b.H.ヒストリア外伝 『Hello World』 【前回のあらすじ】  キサラ、さらわれる。  第2話 復讐と魔術師  魔術結社というものがある。  魔術の始祖たる魔導王ソーサラーの弟子たちがその技を伝承していくために組織した魔術師たちの団体――異端の集団が魔術結社である。彼等は魔導王亡きあとも暗躍を続け、幾度となく聖王国や精霊教会と敵対してきた。そのたびに魔術結社は征伐されているのだが――依然として風の大陸だけでも大小合わせて数十を超える魔術結社が潜んでいると言われている。彼等の全貌は今もって不明だった。  とはいえ……  どんな組織も時の流れとともに存在意義を変質していく。  ひとえに魔術結社といっても、いつしか活動を停止し魔術の伝承も失われ――普通の村となっていったものも多かった。彼等は祖先が魔術師であることを知っている場合が多いが、そのことを口外してまわるようなことはしない。自分たちのルーツが知られてしまえば精霊教会に征伐されるということを理解しているからだ。今の彼等はどこにでもいる聖王国の民であり、魔術師としての野望すら嫌悪している当たり前の人々であると言えよう。  そんな普通の村に、オーラント・ヴェルガは生を受けた。  村長の子としてちょっと特殊な事情を抱えつつも――至って健全な、十八歳の少年へと成長したヴェルガ。  しかし世界は、ヴェルガたちを放っておいてはくれなかった。  聖堂騎士団。  彼等の手によって、ある日、突然、平和な村は、血の海に沈んだのだ……!! 「……」  その惨状を見たとき、ヴェルガは言葉も出なかった。  理解できなかった。数日前、師匠と共に山ごもりに向かうまでは村はいつも通りだった。なにひとつ変わらない日常がこれからも続いていくはずだったのだ。……なのに、村へ帰ってきた少年を待ち受けていたのは――どうしようもない、理不尽であった。  みんな死んだ。  父も、母も、  パン屋のデビットも、生意気だったドゥイジも、となりのデミニクも、気になっていたエイミー・マーシャルも、気のいいクライヴ夫妻も、みんな、みんな、みんな、みんなみんなみんなみんなみんな――――!! 「――、……!」  膝をつき、ヴェルガは悲嘆にくれる。  賑やかだった村の面影はない。  焼け落ちた家々。殺された人々。ご丁寧に家畜すら一匹残らず殺し尽くしている。戦いにもなってない、ただ、蹂躙されたあとの姿が生々しく残っていて――ヴェルガの心もまた、ひとつの感情に燃やし尽くされていく。  それは怒りだった。  大切なものを奪われた少年の、心からの憎悪だった。 「……どういう、ことだ……」 「……」 「どういうことなんだよ……ゼロ!!」  どこに向けたらいいかわからない血を吐くような思いは、少年の師匠である青年へと向けられる。これが八つ当たりであるとわかっていながら、しかし、少年は感情の激流に身を任せるよりすべがなかった。 「……」  青年は、答えない。  黒いコートに身を包んだ彼は、苦渋に顔を歪めたまま、強く拳を握りしめていた。  青年――赤い髪の魔族の名を、ゼロという。  彼がいつ頃村にやってきたのか、それはわからない。記録には残っていないし、本人も進んで話したがらないからだ。逆に言えば、記録に残らないほどの大昔から彼は村の一員であったわけであり、そこに魔術結社と魔族という関係性を見出すのは当然のことであろう。  魔族が魔術結社と行動を共にすることは、今も昔も珍しくはない。  利用するもの、されるもの。どちらがどちらというわけではなく、両者の関係性は世界の終焉という大望のためにくるりくるりと巡りあっていく。だからこそ魔族を抱える魔術結社は精霊教会にとっては一層の仇敵であり、優先すべき征伐対象となる。  そういう意味では、ゼロとヴェルガの村の関係性は特殊とも言える。なぜなら、村が魔術師であることを捨て去っても両者のつながりは変わらなかったからだ。  いや……  より正確に言うのならば、代々村長だけは、魔術師であり続けた。  魔族であるゼロと契約を交わし、魔術の力で村を災厄から守る。時には盗賊を退け、魔物を倒し、災害の被害を最小限に抑える。