b.H.ヒストリア外伝 奈落の花   第四章 くらむせかい 【01/誇りと誓い】  父はアル中だった。  母はそんな父を支えるために日夜働き続けた。  働き続けて――壊れてしまった。  いつの間にか、まだ十にも満たない息子が家族を支えるようになっていた。  堕落していく父。  堕落していく母。  そんなふたりを幼いながらに支え続ける日々。  同じ年頃の子供たちは、みんな楽しそうに遊んでいた。  朝も、昼も、夜も、そんな子供たちを横目に、少年は働き続けた。  もちろん、子供がまともな職に就けるはずもない。  少年の仕事とは、ひったくりや空き巣、それに盗みだ。  主な狩場は商店街だった。  父と母が望むものを食べさせるために、少年は盗みを行った。パンや果物、飲み物。望むものは無茶をしてでも手に入れた。すると父と母は喜んだ。父と母の喜ぶ顔が、少年にとってなによりの糧となった。少年は父と母の願いを叶え続けた。気を良くしたのか、父と母の望みはどんどん高くなっていった。次第に少年の手には余るようになり、父と母は不満を募らせるようになった。頑張って食料を手にいれても、笑顔を得られることはなく、代わりに暴力という名の代価を得た。満足に食事すらもらえなくなったので、夜の街でゴミを漁り残飯で空腹を満たした。  少年の仕事はどんどんやりづらくなっていった。  父と母の高望みもあったが、狩場としていた商店街の人々に顔を覚えられてしまったのが致命的だった。  仕方なく、次の街まで足を運んだ。  時には自らの顔を傷つけ、人目をごまかすこともした。  後は同じことの繰り返しだ。  次の街でやりにくくなれば、さらに次の街まで足を運ぶ。  狩場が遠くなればなるほど父と母へ食料を届けるのに時間がかかった。  もう、父と母は笑顔をみせてくれることはなかった。  それでも少年は働き続ける。  きっといつか、再び微笑んでくれると、そう信じて。  辛くなかったと言えば嘘だ。  それでも耐えられたのは少年が父と母を愛していたからだ。  だからどんなに辛くても、悲しくても――少年は父と母を支え続けた。  父と母も自分を愛していると、そう信じて疑わなかったから……  ある日、父が他所に女を作って出て行った。  残された母は、恨みがましい瞳で息子を睨めつけると、こう呪っ(つぶやい)た。 「――――お前なんて生まれてこなければよかったのに」  体を病み、心を病んで。  そうして母は逝った。  枷がなくなった少年にとって、生きていくのは簡単なことだった。  ヒトを騙し、貶め、食い扶持を稼ぐ。  あてのない旅を続けながら、あてのない人生を過ごしていく。  まだ幼いながらも、それが自分の生き方なのだと悟っていた。  誰からも気にされない。  誰からも愛されない。  何のために生きているのかわからないけれど、  死ぬだけの理由も、度胸もないから、泥をすすってでも生き続けた。  やがて、同じ穴のムジナたちは自然と集まっていく。  いつしか少年は街の裏グループの一員となっていた。  今まで以上にあくどい事にも手を染めた。  はじめてヒトを殺めた夜は、吐き気と目眩で体が震え、一睡もできなかった。  だがそれでも。  今までの少年の人生において、それは最も幸福で満ち足りた時間だった。  仲間と鍋を囲み、くだらない話をしては、どうしようもないことで笑いあう。  そんな何気ない毎日がすごく幸せであった。  生まれてはじめて、ひとりの生命として認められたような気がした。  ――――気がした、だけだった。  どこかのお偉いさんが街に視察に来るらしい。  そんな情報が入ってきたのは、秋も深まったとある日のことだ。  街を治める貴族はそのお偉いさんの来訪を直々に歓迎するそうで、その日は貴族の親族や軍、警察も総出で、それはそれは豪奢な歓迎式典を開くそうだ。  チャンスだとリーダーは言った。  普段は警備が厳重で近寄ることすら出来ない貴族の屋敷。いつも自分たちを見下し、排除しようとするあいつらの親玉の御殿。財宝がたらふく眠っているはずのそこを襲い、奪い去る。  復讐を果たす絶好の機会だった。  少年は仲間と共に屋敷へと侵入した。  金銀財宝、高価な食料。それらを手分けして強奪する。  もちろん、手薄になったとはいえ警備がいなくなったわけではない。  見つかって、逃げて――その途中、少年は足をくじいた。  先を行く仲間たちへと、助けてくれと手を伸ばす。  だが――  誰も、少年へと手を差し伸べる者はいなかった。  いや。  一度だけ。  