挿絵画像や縦書きwordの入ったファイルは こちら → http://rsp.x0.to/sai/moe/src/sn1255.zip  ※ ただしwordファイルは入稿時のまんまです。    リュウミンフォントを使っているので表示がバグるかもしれません。    なので、読むのならばこのテキストファイルを推奨しますー  新世界ルネシウス。  精霊信仰とマナに支えられた、大地と海を失った世界。  世界にはわずかな浮遊大陸が残るのみであるが――――  それでも、人々はたくましく生きていた。  生き抜いていた。  滅びるはずの世界は――……そこに生きる人々の想いを糧に、醜くもしぶとく生きながらえていたのだ。  しかし、それを許さない者たちが存在した。  世界の底に潜む邪悪の権化たち……  魔王と呼ばれた彼女たちは、世界を闇に還すべく、行動を開始した。  だが、それに立ち向かう戦士たちもまた、存在していた。  世界を統べる精霊王と契約を交わし、超常的な力を得た者たち……  人々は、畏敬を込めて彼らをこう呼んだ。  勇者――と。  ■ 風の勇者の割と平凡な一日 ■  どうして、こんなことになってしまったのだろう……?  暗い。  そこは一切の光の存在を許さない漆黒の暗闇。  昏い。  狭い空間はほこりとカビの匂いで満ちていて、この部屋が何年も人の手が入っていないことをうかがわせる。  冥い――  何よりも、ちょっと動くだけでほこりが舞い上がり、髪を汚していくのが少女にはたまらなく嫌だった。 「まったく――なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのかしらね」  金の髪にまとわりついたほこりを払いながら、少女は言う。  普段は陽光に光りキラキラと輝く美しい髪も、ここでは闇に溶け、輝くことはない。 「…………」 「みんなあのガキンチョのせいだわ。もう絶対に許さないんだから」 「…………」 「はぁ――。それにしても、日本ってなんでこう、蒸しっとしてるのかしら」 「…………」 「暑くてしょうがないわ」 「…………」 「こんなことなら、氷をいっぱい持ってくればよかった」 「…………」 「……えーと」 「…………」 「ここ、笑うところなんだけど」 「…………」 「氷なんかあっても、この状況じゃすぐ溶けちゃうわよー……って。わかる?」 「…………」  すぐ近くで、何かが動く気配がする。おそらく頷いたのだろう。もしくは笑おうとしたのかもしれない。――最悪、首を傾げただけかもしれないが。 「……はぁ」 (なんてこと――)  少女は嘆く。  こんなはずではなかった。  もっと、楽しい一日になるはずだったのだ。  穏やかな一日になると――  そんな予感が、していたのだ。  だと、いうのに…… (どうして、こんな目に遭わなければならないのよ)  トン、と肩が隣の少女に触れる。 「……ちょっと。あなた、もうちょっとアッチへ行きなさいよ」 「…………」  モゾモゾ、と何かが動く気配がする。 「…………」 「…………」  動きが収まった。 「…………」 「…………」 「……あなたねぇ……さっきから黙ってばっかり……少しは何か喋りなさいよ。うんとかすんとか」 「……すん」 「…………」 「……す……すん!」 「聞こえてるわよ!!」  叫ぶと、少女は立ち上がり鋼の扉をバンバンと叩く。 「もうやだぁぁぁぁ〜! この子と一緒なんて、絶対に嫌ぁー!!」 「……?」  背後で、黒いドレスの少女――シフォンが首をかしげたのが、今度ははっきりと分かった。 「……すん?」 「だーれーかー! たーすーけぇーてぇえええーー!!」  ふたりきりで閉じ込められた暗闇の中。  シルヴィア・R・アナスタシアは、誰にも届かない救いの声を上げ続けた。  本当に。  どうして、こんなことになってしまったのだろう――――      ■■■  シルヴィアの朝は早い。  というより、半ば強制的に起床させられる、といった方が正しいか。 「――――朝、ですよ」 「む……」  布団の中でぬくぬくしているシルヴィアの肩を、メイド服を着込んだ桃色の髪の女性が優しく揺さぶってくる。その微妙な力加減とリズミカルな揺れがまさにゆりかごの如き安眠効果を発揮し、シルヴィアの眠りはますます深くなっていく。 「――――朝、ですよ」 「う……ん……」 「――――朝」 「ん……」 「――――ですよ……?」  ちっとも起きる様子がないシルヴィアに困り果てたのか、女性はまどろみの中の少女へと――綺麗な金髪へと、そっと手を伸ばす。  なで。  なでなでなで。 「――――朝、ですよ」 「……」  寝ぼけた意識の中、優しくなでられながらシルヴィアは思う。この子は本当に自分を起こす気があるのだろうか……と。自分を優しくなでてくる、眠りへ誘う冷たい手。人と同じ色形をしていながら、その感触にわずかな違和感を感じてしまうのは、彼女の正体を知っているからであろうか。  メイド一号。  そう名付けられ、また、そう名乗ることに誇りすら抱いている彼女の正体は、かつて大陸に覇を唱えた神聖帝国ゼ・グラーダの時代に製造された機人(ヒューマシン)――メイドロボである。当時、メイドロボは上流階級ならば誰もが所有している程度にありふれた存在だったそうだが、激動の時代の中、彼女たちが出荷され、活躍する日が訪れることはついになかった。  神聖帝国の崩壊。  その後に訪れた、高度文明を失った暗黒時代。  徐々に復興した人類社会と、躍進した亜人たちによる戦乱の時代。  そして、聖王国の誕生。  うねる時代の流れとは無関係に、彼女たちは、ただひたすら目覚めの時を待ち続けた。  そして――  ひょんなことから彼女たちを発掘し、眠りから呼び覚ましたのが誰であろう、シルヴィアなのである。 「…………」  一向に眠りから覚める様子のない主に、メイド一号は頭なでなで作戦を止めて、再び少女の体をゆすりはじめた。とはいえ、相変わらずの心地よいゆりかご状態であり、起きる気配は微塵もない。ここで力いっぱい布団をはぐとか出来ればまた別なのだろうが――礼儀正しく主従関係を重んじる傾向のあるメイド一号に、そんな失礼なことをやる度胸はもちろんありはしなかった。 「朝、ですよ――」  ゆさゆさ。 「朝、ですよ――」  ゆっさゆさ。  ゆさ。  心地いいまどろみ。  しかしシルヴィアは知っていた。  ここで起きないと、次に大変なことが待ち受けていると。  でも。 (今日は……うぅ……) 「朝、ですよ――」 「むうぅ」 「朝――」 「あっさだぞおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーー!!!!」  ゆりかごと同じ声。  だけど、ゆりかごとは真逆の声でもって、朝っぱらから無駄に元気の良い奇声(と、あえて言わせてもらう)が寝室に響く。  ハッとしてシルヴィアは身を起こす。  だがすでに遅し。  急速に覚醒した意識と視界の先に、こちらへ向かってダイビングしてくる影ひとつ。わざわざ助走をつけて飛び込んでくる辺りが実に危険だ。何が危険かって、それはもちろん、この影を受け止めることになりかねない小柄な少女(シルヴィア)が、である。 「あっはー」 「ちょ――!?」  脳天気な笑い声と共に、桃色の髪をしたもうひとりの女性がシルヴィアの胸へと飛び込んで――というか落下した。  ギチン!  まるで鉄板でも落としたかのような勢いで、質素だが綺麗なベッドが激しく軋んだ。  ギィ、  ギィ、ギィ、…… 「…………」  ベッドにボディプレスかました体勢のまま、女性はしばし沈黙する。  そして―― 「マスター、起きましたかっ」  ベッドから転がり落ちるように回避した金髪の少女へと、ニコニコ顔で問いかけた。 