それこそが村長の役目であり、ゼロが守護者として慕われている理由だった。  もっとも――魔族と魔術師の庇護は、肝心なときに、何も守ることはできなかった。 「――ゼロ」  ヴェルガは兄代わりでもある青年魔族を見つめる。  黒髪赤目の少年は、その鋭い眼差しをより激しい憎悪に染め上げて――人道を踏み越えるための、最後の言葉を口にした。 「俺は、お前と契約したい」  魔族との契約。  それは正真正銘の魔術師になるということだ。  たしかに村では代々村長が魔術師を受け継いできた。だが、少年のそれは今までとは事情が異なる。ヴェルガに守るべきものはすでにない。すべて精霊教会により滅ぼされてしまった。その彼が望む契約の目的はただひとつ――復讐、だ。  誰かのために役立てるのではなく、純粋に、他者を害するためだけに欲する力。まさに普遍的な、誰しもが連想する正しい魔術師の在り方であろう。  しかしそれは、完全に人の道を外れるということだ。  暗闇の世界に墜ちていく――…… 「……」  選択肢はゼロにある。  ヴェルガの復讐を受け入れるか、否か。少年のことを思うのなら受け入れるべきではない。敵は強大すぎる。いくらゼロが魔族だからといって精霊教会を相手取るなど無謀なのだ。まして成り立て魔術師に何ができるものではない。ヴェルガの復讐は失敗する。ならば復讐の無意味さを諭し、心の傷を抱えながらでも真っ当に人として生きる道へ導いてやることこそが、師としてゼロが選ぶべき道ではないか。  思考は冷静、落ち着いている。  言うべき答えは、見えている。  だが。 「……」  ゼロとヴェルガは視線を交わす。  その目を見ればわかる。  ふたりの思いは――――憎悪は、一寸違わず同じだ。荒れ狂う感情は思考を凌駕し、惨殺された村人の無念がふたりを突き動かす。現実的な計算などもはや無意味であり、ふたりの復讐鬼はただ自身の心のあるがままに、手を取り合う。  強く、強く、握り合う。  ゼロは静かに頷いた。 「わかった。……オーラント、私は君とともに戦おう」  こうして――ひとりの魔術師が誕生したのだ。      § 「で……なんでこんな事に?」 「むぅ……すまん」  ジト目で尋ねてくるオーラント・ヴェルガに、魔族ゼロは頬をかきながら答えた。  ここは風の都の郊外にある安宿のひとつ。築四十年を数えた外観はかなり傷んでおり内装もまるで幽霊屋敷のごとくボロボロだ。ただ雨風を凌げればいいという人向けの施設でありサービスなどないに等しいが、代わりに利用者の素性に余計な詮索はしないという、旅人や冒険者――ついでにヴェルガたちのように後ろ暗い人たちにはありがたい宿であった。  それはともかく。 「……で、どうするんだ。コレは」  ヴェルガとゼロはオンボロベッドへと視線を向ける。  そこでは、安宿らしい薄い布団の上で、キサラが可愛らしい寝息を立てていた。 「たしか、聖女の暗殺に向かったんじゃなかったっけ?」 「留守だった」 「……」  ゼロの身も蓋もない即答に、ヴェルガはしかめっ面で頬杖をついた。  村が壊滅してから数日。  復讐を望み風の都まで乗り込んできはしたが、精霊教会を倒すことなど不可能であることに変わりはない。されど、その象徴を殺すことならできるかもしれない。一点集中の強襲に可能性のすべてを掛けて、爆発する怒りを抱えたままふたりは大聖堂へと攻め込むことを決意したのだ。  しかし、その方法はあまりにもお粗末なものであった。  大聖堂を襲撃する。ただそれだけが策であり、具体的な作戦など何もなかったのだ。  村のみんなを惨殺された少年に冷静な復讐計画を練る余裕なんてなかったし、彼と契約を交わした魔族もまた、あまりの惨事に深い絶望に沈んでいた。いうなれば玉砕覚悟――いや、自暴自棄であったといえよう。  それでもヴェルガに比べればゼロは冷静であった。  自らの契約者を……たったひとりの村の生き残りを無駄死にさせることはできず、宿に待機してもらうよう説得した。もちろんヴェルガは猛反発したが、魔術師に成り立ての少年などはなから戦力になるはずがない。むしろ足手まといでしかなく、ヴェルガもそれをわかっているからこそ最終的にゼロの説得に応じたのだ。