たった一度だけ、グループのリーダーが振り返ってくれた。  ……その目。  ……その目は。  まるでゴミを見下すような――あの、瞳で……  ――――お前なんて生まれてこなければよかったのに。  それは、本当に……呪いだ。  幼い心を塗りつぶし、ひしゃげ押し潰すには充分なほどの……重い重い足かせ。  足が重い。  たった一歩歩くだけで、全身をすり潰すような痛みが走り抜ける。  それでも少年は、生きるためにあがき続ける。  生きる意味なんてないのに、死にたくはないからあがき続ける。  ……警備の目を逃れようと、少年は屋敷のどこかの部屋へと身を潜めた。  小さな小さな部屋だ。  きっと、使われなくなった物置か何かなのだろう。  部屋にはめぼしいものは何もなく、ただ埃だけに満ちていた。  足が痛い。  あまりの痛さに、力なく身を倒した。  視界を埃が舞う。  空気がまずかった。  それから、どれくらいの時が経っただろう。  一時間か、二時間か――あるいは数分なのか。  小さな部屋に煙が侵入してくる。  耳を澄ませば、何かが焼けるような音。  ――ああ、そういえば。  少年はまるで他人事のように思う。  計画だと、最後に屋敷に火を放つことになっていたんだっけ――――  屋敷が燃えていく。  少年たちが恨み、憎んだ貴族たちの象徴が燃えていく。  さぞや気分のいいことだろう。  少年の仲間――仲間だった者たちの、いやらしい笑顔がすぐに連想できた。  なんて醜いのだろう。  自分は、本当に、どうしようもなく無様で…………醜い。  裏切られた。  勝手に仲間だとそう思い込んで、勝手に信頼して、勝手に愛していただけなのに。  裏切られた。  自分も散々人々を騙し、裏切り、今まで生きてきたというのに。  裏切られた。  そんな気持ちだけが――いっちょ前に、少年の心を折り、砕き、枯れさせていた。  部屋に煙が充満していく。  この分なら焼け死ぬより先に窒息死するだろうか。 「……逃げないと」  少年は瞳を閉じる。 「ああ、でも――」 「――――もう、疲れた」  屋敷は燃えていく。  何もかも――夢も希望も、生きるための切望も、悪意も、絶望も、期待も裏切りも。  その全てを飲み込み、黒く燃えていく。  黒く。  黒く……  ぽつりと、何かが落ちる気配。  冷たい。  冷たい何かが、自分の頬へと落ちてくる。  だけど……  冷たいけれど、温かい……  これは……  これは――――涙――――…… 「――――」  ゆっくりと、目を開く。  光が眩しい。  白く――  どこまでも白く広がる天井。  ふわりとした、白い髪。  青い瞳が濡れていた。 「…………」  少女と目が合う。  自分よりも年下と思われるその少女は……  自分と目が合うと、涙ながらに微笑んだ。 「――――」  どうして……この少女は泣いているのだろうか。  わからない。  だけど……  自分の為に泣いてくれる誰かがいること。  それが――……  それが、どうしようもなく、嬉しかった。  少年が目を覚ましたのは街の病院だった。  どうやらあの火事でも少年の生命までは燃やし尽くせなかったようで……焼け跡からひとり、助けだされたのだそうだ。  不思議なこともあるものだと、少年は思った。  あの大火事の中取り残された少年は、ひどい大怪我を負ったものの命に別状はなかった。なのに、少年を置いて逃げ出した彼らは誰ひとり助かることはなかったのだ。  聞いた話によると火を放ったまではよかったものの、その時には異変を察して駆けつけた軍や憲兵隊に取り囲まれていて……逃げ場を失った彼らには戦うしか道はなかった。  お偉いさんたちが来ていたのも災いした。  彼らが手ぶらでこんな街まで視察に来るはずもなく、警備のために熟練した将軍や兵士が付き添っていたのだ。そんな奴らを相手に、ただの不良軍団である彼らが太刀打ち出来るはずもない。結局、彼らはその命を散らせることになってしまった。  悲しくなかったといえば大嘘だ。  どんな絆であったとしても……仲間だと、そう思っていた相手なのだ。  それが少年の一方的な勘違いであったとしても、彼らと過ごした時間は楽しかった。  だから、少年は泣いた。  涙が枯れ果てるまで、泣いた。  身体が回復した後、少年は軍へと志願入隊した。  別に愛国心があったわけではない。  少年は軍に命を助けられた。どのような経緯であれ、少年が屋敷に火を放った犯罪集団の構成員であったことには代わりはないのだ。本当なら首をはねられていてもおかしくはない。