「……ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」  荒い息のまま、シルヴィアは恨めしそうな視線で女性を見る。 「あなたねぇ……」  いきなりボディプレスをかました、もうひとりの桃色髪の女性。彼女もまた、メイド一号と同じくメイド服を身にまとっていた。  いや、それだけではなく―― 「……お願いだから、その起こし方はやめてほしんだけど。一歩間違えたら潰れちゃうじゃない。……重いんだから」 「えー、それって何か失礼ですっ」  頬をふくらませプンスカしつつ、もうひとりのメイドはベッドの上から降りると、メイド一号の隣に並んだ。その容姿は瓜二つ。まるで鏡合わせのように寸分違わず同じであった。違うところがあるとすれば、それは表情と言動だろう。冷静沈着っぽいメイド一号に対し、もうひとりのメイドはとにかく元気で騒がしく、落ち着きがなかった。  メイド二号。  彼女もまた神聖帝国末期に製造されたメイドロボであり、メイド一号と対になる、いわば双子の妹ともいうべき存在であった。 「――失礼なのは貴女よ。マスターに対する身の程をわきまえなさい」 「マスターを定時に起こすのが私たちのお仕事でしょ? 一号のやり方じゃ起きないから、いつも私が起こしてあげてるんじゃない」 「少しは悪びれなさいと言っているのです」 「ぶー。ホントは一号もやってみたいくせに」 「みたくありません」 「ホントにぃ?」 「…………ホントです」  何やら姉妹喧嘩をはじめるメイドロボたち。  シルヴィアは彼女たちを横目に、枕元の時計を確認する。  時刻は朝の六時過ぎ。  いつも通りの時間、いつも通りの姉妹とのやりとり、いつも通りの朝―――― 「…………」  かつて人々と共に生きた機人は、人間たちに隷属する立場でしかなかったという。  彼女たちはまさに奴隷と言うべき存在であり、主の意思ひとつでどのような理不尽な命令でも絶対に遂行せねばならなかった。それを不満に思う意思すら剥奪され、ただ人間の道具としてのみ価値を求められる――それが、機人という存在であった。  世が世なら、主をまともに起こせないとか、起こすのに体当たりが必要とか、そんな欠陥品はきっと処分されてしまったのだろう。 「……ぁふ」  あくびを噛み殺し、シルヴィアは思う。  彼女たちが機人として欠陥品で良かったと、そう思う。  五年前のあの日――  シルヴィアが求めたのは自分に従属する召使いではなく、共に笑い、涙する友人だったのだから。 「マスター」  口喧嘩を終えたメイド一号と二号が、シルヴィアに向き直る。  まるで申し合わせたかのように、一緒に口を開いた。 「マスター、おはようございます」 「……おはよう」  そうして、シルヴィアの一日はいつも通りに幕を開けたのだった。      ■■■  聖王国アークランド。  五つの浮遊都市を中心とした、ルネシウス最大の国家である。  そのひとつ、風の精霊王サナキエールを祀った風の都ウェントゥスの郊外に、古ぼけた城があった。  数百年にわたり無人だったこの白い古城は、一時期お化けの住む城として住人たちの間で有名だったのだが――今となっては別の意味で名を知られている。  勇者の住む城。  五大魔王のひとり、黒死将ハルシャギクの現界を阻止した、偉大なる風の勇者シルヴィア・R・アナスタシア――異世界サンガイアより迷い込んだ少女が、冒険の末にここに根を下ろしてから、かれこれ五年の月日が経っていた。      ■■■  身支度を整えると、シルヴィアは専用食堂へと向かう。  そこで待ち受けていたのは、豪華で優雅なセレブな食卓――などではなく、庶民の家でもお馴染みの、典型的なパンとジャム、そしてシチューというメニューだ。  お城に住んでいて、聖王国の王族として迎えられアナスタシアの名を授かってはいても、シルヴィア自身は(異世界出身ではあるが)元々庶民である。変にかしこまった高そうな食事はあまり好みではないのだ。  そのことを知った彼女に仕える少年が、「なるほど、松茸よりも椎茸の方が好きなんだな!」と評し、なんだかちょっと馬鹿にされたような気がしたこともあったのだが……  まぁ、それはともかく。 「いかがですか、お嬢様」 「…………ん、……さすがだわ、ルゥリィ」 「ありがとうございます、お嬢様」  主の側に控えながら、青い髪のメイド長――ルゥリィは微笑みを浮かべ応えた。 「今日も残さず食べてくださいましね♪」 「……うん」  シルヴィアは、視線を泳がし微妙に顔をひきつらせながら頷いた。  この城の炊事、掃除、洗濯は、三人のメイドにより賄われており、その前者を主に担当しているのがメイド長のルゥリィ・カトレイヤである。彼女はメイド姉妹のように機人ではなく、ただの人間であるが――……いや、ただの人間っぽく見えるが、その実、ちょっとだけ違っていた。  炎の都の聖堂騎士団・副団長。  それがルゥリィのかつての肩書きであり、事件を通して知り合ったシルヴィアの今後を心配し、彼女に付き添うためだけに騎士団をやめメイドへと転職までしてしまったという、ほんわかゆるゆるした空気とは裏腹になかなか活動的な女性だ。  もっとも。  彼女のメイドとしての才覚は…………その、ものすごく独創的だったりするのだが。  こんな話がある。  凝り性のルゥリィは、メイドへと転職する際にメイド学校(というものがあるらしい)へと入学した。元騎士様という異色の肩書きをもつ彼女は、炊事はもちろんのこと掃除洗濯全てにおいて異色の結果を出し続け、教師陣を阿鼻叫喚の地獄絵図に叩き落としたという。そして、わずか三ヶ月でメイド学校を追放、もとい卒業してしまったのだ。  とにもかくにも、メイド姉妹を不適合メイドと称すなら、ルゥリィ・カトレイヤもまたメイド失格娘であった。 (――まぁ、楽しそうだからいいんだけどさ)  メイドとして働くルゥリィは、騎士として戦っていた時よりも、ずっと生き生きしているとシルヴィアは思う。  鎧を脱ぎ捨て、メイド服を着て、笑顔で毎日を暮らしている。  今の彼女の姿を見て、数年前まで鬼の副長と呼ばれていた騎士様だったと思う人は、きっといないのではないだろうか。 「――ごちそうさま」 「お粗末様でした」  空になった食器を片付けながら、青髪のメイド長は嬉しそうに微笑んだ。 「お嬢様の好き嫌いがなおったこと、私はとっても嬉しく思いますわ」 「……好き嫌いの問題じゃなかったんだけどね」  ボソリとつぶやくシルヴィア。  実は割と好き嫌いが激しい――というか食わず嫌いなところのあるシルヴィアであったが、ことルゥリィの料理に関して、それは瑣末な問題でしかないのだ。 「思えば遠くへ来たものよね」  月日の経過とは恐ろしい物で、今となってはルゥリィの料理といえど完食しない日の方が珍しくなっていた。その影には、青髪のメイド長の調教と工夫と調教と愛情と調教による激しい修練の日々があったりもしたのだが―― 「……? どうかしましたか?」 「な、なんでもないわ」  とにもかくにも、日々是精進、である。  もしくは、慣れとは怖い。 「――お嬢様、本日はカフェ・オ・レとなっています」 「そ、そう。ありがとう」  食後のドリンクをテーブルへと置くと、ルゥリィは食器を乗せたワゴンを押しながら静かに食堂を後にした。ほとんど物音を立てないところを見ると、音に聞く東方の忍者みたいである。 「…………」  シルヴィアは一息つくと、ミルクがたっぷり入った甘いカフェ・オ・レをそっと口へと運ぶ。先程のお手製料理と違って、インスタントだが味はいたって普通のカフェ・オ・レだ。暖かな甘みが、五臓六腑に染み渡っていく。  彼女がカフェ・オ・レにこだわりはじめ、この味が失われてしまうのはいつのことになるのだろうか。  