結果として襲撃は失敗したので、この判断は正しかったといえるだろう。  それにしても―― 「……」  ゼロはキサラを見る。  聖女暗殺こそ失敗したが、代わりに聖人の証――金のロザリオをもつ少女をさらってきた。聖堂騎士たちの狼狽えようを見る限り決して位階の低い聖人ではないはずだが――功績を上げた人物に殊勲される名誉聖人とでもいうべきものも存在する――実際はどのような立ち位置の少女なのだろうか。  まさか聖騎士、ということはないだろうが…… 「とにかく。この少女が、奴らにとって大切な存在であることは間違いない」 「ふーん。コレがねぇ」  ヴェルガは立ち上がると、キサラを覗き込むように顔を近づける。  ゼロが大聖堂へと翔び立ってから、ヴェルガはひとりで彼の帰りを待ち続けていた。もちろん朗報を期待してはいたが、同時に……彼が無事に帰ってくることはないのではないかと、そんな不安も強く感じていた。  成り立て魔術師の少年にだって、ゼロと立てた作戦の無謀さはわかっている。それでもなお、怒りに突き動かされ――後戻りのできないところまで踏み込んでしまった。もしも彼が死んでしまったら、その責任は自分にある。……煮えたぎる復讐心が友の命を奪ったも同然なのだから。  どうしようもない復讐心と、自棄に陥っている自身と、何もできない無力感と、親友の無事を望む心と、――とにかくいろんな思いがグチャグチャに混ざり合い、ヴェルガはもどかしさに唇を強く噛み締めた。  そうして、明け方近く。  もうすぐ日が昇るだろう夜空を背景に、ゼロは無事に帰ってきた。  ……ひとりの少女を連れて。 「…………」  少女はすやすやと寝息を立てている。  その表情はとても穏やかで――のん気なものだと、ヴェルガは無性に腹立たしくなった。  無駄に伸ばした長ったらしい金髪は無造作に広がり、これまた無駄にでっかい胸が呼吸に合わせ白いシスター服を上下させている。桜色に染まった頬は少女が普段どれだけ満ち足りた生活を送っているのかいやがおうにも感じさせ実にイライラを募らせてくれるし、唇がわずかに動きむにゃむにゃと何事かを囁いている様は、なんというか、猛烈にアホっぽかった。  と―― 「――ん……」  吐息をこぼし、キサラの碧い瞳がうっすらと開かれていく。  その瞳が見知らぬ少年を――ヴェルガを捉えるのに、さほど時間はかからなかった。  そして―― 「きゃああああああああああああああああああああああ!?」 「うおっ!?」  つんざくようなキサラの悲鳴に驚きヴェルガは耳をふさぐ。  まぁ目を覚ましたらいきなり見知らぬ男が目の前にいたのだ。驚くなという方が無理だろう。  一方、ゼロの行動は素早く正確だった。キサラが覚醒したことに気づくと、あっという間に彼女に詰め寄りその口を手で封じ、喉元へナイフを突きつけ黙らせる。見開かれた少女の瞳は混乱と恐怖に揺れていた。  静かに、凄みを効かせて、ゼロはゆっくりと口を開く。 「大声を出すな」 「……」 「出せばどうなるかは、わかっているな?」 「……」  キサラが言葉の意味をかみ砕き、飲み込んだことを理解すると、ゼロは静かに少女を解放する。キサラはベッドの端まで後ずさると、大きく深呼吸を繰り返しながら喉元に何度も触れ、血が流れていないことを確認する。  ――やがて落ち着きを取り戻すと、再び魔族たちを強い眼差しで睨みつけた。  少女のそんな態度に、ゼロは素直に感心する。  彼女の眼差しは従順さとは程遠い反抗的なものであったが、それはつまり絶望に屈していないということだ。魔族に命を握られてなお、ここまでの胆力を発揮している。ぎゅっと強く握りしめられた金十字が、あるいは聖人として彼女を奮い立たせているのかもしれない。 「……貴方、たちは……」 「私の名はゼロ。もう理解していると思うが――魔族だ。彼は……」 「……ヴェルガ。こいつの魔術師だ」 「……!」  魔族と魔術師。精霊教会の宿敵を前にして、キサラの顔は一層こわばった。 「まずは現状の説明をしよう。君は私にさらわれた。ここがどこかは言えないが――君の命は私たちの気分次第だということを忘れないでくれ」 「……私を、殺す気、なのですね」 「……さぁ、どうだろうな。私たちは男で、君は女だ。