【まえがき】  色々刺激を受けた結果、久しぶりに書いてみたSSです。  最初はb.H.H現代編のキャラがわんさと出てくるオールスター()的なの予定してたけど、気がつけばメインキャラで今まで一度も出番のなかった騎士団長の話になってた…どういうことなの(´・ω・`)  基本的にこの話だけで独立してるんで、他の短編の知識なくても問題ないはず。  強いて言えば風の聖女シルフィードと風の勇者シルヴィアの関係。新世界ルネシウスに定住を決めたシルビの後見人(義理のオカン)がシルフィード。仲はいいけど、シルビはなかなか素直になれない感じ。  時系列的にはシフォンとシヴァのいざこざが解決したあと。第一部と第二部の狭間当たり。第一部とかそういう区分けを覚えてる人っていない気がするけどなー。  ちなみにこの話、Word換算30ページ以内で収まる短編をー…って思ってたら20ページでまとまってました。意識したことはダラっとしないでサクッと。テンポ大事に。…極端すぎるだろ俺。  まぁ、そんなこんなで。  今まで絵だけでセリフひとつなかったジョシュア騎士団長の話です。      §  b.H.ヒストリア 〜騎士団長の休日〜  ジョシュア・カナンは施設で育った。  施設の名はカナン孤児院。風の都ウェントゥスの郊外に位置する小さな孤児院である。ジョシュアはそこでシスター・カナンの愛に包まれ健やかに成長していく。勤勉で、高い運動能力を持ち、信心厚い彼は、卒院後は自然と聖堂騎士団への門戸を叩いた。  精霊教会シンフォニアが保有する聖堂騎士団は、聖王国の王国騎士団と世界を二分する大戦力であり、王国騎士団との大きな違いはその間口の広さにある。王国騎士団が基本的に貴族階級と騎士階級の者しか受け入れないのに対し、聖堂騎士団では市民階級やそれ以下の者ですら受け入れていた。  そして、そういう場所であるからして、れっきとした階級格差が存在している。  ――孤児院出身者が、貴族階級より出世することなどありえない。  ただ、それは当然の結果でもあった。  貴族階級や騎士階級は精霊学園アカデミアで騎士としての教育を受けた者たちであり、無知で無力な孤児院の者たちとは出来が違う。能力のある者がない者を導いていくのは至極あたりまえのことで、疑問の余地などありはしないのだ。  そんな聖堂騎士団において、ジョシュア・カナンは異質過ぎた。  十五歳で従士として入団した彼は、その有り余る才能により瞬く間に騎士道を駆け上っていく。能力を正しく評価する聖堂騎士団という場において彼の才覚は存分に評価され、ジョシュアは二十歳という異例の若さで騎士団長へと就任した。  まさに前代未聞である。  人々は言う。  ジョシュア・カナンは、従士から騎士団長にまで上り詰めた真実の天才である、と。  人々は言う。  ジョシュア・カナンは、人類の範疇を超えた、正真正銘の化け物である、と。      § 「ジョシュア。休暇をとってください」 「……」  風の都の中枢たる大聖堂。  その最奥にある聖女シルフィードの私室に呼び出されたジョシュアは、開口一番、笑顔で妙なことを言ってくる風の聖女へと、実に冷ややかな視線を投げかけた。 「……理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」 「ゼファードから聞きました。ジョシュア。……貴方、休暇もとらずにずっと働き詰めだそうですね」 「騎士団長として当然のことです」  静かな声でジョシュアは答える。  現状、世界は平和とは言いがたい。およそ五百年前に起こった東方の魔王、夜姫カグヤの降臨にはじまり、数年前には魔王ハルシャギクが現界を果たそうと暗躍し、先ごろでは魔王シヴァをめぐる動乱が起こったばかりだ。  特に問題なのは、魔王シヴァの事件だろう。  あの一件で一時的に魔界とつながることになってしまった風の大陸には、相当数の魔族が侵入している可能性が高い。報告書によると、それらに呼応し各地の魔術結社の活動も活発になっているという。  時間は、いくらあっても足りないのだ。 「ですが……それで貴方が倒れてしまっては、元も子もないでしょう?」 「体調管理は心得ております」 「そ、それでも、万が一、ということが――」 「なら、その万が一の時に休ませて頂きます。今は仕事がたまっていますので……」 「む、むむむ……」  頬をふくらませるシルフィード。  自分よりも確実に年上だろうに、そんな姿はまるで幼い少女のようですらある。 (……どうしてシルフィード様はそこまで私を休ませたがるんだ)  ジョシュアは聖女シルフィードのことを敬愛している。  しかし、信用はしていない。  彼女の人柄は認めるが――人々の心を惹きつけてやまない彼女は『聖女』として充分すぎるだろう――その他のこと、とりわけ政治、軍事などの事柄に対し正確な判断が行えるかと問われれば首を傾げざるをえないのだ。  良く言えば天真爛漫純真無垢、悪く言えば無策無謀無能の三重苦。  