そんな、どうでもいいことを考えていると―― 「ん……」  開け放たれた窓から、朝日と共に爽やかな風が吹きこんできた。  さらさらと、カーテンがやわらかにゆれる。  風に乗って、馬車の音や人の声が聞こえてくる。 「……平和だわ」  ――思えば、ルネシウスで暮らすようになってからも様々な事件があった。  異邦人の少年との出会い。  魔術師の暗躍。  魔王シヴァの復活。  竜族との邂逅。  そして、夜姫カグヤの襲撃。  だが……今は、平穏な日々が過ぎている。  穏やかに。  緩やかに。  ただ、過ぎていく、あたたかな時間…………――――  ――――…………とんとんとんとん。  ガチャ。  バン! 「――――おはよう♪」 「ぶふっ!?」  ……だった、はずなのに。  あっという間の足音に、威勢よく開かれた食堂の扉。  その、向こう。  そこに、見た目だけは可愛らしい女の子が、微笑みながら右手をシュタッと上げていやがったのであった。 「おはよう♪」  朝日に銀の髪をキラキラと輝かせ、黒い巫女服の少女はさわやかな笑顔であいさつをする。  彼女の名前はカグヤ。  神を砕くと書いて、神砕耶(カグヤ)。  物騒な名前の通り、見た目は十歳くらいの子供でもその正体は五大魔王のひとり――東方の島国を支配する魔王、夜姫そのヒトだ。鬼人と呼ばれる魔族たちを統べる魔王である彼女は、その地位に相応しい大きな黒い角が頭部より二本生えており、確かな威容を醸し出している、はず、なのだが―― 「…………」 「???」  首を傾げるカグヤ。  その姿は威容よりも、少女本来の持つ愛らしさの方がはるかに強く印象に残ってしまう。  なんともまぁ、色々な意味で困った娘なのであった。 「……何しに来たのよ、あなた」  テーブルの上に逆噴射したカフェ・オ・レをハンカチでぬぐいながら、どこかげんなりした様子でシルヴィアは問いかける。  せっかくこれから優雅な休日を満喫しようと思っていた矢先にこれである。少々邪険に扱っても誰からも文句を言われる筋合いはないだろう。 「――というか、仮にも魔王が気軽に勇者の所へ遊びに来るの、やめて欲しいんだけど」 「まぁ、お姉様はよくて、私はダメだって言うのかしら、シルビーは」 「シルビー言うな」  お姉様とは、魔王シヴァ――を吸収してしまった魔族の少女、シフォンのことだ。なんでそんな事態になったのかについては長くなるので省略するが――現在も魔王を継承した少女は監視の名目のもと、この城でシルヴィアやルゥリィたちと寝食を共にしている。 「……あの子は特別なのよ。あなたと一緒には出来ないわ」 「えー。なんで?」 「自分のやったことを、胸に手を当てて考えてみなさい」  軽く睨みつけながら、シルヴィアは言う。  夜姫カグヤ率いる東方の軍団が、シルヴィアたちに挑戦してきたのはつい先日のことだ。カグヤの目的は、街の破壊とか勇者打倒とか風の聖女シルフィードの抹殺とか、そういった類ではなかったため、紆余曲折の末、和解するに至ったのだが――だからと言って彼女を許したわけではない。  戦いで、多くの人が傷ついたことに変わりはないのだから。 「そんなことより、ねぇ、私サンガイアに行きたいんだけど」 「人の話を聞きなさいよッ!」  ウガーっと唸るシルヴィアなんて気にした様子もなく、カグヤはにっこりと笑顔で変なお願いをしてきた。 「ね、いいでしょ?」 「――サンガイア? なんでよ」 「つかさの所へ遊びにいくの♪」 「だから、なんでよ!」  サンガイアには、陽月(ひづき)つかさ、という名前の少年がいる。彼こそが勇者シルヴィアと主従関係を結び、その力の一端を行使する権利を与えられた聖騎士であり、また、少女シフォンを魔王シヴァにさせまいとガムシャラに立ち回り、結果としてシフォンがシヴァを取り込むための原動力となった少年でもあった。  シルヴィアとしては、自分のつかさが魔族の女の子に心を砕いていること自体あんまり面白く無いというのに――この上、夜姫まで彼にどんな用事があるというのか。 「……あなた、一体何を考えてるの?」 「遊びにいくのに理由なんてないじゃない? ね、いいでしょ? あなたの城の大鏡が、サンガイアと繋がってるって、ちゃんと知ってるんですからね」  にんまりと笑うカグヤ。 (どこでそんなことを調べてくるんだろう……このお姫様は……)  呆れ返った態度を隠すこともなく、シルヴィアは首を横へと振った。 「ダメよ。つかさは今忙しいんだから。なんでもキマツシケンだとか。だから、今は会えないって言われてるもの」 「言われてるのはあなた達だけでしょ? 私には関係ないわ」 「どんな理屈よ」 「それに――」  カグヤの真紅の瞳が怪しく輝いていく。  シルヴィアは、息を飲んだ。  普段はこんなんでも、彼女の正体は超絶的な力を秘める魔王のひとりなのである。もしも今、夜姫が全力で自分を殺しにかかれば――シルヴィアに抗うすべはないだろう。世間様からいくら勇者とありがたがられても、現実として魔を統べる存在との間には、それだけの力の差があるのだ。 「それに……?」 「それに、私に無理やり連れてこられたってことにすれば、シルビーもつかさに会えるわよ?」 「う――」 「ほらほら、会いたくないの? しばらく会ってないんでしょう?」 「うう――」 「声聞きたくない?」 「うぬぬ」 「顔見たくない?」 「うぬぬぬぬ」 「接吻したくない?」 「しないわよ!!」 「ふふん、嘘ね。嘘だわ。その顔は経験者の顔だもの」 「ぐぬぬ……」  恐ろしい精神攻撃である。 (こ、これが夜姫の真の力――!) 「ほらほら、ほ〜らぁ〜」 「う――ううううう……うーーーゎぁかったわよ! いいわよ、連れていけばいいんでしょう! いいわ、分かったわよ!」 「ホント? わーい、ありがとうシルビー♪」  目を輝かせると、カグヤはシルヴィアの胸へと飛び込んできた。 「……むむむ」  金髪の少女は柳眉を歪ませる。  この少女は、魔王なのだ。  今は和解こそしているものの、本質的には敵なのだ。  だと、いうのに。  じゃれついて来る巫女服の女の子を、不覚にも、可愛いなぁと思ってしまうなんて―― (――いけないわね、これじゃ)  胸の中の少女の頭をなでなでしながら、猛省するシルヴィアであった。 「それじゃ、さっそくみんなで行きましょう」 「みんな?」 「ええ、そうよ。ひとりはもちろんシフォンお姉様で、もうひとりは――」  少女の声に応えるように、ぬ……と、青年が入ってくる。 「な――」  シルヴィアは思わず絶句する。  その、男。  高い……というよりも大きいといった方が正確か。厚い筋肉で覆われたたくましい長身。腹筋丸出し――ズボンは履いているので、言うならば半裸コートだろうか――な服。闇を孕んだ金色の瞳に、風になびく長い黒髪と端正な顔立ちは、美しくもあるがそれ以上に相手に厳つい印象をあたえる。  頭部に大きな角が二本生えていることからしても、間違いなく夜姫眷属の魔族であろう。  しかも――かなり高位の。 「――――」  ギョロリ、と男がシルヴィアへと視線を向けてくる。  少女の頬を汗が流れ落ちる。  目をあわせてしまっただけで、分かってしまった。  ――――この男は、世界を荒らすことに喜びすら感じている――……と――!! 「……だれ。そいつ」  警戒しながら、シルヴィアは問う。  勇者たる少女のマナに反応したのか――風の精霊たちがピリピリとざわめいた。 「……その子はね」  うっすらと笑いながら、カグヤは男を睨めつける。  居心地悪そうに、男が視線を逸らした。 「――私のしもべ」  艶やかな声で、カグヤはささやいた。  ちなみに。  シフォンの朝は遅い。放っておくと、休日をほとんど寝ていたりするほど、遅い。  