中立連合は信仰心を持つ者が少なく、神を信仰していたとしてもその信仰心は希薄であり、神を信仰する者は少ないと言われています。  そんな中立連合で生まれ育った私は、毎日神に祈りを捧げていました。  この真朱地区の人々がみんな幸せでありますように――。  幼い時分より外に出された事が一度もなかった私は、外の様子をアマデウスに聞きながら、私は毎日祈り続けます。何も知らずにそんな気楽な祈りを捧げる事が私の日課でした。  そんな私の生活は、お父様が亡くなった日を境に、全く違うものとなってしまいました。  お父様が亡くなった直後、把握しきれないほどの外の情報と、大量の事務処理の仕事が私の中に入ってきました。親の死を悲しむ暇すら与えられない程めまぐるしい日々が私の前を駆け抜けて行きました。  真朱地区が東の大国デール王国にジワジワと侵攻されていたと言う事実。  知らなかったじゃ済まない事でした。私は、自分の無力さを痛感しながら、希望を探していました。  希望になりえる情報はすぐに入ってきました。  『真朱解放隊』と名乗る僅か7名で組織された集団が、デール王国からの侵攻を退けているという嘘のような話。  それでも、私は藁にも縋る思いで、彼らと連絡を取ろうと試みました。  やがて、真朱解放隊の人と連絡を取る事が出来、私は彼らを招きました。 「初めまして、ペリシア様。僕はナナセと申します」 「は、はい……突然お呼び立てしてしまい申し訳ありません」  真朱解放隊を率いる男性はてっきり屈強な戦士だと思い込んでいましたが、驚くほど若く、端正な魔道士の青年でした。  ですが、銀の髪に金の瞳が印象的な彼以上に、彼につき従う女性に目が行きました。私と同じ色の髪をした彼女は、私の事を見るなり凄い形相で睨みつけてきたからです。  彼女の名は「ホープ」――希望と言う名の意味を持っていました。  彼女の事がその時以降も気になったのは、始めてあった時の印象が、あの憎しみがこもった鋭い視線が、あまりにも強過ぎたせいだと最初は思っていました。  やがて、真朱解放隊はデール王国との全面対決には無くてはならないものとなりました。  私が立ち上がる前からずっと戦ってきていた英雄は、兵達の士気を上げ、戦況を大きく変える事となりました。  ですが、ホープさんはナナセさんの命を狙った刺客でした。その事実が本当だと理解するまでに、彼女を知ってからそう長くはなかった私でさえ長い時間がかかりました。  彼女が幼い頃からずっと一緒にいたナナセさんにとっては、言葉では言い表せないほどの辛さであり、今でも信じられていないのでしょう。  真朱解放隊を引っ張っていたナナセさんは、本来争いを嫌う人でした。ホープさんが彼の傍を去った後、現実を知らない子供のように、敵味方共に犠牲を出す事を嫌がりました。  彼が犠牲を厭わず戦っていたのは全てホープさんの為。このままでは兵をごまかす事が出来るのも時間の問題だと判断した私は、ナナセさんを将の位置から後方支援へと移しました。  それでも、彼の精神は摩耗し続けました。前衛で戦った者たちを癒す度に、ナナセさんは深く悲しみ、塞ぎ込んでいきました。 「もう誰かを傷つけるのはやめて下さい」  戦いが終わる度に、ナナセさんは何度も私に進言してきました。  それでも、今更この戦いを止めることはできません。民の為、戦いは絶対に避ける事が出来ないのです。  ナナセさんの言う事は決して間違っていませんが、それは、絵空事でしかなく、本当にそんな方法が実行できるのならばとっくにそうしていました。 「ごめんなさい。それができないから、戦っているんです」  だから、私は進言をしてくるナナセさんにそう答える事しかできませんでした。  そんなすれ違いがどれくらい続いたのでしょう。ある月のない夜の事でした。フラフラと廊下を歩くナナセさんの後姿を見かけた私は、思わず声を掛けてしまいました。 「あの……」  言い掛けて、私は口をつぐみました。  私の声に反応して振り向いたナナセさんは、とてもやつれていて、彼の進言を毎回却下するような私なんかが声を掛けてはいけない雰囲気を纏っていました。 「どうなさいましたか…ペリシア様……」 「いえ……」  掠れた声で私に応えようとしてくれるナナセさんを見ているのが辛くて、私は一歩下がりました。 「ペリシア様って、ホープに似てますよね……」 「いえ、そんな」 「変な事言ってごめんなさい。今まで、僕はホープの事しか考えた事はありませんでした」 「……」 「初めてペリシア様の事を見た時も、ああ、ホープに似てるなって思ったんです。僕、ホープの髪の色も目の色も本当に好きで、ペリシア様を見ると……ごめんなさい…何か本当に変な事言ってますね僕……」 「いいえ、気になさらないで下さい。お疲れなら、早めに休んで下さい」  本当に見ていられませんでした。私にできる事は、彼に早く寝るように言う事だけです。 「ペリシア様、僕は、ホープが居なくなったら誰のために戦えばいいんですか……?」  彼の部屋まで付き添ってあげようと弱々しい背中を支えた時、ナナセさんは泣きそうな声で私を見つめてきました。 「誰かのために戦う必要はないですよ。ご自分が幸せになる為に、戦って下さい」  ああ、どうしてここで私が彼女の代わりになると言えないのかしら。それで想いが遂げられるならそれでもいいじゃない。 「僕はホープが居ないと幸せにはなれない!」  ナナセさんの悲痛な叫びに、僅かに揺らいだ気持ちが止まりました。私では駄目なんだ。彼を幸せにできるのはきっと違う人。  今思えば、私は、ナナセさんに真直ぐに愛されるホープさんが、たまらなく羨ましかったのかもしれません。  ナナセさんを部屋に送り届けた後、私は彼の部屋の前で静かに目を閉じて祈りました。 「お願いします、闇神ソーマ様、どうか、どうか、ナナセさんを救って下さい……」  皆を愛する独りぼっちの闇の神。本当に愛する人とは決して結ばれない悲劇の神に、私は祈りました。  あまり知られていないソーマ様の神としての性格は断片的な情報しかありません。  それでも、彼を他人とは思えず、私はずっと信仰し続けてきました。  自分が護りたいと願う人を見捨てれば、彼の恋は、届いたのかもしれません。私も、そうだったのかもしれない。でも、そんな事はできませんでした。  民を捨ててまで悲劇の姫のようにふるまう事は私には出来ない。だから、神様。せめて、彼の為に祈らせて下さい……。