とりわけ、魔族がらみの事件に関しては異常な決断をくだすことが多々あった。それこそひとつ間違えれば異端と断じられてもおかしくないような――そんな、危険な判断だ。  聖女である彼女が異端とされることはありえないだろう。  しかし、精霊教会を導く者のひとりとして、彼女には、彼女の意志とは関係なしにやりきらなければならないことがたくさんあるのだ。だからこそ、騎士団長として彼女の至らないところを支えていくと、固く心に誓っているのだが――…… 「か、かわいくない!」 「は――?」 「なんでもありません。――いいですか、ジョシュア。騎士団長たるもの、皆の模範とならねばなりません。そんな貴方が休みも取らずに働き続けてみなさい。部下は、休みを取りにくいでしょう!」 「……そういうもの、ですか?」 「実際、苦情が出ていますよ。ゼファードもぼやいていました」 「……」  ジョシュアは自分が人の心の機微に疎いことを自覚している。  だからこそ、ゼファード・グラスという男を副官に付けたのだ。自分がいわゆる『天才』であることを知っているジョシュアが求める副団長とは、自分とは真逆の騎士である。広い交友関係を持ち、物事を陽の面で捕らえ、ときには騎士団の規律さえ超えて行動する――そんな騎士でなければ意味がない。  そしてゼファードは、ジョシュアが認める立派な副団長である。……まぁ、たまに煩わしく感じることはあれど、それはそれ。そんな彼が聖女シルフィードにわざわざ進言したということは、騎士団全体の士気が低下しつつあるということだ。 「……」  先日の魔王シヴァの事件は聖堂騎士団にとっても厳しい戦いであった。だからこそ、気を抜かないよう騎士団をしっかりとひきしめる必要があると思っていたジョシュアだったが――ひと休みこそ、みなが求めていることなのかもしれなかった。 「ジョシュア・カナン」  聖女シルフィードは、彼女にしては強い口調で騎士団長へと告げた。 「貴方に三日間の休日を与えます。――よろしいですね?」 「……了解しました」  深々とジョシュアは頭を垂れた。      §  ジョシュア・カナンは天才だ。  齢二十四にして剣術、槍術、弓術、体術――学べる限りのあらゆる武術を習得し、精霊術も達人級。風の聖堂騎士団の歴史を紐解いても並ぶ者のいないまさに圧倒的な騎士であり、だからこそ若くして騎士団長になることができたのだ。  そんな彼の趣味は――――――――――――――――――……ない。  当然だ。  天才が天才であり続けるためには、常にその才能を伸ばし続けなければならない。才能を持て余しているだけでは天才とは言えないのだ。そういう意味でもジョシュアは間違いなく天才であった。彼は己を磨き続けることに貪欲であり続け、それはいつの間にか日常の一部と化していた。  つまるところ――ジョシュア・カナンは勤勉な青年なのである。  勤勉すぎて、自らを遊ばせる意味も余裕もない青年なのである。  なのに、強制的に休暇を与えられてしまった。  最初こそどうしたものかと悩んでいたジョシュアであったが……その迷いはすぐに消えた。怠惰な生活を嫌う彼は、与えられた休日の過ごし方にもまた迷いがなかった。  ジョシュアは街で花束を買うと、鉄道へと乗り込んだ。  目的地は、風の都の郊外。  幼き日々を過ごした、孤児院だ。      § 「……チッ」  数年ぶりに訪れた懐かしの故郷だというのに、ジョシュアは顔を激しくひきつらせたあと、これみよがしに舌打ちをかました。  何故なら―― 「……どうして君がここにいる?」 「それは私のセリフよ」  同じくげんなりしながら知り合いの少女――シルヴィア・R・アナスタシアは応えた。  カナン孤児院の中庭。  そこではアカデミア制服姿の少女がふたり、孤児院の子供たちと戯れていた。……それはいい。おそらく社会活動だろう。ジョシュアが在院時も時々アカデミアからお兄さんやお姉さんが遊びに来てくれていた。結構なことだ。  問題なのは、少女の片割れができれば顔を合わせたくないほど苦手な相手であるということだ。そんな相手と予想外の遭遇をしたのだから、さしものジョシュアも舌打ちのひとつはしたくなるというものだった。 「……ここは私の出身地だ」 「……私はアカデミアの奉仕活動で手伝いに来てるだけよ」  シルヴィアはちらりと後ろへ視線を投げかける。  何故か黒い改造制服を着用しているエレオノーラ・カプリスが、子供たちとごっこ遊びに興じていた。漏れ聞こえてくる会話の内容から推測すると勇者ごっこのようだが――正真正銘の勇者のやる気のなさとは正反対にエレオノーラはやたらとノリノリで、ジョシュアは見ているだけで気力が削がれていくのを感じる。  大きく、ため息をこぼした。 「……そうか。それは……運が悪いな」 「まったくよ。あんたと顔を合わせるのなんて、世界の危機限定でお願いしたいわ」 「同意だ。