つまり、急遽予定が決まったこんな日には、ちゃんと起こしてやらないといけないわけなのだが……  ……とんとんとんとん。  ガチャ。  バン! 「お姉様、迎えに――――って、ぎゃあああああああああああああああ!?」  威勢よく扉を開け放ったカグヤの視線の先。  そこには、熟睡するシフォンの上に折り重なるようにして乗っかっている二体のメイドロボの姿があったのだった。 「ちょ、ちょっと! お姉様に何してくれてるのよこの重量級ポンコツー!!」 「うわぁ……一号まで……」  見た目は人間でも、体重は軽く三桁をこす機人二体に乗っかられてるこの状況。  ……ほとんど圧殺されかかってるんじゃないかと不安になるシルヴィアだったが、シフォンはこの期に及んでも規則正しい寝息を立てていた。  それにしても。 「……ほんっと起きないのね、この子」  騒ぎながら軽々とメイド姉妹をひっペがしていくカグヤを尻目に、シルヴィアはこれをどう起こしたものかとため息をつく。この手のタイプは自分が起きようと思わない限り何をしても起きないのだ。きっと火事になってもそのまま寝続けて丸焦げになるに違いない。 「いっそ置いてった方がお互いのためなんじゃない?」  妙案だ、と言わんばかりに指をピンっと伸ばすシルヴィアだが、カグヤは不満だ。 「えー、ダメよ。みんなでつかさの所に行くから面白いんじゃない」  と―― 「…………」  本当に、唐突に。  ムクリと、黒髪の少女は身を起こすのだった。 「……あら、お姉様」 「ぐげ……こ、こいつ……」 「………………………………………………………………」  寝ぐせ頭のまま、しばらく呆けたような視線で周囲を見回していたシフォンだったが、部屋の隅っこに放り出されているメイド姉妹と、ベッドの側で嬉しそうに目を輝かせているカグヤと、出入口で嫌そうな顔で固まっているシルヴィアを順に眺めて……最後に、壁時計を見て時刻を確認すると、小さな声で、つぶやいた。 「…………ぉゃすみなさぃ…………」 「おはようございますっ!!」  シルヴィアが突っ込んだ。      ■■■ 「へぇー、ここがつかさの家なんだ。結構大きいのね。それに、涼しいわ」  居間でくつろぎながら、カグヤは感嘆の声をあげる。  シルヴィア城の大鏡はサンガイアにあるとある学校の鏡と通じている。つまり、鏡を抜けたからといってすぐにつかさと会えるわけではないのだ。  異界に降り立った一同は、まずつかさを捜す必要があったわけだが……夏の日本は、暑かった。ついでに言うと、魔族たち――見た目が普通の人間とそう変わらないシフォンはともかく、鬼人の少女と大男は目立ちすぎた。  そんなわけで、むやみに捜し回るよりは本人の家で待たせてもらった方がいい――そう考えた四人は、そそくさと陽月邸へと逃げ込んだのだ。 「もしかしたら在宅中かなって、ちょっと期待したんだけどね」  冷房を調節しながらシルヴィアは言う。 「いないなら待たせてもらうだけだわ。それにしても……ああ、本当に涼しいわ。さっきまであんなに暑かったのに……それ、マナ科学じゃないのよね?」 「マナがないからね。その分、機械文明が発達してるけど」 「へぇ……」  精霊やマナの力を借りずとも、人間たちは繁栄を謳歌しているわけだ。 「しぶといのね」 「当たり前でしょ。そうそうあなた達にやられたりしないわ」 「ほめてるのよ。人間って素晴らしい」  軽口をたたき合うカグヤとシルヴィア。人類の未来を左右する者たちの会話としては、もうちょっと緊張感があってもバチは当たらないのだろうが――どちらにしろ、ゴロゴロと畳の上でだれている状態では様にはならない。  ちなみに夜姫配下の大男は部屋の隅っこでちょこんと正座している。 「……カグヤ」 「なに? お姉様」 「こんなのも、ある……」  シフォンはカグヤを手招きすると、羽のついた機械を見せてくれる。 「これは?」 「……扇風機」  えへん、とちょっと胸をはってシフォンは力説する。 「ここを押すと、羽が回る……」 「わぁ」 「風が来る…このボタンで強さが変わって……ここを押すと、クビが回る」 「おお〜」  しばらく扇風機を面白そうに眺めていたカグヤだが、やがてウズウズしだす。  そして、そっと小さな指を扇風機に―― 「ダメ」 「あ……」  シフォンがカグヤの手を取り、止める。 「ダメ。怪我しちゃうから……」 「わ、わかってるわ、そんなこと。ちょっとやってみたくなっただけじゃない」  むぅ、と頬を膨らますカグヤ。ほんのりと、顔が赤い。 「扇風機で遊ぶなら、こうするといい……」  すっと身を乗り出すと、シフォンは扇風機に顔を近づける。綺麗な黒髪が、風に煽られてさらさらと舞った。すぅ、と大きく息を吸う。  そして―― 「……う゛ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」  声を出した。 「う゛ぁ〜〜〜〜〜」 「――……おおう!」  カグヤが驚きの声を上げた。 「お姉様の声が変だわ!」 「……カグヤも、やってみるといい……う゛ぁ〜〜〜〜」 「……ぁ、あ〜〜〜」 「もっと大きな声で」 「う゛ぁ〜〜〜。……! う゛ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」 「う゛ぁ〜〜〜〜〜〜」 「……なにやってるんだか」  嬉々として扇風機と戯れる姉妹の様子に、シルヴィアは軽くため息をついた。 「――へっくち」  部屋の隅っこで、大男がくしゃみをした。  十分後。 「――暇だわ」  扇風機遊びに飽きたカグヤは、すっくと立ち上がるとこう宣言した。 「探検に行きましょう! せっかく、つかさの家に来たんだもの。探検くらいしないと面白くないわ」 「……大人しくできないの、あなたは」  これでは見た目通り、完全に子供である。 「ふんだ。シルビーがいくら反対しても、私は止まらないからね。勝手に家中漁っちゃうんだから。後でつかさが戻ってきたら、きっと怒られちゃうわよ」 「怒られるのはあなただけよ」 「シルビーが止めなかったって言うもん。巻き添えにしてあげるんだから」  ニヤニヤと底意地の悪い微笑を浮かべ、夜姫は言う。 「保護者って大変ねー」 「……く……この悪魔め……!」 「ふふん。夜姫の名は伊達じゃないわ。それじゃ、さっそく行きましょう」 「……まったく」  逆らっても仕方がない。  やれやれと頭を振ると、何をやらかすか予想がつかないカグヤの監視も兼ねて、シルヴィアも重い腰を上げたのだった。 「ほら。お姉様も、はやく」 「……う゛ぁ〜〜〜」 「いつまでも遊んでないの。子供じゃないんだから」  扇風機の前でひとり寂しそうにしていたシフォンを強引に連れ立たせると、三人は居間を出て行こうとする。最後に、大男が続こうとして―― 「お前はいいわ。暑苦しいじゃない」  ピシャリと、カグヤは言った。 「…………」 「ね、どこからいく? つかさの部屋?」 「勝手に人様の部屋を漁らない!」 「えっ」 「なんで驚くのよ」 「おかしいわ。勇者って、無許可で人の家を荒らすのを生業とする人のはずだけど……」 「おかしいのはあなたの頭よ」 「そんなことないわ。これは由緒正しい……」 「はぁ。どうしてこう魔王ってのは……」 「ねえ、お姉様も……」 「…………」 「……」 「…………」  遠ざかっていく少女たちの声。  それが完全に聞こえなくなると、青年は再び隅っこで正座をはじめる。  …………はっきり言って、手持ち無沙汰であった。  そもそも、どうして自分がここに連れてこられたのかがさっぱり分からない。異世界サンガイアにそれほど興味があるわけではないし、聖騎士である少年とも面識はない。黒死将ハルシャギクと戦ったという勇者シルヴィアを一目見ておくことにはそれなりに意義はあるのだろうが――それとここにいることに、何のつながりもないのも事実だった。  