そんな自分の助命を望んだのが軍だ。  いや――  正確には、この国を統べる魔王、惡兎臣フォルトゥーナだ。  彼女は腹心である闇元帥ハーディアスに懇願し、少年の命を助けた。惡兎臣と闇元帥の頼みである。ただの地方貴族にしかすぎない街の権力者たちが突っぱねられるはずもなく……かくして、少年は無事にその命を長らえさせた。  余計なお世話だとは思わなかった。  あの時、炎の中でたしかに死を望んだにも関わらず――少年の心には新たな希望の泉が湧き出していたのだ。  それは生きる意味。  あの事件を経て少年が悟った、自分の命の使い方。  誰かのために泣けること。  それはきっと、すごく普通で。  すごく、大事なことだから。  少年は戦った。  反乱の鎮圧。  降魔との戦い。  いくつもの戦火を越えて戦果をあげ、力と地位を築きあげ――  ついには、将軍にまで上り詰めた。  少年が忘れていたこと。  ヒトとして当たり前の、そんな感情。  あの涙。  あの時、自分の為に泣いて――自分の為に笑ってくれたから。  からっぽになったこの命は、再び起き上がることができたのだ。  ならば、その使い道はすでに決まっている。  ……この身体。  髪の毛先から尾の毛先、両腕両足その命まで。  その全ては、陛下のために――――!  それは誇りと決意。  ガロウという男の、生涯をかけての誓いだった。 【02/モンスター・ハンター】  闇の国の居城、大宮殿クリスタルファンタジア。  大宮殿を取り囲むように広がる広大な森の中に、ひとつの軍学校がある。  首都校だ。  軍学校も地域によってその特色に差があるが、首都クリスタルファンタジア軍学校には貴族や有力者の子息が多数在籍している。それはすなわち未来の幹部候補の育成であり、それ故にぬるい馴れ合いと、陰湿な差別支配が共存していた。  一方では貴族たちのようにぬるく友達付き合いを繰り返し、  一方では貴族たちのように陰湿な蹴落としあいが存在する社会の縮図。  それが首都校の実態だった。  彼らはエリートであるが故に前線に出ることもない。  あくまで戦うのは一般の兵士たちだ。  後ろで偉そうにふんぞり返り、適当に指示を飛ばせばそれで解決する――  上流階級特有の特権意識に支えられた、形だけの軍学校。  もちろん実戦組手の時間も、いつもはダラダラと慣れ合いながら時間を潰すのが常だった。  ところが―― 「せい!」 「はあ!」 「やあ!」  軍学校の修練場に、生徒たちの声が響き渡る。  ある者は剣を、  ある者は槍を、  ある者は斧を、  また、ある者は己の拳を、  各々がそれぞれの武器を手に――もちろん刃は削ぎ落とされている――自らの対戦相手と命のつばぜり合いっぽいことを繰り返している。  普段ではまず見れない光景。  もちろん彼らが急にやる気を出したのには理由がある。  やる気、といっても訓練のことではない。  自分を少しでも高く売り込むこと――出世することだけを考える彼らにとって、今日はそのための数少ない機会だっただけのことだ。  見るものが見れば呆れ返るような下手なチャンバラを続けながら、生徒たちの意識は観覧席にあった。  校長と並んで生徒たちを見学している長身の青年。  頭部に生えた角が彼が元々異国の者であることを証明しているが、それについて今更どうこういうような者はこの国には存在しない。なぜなら、鬼人である闇元帥ハーディアスによって、実質この国は治められてきたのだから……  そのハーディアスとどこか似たような風貌を持つ青年。  彼の名前は鬼将軍ラセツ。  惡兎臣フォルトゥーナの腹心として、この国の頂点に立つ者のひとりであった。 「いい気迫だな」 「ありがとうございます」  校長は揉み手をしながら、テカテカした嫌らしい笑顔のまま恭しく頭をさげる。 「…………」  気付かれないように、ラセツは鼻を鳴らした。  嫌味が効いているのかいないのか。分かっていてふてぶてしく答えているのか、それとも気づかないほど阿呆なのか。  少し考えて……どちらでもいいことだと、ラセツは思い直した。  首都クリスタルファンタジア軍学校の視察。  仕事だから来たものの――正直、この手の手合いは苦手だった。  貴族たちは私腹を肥やす。  まるで絵に書いたような悪党だが――それがそのまま、事実なのだから始末が悪い。  しかもラセツとしては彼らを邪険に出来ない理由もあった。  地方の貴族たちならいざしらず、この学校に子息を送り込んでくるような大貴族は、こぞってフォルトゥーナの支持派なのである。