ならばこれからも世界平和のために身を粉にして働くとしよう」 「……ふん」  シルヴィアは眉間に深い縦皺を刻んだまま子供たちの輪へと戻っていく。その不機嫌顔はまさに悪鬼羅刹のごとく。途端に「きゃーお化けー!」「うわーんこわいよー」「魔王が出たー!」「ちょっと、魔王役はこのエレオノーラよ! シルヴィアにだけは渡さない!!」「いらないわよそんなの!」だのなんだの、騒がしい声が聞こえてくる。  そんな様子を眺めながら、ジョシュアはこめかみを押さえ、小さく呻いた。 「……はぁ、…………最悪だ」  風の聖堂騎士団長ジョシュア・カナン。  風の勇者シルヴィア・R・アナスタシア。  ふたりの仲は決して悪いわけではない。ただ、嫌いあっているだけだ。  勇者は精霊教会において聖女以上に特別な存在だ。精霊王と交感し、魔王とも渡り合える可能性を持つ人類最強戦力――それが勇者である。しかしシルヴィアは長い間、勇者としての責務を放棄し自分の城に閉じこもっていた。最近になって勇者として復帰したかと思えば、魔族の少女を庇い立てした挙句、身内に招いている。聖堂騎士の鑑たる男からすれば面白いはずがなかった。  一方、シルヴィアからすればジョシュアは陽月つかさを傷つけた相手だ。自分の聖騎士であり、想い人でもある少年を手にかけようとした相手と仲良くしろと言われて素直に頷けるほどシルヴィアは大人にはなれない。なにせ、まだ十三歳の少女なのだから。  不思議なのは、お互い相手に否定的な感情を抱いていながら、同時に肯定してもいるところだ。感情では反発していても、相手の能力は認めており理屈では受け入れているのである。  だからこそ、顔を合わせればこうして憎まれ口を叩き合う。  沈着冷静なジョシュアからすれば、シルヴィアは稀有な相手でもあった。  と―― 「――ふたりとも知り合いだったの?」 「……」  聞こえてきた声にジョシュアは振り返る。  そこにいたのは、この孤児院を切り盛りするシスター・マティリナだ。隣には精悍な顔つきの青年の姿もある。ふたりともジョシュアの孤児院時代の友人でもあった。 「マティリナに……ニックか。お前もいたのか」 「ご挨拶だな」  ニックは苦笑する。 「色々あってな。今は近くの村に住んでる。その縁でこうやって手伝いにも来るわけさ」 「色々……?」  ジョシュアは眉根を寄せる。  ニックはジョシュアの兄弟分で、いつもどっちが兄貴役なのかと張り合ってきた仲だ。もっともその気になっているのはニックだけで、ジョシュアは最初からそんな背くらべは眼中になかった。そもそも基本性能が違いすぎて勝負になったことすらない。  毎度毎度、どうでもいいことで勝負を挑んできては大敗するニックを、マティリナが慰める。――孤児院の日々は、そうやって過ぎていった。  それはジョシュアが卒院するときも変わらず、ニックは泣きながらこう言ったものだった。  ――待ってろよ! 俺も必ず騎士になってやるからな!! 「……」  だが、それからニックが騎士になったという話は聞かない。  当然だろう。ジョシュアは騎士になることの難しさを知っている。ニックではまず従士にすらなれないはずだ。前にマティリナから聞いた話では、騎士を目指して街へ出たっきり音信不通とのことだったが――叶わない夢を抱いたまま、彼はどこで何をしていたのだろうか。 「まぁ、いい。……久しぶりだな、ニック」 「ああ、本当にな。まさかお前と会えるとは思わなかったよ。元気そうだな、ジョシュア」 「お互いにな」  青年たちは握手を交わす。  ……不意に、ジョシュアの顔色が変化した。 「ん、どうした?」  ジョシュアは慌てて手を離す。  まるで不審なものを見るような目で旧友を見つめる彼の前には――不気味ににやけているニックの姿があった。必死で平常心を取り繕うとしているが、内心のニヤニヤをちっとも隠せていない不気味な笑顔だった。 「……お前は」 「ふふ、実はね」  不審がるジョシュアに、くすりとマティリナは微笑むと、そっと耳打ちをする。 「――ニックはね、この前、山向こうのお嬢さんと結婚したのよ」 「……。……ほう」  思いがけない報告に、ジョシュアは目を丸くする。 「それはめでたいな。――おめでとう、ニック」 「はは……ありがとうな」  もはやニヤついているという状態を通り越し、明らかにデレデレしながらニックは言う。よほど幸せに満ち足りているのだろう。騎士の夢は敗れたようだが、彼は別の幸せを勝ち取ったのかもしれない。 「実はな、俺がここへ顔を出せるのも嫁のおかげなんだよ」 「そうなのか?」 「ああ。近くに俺たちの孤児院があるって知ったら、顔を出すべきだって怒られてさ。……俺、ここを出てから一度も戻ってなくて――戻れなくてさ。すっかり変な意地に凝り固まってた」 「それを解してくれたのが、お嫁さんなのよね」 「まぁな。おかげで吹っ切れた。お前のこともな。だから、こうやってマティやジョシュアと話せるのもあいつのおかげってわけ」 「そうか。それは感謝しないといけないな」 「――いい嫁だろう?」  