結論から言えば。  青年は、自分がここに連れてこられたのは夜姫の気まぐれだろうと、そう踏んでいた。 「…………」  静かになった部屋。  ヒトの暖かさというのがなくなったせいか、心なしか肌寒く感じる。 「…………」  いきなり夜姫に呼び出され、仕事を部下に任せ参じてみれば、どういうわけか聖王国に同行させられ、訳がわからないまま異世界へと赴き、そして、何故かひとりポツンと取り残されている。  理不尽だと思う。  だが、夜姫みたいな――あるいはそれ以上に――理不尽な性格をした身内がいる身としては、こんな扱いにもなれたものだ。  青年は背筋を伸ばすと、美しい姿勢で正座をし続ける。 「――――」  正座を、し続ける。 「――――」  し続ける…… 「――――」  し続け…… 「――――ぬぅ」  ……顔をしかめた。  別に足がしびれたわけではない。冷房がガンガンと効いた部屋に、羽つき機械から風までもが吹きつけてくるこの環境は、半裸同然の姿をした青年にとって、なんやかんやで好ましいものではなかったのだ。 「……くっ」  悔しそうに呻く。  青年はついに耐えかねたのか、テーブルの上に置かれた『くーらー』のコントローラーを手にとった。確か勇者はこれであの箱型機械を操作していたはずだ。詳しい操作方法など知る由もないが、これでも「ラセっちゃんは馬鹿そうだけど意外と頭がイイよね」と昔馴染みに言われたほどに学はあるのだ。あんな箱型機械など…… 「……。…………」  まじまじと、コントローラーを見る。  ただでさえ目付きが悪くて怖いと言われるその顔が、さらに強張った。  …………寒いはずなのに、汗が一滴、頬を伝っていく。  両目を閉じる。  そのまま数分、瞑目し―― 「――ふん!」  カッと見開くと、気合と共にボタンをひとつ、押した――!  べき。  ……少々力みすぎたのか、コントローラーはあっさりとへし折れてしまった。 「…………!」  慌ててキョロキョロと辺りを見回す。探検に出かけた少女たちは、まだ部屋に戻ってきてはいない。 「…………」  しばらく懊悩としていた青年だが、やがて観念したのか、へし折ったコントローラーを丁寧にテーブルの上に置くと、元の位置に戻って正座した。心なしか、先程より背筋がピンとしている。 「…………」  ふと、視界に扇風機がはいる。  これならば、そう――先程、魔王が操作方法を説明していたのを覚えている。 「ん……」  扇風機ににじり寄ると、今度は壊さないように、ゆっくりと触れようとし―― 「…………」  その動きがピタリと止まる。 「…………」  扇風機をじっと見つめる。 「…………」  額から汗がたらりと流れた。 「――――あ」  我慢、できなかった。 「あ、う゛ぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 「――なにしてるの、お前」 「――!?」  背後から聞こえた声に、青年はビクリと肩を震わせる。  恐る恐る振り返ると――いつの間に戻ってきたのか、銀の髪の魔王が冷たい瞳でこちらを見下ろしていた。 「…………」 「――――」 「そ……その、なんと言いますか……」 「――――」 「………………………………申し訳ない」  頭をさげると、青年は定位置へとちょこんと収まった。背を丸めがっくりと肩の落ちたその姿は、巨体なのにやたらと小さく見える。 「まったく、だらしないんだから」  言うと、カグヤはだらしなくゴロっと畳の上に寝転がった。 「あの……」 「ん?」 「他のふたりは……どうしたのです?」 「んー……」  少女は顔だけを青年へと向けた。  その瞳は、血のような赤。  思わず――青年は息を飲む。 「……知りたい?」  ニヤリ――と。  夜を統べる魔王は、邪悪な微笑を浮かべた。      ■■■  シルヴィアもシフォンも、今まで何回も陽月邸を訪問している。合鍵も貰っているし、居間やキッチンなどの出入りも自由だ。勝手知ったる他人の家。そう思っていたのだが――よくよく考えてみれば、彼女たちはこの屋敷の半分も知ってはいなかった。  当然、地下への隠し階段の存在も。 「これは……」 「ふふ、面白そうね。行ってみましょう」 「あ、こら――」  意気揚々と階段を降りていくカグヤ。仕方なくシルヴィアたちも続いて行く。  隠し階段はかなり深かった。  降りていくたびに地上の明かりは遠くなり、闇がその濃度を増していく。  ――二分ほど経っただろうか。  ほとんど明かりの入らなくなった最奥に、古びた鉄の扉が待ち受けていた。 「……入るの?」 「入らないの?」  不思議そうにカグヤが聞き返してくる。  はぁ、とシルヴィアはため息をついた。  ギ、ギギ、ギィ――  嫌な音を出しながら、鉄扉は開いていく。同時に部屋の中から何とも言いがたい空気が流れこんできた。ほこり臭い。カビ臭い。その上どこか蒸しっとしたこの空気は、シルヴィアを不快な気持ちにさせるには十分だった。 「……なんなのかしら、ここ」  三人は室内をキョロキョロと見回す。  箱詰めされた色々なモノが乱雑に積み上がっているのはかろうじで分かるが――それ以上は闇に閉ざされ、地上からのわずかな光源では把握のしようもなかった。 「……長居はしたくないわね。ここにいてもしょうがないし、さっさと出ましょう」 「…………ん」  シルヴィアの言葉にシフォンが頷く。  同時だった。  ――――ガゴ……ン。ガチャ。  扉が閉まる音と共に、室内は真っ暗になる。 「な――」  慌てて扉に駆け寄ろうとするも、何かにつまずいて金髪の少女は盛大にこけてしまった。いわゆる顔面ダイブである。打ち付けた額が痛い。もわっ……と大量のほこりが舞い、鼻がむずがゆくなる。 「いった――く、この……」  軽く涙目になりながらも立ち上がると、シルヴィアは鉄の扉を開けようと試みる。しかし外から鍵をかけられたのか――押しても引いても蹴っ飛ばしても開かない。もちろん引き戸だったりもしない。 「どういうつもりよ、カグヤ!!」 「どうって……」  外から少女の声が聞こえる。その声音からは悪びれたところは微塵も感じられない。 「強いて言うなら……なんとなく、かしら」 「はぁ!?」 「それじゃ、私は行くわね。バイバイ、お姉様、シルビー♪」  トントントン。  まるでスキップでもするような軽快なリズムで、少女の足音は遠ざかっていった。 「…………」 「…………」  暗室に沈黙が降りる。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……………………ど、どうしろって言うのよ、この状況……」  つぶやくと、力なくシルヴィアはへたりこんだ。      ■■■  その頃――  ルネシウスのシルヴィア城に、ひとりの少女が訪れていた。 「こんにちはー」 「あら」  ちょうどほうきを手に門前の掃除をしていたルゥリィだったが、思わぬ少女の来訪に腕を休め、首を傾げた。 「エレノさん。こんにちは。今日はどういった御用ですの? お嬢様なら外出中ですが」 「いえ、シルヴィアはどうでもいいんで。シフォンさんいます?」 「今はちょっと出かけていますわ。……お嬢様と一緒に」 「マジで!?」  目に見えて動揺する少女。背後にガビーンという効果音まで見えそうだった。  エレオノーラ・カプリス。  金髪を縦ロールにまとめた、年齢の割に胸の大きなこの少女は、シルヴィアの通っている精霊学園の同級生にして(一応)ライバル的な存在だ。とはいえ、彼女は精霊術師ではない。ふとした偶然からシフォンと交感し魔術師となってしまった、この世でたったひとりの魔王の魔術師である。 「ふたりとも、どこいったんですか?」 「うーん……秘密ですわ♪」 「秘密!?」  