国の政策についてフォルトゥーナとハーディアスが度々意見を衝突させていることは有名な話だ。地上へと打って出るべし――強硬派と言われる彼らの指示を集めているのがハーディアスであり、今のままの安寧とした生活の維持を――いわゆる穏健派に担がれているのがフォルトゥーナなのである。  強硬派には軍人が多い。それもここで育つようなへたれ貴族軍人ではなく、実際に命をかけて前線で戦うような戦士たちだ。  そんな彼らを上手く統括し、落ち着かせているのが穏健派のラセツやガロウである。実績もあり、数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼らの言うことだから、強硬派もしぶしぶとはいえ矛を収める。その矛に突き上げられる形になっているハーディアスも、フォルトゥーナの意志をねじ曲げることはできないため、最後には穏健派が勝利することとなる。  そうしたことが繰り返され……  一気に爆発すると、反乱が続発してしまうのだが――それはまた、別の話である。  とにかく。  穏健派と強硬派のバランスを崩すわけにもいかず、ラセツはこのテカテカとした貴族のオッサンを邪険に扱うわけにはいかないのであった。 「どうです? うちの生徒たちは。みな素晴らしいでしょう」 「素晴らしいな。これなら実戦一回で首が跳ねる」 「ほへ?」 「ああ、いや。ワタシの若い頃を思い出すよ。昔はこうやって調練に励んだものだ、ははは」  とりあえず大嘘を言っておく。  ラセツの子供の頃と言えば――あの憎たらしいハーディアスの野郎にケンカをふっかけては半殺しにされ、回復しては半殺しにされ、回復しては半殺しにされ、回復しては……を繰り返していた。今思うと、実にマヌケであった。  それでも、このままでは絶対に勝てないことをなんとか悟り、色々あってガロウ将軍に師事して戦い方を学び、以降は己の研鑽に努めてきた。  戦士として一人前に成長したときには、ラセツはすでに無知でヤンチャな子供ではなくなっていた。 (そういえば……結局、ハーディアスとは決着が付いていなかったな)  散々ボコボコにされてきたことを棚に上げ、ラセツは思う。  戦場で武功を上げ、将軍となり、いつの間にかハーディアスに対する苛立ちはそのままに、共に歩む時間が当たり前になってしまっていた。  大人になるとは、こういうことなのかもしれない。  気に入らないこと、理不尽なことに刃を向けていられるのは子供時代の特権だ。  大人になってもそんな我儘を繰り返すことなどできやしない。  もしも……  大人になってまで刃を振り回すというのなら。  きっと、それだけの決意と覚悟があるのだろう。 「うちの生徒たちはですね、互いに己を高め合うことをモットーとしています。この修練も、敗者は勝者に対して絶対の忠誠を誓うこととなっているのですよ。こうして軍での厳しい上下関係を学んでいくのですな。ははは」 (……単に貴族たちが権力闘争をしているだけじゃないか)  心の中でつぶやいておく。  普段のこの修練の様子が目に浮かぶ。  中心となる偉い貴族の子息が、腰巾着を連れ、弱い貴族の子息を集団で私刑にしている様を。力のない貴族は、そうして強者に屈服して生きるしかなくなっていく。まさに腐敗した貴族社会の写し鏡だった。 (なんだかなぁ。こんな奴らを幹部として率いてる俺たちが馬鹿らしくなってくる)  首都校の卒業生たちの使えなさの利用をまじまじと目の当たりにして、さすがに気が重くなってくるラセツであった。  そんなことを考えていた時だ。 (ん……?)  ラセツの目が一点でとまる。  学生同士が戦っている修練場。  その片隅に、ひとりポツンと体育座りをしている少女がいた。  誰も彼女と戦おうとはしないし、それどころか近寄ろうとさえしない。見向きもされない。まるで彼女は、最初からそこにいないかのように生徒たちに扱われていた。  つまらなそうに、眠そうに、しかし確実に射るような鋭さで修練場を見据えている、巨大な鎌を得物にしたウサギの獣人の女子生徒。  その姿は――雰囲気は微塵も似ていないのに、どこかフォルトゥーナを連想させた。 「……あの子は?」 「あの子……あ、はい、シュリアですね。生徒たちの中では優秀な方なのですが――なんといいますか、その、協調性に欠けるところがありまして…はは」 「――――」  何を言っているのだろうか、このテカテカは。  ラセツの口角が釣り上がる。  面白いものを発掘した――そんな、どこか凶悪な笑みだ。  視線の先には女子生徒。  