デレッと、ニックは笑う。 「結局、嫁自慢がしたいわけか」 「ふふふ、こんなものじゃないぜ。アイツのことなら俺は一昼夜過ぎても語り続けることができる!! ――みせてやるぜジョシュア、俺たちの愛を!」 「……勘弁してくれ」  ジョシュアは肩をすくめる。 「まぁ、でも……」  デレっぷりから一転、声を落とし、ニックは悲しみのこもった顔で、口を開く。 「……本当に、変な意地なんてはるもんじゃないよな。……おかげで、母さんとのお別れすらできなかったんだから……、…………本当に馬鹿だったよ。……俺は」      §  ジョシュアは聖堂騎士団に入団後は、ほとんど孤児院へ顔を出していない。  自立した以上、孤児院に足を運ぶのは自分への甘えに思えたし、日々の鍛錬に忙しかったという理由もある。  だが、それ以上に…… 「……」  カナン孤児院の小さな花畑。  子供たちの喧騒も聞こえない静かなこの場所には、精霊教会の十字架をあしらった小さなお墓がある。墓碑に刻まれた名は、シスター・カナン。ジョシュアが母と慕う女性だ。 「……お久しぶりです。シスター」  しゃがみこむと、ジョシュアはそっと花を添える。  風の聖女シルフィードより休暇を与えられて、その使い道を考えたとき――まず思ったのがシスター・カナンの墓参りであった。  自分を育ててくれた、今は亡き先代のシスター。  彼女はジョシュアが聖堂騎士団を目指すことを喜んではくれなかった。戦いの世界とは関係ない、穏やかな日々を、普通の一生を過ごしてほしいと願っていた。  そんな彼女の願いをジョシュアは顧みなかった。  それが負い目となり、孤児院へと足を運ぶことができなかったのだ。 「……」  ようやく顔を出せたのは――シスターのお葬式のときだ。  物言わぬシスター・カナンの姿を見ても、ジョシュアは涙を流さなかった。心はどうしようもなく悲しくて、泣いているのに、涙だけは流れてくれなかった。あるいはそれは錯覚で、ジョシュアは悲しんでなどいなかったのかもしれない。  幼少より隔絶した天才だったジョシュアは、人として大事なものを置き去りにしてきたのではないか。だからこそシスターは、少年に人並みの幸せを与えようとしていたのではないか。  ――ジョシュアという怪物を、人間にしたかったのではないか。 「……」  今となってはシスターが何を考えていたのかはわからない。  ジョシュアの想像通りかもしれないし、見当外れも甚だしいかもしれない。そんなことすらわかっていないのは、ひとえにジョシュアがシスターとの関連性の構築を満足に行えなかったからだ。  そう――  今さらどうしようもない後悔を、ジョシュアは抱いている。 「……」  彼はシスター・カナンを母と呼んだことがない。照れなのか意地なのか、どうしても彼女をそう呼ぶことができなかったのだ。マティリナもニックも、他の子供達だってみんな呼んでいたのに――自分だけができなかった。  母だと思っていたのに。  捨てられた自分を、いっぱいの愛で育ててくれた、大切な人だというのに。  結局、最期まで母と呼ぶことができなかった。 「……シスター」  叶わなかった思いは、今も変わらずジョシュアの中でくすぶり続けている。天国にいってもなお、母を母と呼ぶことをジョシュアはためらっている。  ――とんでもない、親不孝者だった。 「……む」  ふいにジョシュアは顔を上げる。  足音が聞こえてきたからだ。……足音で、わかる。花畑の静寂を破った相手は、風の勇者でもある異邦人の少女だ。 「……なんのようだ」  振り返らずにジョシュアは牽制する。静かだが強い声だった。 「別にあんたに用事はないわ」  ムッとした声のシルヴィア。 「シスター・マティリナに聞いたのよ。……ここに先代の――あなたのお母さんがいるって」 「あいつめ……余計なマネを」  本当に不愉快そうにジョシュアはつぶやいた。 「……そこに?」 「ああ。……私の…………、シスターの眠る場所だ」  ためらいがちに、ジョシュアは言った。 「ふーん……」  シルヴィアは墓碑の前にしゃがみこんでいる青年騎士の背中を見つめる。  大嫌いなその背中は、どういうわけか、いつもより小さく見えた。  ……ほどなくしてシルヴィアは思い至る。今の彼は母を捜し求める迷子にそっくりなのだ。そう、シルヴィアにはわかる。状況や過程は違うのだろうが、頭に来るくらい、自分と騎士団長はそっくりだった。 「あんたも、結構複雑みたいね」 「……も?」 「私もね、孤児院で育てられたのよ」      §  異世界サンガイアの大国――アメリカ合衆国。  多種多様な人種の暮らすこの国で、シルヴィアは両親に祝福され産まれてきた。裕福さとは程遠い貧しい家庭ではあったが、愛情に包まれた少女は幸せな未来を約束されてすくすくと育ち――しかし、その約束は果たされなかった。  両親が事故で他界したのだ。  