またまた背後にガビーンという効果音を幻視するルゥリィ。  別に本当のことを教えてもいいのだが、変なところで行動力のあるエレオノーラである。自分もサンガイアへ行くとか言い出しかねない。異世界に少女ひとりを送り出すわけにはいかないし、ならば自分かメイド姉妹か、誰かが同行することになる。そして、それは非常に面倒で困ることであり、つまりは面倒なので黙っておくのが一番だとルゥリィは判断したのだ。だって面倒だし。 「むむむむ……シルヴィアのくせに」  なにより、むくれているエレオノーラが無駄に可愛らしくて――いじめてみたくなっても仕方がないというものだろう。 「……なんです? 人の顔みてニヤニヤして」 「いえ、何でもありませんわ」 「……?」  首を傾げるエレオノーラ。  と―― 「あっれぇー、ルゥリィさんじゃないっすか!」  背後から名前を呼ばれ、青い髪のメイド長は振り返った。  一方で、エレオノーラの顔が不快気に歪む。  道の向こうからくすんだ金髪をしたでっかい男が、笑顔で手を振りながらこちらへとやってくるところであった。日焼けしたいかつい筋肉がまとうのは、聖堂騎士団の白い鎧と白いマント。野性味あふれる顔立ちを彩るように、薄いあごひげが生えていた。  なんというか、聖堂騎士団の高貴さと、鎧をきている本人の柄の悪さが、全力で食い合わせの悪さを発揮しているような――そんな男であった。 「ゼファードさん」 「ういっす」  ルゥリィの側まで小走りでやってくると、ゼファード・グラス――風の都の聖堂騎士団・副団長は、暑苦しい顔で暑苦しい笑みを見せた。 「どうかしましたか?」 「いやぁ、見回りで立ち寄っただけっすよ。ほら、東方の連中がいつまた仕掛けてくるかもしれませんしね、これも騎士団の仕事っすよ! ははは」 「あら、そうですの。大変ですわね」  微笑んでルゥリィは応える。  話題に上がっている東方の連中の大ボスが、今頃シルヴィアたちと一緒に異世界で遊びに興じているなどとはこれっぽっちもおくびにも出さない、完璧な営業スマイルであった。 「こうして会えたのも何かの縁っす! 何か困ったことがあるなら俺が力になりますよ!」  白い歯を光らせながら、白々しくゼファードは言う。 「……よく言うわ。どーせ見回りにかこつけて、ルゥリィさんに会いにきただけもがっ!?」 「ははは、なぁに言ってるんだろうなぁ、こいつ〜」  エレオノーラの口を押さえながら、ゼファードは乾いた笑みを浮かべて話を逸らす。  ゼファード・グラス。  風の聖堂騎士団の副団長は……ルゥリィ・カトレイヤにホの字であった。 「ぷは! なにするのよ、この変態!」 「誰が変態だ、誰が!」 「ふん。だいたい、こんな所に見回りにくる意味なんてないでしょ。ここは風の都の最強戦力が集まってる場所なんだから。シルヴィアに、ルゥリィさんに、シフォンさんに――」 「シフォン?」 「あ――」  ハッとし、急に押し黙るエレオノーラ。  シフォンが魔族――しかも魔王の力を秘めていること、エレオノーラが魔術師であること――そのどちらも一般には秘密である。知っているのは当事者たちをのぞけば、風の都の精霊教会を束ねている聖女シルフィードくらい……のはずだ。大多数の人にとって、シフォンは非力で善良な一般市民であり、エレオノーラは貴族カプリス家の優秀な息女なのである。  バレたら、色々とまずい。  精霊教会にとって魔族や魔術師は滅殺するべき異端なのだ。エレオノーラとしては、別にバレたらとっとと逃げ出し好き勝手に生きていくつもりではあるのだが、それにシフォンを巻き込むわけにはいかなかった。  自分に希望と、生きるための力を与えてくれた、黒い天使様。  それがエレオノーラにとってのシフォンであった。 「どっした、カプリスの嬢ちゃん?」 「……なんでもない」 「そーかぁ?」 「と、とにかく! はやく仕事に戻りなさいよね。あなた、一応副団長なんでしょ。不思議よねぇ、あなたみたいのが副団長になれるんだもの」 「まぁーな。王国騎士団の奴らがちっとも仕事しやがらないからな。いったい誰のための騎士様なんだって感じだ。……はて。そーいやぁ、確か王国騎士団の名門一族にカプリスさんっていたような……」  ちなみに聖堂騎士団は精霊教会の所属で、王国騎士団は聖王国の所属である。ふたつの騎士団は何かと利害関係で対立することが多く、表面上はともかく、裏ではとにかく仲が悪いことで有名であった。 「気のせいじゃないかしら?」 「そうか、気のせいかー」 「そう、気のせいよ」 「そっかー」 「うふふ」 「はっははは」 「ふふふふふふふふふふふふ」 「はっはははははははははは」 「……あのぉ」 「――はい!?」  どこか遠慮がちに、かつ、有無を言わさぬ威圧感で、ルゥリィ・カトレイヤはふたりの世界に割って入った。その様はまるで大海原を両断する伝説の剣のごとく、鋭く冷たい言葉の刃であった。 「あの……」 「ルゥリィ……さん?」  青髪のメイド長は笑っている。  笑ってはいるが……その背後に、とても言葉では言い表せないような化物の姿を、金髪の少女とオッサンは――――幻視した。  魔王。  ふたりの脳裏を、そんな単語が横切った。 「……私、仕事がたまっているのですけど……夕飯の買出しもしなくちゃいけませんし」 「は、はぁ……」 「そ、それで?」 「分かりませんか?」  困ったように首を傾げ、頬にそっと手を添えて、ルゥリィは言った。 「……私、忙しいんですよ?」  瞬間―― 「す、すいませんっしたああああああああああああああああああああ!!」  綺麗に声をはもらせて、掃除の邪魔をしていた二人組は脱兎の如く逃げ出したのだった。 「なんてこったあああああああああ!?」 「や、か、ま、し、いー!!」  叫び声をあげながら、街を全力疾走する男女がふたり。  ひとりは懊悩する金髪の大男で、もうひとりは苦虫を噛み潰したような顔をした金髪の少女だ。ふたりは何故か罵り合いながら、怒涛の勢いで風の都を駆け抜けていく。  まさに、疾風のようであった。 「お前のせいでルィリィさんを怒らせちまったじゃないか! 嫌われたらどうすんだ!」 「知らないわよ脳筋お馬鹿! 自業自得じゃないの!?」 「うるせーおっぱいチビ! くそ、明日から俺の人生どうなっちまうんだ!!」 「だ、だだだだ誰がおっぱいチビですってー!?」  喧々囂々。  まるで子供のような罵詈雑言が続いていく。  その、途中。  エレオノーラは、ちらりと振り返って――遠ざかっていくシルヴィア城を見上げた。 (シフォンさん……せっかく、会いに来たのに……)  黒髪の少女は今、どこにいて、何をしているのだろう。  少女の大好きな、黒い天使様は―――― 「……おい!?」 「えっ」  と―― 「……あっ!」  よそ見して走っていたせいか、エレオノーラは小石につまずいて、その身を宙に躍らせる。眼前に、急速に石畳の地面が迫ってくる。 (ぶつかる――!)  ぎゅっと眼を閉じ、衝撃に身構えるエレオノーラだったが…… 「よっと」 「――!?」  その体を、ゼファードが軽々と支えるのであった。 「……っ!」 「ったく。あぶねーなぁ、気をつけろよ、嬢ちゃん」  エレオノーラをしっかりと立たせると、怪我はないかー、などと聞いてくる。もっとも、そのほとんどは少女の耳には入ってはいなかったが。 「……おい、どうした?」  どこか怒ってるような、どこか泣いてるような、どこか照れてるような、何ともいえない複雑怪奇な表情を浮かべながら黙りこくっている少女に、さすがのゼファードも不審なものを感じ取ってしまう。 「……怪我でも、したか?」  おそるおそる、声をかける。  しかし―― 「………………………………馬鹿!!」 「うわっ」  突如大声で怒鳴ると、エレオノーラは肩を怒らせひとり歩き去っていくのだった。 