b.H.ヒストリア外伝 『Hello World』 【前回のあらすじ】  キサラ、泣かされる。  第3話 白と黒  市民区画の片隅にある安アパート。ここにリヒトの家は――レイシア家はある。 「……」  がらんと静まり返った我が家にリヒトは強く胸が締め付けられる。  家に帰ってきたとき、いつもリヒトを出迎えてくれたのは妹の笑顔だった。その微笑みに何度となく癒され、救われてきたのだ。  ――おかえりなさい、お兄様。  前回の任務を終え、キサラと食卓を共にしたのは一週間ほど前だ。お手製シチューは相変わらず美味しかった。ちょっと苦手なニンジンが入っていたのは困ったけれど、それを含めてキサラの想いを強く感じたものだった。  そんな、家族の団欒も……今となっては、まるで遠い幻影(まぼろし)だ。 「……」  台所には食器が漬けてあった。洗濯物は干しっぱなしだった。朝読んでいたのか、テーブルの上には少女小説が出しっぱなしだった。そうしたちょっとした痕跡の数々が、この家の住人が急にいなくなったことを物語っている。  それは本来なら祝福されるべき事態のはずだった。  しかし、今となっては―― 「……」  リヒトは妹の救出を改めて誓うと、アパートをあとにした。  アパートの前では騎士隊のみんなが待っていた。  聖騎士(ホーリーナイト)ポポ・クラウディア。  正騎士にして元神父、加藤マルク。  そして―― 「おにーちゃんが新しいひと?」  加藤の背後よりひょっこり顔を出す小さな姿。まだ十歳にも満たないと思われる双子の少女が、かたや満面の笑みで、かたや不安そうな眼差しでリヒトを見つめている。 「君たちは……?」 「わたしはー、リリアナ!」 「レミー……」  少女たちは、その表情通りの声音(こわね)で自己紹介をする。  リリアナ――青い眼をパチクリさせ長い銀髪をふわりと伸ばした元気な女の子。黙っていればどこかおしとやかな雰囲気があるのに、全身から発せられている快活なオーラがその印象をいい意味で吹き飛ばしていた。  もうひとりのレミーは、赤い眼を伏し目がちにして俯いている。リリアナと同じく長い銀髪であるが、こちらはふたつにくくっており、見た目だけなら相方よりもよっぽど元気が有り余ってそうなのが不思議だった。  そんな、チグハグした少女たちは――ふたり並ぶと、違和感がなくなってしまう。  欠けた半身を補いあうように、あるいは崩れたパズルがピタリと嵌り込むかのように、その存在が綺麗に重なるのだ。  これが双子特有の独特の存在感というものなのかと、リヒトは感心した。  しかし―― 「その服は……騎士団の?」  加藤の後ろから出てきたふたりは、ペコリとお辞儀をする。リヒトは少女たちの礼儀正しさよりも、彼女たちの衣装にこそ目がいった。彼女たちの服には精霊教会の紋章が結われている。デザインもどこかリヒトの従士服と似通っており――まるで騎士団の一員であるかのようにすら思えてくる。  と、いうか、まさか。 「……加藤さん?」 「この子たちは私専任の従士なんだ。今回の任務にももちろん同行してもらうことになる。リヒト君とは同僚ということになるから、よろしくお願いするよ」 「え、ええ!?」  素っ頓狂な声を上げるリヒト。 「こ、この子たちが、従士!?」 「大丈夫。実力は折り紙つきだから」 「そういうことではなくてですね……!」  こんな小さな女の子を危険な任務に連れ歩く……というのは、ちょっと意味がわからない。加藤は従士たちの間でも人当たりのいい正騎士として有名だったが、それは何かの間違いなのではないか。膨れ上がった疑念は、リヒトにこの元神父へと胡乱げな眼差しを向けさせてしまう。  そんな目線には慣れているのか、加藤マルクは苦笑した。 「……この子たちは孤児でね。私が神父だった時からずっと面倒を見ているんだよ。おかげで今もこうして離れてくれないんだ」 「んー」 「……」  リリアナはむくれっ面で、レミーは今にも泣きそうな表情で加藤へぎゅっとすがりつく。離れたくないと全力でアピールしていた。 