そういう楽しみ方も可能だろう。君にとっては、死にも勝る辱めかも知れないが」 「――!」  無意識にか、少女は体を隠すように身をよじる。そういう姿勢が男の劣情を刺激するということを、少女はまだわかっていないらしい。  まぁもっとも、ゼロにその気はない。ヴェルガも同じだろう。無理矢理に少女を辱めるなど吐き気がする。復讐者には復讐者の矜持があり、下衆に成り下がるつもりはない。ただ、この手の威圧は乙女には効果抜群だから口にしただけのことだ。  事実、少女の瞳には先ほどとは別種の――貞操に関わる恐怖の色もまた、見て取れた。 「さて。それでは、質問タイムとさせて頂こう」  態度は真摯に、しかしどこまでも高圧的に、ゼロは少女を見下ろした。 「――お前は何者だ」      §  その問いかけは、キサラの勇気を奮い立たせるには十分すぎるものであった。  再度、ロザリオを強く握る。  相手は魔族に魔術師だ。世界を死へと誘う邪悪だ。いつまでも震えてはいられない。たとえこの生命が散ろうとも、どこまでも辱められようとも――退いてはいけない一線がある。それはきっと、今なのだ。  ――次代のシルフィードとして、魔に屈することなど、絶対に許されない!  意を決し、胸を張り、声高らかにキサラ・レイシアは名乗りをあげる。 「私の名はキサラ。――次代の風の聖女です!」  ……しん……、と、しばしの間、部屋は静まり返る。  魔族と魔術師は驚いたように目を丸め、互いの顔を見合っている。合点がいかないのか、首を傾げながら、ヴェルガと名乗った魔術師は胡散臭げにキサラを指さしてきた。 「お前が……次の聖女、だと?」  その目線をキサラは真っ向から見つめ返す。  黒髪赤目の少年は、自分よりも年上で――されど、兄よりも年下だろうか。見かけだけならどこにでもいそうな一市民なのに、本質は魔術師だというのだから始末が悪い。もっとも、顔つきの悪さはいかにもな悪人であり、街で出逢えば子供たちは泣いて逃げ出すだろうとキサラは思った。 「どう思う、ゼロ?」 「――ありえない、とは言えないな。少なくとも、この娘が奴らにとって掛け替えのない存在であることは間違いない」 「ふぅん。こんな子供が――ねぇ」  嘲るように鼻を鳴らすと、ヴェルガは乱暴にキサラへと言葉を投げつける。 「おい、お前」 「――!」  不愉快そうに眉を顰めるキサラのことなどお構いなしに、苛立ちを隠さず魔術師は言う。 「……お前が聖女だってんなら答えろ。――なんであんな事をした」 「……なんのことですか」 「俺達の村を、滅ぼしたことだ」  瞬間、キサラは少年の赤い瞳の奥に、ギラギラと燃えたぎる黒い何かを垣間見たような気がした。 「……」  はっきり言って彼等の事情はキサラにはわからない。次代の聖女といっても、今日――すでに一晩経っているので昨日か――急に指名されたわけで、精霊教会の細かい動きなんて知り得る身分ではなかった。だから彼等の疑問に答えることは不可能だ。  だが、彼等の事情を推測することはできる。  そしておそらく、その答えは当たっている。  聖堂騎士団による魔術結社の征伐。彼等はその生き残りなのだろう。世界の滅亡を画策する邪悪なる咎人たちは、村に擬態し教会の目から免れようとすることも多いらしいと兄も言っていた。つまりは、そういうこと、なのだろう。 「――貴方がたは、その復讐に?」 「そうだ。風の聖女をぶっ殺す」 「な――!」  憎悪のこもった魔術師の言葉。  それはキサラの義憤に火をつける。魔の者に対する恐怖よりも尊いものを平然と侮蔑された怒りが上回り、少女は生まれてはじめて兄以外の男へと感情を爆発させた。 「なんて恐れ多い……! 貴方には聖女様の優しさがわからないのですか!? 聖女様の愛を理解しようとは思わないのですか!!」 「愛……ねぇ」  鼻で笑うヴェルガ。 「……! 聖女様は精霊王と共に人々を導いてくれるお方です! 聖女様の愛がこの世界を支えてくれているんです! 貴方はそれを――」 「くだらないな」 「っ――!」 「世界がどうなろうと知ったことか。俺は世界が憎い。お前らが憎い。どうしようもなくな。……ああ、そうだ。