「……ったく。なんだってんだ」  キーンとする耳をさすりながら、ゼファードはぼやいた。 「ガキはこれだからわけわからん。……あ、そういや……」  時計をみる。  昼はとっくに過ぎていた。 「あちゃー……もうこんな時間か。長居しすぎたなぁ」  午後から部下たちの調練があったことを、今更ながらに思い出した。 「間に合わない、よなぁ……」  ため息と共に、ぐぎゅうううううううう……と、盛大にお腹がなった。  そういえば、お昼ご飯がまだであった。 「……いっそのこと、飯食ってから戻るのもありか……」  どうせこのまま戻っても、騎士団長であるジョシュアからこっぴどく叱られるだけだろう。だったらその前に、燃料補給をするのも悪くないはずだ。 「ああ、それがいいな。よし、そうしよう」  頷くと、ゼファードは飯屋を探して歩き出した。 「……まったく。困った方々ですわね」  騒がしいふたりの後姿を見送ると、ルゥリィは再びほうきを動かしはじめる。  さっさ、さっさと、門前をはいていく。 (それにしても……)  太陽は傾きはじめている。  あと四時間もすれば、日中の暑さも失われはじめ、徐々に涼しくなっていくのだろう。 (……遅いですわね、お嬢様方)  出かける際に、昼過ぎには帰ってくると、そう言っていたのだが―― (まぁ、予想はしていましたわ)  大方、つかさ少年との遊びに夢中で時間を忘れているのだろう。  これもいい機会だ。  ルネシウスでは勇者としての使命に縛られているシルヴィアも、サンガイアではたったひとりの、普通の女の子として羽をのばすことが可能なのである。  大好きな少年との仲を深めるもよし。  恋敵との友情を育むもよし。  シルヴィアにとって息抜きになれば、きっと、それは素晴らしい一日となるはずだ。  そのためにも。 「……今日の夕食は、何がいいかしら?」  鼻歌交じりに、青い髪をなびかせて。  メイド長は、今夜のメニューに想いを馳せた。      ■■■  どれだけの時間が経ったのか。  閉じられた暗闇の中。  騒ぎ疲れたシルヴィアは、ペタリと座り込むと……思考をグルグルと巡らせていた。 「むぅ……」  多少、目は慣れてきたが――それでも暗いことには変わりはない。暗闇は恐怖を増大させる。お陰さまで、このまま誰にも発見されずに死んじゃうんじゃないかとか、干からびたらミイラになるのねとか、千年後に見つかって『世紀の大発見! 美少女ミイラ発掘される!!』とか騒がれるんだろうなとか、良くない未来ばかりを想像してしまう。 (いけない、こんなことで弱気になってどうするの!)  五年前から――彼女がまだ十歳の子供だった頃から、今回のことなんて比較にならない苛烈な修羅場を幾度となく切り抜けてきたのだ。命を失いかけたことだって何度もあるし――何より、黒死将ハルシャギクの封印を行ったあの時の恐怖に比べれば、暗闇の密室に閉じ込められたー、なんて笑い話だろう。  ちらり、と横を見る。  うっすらと人影が見える。  黒髪の少女――シフォン。  彼女も黒死将と同じく魔王と呼ばれる存在だ。だが、受ける印象はだいぶ違う。  それは、シフォンという器に魔王シヴァが飲み込まれてしまったからなのか、それとも何か別の理由でもあるのか。  出会ってかれこれ二年の歳月が経つが――未だに、シルヴィアはこの少女の事が苦手であった。 (だって、話しかけても返事しないし。美人だし。私より強いし。つかさと何だかいい感じだし……)  きっと、今も涼やかな顔でこの状況を受け入れているに違いない。  なんだか腹が立つ。  腹が立つが――それ以上に虚しさが胸を締め付ける。 「ああ、もう」  じっと座ってもいられない。  もう一度、ドアの開閉を試みるため腰を上げようとし―― 「……動いちゃダメ」  ――黒髪の少女に、止められる。 「そこは、荷物が崩れかかっているから……下手に動くと、きっと危ない」 「え……」 「そっと、こっちに」  言われるがまま、シルヴィアはお尻を引きずりながらゆっくりと移動する。 「……ここまでくれば、大丈夫」 「そ、そう……ありがと」 「…………」  こくり、とシフォンは頷く。 「――ね、ねぇ、あなたもしかして、見えるの?」 「……うん」 「なんで?」 「……夜目が効くから」  よく見るとシフォンの赤い瞳がうっすらと輝いている。さすがは魔族、暗闇など恐れるに値しないというわけだろう。 「魔族って、そういうところは便利よね」 「――――」 「……ねぇ、せっかくだし、何か喋らない? うんとかすんとかじゃなくて」 「……何か?」 「そう。ほら、学校生活とかさ。色々あるでしょ?」 「…………」 「私はね――…………あ、そうそう、エレオノーラの奴が――」 「…………」  シフォンは応えない。 「…………」  なおも何事か喋ろうとしたシルヴィアだが――有無を言わさぬ拒絶を突きつけられた気がして、自然と言葉を飲み込んでしまった。 「…………」 「…………」  沈黙が重かった。  明るく声をかけつづけた金髪の少女は、ついに力なく黙ってしまう。  魔王として得た、夜目が効く能力。  それによって、よく見えるようになった暗闇の中で、勇者シルヴィアは――いや、自分より年下の小さな女の子は、どこか傷ついたようにうなだれていた。 「――――」  そんな少女へと、シフォンは声をかけようとするも――思いは言葉に変わることはなく、結局、黙りこんでしまうしかなかった。  ――別に、シルヴィアを拒絶していたわけではない。  ただ、言葉が出てこないだけなのだ。  いつもこうだ。  話したい、触れ合いたいと思っても、身体(からだ)がうまく動いてはくれない。  十七年前――  魔界を構成する世界のひとつ、魔国ジャハンナの貴族の娘として生をうけた彼女は、魔王復活のための器として長きにわたり幽閉生活を強いられてきた。綺麗な服も、豪華な食事も与えられてはいたが、世話役以外のヒトとは会うことすら禁止され、部屋からは一歩も出ることは許されない。そんな鳥籠のような生活だった。  二年前、つかさたちの手により鳥籠から解き放たれたシフォン。  だが……他人とどう接すればいいのか、その方法は未だに分からなかった。  こんな時。 「…………」  つかさなら。  少女が想いを寄せる、あの少年ならば。  きっと、感情を上手く言葉に乗せらせるのだろう―――― 「…………」  シフォンは悲嘆にくれる。  決して嫌ってはいない、それどころか尊敬すらしている風の勇者シルヴィアに対し、自分では傷つけることしか出来ないのかと思うと……どうしようもなく、悲しかった。 「…………」 「…………」  沈黙が続く。 「…………」 「…………」  心が軋むような沈黙だった。 (……ホント、なにやってるんだろ、私)  シルヴィアは思う。 (弱く、なったなぁ)  今は、平和だ。  だが、それがいつまで続くかは分からない。色々あって、とりあえず大人しくしている夜姫カグヤが再び牙を向くかも知れないし、魔界に潜む別の魔王が重い腰を上げてくるかも知れない。かつて封印に成功した、黒死将ハルシャギクが蘇ることだって考えられた。  これから先、勇者としてみんなを護っていくことができるのだろうか――  いつか――  いつか、決定的な何かを失ってしまうのではないか。  そんな不安にかられてしまう。 「はぁ……」  モヤモヤした気持ちを、ため息と共に吐き出した。  いけない。  こんなことでは駄目だ。  もっとしっかりしなくては―― 「……せめて明かりさえあればなぁ」  この暗くなりがちな思考も、もうちょっと上向きになるかもしれないのに…… 「ねぇ、あなた、マッチとかもってないわよね?」 「…………」 「…………あるわけないか……」 「……あ」 「ん――?」 