「う……、で、ですが」  孤児という言葉に胸が苦しくなるリヒトだが、だったらなおのこと、危険な場所へ連れて行くべきではないんじゃないだろうか……? 「――もういいだろう」  騎士隊長を務める、ポポ・クラウディアが抑揚のない声で言う。 「加藤も言っていたが、彼女たちは役に立つ。なにせ今まで十を越える魔術結社征伐戦に参加し、魔族すら狩ったことがあるふたりだ。実力なら本来正騎士レベルに相当する。加藤に強くなついているから従士止まりだがね。だから、少なくともボクなら君よりも彼女たちを頼る。実績が違う」 「……で、ですが、ポポ様」 「ポポさん」 「え?」 「ポポさん、だ」  いつも淡々としている彼女にしては、何故か言葉尻に力が入っている。聖人でもある彼女に対してさん付けは失礼だと思うのだが――本人がそれを望むのなら、そうすべきなのだろうか?  それはともかく。 「だいたい年齢のことを言うなら、ボクはどうなるんだ?」 「あ――」  確かにまだ子供と言ってもいい年頃だろうポポは聖騎士として活躍しているのだ。才能主義である聖堂騎士団は、実力さえあれば昇進に出自や年齢は関係がないところがある。――つまりは、この双子少女も、そういうことなのだろう。 「納得したなら行こう」  マントを翻し、ポポはさっさと歩き出す。  それに加藤と双子精霊が続き、最後にリヒトが歩き出した。  ――と、先頭を行くポポが言う。 「ところで加藤」 「なんですか?」 「彼女たちの設定は、アレでよかったのだったか?」 「ええまぁ、いいんじゃないですかね」 「……」  なんだか不安になるリヒトであった。      §  ゼロとヴェルガが寝床に決めた冒険者・旅人のための安宿は、客室こそ用意してあるものの食事は自炊が基本である。一応、食材と賃金さえ用意すれば宿の方で食事を作ってくれたりもするのだが――コストの面でもボッタクリ感が拭えず、利用するものは少ない。  さて。  そんな宿であるからして、料理が作れない者たちが利用するとどうなるかだが…… 「……ずるずる」 「……ちゅるるる、ずる」 「……はぁ」 「ん、どうしたオーラント」 「いや……なんつーか、飽きたなぁって」 「何を言うか。お湯だけでラーメンを再現するとはすさまじい技術だぞ。しかも味噌に醤油、豚骨、そして塩。――人類のひとつの極地だと思い、ありがたく頂戴すべきだろう」 「お前、どんだけカップ麺気に入ったんだよ」  ヴェルガはしかめっ面のまま再びラーメンをすすりはじめる。  赤髪の魔族と、黒髪の魔術師。ふたりの現在の主食は即席麺――お湯を入れて数分でできあがる、いわゆるカップラーメンである。  風の都に来た当日。  まず拠点の確保として、人の出入りが流動的な冒険者の宿を借り、さらに手早く済ませられる食料を確保することにした。当初は缶詰や乾パンなどを想定していたのだが、宿の売店で偶然カップ麺を見かけてしまい――今に至る。 「……」  故郷にはカップ麺みたいな先進的なものはなかった。ゼロはお湯を注ぐだけでラーメンができることに大層な感動を抱いたらしく、やたらと上機嫌にカップ麺を食べている。だが、ヴェルガとしてはぶっちゃけ食が進まない。不味いとは言わない。かと言ってそこまで旨いとも思わない。保存食や携帯食として人気があるのはわかるつもりだが――それを主食として食べ続けるのはひたすらに虚しかった。 「……ちゅるり」  スープの最後の一滴まで飲み干してから、ヴェルガは手近にあったゴミ箱へ容器を放り投げる。目測を誤り容器はマヌケな音を出して転がった。……しかたなく、腰を上げてゴミ箱へ突っ込む。  ゴミ箱の中はカップ麺でいっぱいだった。  ――初日は味噌だった。早朝から宿に入ったゼロとヴェルガはカップ麺を適当に買い込み、その魔法のような技術に驚いた。昼は豚骨だ。お湯を注ぐだけなのに味がわかれていることは新鮮だった。夕食は再び味噌。最後の晩餐になるかもしいれないカップ麺を満足した様子でたいらげると、赤髪の魔族は大聖堂へと飛び立って行った。  