こんな世界なんて滅びてしまえばいいんだ」 「そんな……」  愕然としたあと、キサラは強くヴェルガたちを睨む。  その眼差し。  ヴェルガとゼロを見据える少女の眼差しは――ひどく、侮蔑に満ちたものであった。 「それが――魔族に魂を売った、魔術師というものなのですね」 「……」 「自分たちの欲望のために大勢を犠牲にして、そのことをなんとも思わない……!」 「……」 「我欲と快楽に溺れ、愛と正義を忘れ去った貴方は、もはや人間ですらない」 「……」 「精霊は世の行いを見ています。悪には必ず裁きが下ります! 貴方がたには一片の救いも訪れないでしょう。その汚れた魂を抱えながら地獄に落ちる。悔い改めることすら許されません!」 「貴方がたは、悪魔です!!」 「黙れ!!」  矢継ぎ早に繰り出される一方的な非難に、ついにヴェルガの怒りが爆発する。少年はキサラのきれいな金髪をわし掴むと、乱暴に引っ張り強引にベッドの上に押し倒す。  激痛に呻く少女。  そんな少女に馬乗りになりながら、ヴェルガは懐からナイフを抜き放つ。 「貴様らに……貴様らに、正義を語る資格などありはしない!」 「ひっ――」  血走った眼で、ヴェルガはナイフを振り落とし――すんでのところで、目標を外した。 「……っ」  キサラは、おそるおそる、視線を横へと向ける。  束ねられた金髪の海へと深く沈んだナイフは、少女の命の代わりにその髪を無残に切り刻んでいた。  再び、視線を前へと戻す。  狂気と正気の狭間で、黒髪赤目の魔術師は、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返している…… 「――、ぅ……」  やがて今しがた起こったことを、キサラはゆっくりと理解していく。  殺されかけた。  ころされ、かけた。  コロサレカケ、タ…… 「……」  もしあのままナイフが落とされていたら、今頃キサラの顔は血まみれになっていただろう。少年の生々しい怒気が決して今のが脅しではなかったことを証明している。間違いなく、今、キサラは、殺されかけたのだ。 「――ぅ、ぁ、ぁぁ……」  最初はか細かった。  だけど、事態を理解した途端、急速にそれは訪れた。……嗚咽が漏れる。涙が止まらない。何度となくしゃくりあげる。泣いてはダメだという意志さえも押し流されるように、どうしようもなく涙は溢れ続けた。  ――昨夜より、ずっと気を張り続けていた次代の聖女。  その仮面が外れた途端、顔を出したのは、どこにでもいる、ひとりの少女の姿であった。 「うああ、ああ、あ、ぁぁぁぁ……、…………」 「……っ!」  自らの体の下で泣き声を上げ続ける少女に、ヴェルガは歯を食いしばる。  一方的に自分たちを悪と断罪し村のみんなを殺戮したことさえ正当化する。そんな少女の態度に目の前が真っ赤になり、――だけど最後の最後で、理性を手放せなかった。ヴェルガは当然ながら人を殺したことはない。それどころかケンカ以外で人を傷つけたこともない。つい先日まで普通の村人だったのだから当然といえば当然だ。  だからこそ……泣きじゃくる少女の姿は、少年に、得体の知れない苛立ちを抱かせるのには十分だった。 「……胸糞悪ぃ」  吐き捨てるようにつぶやくと、ヴェルガはベッドから降り大股歩きで部屋を出て行こうとする。その背中へとゼロは声をかけた。 「おい、どこへ行く気だ」 「偵察!」  怒鳴り散らすようにわめくと、ヴェルガはバタンとドアを閉めた。      §  キサラの兄、リヒト・レイシアは妹と同じく金髪碧眼の青年だ。  背は高い方であるが筋肉はあまり多くはない。力ではなく技で勝負するタイプで、戦技もそこそこに評価されている。精霊と交感したことはないため精霊術は使えないが、それでも経験を重ねれば準騎士にはなれるだろうと一応の期待はされていた。  つまりは将来有望な騎士の玉子である。  そんな青年ではあるが、聖堂騎士団においては従士であり、結局のところ騎士見習いの見習い――雑用係だ。いくら期待されていようとしょせんは従士、当然ながら風の聖女と一対一で面会なんて事態は起ころうはずがない。  それが――本日、こうして、起こってしまった。  予想だにしなかった…………、最悪のカタチで。 