「…………明かりなら……つければ、いい」 「へ?」  つぶやくように、シフォンが言う。  発言の内容よりも、この黒い少女が言葉を返してくれたことにシルヴィアはちょっとだけ驚いて……何故かちょっとだけ、嬉しかった。 「つけるって……どうやって? こっちの世界じゃ精霊術は使えないわよ」  マナが存在しないサンガイアでは、精霊術や魔術の類は使えない。それどころか受肉した精霊である(らしい)魔族は、存在するだけでマナを消耗してしまう。そのため、精霊と同じくサンガイアでは存在することさえ許されない。  シフォンやカグヤがこちらの世界でも存在できるのは、彼女たちがマナクリスタルと呼ばれる魔王や精霊王のもつ特殊なマナ生成器官を持っているからだ。とはいえ、それでも存在の維持が精一杯のはずで――無理して力を使えば、魔王と言えど消滅してしまうだろう。 「――あなた、まさか」  ハッ、と何かに気づいたようにシルヴィアは顔を上げる。  こくり、とシフォンは頷いて―― 「……あそこに電灯のスイッチがあるから、押して来る」 「………………………………あ、そう」  なんだか力が抜けたシルヴィアであった。  暗かった室内に、明かりが灯る。  最悪、電気が通っていない可能性もあったが――それは杞憂で終わってくれた。 「さて」  ぐるり、と金髪の少女は元暗室を見回す。  明かりに照らされて分かったことは、部屋中に積まれていたのはダンボールの山で……つまりここは何かの倉庫らしい、ということだった。 「……これから、どうするか」  暗闇は払拭されたが、状況はまだまだ厳しい。何か扉を開けられる――もしくは破壊できる――モノがあれば助かるのだが。バールのようなものとか。 「手分けして探すしかないわね」 「……ん」  シフォンも同意する。  二手に分かれ、ダンボールの山を切り崩しにかかる。 「よ、――と」  手始めに近くにあったダンボールを持ち上げてみたが……サイズの割にはやたらと重い。精霊術による肉体強化ができない今のシルヴィアでは、ちょっと持ち上げただけでかなり腰にキてしまった。明日には腰痛になってそうだ。 (まったく……何が入ってるのよ、これ)  ガムテープをビリビリと剥がし、中身を確認する。  出てきたのは―― (……漫画?)  少年たちのイラストが描かれた、ページの少ない薄い本。なんというか――表紙がいやらしく感じるのは気のせいだろうか。 「ふむ」  なんとはなしに、シルヴィアはページをめくって……  ――――そこに、小宇宙(コスモ)を幻視した。  少年が脱ぐ。  少年も脱ぐ。  そこで繰り広げられるのは、それでこれであれでどれで、言うならばヤマナシ、オチナシ、イミナシ。みたいな。  そんな本が、ダンボールにはみっしりと詰まっていた。夢がいっぱいである。 「な、ななな、わわ、あわわわっ、わー!」  思わず本を放り投げる。  動揺していた少女は、そのまま体制を崩してしまうが――ダンボールの山へとよりかかり、なんとか体を支えた。……が、そんなことをすれば、不安定だったダンボールの山は当然ながら崩れてしまうわけで…… 「きゃ!!」  ドサドサ! ドサ!  シルヴィアを巻き込むようにダンボールが雪崩とかす。ほこりが一段とむわっと舞い、少女はむせた。 「ケホ、ケホ……もう、ついてな――」  息を飲む。  崩れた拍子に、ダンボールの中身が散乱したのか――少女の周りは、本だらけになっていた。 「き――」  それも……先程の、薄い本と同じ類のものが。 「――きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!」  泣き叫ぶと、シルヴィアは駆け出した。  本の山を蹴散らし、ダンボールを踏み潰し、少女は走る。  そして。  同じ様にダンボールを物色しているシフォンの背中を見つけると――シルヴィアは、涙を隠さず抱きついた。 「あ、あわわ、わわわ、わわわわ」  言葉にならない。  とりあえず、先程遭遇してしまったカオスについて説明しようとし―― 「……?」  シフォンが、固まっていることに気がついた。  顔を覗き込む。  真っ赤になっていた。  手元を覗き込む。  ――――そこに、小宇宙(コスモ)を幻視した。  少女が脱ぐ。  その少女が、野郎を相手にピーでピーでピーでピーでピーで。ピーピーピー…… 「きゃあ!」 「わっ!」  突然シフォンは叫ぶと、本を放り投げる。  その勢いのままバランスを崩した黒髪の少女は、シルヴィアを巻き込みつつダンボールの山へとぶつかり―― (あ……この展開は)  シルヴィアは悟った。  崩れ落ちる大量のダンボール。  同時に散乱するえっちぃ本の数々。  それらをまるでスローモーションのように感じながら――少女たちは雪崩の中に埋もれていくのだった。      ■■■  ――ガチャ。  ギィィィィィ……――  軋みをあげ、錆びた扉が開かれる。  部屋の中は酷い惨状だった。  もうもうと舞うほこりは大量で、息をすることさえためらわれた。おそらくはそれなりに綺麗に積まれていただろうダンボールの山は滅茶苦茶に崩れ去り、さらに一部は破れて中身の本を大量に吐き出している。もはや足場さえないような状態だった。  そんな部屋の中で。 「…………なにしてるんだ?」  ダンボールと本の下敷きになっている少女ふたりに、陽月つかさは声をかけた。 「…………」 「――――」  むくり、とふたりは立ち上がる。  ふらふらと――おぼつかない足取りながら、確かな存在感を持って、こちらへと近づいてくる。 「……ええと。シルヴィア?」 「…………」 「――シフォン?」 「…………」  返事はない。  やがてふたりは少年の前までやってくる。  様子のおかしい少女たちに、なんて声をかければいいのかわからない。 「ええと、その――」 「つかさの……」 「バカァッーーーーー!!」  べごん。  シルヴィアの高速のビンタが少年を思いっきり吹っ飛ばす。少年は綺麗にきりもみ回転しながら宙を舞い、まだ無事だったダンボールの山へと盛大に突っ伏し動きを止めた。ドサドサと、さらに山が崩れ部屋が荒れる。 「し……シルヴィア……さん……?」 「バカ! バカバカ! 最低! エッチ! 変態! もう知らない!!」  顔を真っ赤にし、泣き喚きながら、シルヴィアは階段を駆け上がっていった。 「…………」 「……あのー……」  頬に特大のビンタマークをつけたつかさが、残った黒髪の少女へと顔を向ける。 「……シフォン?」 「……つかさ」 「はい!?」 「――見損ないました!」  こちらも顔を赤らめ、目に涙を堪えながら、金髪の少女のあとを追うように逃げ出していった。 「…………」  残されたのは、もはやグチャグチャになり果てた地下の隠し部屋と、わけも分からず吹っ飛ばされた少年。  そして―― 「おや、これは懐かしいね」  ほこり舞う地下室に、長身の青年が入ってくる。 「……兄貴」 「ここは昔、僕が研究していた本を保管するための部屋だよ。つかさ君が来てからは表立って研究するのも教育に悪いと思ってね、全部ここに詰め込んだんだ」  懐かしいなぁ、と散乱した本を一冊一冊回収していく青年――陽月トウヤ。  つかさは、そんな兄と近場の本を見比べ…… 「…………いったい何の研究をしてたんだよ、兄貴は」 「それはそうと、つかさ君」  こちらの質問に答えず、兄はくるりと華麗に回転してビシっとポーズを決めると、可愛い弟へと人生の先輩としての助言を与える。 「女の子を泣かしちゃあいけないぞ!」 「……あんたが言うなああああああああああああああああああああ!!」  つかさの絶叫が、地下室にこだました。  ――この後、誤解を解くために少年は様々な苦労をすることになるのだが……  それはまた、別の話である。