期任務で大聖堂を離れていましたので……」 「……噂、ですけど」  従士であるリヒトには聖堂騎士団の動きを完全に把握することは難しい。だが、従士は数々の騎士隊と行動を共にする。従士仲間の間で、正騎士や準騎士たちの根も葉もない噂などが耳に入ってくることも多かった。  その中に、こんな噂があったのだ。 「一週間ほど前に、騎士団長が魔術結社をひとつ滅ぼした、という話を聞いたことが……」 「どうして先にそれを言わないんだ」 「え……」 「それだ。一度、大聖堂へ戻ろう」  ポポは踵を返す。  リヒトと加藤と双子精霊は、互いに顔を見合って――首を傾げながらもあとに続く。  ――長い夜が明けようとしていた。      つづく 【あとがき】  ザ☆胸糞回(・ω<)  というわけで、はじめての騎士隊回です。胸糞ですけど。  なんか色々フォローしないとキャラ好感度下がり続けるだけな気しかしないですけど、ハロワ自体が本編じゃ正義の組織である教会と騎士団の裏側は――みたいな要素含んでるんで避けて通れないでござる。  まあ最終的に彼等がどこへ着地するのか、それを楽しみにしていただけると嬉しいなぁ、と思ったり思わなかったり。  閑話休題(それはともかく)。  色々あってうっかり軽い火傷しちゃって指が痛い。  あとうpのために読み返してたら色々書き直したくなってちょー書き直した。今もなんか小骨刺さったような違和感が抜けなくてムカムカ。さすが胸糞☆回\(^o^)/