当時シルヴィアは物心がついて間もない頃であり、結論から言うと、両親の記憶などほとんど残っていない。愛されてはいたという記憶はあれど、実感がすっぽりと抜け落ちたまま、両親は逝ってしまった。  そんな幼い少女に、容赦なく悲劇は襲いかかる。  駆け落ち同然で結婚した両親は親族と疎遠になっており、誰とも連絡がつかなかったのだ。結局、残された娘は施設で育てられることになる。  正直、施設にいい思い出はない。  環境が悪かったわけでもない。みんな優しかったと思う。たくさん笑ったし、たくさん泣いた。はたから見れば、不幸を乗り越え幸せを掴んだ、がんばり屋の女の子に見えたことだろう。  それでも、シルヴィアの心には何も残らなかった。今にして思えば――――……心が、麻痺していたのかもしれない。  それは仕方のないことだ。  幼い日々は突如として打ち砕かれ、あとに残ったものはなにもない。  父の強さも、  母の温かさも、  わずかに残っている、祖父母との思い出も――  大事な思いすべて、幸せな日々とともにどこかに置き忘れてしまった。  だから、空っぽの少女は、空っぽのまま、生きる意味を探していた。  ――そんな日々は、唐突に幕を閉じる。  この世界に――新世界ルネシウスへと迷いこんでしまったシルヴィアは、風の精霊王と交感を果たし、風の勇者として新生したのだ。  きっとそれは、運命だったのだろう。  この地で与えられた勇者としての使命は、少女へと新たな息吹を吹き込んだのだから。      § 「……多分、祖父母がまだ生きてると思うけれど……確かめようもないわ」 「捜そうとは思わないのか?」 「思ってたら勇者やってないわよ」  そもそも、捜そうにもあまりにも手がかりがなさすぎる。  それに―― 「正直、あっちの世界に未練はないの。心残りはあるけれど、ね」  あまりにも幼かった頃の、祖父母との思い出。  海の向こうに住む祖父母の元を、シルヴィアは一度だけ訪れたことがあった。きっと両親は自分たちのことを祖父母に認めて欲しかったのだろう。なにやら四人で難しい話をしていたことを覚えている。……それが、自分にはどうしようもなく怖かった。見慣れない街、見慣れない家、見慣れない部屋、見慣れない世界のすべてが、シルヴィアを押しつぶそうと迫ってくる。  それでも、救いはあった。  異国の地でひとりで見た、女の子が活躍するテレビアニメ。言葉もわからないその物語は――恐怖に震える少女を力強く励ましてくれた。  そうして、夢中でアニメを見ていた少女の元を、祖母が突然訪れた。  不安がる孫娘に、お祖母ちゃんはそっと腕を伸ばし…………頭をなでる。  節くれだった手のひらは、意外なほどに、優しかった。  ――それだけだ。  シルヴィアが覚えている祖父母の話は、これでおしまい。  心の重石にするには、あまりにもアヤフヤで、軽すぎる。 「ま――今の私は孤児院の娘じゃなくて、新世界の風の勇者ってことよ」 「……不良勇者が」 「なによ」  皮肉交じりにささやく青年騎士へと、むっとシルヴィアは言い返す。 「で、あんたはどうなのよ」 「なにがだ」 「家族。捜そうとは思わないの?」 「私は……赤子の頃に預けられた。父と母を恋しがるための記憶すらない」 「あ、そう」  そういう意味ではシルヴィアとジョシュアは違う。  残骸とはいえ家族の思い出がある彼女と自分とでは、小さくても大きな隔たりがあるだろう。孤児院に思い入れがないシルヴィアと、自分を生んだ誰かに思い入れがないジョシュア。まさに状況と過程が異なっていた。  それでも―― 「ただ、――母と呼ぶべきだった人を、呼べなかったことを……後悔している」  それでも、ふたりの行き着く先は、同じだった。 「君も同じではないのか?」 「――」 「君も、シルフィード様を――」  その時だった。  ちゅどーん。  ……と、中庭の方で爆発音がしたのは。  続いてエレオノーラ・カプリスの馬鹿笑いが聞こえてくる。 「ふはははははー! 我こそは世界を暗闇に閉ざす、大魔王エレオノーラ様であるぞー!!」「ぎゃー、助けて勇者さま!」「まかせて! 僕は偉大なる勇者アルフレッド――ぎゃあああ!」「あー! 勇者さまがやられた!」「誰か、誰か助けてー! きゃー!」  ……そんな騒ぎを、ジョシュアとシルヴィアは呆けた顔で耳にする。  やがて。 「ふ……呼ばれているぞ、勇者さま」 「……何やってんのよ、あいつは」  シルヴィアは頭をかくと墓碑の前へとしゃがみこむ。  目を閉じ、祈りを捧げた。  そうして立ち去ろうとするシルヴィアに、……ジョシュアは声をかける。 「……おい、風の勇者」 「なによ」 「あまり母親を悲しませるんじゃないぞ」 「――ふん」  そんな事はわかってるわよと、シルヴィアは大きく鼻を鳴らして去っていった。      §  その日の夜。  昼間にさんざん暴れ――もとい、遊びまわったせいか、子供たちはぐっすりと寝入っている。彼らを寝かしつかせると、シスター・マティリナはニックとジョシュアの待つ居間へと戻ってきた。 