どうして私には神としての最低限の力さえ無いのだろう。  幾度となく自問自答を繰り返したが、いつも「信仰が足りていないからだ」という結論にしかならなかった。  それでも世の中は上手く出来ているもので、ナナセは依り代としてはとても「神にとって都合のいい存在」だった。  いくら依り代が神を好くとはいえ、際限なく自らの力を分け与えようとする程の者は稀である。依り代にとって苦痛を伴うと言われるその行為を何度も行ってくれるのは、無力な私に対する憐れみなのか、それとも別の何かなのか。  気がつけば、人にとっては長い時間が流れていたらしい。ナナセの周囲の者達も老いが目立ち始めた。  フォセリアの一族であるナナセは、幼少の頃に翼を切り落とされてしまった為、外見は普通の人間とそう変わらない。人間と共に人間の暮らしをする事が出来たのと同時に、人間を超えた人間であった事は彼の運命を変えてしまった。  だが、翼が無いとは言え、それ以外の部分では健常のフォセリア人と変わりが無く、ナナセの老化は遅い。今となっては他の者から取り残されつつあった。  そんな時、突然ナナセがこんな事を言いだした。 「そろそろ、旅に出た方がいいかなって思うんだ」 「旅、ですか?」 「やっぱりこの体で一つの場所に留まり続けるのは、色々と問題だし」  確かに、ナナセも昔の姿と並べればそれなりに変化はあるのだろうが、比較対象なしでは髪が伸びた以外の変化を言い当てる事は常に一緒にいる私にさえ出来なかった。 「ですが、ペリシアはその事を承知の上でナナセを臣下として受け入れたのではないのですか?」 「それはそうだけど。僕だけがいつまでも若いままって、事情を知らない人から見たらかなりおかしいと思うよ」 「ナナセ……」 「もちろん、黙って出ていったりはしないよ。ちゃんとペリシア様には話してから行く」  私の不安を事前に察知したのかナナセは笑顔でそう言った。  黙ってナナセについていく。  ナナセが旅に出る事をペリシアは止めなかった。  彼女は私の数少ない信徒の一人であったが、その彼女の近くにいても、相変わらず彼女には私の姿は見えてはいない。もちろん、私がナナセと共にいて、ナナセが私の依り代であると言う事は、ナナセ本人から伝え聞いてはいるはずである。 「それでは、ナナセさん。お元気で。私、忘れません。落ち付いたら、いつでも戻ってきて下さい」 「じゃあ、僕がおじさんになったら戻ってきますね」 「その頃にはもう、私はおばあさんになっているかもしれませんね」  ナナセと出会った頃と比べて少しだけ年老いてしまったペリシアは、冗談っぽく笑う。  彼女は確かに私がナナセと出会うまで確実に命を繋いでくれていた人の一人だ。それなのに、もう彼女の姿を見る事さえなくなるかもしれないのに、たった一言だけのお礼を言うだけの力さえ無い。 「ソーマ様も、お元気で。ナナセさんをよろしくお願いします」  中空に向けて声をかける彼女の期待に応えられそうもない私は、最後に彼女の幸せを祈った。それだけしか出来なかった。  気がつけば、ナナセにとっても長い時間が流れていたらしい。  ナナセも随分と年を重ねており、今では初めて私と会った頃のナナセの姿を思い出してもその差がありありと分かるようになっていた。  そう、人間から見れば老いる時間がゆっくりなナナセも、神ではない以上、いつかは老いる。  全く姿が変わっていない自分の手を見る。時の流れは、残酷だ。  ナナセが私に受け渡してくれる力の量も、かつてと比べて衰え始めていた。それでも、ナナセは大丈夫だと思っていた。  何の根拠もなく、彼は大丈夫だと思い込んでいた。  私の為に毎日のように命を削り続け、魂を分け与え続けていた彼が無事でいられる筈が無かったのに。  心のどこかでその事に気がついていたのに、彼の傍にいる心地よさから離れたくなくて、ずっと気付かないふりをしていたのだ。  だから。  突然動かなくなったナナセを目の前にして、私はどうしていいのか分からなくなった。 「ナナセ……?」  自分でも一度も聞いた事のないようなおかしな声が出た。  今まで感じた事のない、黒い、渦巻くような、よく解らない気持ちがこみ上げてくる。  同時に、心の底から這い上がってくるような力が、自分が受け止めることができるかさえ分からない程の強い力が、体から溢れだしては周囲に零れ落ちる。その力に触れたナナセだったものが、草が、大地が、空気が、消えていく。  ――スベテガ、ムニ、カエッテイク。  ああ、これだけの力がある事に、どうして今まで気がつかなかったのだろう。  気が付いていれば、ナナセを苦しめる事にならなかったのかもしれないのに。  これほどの強い闇の力が……。  ――ヤミノチカラ?  違う。これは、闇の力なんかじゃない、これは……。  ――イッタイ、ナンノチカラ? 「私は……私は――ッ!!!!!!!!!!」  気がつけば、私は見慣れたナナセのベッドの上で横になっていたらしい。 「ソーマ、ソーマ!」  ナナセが心配そうに私の顔を覗きこんでいる。 「ナナセ……」  そのナナセは、さっきまでそばにいたナナセよりも髪が短く、顔立ちも幼い。 「良かった……うなされていたみたいだけど、悪い夢でも見たの?」  精神を掻き乱され、揺らいでしまった私の力を補填するかのように、ナナセは私に自らの手を合わせようとする。 「ゆ…め……?」  それを聞いて私はぞっとした。  神は、夢を、見ないはずなのに……。 「大丈夫だから。ソーマの具合が悪くなったらいつでも言ってくれていいよ」 「……っ!」  自然の意思は…本当に、真実を言っているのだろうか。  恐ろしい考えに行き着きそうになった私は、抱いてはいけない疑問を振り払うようにナナセの手を強く握った。  あれは、悪い夢。ナナセは、私に力を与え続けても、大丈夫。  そう自分に言い聞かせながら、ナナセの命の力を吸い上げていく。  それは、神として最低の行いだった。