翌朝は醤油味だ。ゼロが無事に帰ってきてくれた感動と、キサラという鬱陶しい女の処遇に頭を悩ませながら食べたのであんまり味はわからなかった。昼は塩味だったらしい。ヴェルガは外出していたので詳細は不明。夜は豚骨。もう飽きた。  そうして今さっき食べていた味噌味は……なんというか、もうひたすらに虚無感しか感じなかった。食は心の栄養源だと誰が言ったのかはしらないが、真理である。  加えて―― 「……」  オーラント・ヴェルガはベッドを見る。  その上では膝を抱えた少女が――キサラ・レイシアが、魔族と魔術師へと警戒の眼差しを向け続けている。この視線が、地味に痛い。終始監視されているようで居心地が悪くてしかたがないのだ。 「――ちっ」  ヴェルガは苛立ちを口に出すと、少女へと声を投げた。 「おい」 「……!」  ビクリと肩を震わす少女。 「とっとと食えよ。伸びるぞ」 「……」  ベッド横のサイドテーブルには、カップ麺(味噌)が置かれている。  少女はそれを視線で見ること数秒、ふいっとそっぽを向いてしまう。……ずっとそうだ。目覚めてから丸一日、この少女はお腹が鳴ろうとなんだろうと食事にありつこうとはしなかった。 「……おい!」 「……結構です。貴方がたから出されたものなど、死んでも食べるつもりはありません」 「毒の心配でもしてんのか? カップ麺だしそんな心配いらねーだろ」 「……」  再び、ふい、とそっぽを向くキサラ。  その取り付く島もない態度にイラッときたヴェルガは、振り向かせようと強引に少女の肩へと手を伸ばす。キサラはそれを振りほどこうとし、ちょっとしたもみ合いになり――  ビリ  ――あまりにも嫌な音に、ゼロが箸を止めて視線を向けてくる。 「……っ」  ヴェルガは言葉を失う。  少女の白い制服は肩口のところから大きく破けていた。白い肌が見える。ちらりと、ピンクの下着のようなものまで、見えていた。 「――!!」  お互いに硬直していたのはわずかな間。一足早く我に返ったキサラは胸を隠すように縮こまると恐怖に全身を震わせる。すべてを拒絶するようにぎゅっと固く閉じられた目尻からはうっすらと涙が滲んでいた。 「……う」  意図しない事態に戸惑い、ヴェルガは視線を巡らせる。――目に止まったのは、ベッドの上に散乱している金糸の束。怒りに身を任せた結果、切り落としてしまった少女の金髪であった。 「――っ」  破けた服と、恐怖に縮こまる少女。その髪はざんばらに切り刻まれており、あきらかに第三者の悪意に晒されたことを物語っている。  これでは、  これでは、まるで――…… 「――ちっ」  ベッドから降りるとヴェルガは舌打ちをする。  胸の中で濁り続ける何かが、少年の心を軋ませ続けていた。      §  その日の午後――  オーラント・ヴェルガは情報収集も兼ね街へ買い出しにきていた。幸い泊まりがけの魔術修行の帰りだったということもあり資金だけはそれなりにある。とはいえ、これから増える見込みはない以上、今後のことを考えて大切に使っていくべきだろう。  今後……  そう、いつまでもここにはいられない。  再度の大聖堂襲撃は無理だ。奇襲だからこそわずかでも可能性があったのであり、今となっては正真正銘、死ににいくようなものだ。それどころか聖女の後継者をさらっているのだから追っ手がかかっていると見るべきだろう。生きるためには――復讐の機会を得るためには、逃げることを強く視野にいれるべきだった。  そのためにはどうするか。  移動手段、逃亡先、人質の処遇――考えることはいっぱいあるが、ヴェルガには知識も経験もない。今後の方針はゼロが最終的に決めることになっていた。  それにしても―― 「……」  風の都ウェントゥスは、今日も平和だ。  聖女のお膝元でもあるこの大都市は、風の大聖堂を囲むように広がる複数の区画から成り立っている。そのひとつ商業区画はその名の通り数々の商店が並び、最近ではデパートなる大型商業複合施設が賑わっているらしい。