「おまたせ。……って、どうしたの?」 「ん、ああ……」  げっそりとした顔でジョシュアは振り返る。  青年の向かいには得意気に顔を輝かせているニックがいる。お茶菓子をついばみつつ、何やら世間話に興じていたようだが――  ジョシュアの横に腰を下ろしたマティリナに、青年騎士団長は実に彼らしくない、弱々しい声音で簡潔に状況を説明した。 「……延々とこいつの嫁自慢を聞かされた……」 「えーと、それは……」  言葉を濁すシスター・マティリナ。  困ったことに、本当にニックは永遠と嫁自慢を続けられる。しかも話題がつきないのではなく、ひと通り自慢が終わると無自覚に最初の自慢に戻るのだ。終わることなき永遠の嫁自慢は、なまじ本人が幸せそうに話し続けるものだからどうしても打ち切りにくい。  ニックと再会してマティリナは実感した。  惚気話を無限に聞いていると――――爆発すればいいのに、なんて思えてしまうことを。 (……ああ、ごめんなさい女神様。私は悪い人です……) 「いや……君のその感情は至って正常だと思う」  祈りを捧げはじめた幼馴染に、色々と察したジョシュアは疲れた声で同意した。  一方、元凶たるニックは不満げに口をとがらせている。 「ちぇ、俺はまだまだ語り足りないんだけど」 「やめてくれ……胃がもたれる」 「――ん? ……むむむむ、むぅ」  難しい顔をするニックだったが、しばらくすると、にんまりと晴れやかな笑みを見せた。 「おいジョシュア。お前、今負けを認めたな」 「はぁ?」 「はは、は。聞いたかマティ。俺、ついにジョシュアに勝ったぞ!!」  席を立ち大げさに万歳三唱をするニック。目尻には涙さえ浮かべている。積もり積もった積年の劣等感が晴れていく感動に、ニックは全身を震わせずにはいられなかった。  が―― 「ニックうるさい。子供たちが起きたらどうするの」 「う……すまん」  マティリナの怒りの眼差しにしょんぼりと縮こまる。  さんざん弱みを見せ続けた相手だけに、どうにもこの幼馴染が苦手なニックであった。 「まぁ……お前が嫁さんを愛しているのはよくわかったよ」  ジョシュアは頬杖をつきながら言う。  そのセリフに偽りはなく、こんなに幸せそうなニックははじめて見る。いつも自分に突っかかってきた少年は、誰かを愛する男へと成長を遂げていた。もうニックは自分たちとは違う。本当の家族を手に入れたのだ。  だけど、それは――…… 「なぁニック」 「ん?」 「……今……幸せか?」 「なんだ改まって。幸せに決まっているだろう」 「――そうか」  ジョシュアはむっつりと押し黙る。  ニックとマティリナは、そんな幼馴染の様子に不思議そうに首を傾げるだけであった。      §  夜はさらに更けていく。  ニックは終電の時間が近いからと孤児院をあとにし、残されたのはジョシュアとマティリナのふたりだ。兄妹のように育ったふたりは、紅茶を口に運びながら他愛のない時間を過ごしていく。 「ふふ……こんな時間まで起きてるなんて、本当に久しぶり」 「――邪魔をしたか。だとしたらすまなかった」 「ううん、そうじゃないわ」  マティリナは慌てて首を振る。 「ジョシュアにニック、それにアカデミアの子たち。今日は久しぶりに賑やかで子供たちも楽しそうだったもの。……本当、力不足を感じちゃうくらい」 「……マティリナ?」  ジョシュアはマティリナを見つめる。  彼女の顔には、どことなく陰りのようなものが浮かんでいる気がした。 「……」  滅多に孤児院に戻らないジョシュアは普段のマティリナの働きを知らない。シスターのお葬式のあと、彼女の補佐をしていたマティリナが孤児院を継いだわけだが、彼女がどのような想いを抱いてその道を選んだのか――……それは、ジョシュアでは想像もつかないことだ。 「……悩んでいる、のか?」 「ん――ちょっとね。もちろん後悔なんてしてないわ。でも、お母さんのようにうまくやれてるか。子供たちに心配かけてないか。……私はあの子たちをちゃんと育てていけるのか。それだけは、ずっと不安でしょうがないの」 「……」  ジョシュアは悩みを吐露する妹分を励ますことができない。  普段の彼女を知らない自分が、軽々しく大丈夫だなんて言ったところでどれだけの説得力があろうか。白々しいだけの言葉は、逆に彼女を傷つけかねない。だから、ただ黙って弱音を聞いてやることが、ジョシュアができる唯一の励ましであった。 「実はね、最近子供たち、元気なかったの。……ほら、この間、大きな事件があったでしょ。それで……ちょっと、ね」  言いにくいのか、ためらいがちにマティリナは言う。  おそらく彼女が言いたいのは風の大陸を震撼させた魔王シヴァの一件だろう。騎士団長としてジョシュアも関わった大事件は、市井の人々を一時的とはいえ恐怖に突き落とすには十分だったはずだ。 「……」  昼間、子供たちが勇者ごっこをやっていたことを思い出す。  