「なんですって!? キサラが――っ!」 「……まさかこんな事になってしまうとは……私もうかつでした」  大聖堂の応接室。  風の聖女シルフィードは苦渋の面持ちで、キサラの兄に事態の急変を告げる。 「……っ」  リヒトもまた、苦悶の表情で俯いた。  キサラが聖女に選ばれた――という報せを受け、急遽風の都へ帰還したリヒトを待っていたのは、魔族の襲撃により大損害を受けた聖堂騎士団、そして……そのキサラが、さらわれた、という、信じがたい現実であった。  自分の妹が聖女になる。  その一報を最初に聞いたときはあまりの喜びと光栄さに卒倒しそうになったが、同時に一抹の寂しさも感じていた。自分の手の届かないところにキサラが行ってしまう。保護者として、兄として、寂しくないはずがない。だけどそれ以上に、こんなに幸せな話はないというのも事実だった。  だから、兄として妹の背中を押してやりたかった。なにせ、とても真面目な妹なのだ。きっとなかなか聖女になる決心ができずに困っているに違いない。ならば兄として――普通の兄妹として最後にしてやれることを、してやりたかったのだ。  ところが……すべての状況は一夜にして変わってしまった。 「……く」  拳を強く握りしめる。  今この時も魔の者の手中にいるキサラの恐怖を思うと、怒りと悲しみにどうにかなってしまいそうだ。本当なら今すぐにでも駆けつけてやりたい。しかし従士であるリヒトにできることなど何もない。無力感に打ちひしがれるしかなかった。 「申し訳ありません、リヒト。すべて私の責任です……」 「そんな、違います! ……悪いのは、全部、奴らです……!」  頭を下げるシルフィードに、慌ててリヒトは顔を上げる。  今回の事件で風の聖女まで傷つき落ち込んでしまうのは、リヒトは嫌だった。聖女は人々の敬愛を集める精神的支柱であるが、それ以上に、彼女はリヒトにとっては生涯をかけてつくしたいと誓った恩人だ。彼女の悲しい顔は見たくない。 「――ありがとう、リヒト。……キサラについては、至急、捜索・奪還を任務とした騎士隊を組織します」 「騎士隊……ですか?」  リヒトは眉根を寄せる。  騎士隊とは正騎士をリーダーに、護衛や補佐を務める数名の準騎士、雑用を担う十数名の従士により結成される部隊だ。その任務は要人の警護から魔術結社征伐まで多岐にわたる。リヒトも先日まで従士として騎士隊のひとつに同行していた。  しかし魔族の襲撃により聖堂騎士団はかなりの痛手を被っている。いつ次の襲撃があるかわからない以上は守りに人員を割かなくてはいけないし、ことがことだけに大っぴらに動くわけにもいかない。大聖堂が襲われ次代の聖女をさらわれました――なんてことは、人々の不安を煽り魔の者を活気づかせるだけであり、絶対に知られるわけにはいかないのだ。  そんな状況下で、キサラを取り戻すための騎士隊など作れるのだろうか――? 「――大丈夫だよ」  突然、幼いが芯の通った声が響く。  振り返ると、応接室の出入口に――ふたりの男女が立っていた。  ひとりは長身の神父、もうひとりはまだ幼い少女。  神父の方には見覚えがある。茶色い髪に優しい微笑みをたたえた彼は、元神父という異色の経歴をもつ正騎士、加藤マルクだ。  でも、ただならぬ雰囲気を放つこの少女は……? 「キサラ様の捜索はボクたちが引き受けることになった。だから君は心配しなくてもいい、リヒト・レイシア」 「あなたは……?」 「ボクはポポ・クラウディア。神聖騎士団の聖騎士(ホーリーナイト)だ」 「な――!」  絶句するリヒト。  神聖騎士団――それは、各地の聖堂騎士団から選抜された凄腕の正騎士たちにより結成された最強の騎士部隊だ。しかも彼女はクラウディアを名乗っている。かつての聖人の名を与えられた彼女は神聖騎士団でも最強の一角――聖騎士、ということになる。 「……」  歳の頃ならキサラよりも若い。初等教育を終えたかどうかといったところの、青い髪をショートカットにした少女。首から下げているロザリオは、なるほどクラウディアの名を証明するかのように金十字だ。何よりも、ただそこにいるだけで、空気が変わる。歴戦の騎士が放つ凛とした気に、リヒトは息を呑んだ。 