旅人や冒険者が利用する宿やギルドなど各種施設もここにあり、なんでも大昔は難民街だったものが商魂たくましい商人たちに飲み込まれていった結果そうなった、とか。  まぁヴェルガにとってはこの街の成り立ちなどどうでもいい。  ただ、その活気に気圧されるだけだ。 「……」  道往く人々はみな活気に満ちている。夕食のメニューに頭を悩ます主婦。学校帰りに寄り道をしているらしい少年たち。元気に走り回っている子供もいれば、午後のお茶会を楽しんでいる老夫婦の姿もある。それは明日を信じ、自分の人生が真っ当に送られていくものと信じて疑っていない――意識するまでもない当然の営みだった。  ……そんな人々の姿が、今のヴェルガには、とても眩しい。 「――ちっ」  相変わらず胸の苛立ちは消えてはくれない。  くすぶった暗い気持ちは行き場さえわからず、少年の眉間に深いシワを刻んでいく。  と―― 「!?」  見知った白い制服を見かけ、ヴェルガは思わず身を隠す。  シスター服を連想させるデザインの白い制服を着た少女たちが、わいきゃいと騒ぎながら通りを歩いている。……聖女の後継者と同じ学校に通っている女生徒たちだろうか。  彼女たちはヴェルガのことなど少しも気に留めずに、かしましく雑踏の中へと消えていく。そんな少女たちを見届けるとヴェルガは深いため息をこぼした。眉間のシワがより深くなっていく。炉端の石ころを蹴っ飛ばそうとして、目測を誤りつま先をおもいっきり地面に打ちつける。地味に痛かった。 (くそ……なんで俺がこそこそしなくちゃいけねーんだ)  まぁその理由は考えるまでもないのだが。  ちなみに大聖堂襲撃の件は情報統制がかかっているらしく市民に伝わっている様子はない。ゼロが言うには、大聖堂を襲われた――なんて醜聞は世情の不安を煽るだけであり、教会の威信と名誉のためにも絶対に隠し通そうとするはず、とのことだ。そんな事ができるとはにわかに信じ難い話であったが、実際に街の人々がいつもと変わらない営みを送っているのだから教会の隠蔽は今のところ功を奏しているのだろう。ゼロは結構派手に暴れまわったそうなので誰にも気づかれなかったということは考えづらいのだが――それだけ彼等の権勢は大きいということなのかもしれない。  そしてそれは、ヴェルガが復讐を果たすために打ち破らなければならない壁の大きさでもあった。 「……」  ふと視線を向ける。  商店街の一画に少し大きな公園があった。そこでは数人の男の子たちが楽しそうにボール遊びに夢中になっている。自分にもあんな頃があったのだろうかと感傷に浸りかけ、詮ないことだと思い首を振る。  その時だった。 「あっ」  子供の小さな叫び声。彼等のボールがコロコロとヴェルガの足元まで転がってくる。ヴェルガはため息をつくとそれを拾い上げ、「ほらよ」っと投げ返してやった。ボールは男の子たちの所まで無事に戻るも――彼等はこちらを見るや、お礼すら言わずに一目散に逃げ出していった。  まるで化け物にでも会ったかのように…… 「な……!」  唖然とするヴェルガ。  なんて礼儀のなってないガキどもだろうか。いつだったか、都会は情に薄いと村に婿入りしてきた青年が寂しそうに語っていたが、実際に目の当たりにするとむしろ腹立たしいことこの上ない。  ヴェルガは髪をかきむしりながら、公園をあとにする。 「ちっ、胸糞悪ぃな……」  賑やかな街の声。  苛立ちが募る。  突然隕石でも降ってこないだろうか。店を押しつぶし、地面をえぐり、一面が炎上する。脳天気にヘラヘラ笑ってるこいつらは、その時どんな顔で逃げ惑うだろうか。  人々の笑顔。  苛立ちが募る。  あのムカつくニヤけ顔を殴ってやりたい。蹴り飛ばしたい。逃げるようなら追いかけてやる。それでもニヤけていられるものか。泣いて謝っても殴り続けてやる。  活き活きと綴られる、彼等の日常。  この手にハンマーでもあったのなら、店先で思いっきり振り回してやりたい。商品はメチャクチャになり、人々は降って湧いた暴力に泣きわめく。イイザマだ。