最終的に勇者役を引き受けたシルヴィアが魔王役エレオノーラを割りとマジでのして終わった三文活劇は――子供たちの不安から生み出されたものなのだろう。やはり、そう簡単に恐怖を払拭することはできないのだ。 「……すまなかったな」 「あ、ううん。違うの。ジョシュアたちが頑張ってくれたおかげで、平和が戻ってきたんだし……感謝してるよ。本当に」 「……」  なんとも言えず、ジョシュアは立ち上がると窓を明けた。  夜空を見上げる。  そんな青年の隣に、何故か――そっと、マティリナが寄り添ってくる。  ふたりで見上げる夜空は厚い雲に覆われていて、月は見えない。 「あの日も、こんな空だったね」 「そうだな」  ジョシュアが騎士を目指す決意をしたあの夜も――……これくらい、暗かった。 「シスターは――私を、許してくれるだろうか」 「元から怒ってなんていないわ。あなたも知ってるでしょう、優しい人だったもの」 「……」 「でも――すごく、悲しんでた」 「……そうか」 「でも、ね」  ジョシュアから離れると、マティリナはやわらかく微笑む。  その姿は――……どことなく、シスター・カナンを思わせた。 「――」  ジョシュアは息を呑む。  そして、彼女の悩みが実にバカバカしいものであると悟った。だって、――シスター・マティリナの中には、しっかりと彼女の心が受け継がれているのだから。 「ねぇ、ジョシュア」 「……なんだ」 「お母さんは、ジョシュアのことを誇りに思ってるはずよ。だって、世界を守るために戦っているんだもの。――そんな人を、嫌いになるはずないじゃない」 「……そう、か」  つぶやく声は、とてもとても、小さな声。  ジョシュアは少しだけ目線を彷徨わせて――やがてマティリナへと微笑みを浮かべてみせる。――……どうしようもない強さと決意を宿した、悲しそうな笑顔だった。 「ジョシュア?」 「……」 「……――ねぇ、今晩は泊まっていくんでしょ? あなたが使ってた部屋、まだ残ってるけど――」 「いや」  しっかりと、首を振る。 「やることがある。このまま仕事に戻るさ。私には、やらなくてはならないことがある」 「え、ちょ、ちょっと――」  止めるまもなく、ジョシュアは外へと歩いて行く。  月のない空。  黒い夜空。  ジョシュアの瞳は、その果てを睨みすえる。 「マティリナ」 「は、はい?」 「……君は立派なシスターだ。自信を持っていい。そして、できるなら私のような子供がいたら止めてやって欲しい。……君なら、大丈夫だ」 「ジョシュア?」 「――さようなら」  途端、強風が吹き荒れる。  思わず目を覆ったマティリナだが、次の瞬間にはもうジョシュアの姿はなく――慌てて見上げると、風の精霊術で飛翔する彼の小さな姿があった。  あっという間に遠ざかっていく。  まさに、風のように去っていってしまった。 「……なんなの、もう!」  ひとり取り残されたシスター・マティリナは、むぅっと頬をふくらませる。 「今度あっても、絶対、お菓子を用意してあげないんだから!」      §  魔術結社、というものがある。  魔術の始祖たる魔導王ソーサラーの弟子たちが創設した、冥界より這いより魔を求め死を導き悪をなし夜を往く異端の集団――それが魔術結社である。その全貌は今をもってして不明であり、風の大陸だけでも数十を超える魔術結社が潜んでいると言われている。  彼らを滅することもまた、精霊教会の大事な役目のひとつだ。  いや――……  世界を破滅させるために日夜暗躍を続けている彼らは、ルネシウスに生きるすべての人々の敵と言っても過言ではないだろう。  事実、最大規模の魔術結社であるアルマゲストは、数年前に魔王ハルシャギクを現界させるために数々の破壊活動を行った。聖堂騎士団はこれに果敢に立ち向かい、彼らの陰謀を瀬戸際で阻止することに成功したのだ。  そう。  彼らは世界の敵だ。  絶対に許してはならない、悪、なのだ……!      §  鉄道を降り、ニックは夜の森を歩いて行く。  最初はどこか恐ろしく感じたこの森も、今ではすっかり慣れてしまった。愛すべき家族の暮らす村は森を抜けた先にある。小さくて辺鄙で、山向こうで、街に比べたらろくな娯楽のない村だけど、みんな精一杯に生きている――そんな第二の故郷を、ニックはとても大切に思っていた。  それにしても、である。 「――ぬふ、ふふふ……」  ひとり不気味な笑みを浮かべるニック。  もうすぐ嫁に会えると思うだけで自然と笑顔が浮かんでしまう。今日、まさかあのジョシュアと再会するとは夢にも思わなかったが――久しぶりに過ごした幼馴染との時間よりも、嫁との時間の方が何十倍も心を満たしてしまうのだから不思議だった。  いや、違う。  不思議でもなんでもない。それだけ彼女を愛しているという証なのだから。  その時だった。 「――ぅおう!?」  ものすごく、突然、何の前触れもなく、空からジョシュアが降ってきたのだ! 「なんだよ、ビックリさせんなよ……」  ドキドキする胸をなだめながら、ニックは大きく息をつく。 