「聖騎士ポポは、魔術結社征伐任務のために風の都にやって来たのですが――」 「――いざ来てみれば、聖女候補がさらわれたと言うじゃないか」  シルフィードの台詞を継ぎ、ポポは言う。 「これは精霊教会はじまって以来の大問題だ。黙ってみていることなんてできない。だからボクは協力を申し出た」 「あ……ありがとうございます!」  リヒトは深々と頭を下げる。  聖騎士――エリート中のエリートからとことん抜粋された中でさらに選ばれた一握り、勇者を除けば人界最強戦力とも言える存在が助力してくれる。時間も人手もない今、これほど頼りになる相手はいないだろう。あまりにも心強い味方の出現にリヒトは一縷の望みが見えてきたことを実感する。 「……」  同時に、強い焦燥感に胸を焦がす。  大切な妹を助けに行くというのに、自分には、何もできない。  精霊教会が捜索するのは妹としてのキサラではない。あくまでも次代の聖女であるキサラなのだ。ポポだってキサラが聖女であるから救いの手を差し伸べてくれた。もしもただの民間人ならば聖騎士が出向くはずもない。それは良い悪いの話ではなく、聖女の喪失は世界の危機に繋がる大事たりえるからだ。  故に、兄という理由だけで、そこにリヒトが割り込むことは許されない。  リヒトは弱い。剣も槍も扱えるが騎士の水準にはまだ遠く、しかも魔族や魔術師と戦った経験はない。聖堂騎士団の一員としての彼はまったくの無力であり、捜索隊に参加するなど夢のまた夢なのだ。  まして騎士団を離れての捜索など不可能である。ただの一市民では戦闘力以前の問題としてキサラの足跡さえ捉えることができないだろう。兄としてのリヒトは従士として以上に無力に過ぎた。  だから、無理矢理にでも自分を納得させるしかない。  ……軽率な行動は慎め。  さらわれたのは自分の妹ではない。未来の聖女なのだ。 「……」 「……」 「……」 「……」  …………じー……と、ポポはリヒトを見つめてくる。  自分よりもずっと落ち着きのある年端もいかない少女に見つめられる居心地の悪さに、リヒトは思わず顔をそらす。――途端、ポポは小さなため息をこぼした。 「真面目なんだな、君は」 「……?」 「……それで。君はどうする?」 「――!」  リヒトは勢い良く顔を上げる。  ポポ・クラウディアは相変わらずの無表情だが、先ほどの言葉の意味、理由を違えるリヒトではない。同時に彼女をどこか蔑んでいた自分に気づき、深く恥じる。  ――なにがキサラは聖女だから特別、だ。  ――なにが民間人だったら助けない、だ。  こんな自分にも機会を与えてくれる、心優しい女の子じゃないか! 「……いきます。力不足なのはわかってます、それでも、雑用でも何でもいい! キサラを――助けたいです!!」  身を乗り出しリヒトは叫ぶ。思いを受け取った小さな聖騎士は、顔色一つ変えないまま小さな声で「……そう」と囁き頷いた。 「……本気ですか、聖騎士ポポ」 「うん。マジ」  シルフィードはことの成り行きに意外そうな顔をしていたが、騎士隊を率いるのならば従士――雑用担当も必要だろうと、不承不承に納得した。 「……従士リヒト・レイシア」 「は、はい!」 「聖女シルフィードが命じます。クラウディア特務騎士隊の一員として、キサラ・レイシアの捜索に全力を尽くしなさい」 「かしこまりました! 従士リヒト・レイシア、かならずや任務を成し遂げてみせます!」  リヒトは姿勢を正し敬礼する。  その様子を見届けると、今まで黙って成り行きを見守っていた神父――加藤マルクが歩み出て握手を求めてきた。 「歓迎しますよ、リヒト君。私は加藤マルクと申します。これからよろしくお願いしますね」 「――はい!」  リヒトはしっかりとその手を握り返す。 (待ってろよ、キサラ!)  かならず助けだしてみせると、リヒトは固く誓いをたてる。  それが、運命。  妹を追う兄――リヒト・レイシアの運命が動き出した瞬間であった。                                 つづく 【あとがき】  メインキャラ出揃ったよー\(^o^)/  まぁかなり癖のある連中だと我ながら思いますけど、長い目で見守ってくれるとちょっと嬉しかったり。