ひとつの店をぶっ壊したら、次は隣の店。破壊する対象はいっぱいあった。  苛立ちが募る。  ああ――  苛立ちが募る。  どうして――  苛立ちが募る。  どうして、俺達が――――こんな目に遭わなくちゃ――――――……  苛立ちが  くそ、こいつらも、俺達と同じ目に――――……  募る  死――…… 「――」  ――ふいに感じた光の反射に目を細める。それは雑貨屋の店頭に置かれていた姿見だ。とくに意識するでもなく、なんとなく鏡を覗きこんだヴェルガは……絶句した。足を止め、見入ってしまう。  そこにいたのは、ひとりの男だった。  昏くギラつく目を釣り上げた――オーラント・ヴェルガの姿だった。 「――!!」  思わずヴェルガは姿見へと殴りかかっていた。鏡はバリバリと亀裂が入り、やがて男ごと砕け落ちた。拳から血が流れていく。切り傷が熱い。だが男の残像は脳裏から消えてはくれない。 「くそ――!」  見慣れた自分の顔なのに、まるで、別人。それは魔術師になったから――なんて理由ではない。だって、魔術師でもあった父は誇りに満ちた精悍な顔つきだった。こんな、こんな――糞みたいな面構えでは、決してなかった。  だから。  これこそが――復讐を決意した、男の顔、というわけだ。 「――」  わかっていたはずなのに。  すべてを覚悟し、復讐者となったはずなのに、今更なにを――……なにを、しているのだろうか。血の滲む拳を強く握りしめる。その痛さが、熱さが、流れ出るものが、理不尽にヴェルガの心をかき乱す。苛立ちだけが積もっていくのに、何が気に喰わないのか、それすらもわからない。 「……なんだってんだ、俺は……」  空を見上げる。  日常を照らす太陽は眩しすぎて――今のヴェルガには正視に堪えなかった。  と―― 「おんやまぁ……これは酷いのう、何があったんだいこれは」  経営者らしき老人がのっそりと顔を出してくる。白髪交じりのハゲ頭に丸眼鏡の優しそうな老人は、店先の荒れように悲しそうな声を出した。 「何って――……あ」  いまさら気づく。  店頭に置かれていた鏡を思いっきりぶっ壊してしまった。商品……だろうか。いや商品じゃなくてもこれはない。ヴェルガは申し訳ないことをしたと深く反省する。 「……すまん爺さん。俺がやった」 「なんとまぁ、危ないことするの。怪我はなかったんかい?」 「少し」 「ほらみぃ、言わんこっちゃない」 「弁償は、する……」 「まぁ、そりゃそうだけど」  言って、箒とチリトリで破片の掃除をはじめる老人。  手持ち無沙汰になったヴェルガは、鏡の値段を確かめようと値札を見て、ビックリする。どう見ても量産品で既成品なのに、信じられないような高値が付けられていたのだ。 (これは……)  改めて店内を見回してみると、個人経営らしい混沌とした店構えである。おそらく老人が余生を楽しむためにやっているのだろう、商品や値段に統一性がない。整理整頓されないまま、食料に工具、駄菓子、玩具、古雑誌、家具が散乱し、怪しいデザインの土産物の次には当然のように日用品が置かれ、ついには服まで売られている。これではちょっとした迷宮――、だ――――…… 「――」 「ん、どうした?」  首を傾げる老人に、ヴェルガはしばし呻き悩んだあと、頬をかきながらとある商品を指さした。 「……なぁ、爺さん。――これが……欲しいんだが」      § 「ほらよ」  帰ってきたヴェルガはキサラに紙袋を放って投げる。なんとか無事にキャッチした少女は、驚いたように目をパチクリとさせる。その視線はやがて、ゆっくりと紙袋へと向けられていった。 「……」  おずおずとした動作で紙袋を開けると……中から出てきたのは、黒いワンピースだ。 「どうしたんだ、それ」 「う……」  なんとなく、ゼロの声が怖い。  無駄遣いはできないというのに、こんなものまで買ってきたのだから彼が怒るのもよくわかる。というか、なんで自分でも買ってしまったのかがわからない。確かにこの女の服を破いてしまったことは悪いとは思うが、だからといって貴重なお金を浪費する価値があるわけもないのだ。