「今のが精霊術ってやつか? 空から降ってくる人間なんてはじめてみたぜ。まったく、お前は――」 「単刀直入に言おう」  ニックの言葉を遮り、ジョシュアは言う。  幼馴染を見据える青年騎士の顔は、まるで月の見えない夜空のように、暗く冷たかった。 「……お前、魔術師だな」 「……!」 「正直に答えろ」  違和感は最初からあった。  ニックと再会し握手を交わしたとき――風の精霊たちがざわついたのだ。その感覚をジョシュアは知っている。何度となく魔術師たちを屠ってきた優秀な聖堂騎士の直感は、もはや絶対の確信として堕ちた幼馴染を捉えていたのだ。  だからこれは、気の迷いだ。  間違いであって欲しいと、そう願うジョシュアの弱い心が――こんな、無意味な問答を起こさせている。 「……よくわかったな。さすがというか、なんつーか……」  頭をかきつつ、ニックは答える。  ジョシュアの顔色は変わらない。 「いつからだ」 「結婚してからだよ。嫁の村がな、魔術結社だったんよ。まぁ、その関係で、俺も……な」 「そうか」 「おっと、魔術師だからって悪く思わないでくれよ? 先祖が魔術結社ってだけで、普通の村なんだからさ。みんないい奴らだしな。……そうだ、ここまで来たんならお前も来るか? せっかくだし嫁に会わせてやるよ」  どこか照れたようにはにかむニック。  その言動からはなんの危機感を伺えない。ニックは嫁自慢の延長のつもりで言っているに過ぎないのだ。兄弟同然に育った幼馴染を家に招待するのは当たり前のことであり、そこには善意しかなく、新婚特有の甘い空気さえ漂っていた。  そう、彼は単純に愛妻を幼馴染に見せびらかしたかっただけに過ぎない。  だが――  聖堂騎士団を、ましてジョシュアという青年を前にして、彼のとった行動はあまりにも軽率で致命的であった。 「なぁ、ジョシュ――」  彼のすべては、そこで潰えた。      §  それから数日後。  風の聖堂騎士団では、ひとつの噂がまことしやかに囁かれていた。  いわく、休暇中の騎士団長が魔術結社をひとつ壊滅させたとか、  いわく、その際の彼は丸腰だったとか、  いわく、帰還した彼は血にまみれていたが、自身が負った傷はひとつもなかったとか――  いずれも真偽不明の噂だ。  しかし、その信憑性を疑うものは聖堂騎士団内には誰ひとりとして存在しなかった。  そうして、騎士たちは口をそろえてこう言うのだ。  ジョシュア・カナンは天才である、と。  ジョシュア・カナンは、――――化け物である、と。      § 「何故ですか、ジョシュア!」  自分を非難するかのような聖女の声にも、ジョシュアはいつも通りの涼しい顔を崩すことはなかった。 「どうして、あのようなことをしたのです!」  いつになく強い口調だった。  そもそも、聖女シルフィードが騎士団長室を訪れることが珍しい。おそらく、先日の件を聞いていてもたってもいられなくなり、急ぎ飛び込んできたのだろうが―― 「……お言葉ですが」  淡々とした声でジョシュアは応える。  シルフィードが熱くなればなるほど、ジョシュアの心は凍てついていくだけだった。 「私は聖堂騎士団として当然のことをしたまでです」 「……!」 「それとも、シルフィード様は魔術結社を見逃せと、そうおっしゃるのですか?」 「それは……」  先ほどの勢いは失せ、風の聖女は力なくうなだれてしまう。  精霊教会の聖女たる彼女ならば理解しているはずだ。  魔術結社を――  魔術師を放置することが、どれだけ罪深い行為であるかということを。 「ですが……」 「……」 「……」  重苦しい沈黙が続く。  やがて。 「……そう、ですね」  反論する言葉も失った風の聖女は、弱々しく会釈をすると、今にも泣きそうな顔をしながら――騎士団長室をあとにした。  聖女の後ろ姿を見届けると、ジョシュアは天を仰いだ。  見慣れた天井は、特別な感慨などなにもなくジョシュアの瞳に映り続ける。 「……」  何故、彼女があのような顔をしたのか、ジョシュアにはわからない。  魔術師は悪だ。世界を破滅へと導く敵であり、それを滅することに私情を挟むなどあってはならないことだ。なのに、まるで彼らに同情するかのようにシルフィードは嘆き悲しんでいる。ジョシュアには理解できない感情だった。  だと、いうのに。 「……」  彼女の今にも泣き出しそうな表情が――鈍く、心を締め付けてくる。  理不尽だと思った。  だってジョシュア・カナンは何も間違ってはいない。  魔術結社を発見したから始末した。  正しいことをしただけだ。  おかしいのは聖女シルフィードの方だというのに――どうして、こんなにも心が軋んでしまうのだろう。 「――私は……」  力なくつぶやき、頭を振る。  ジョシュアは湧き上がりかけた気持ちを砕くように、奥歯を強く噛み締めた。 【おわり】 【あとがき】  何度となくジョシュアを樹種あと打ち間違った。