だというのに、どうしてこんなものを買ってしまったのか。我ながら謎すぎる行動であった。 「な、なんでもねーよ!」  ぶっきらぼうにヴェルガは言う。  そうだ。目のやり場に困るからだ。この女はアホっぽいのに出るところはしっかりと出ているから、下着なんてちらつかせられると鬱陶しくてしょうがないのだ。そう、それだけだ。それだけ、なのだ。 「なぁオーラント」 「な、なんだよ!?」  どこか慌てるヴェルガに、ゼロは口の端を歪めてみせた。 「少しはいい顔になったじゃないか」 「はぁ?」  くつくつと笑うゼロに、ヴェルガはわけがわからず顔をしかめた。  と―― 「ん……?」  視線を感じて振り返る。  そこには、ベッドの上で、黒いワンピースを抱えたままのキサラがいる。少女は相変わらず無言だ。しかし頬は熱く、その目は何かを訴えかけている。  今まで見たことのない少女の表情に、ヴェルガは心なしか気圧された。 「な、なんだよ」 「――て」 「あ?」  らしくない小さな声に思わずヴェルガは聞き返して――次の瞬間、少女の炎は爆発した。 「着替えるから! 出てってください!!」 「え、――あ」  合点がいったのか、ヴェルガは呆けた声を出す。その顔が徐々に赤面していく。 「――あ、貴方は!!」 「い、いや違うぞ。俺は何も考えてない」 「――……! いいから! はやく、出てってください!!」  その剣幕に追い出されるヴェルガとゼロであった。      §  夕日を浴びて大聖堂の偉容は赤く染まる。  それは一昨日、魔族の襲撃により命を落とした多くの騎士たちの嘆きのようで――これから彼等の無念を背負って立つことになると思うと、リヒトは拳に力を入れざるを得なかった。 「さて」  騎士甲冑をまとった小さな女の子――聖騎士ポポ・クラウディアは、部下となる一同を見回すと頷き、改めて現状と今後の方針を説明する。 「知っての通りボクたちの任務はキサラ様の奪還だ。今の聖堂騎士団はまともに動くことは難しい。この大切な任務は事実上、ボクたちの双肩にかかっている。心してかかるように」  魔族の襲撃により騎士団が被った被害は大きく、また、大聖堂の守りや市民、行政への情報工作にもかなりの労力を割かなければならない。あくまでも秘密裏に事件を収束させなければならない教会はキサラの奪還に表立って動くことはできないのだ。  だからこそ、すべてはクラウディア特務騎士隊にかかっていた。  とはいえ、キサラの手がかりはないに等しい。ならば少しでも関係がありそうなところを切り崩していくしかない。具体的には、魔術結社。元々ポポは魔術結社征伐のために単身この街に寄ったのだ。 「まずは当初の予定通り、ボクたちは魔術結社の征伐へと向かう。情報によればその魔術結社には魔族が所属しているそうだ。決して油断せず、全身全霊をもって彼等を殲滅する」 「は――!」  副隊長となる加藤マルクがこれに応える。元神父という経歴のせいか、彼は騎士甲冑を着てはいない。その両隣でキリッとしているリリアナと、カチコチに緊張しているレミーはやはり従士服だ。本当に征伐に同行するらしい。 「敵の数は多い。なにせ集落ひとつ、百人近くだ。それに比べてボクたちは五人だけど、大丈夫、負けることはない。必ず勝利を精霊に捧げよう」  リヒトは自分も数に入っていることに安堵とともに、一抹の不安も覚えてしまう。果たして聖騎士や正騎士と肩を並べて戦うことが自分にできるのだろうか? (それに……)  ゴクリと、息を呑む。 「それでは出発だ」  マントを翻しポポは馬車に乗り込んでいく。騎士隊のみんなも彼女に続いた。慌ててあとを追いながら――リヒトは、自分の手が震えているのを感じていた。  仲間の無念を思ってのことではない。  これはもっと、――そう、人間の根本から湧き出る感情だ。 (僕は……)  魔物退治は行ったことがあっても、人と――人の形をしたものと戦うのは、はじめてだった。      つづく 【あとがき】  ペヤングが好きです。