名前は、シュリア。  彼女が孤立しているのは協調性とかそんな問題ではない。彼女と他の生徒たちを断絶しているのは圧倒的なまでの実力の差だ。彼女と剣を交えれば確実に負ける。軍学校の授業とはいえ下手をすれば死ぬ。絶対に勝てない。そんな相手を避けるのは生物としての正しい本能だろう。  ……もっとも、軍人としてはマイナスだが。 (それにしても……)  こんな掘り出し物が、よりによってこんな所で眠っていたとは。  視察というのも悪くない。そう思った。 「そろそろ授業も終了ですね。生徒たちの決着も付きはじめているようです」  校長の言うとおり、生徒たちの中では倒れている者も多い。基礎もできていない下手くそたちのチャンバラは、時に意図せぬひどい怪我を相手に負わせてしまうこともあって――その結果として、医務室へと担ぎ込まれていく者の姿も多くみえた。  と――  シュリアが鎌を手に立ち上がる。  授業の内容は最低ひとりと戦い、結果を出すこと。  このまま何もしなければ不戦敗となる。不戦敗となれば、この学校を支配する貴族同士の悪習に絡め取られることとなるだろう。  それを避けるために、誰か適当な獲物を狩る必要があった。  生徒たちに緊張と戦慄が走る。  さっきまで互いに争いあっていた者たちもその手を止めてウサギ少女の動向を固唾を飲んで注視している。狙われたが最後、絶対に助からないと悟っているがゆえに、その心は凍え、体は氷る。ろくに身動きも取れないまま、肉食獣に追い詰められた草食獣のように縮こまる。  まるで――モンスター・ハンター。  少女が薄く笑う。  誰に狙いを定めたのか、あるいは誰でもないのか、大鎌を天高く構え―― 「そこまでだ」  ふいに聞こえてきた青年の声に動きを止めた。 「え、あ――」  テカリ校長がマヌケ面で驚きの声を上げる。だがそれも仕方のないことだろう。  つい今しがたまで隣で授業を視察していた鬼将軍の姿はそこにはなく――何故かやる気満々の様子で修練場にいたのだから。 「……誰ですか、あなた」  鎌を構えなおし、シュリアはラセツに問う。 「誰でもいいだろ。気にするなよ。それよりも、お前はだいぶ腕が立つと見た。どうだ、この俺と一発やってかないか?」  ラセツは不敵な笑顔でこれに応じた、  ……のが、  最大の、過ちであった。 「……いやぁ」 「は?」  ファイティングポーズをとったまま、ポカンとするラセツ。  少女は顔を真っ赤にし、涙目になりながらプルプルと顔を振る。 「お、おい……?」 「近寄らないでくださいよー、この変態!!」 「へ……?」 「訴えますよ! 気持ち悪い…ああ、もう、ゾクゾクする……」 「…………」  なんだろうか。  この……触ってはいけないものに触っちゃった感は。  校長を見る。  だから言ったでしょう、とばかりに肩をすくめていた。  ――その、協調性に欠けるところがありまして…はは―― 「…………」  青年の頬をたらりと汗が流れた。 「お、おい……」  助けを求めるようにシュリアへと手を伸ばすが…… 「きゃー! 半径三十メートル以内に近づかないでくださいって言ったでしょう!」 「言ってねーよ! てかすでに三十メートル以内だろここ!?」 「あ……」  落ち着いたのか――正気に返ったように表情をやわらげると、少女はポンと手を打った。 「では死んでください」 「お前は狂ってる!!」  ラセツのツッコミなど華麗に無視し、大鎌を構えこちらへと突撃してくる少女。  それは目にもとまらぬ速さ。  少女の細腕が操っているとは思えない勢いでもって大鎌は振り下ろされる。マナを込められたその斬撃は、刃を潰されているとはいえヒトひとりくらいなら豆腐のように切断するだろう。  しかし気合の一閃は、正面からラセツによってあっさりと受け止められていた。  しかも……左の人差し指一本で。 「――あれ?」 「チクリとした。やっぱいい腕だな、お前」  ニヤリとラセツは笑う。  直後だった。  まるで蚊を散らすような気軽さで左手を振り払う。マナを込められたその一撃は見た目からは想像できないほどの衝撃となってシュリアを襲い――小さな体は軽々と宙を舞った。  高い。何メートル、何十メートル、いや……千メートルを越えるか。  超高度まで吹き飛ばされた少女はそのまま抵抗も何も出来ず、最後は力なく地に落とされた。  嫌な音がした。  少女は動かない。  ピクリとも動かない。  そんな少女を冷たい眼差しでラセツは見下ろして…… (……やっべぇー!? ちょっとやりすぎた!?)  内心あわてふためいていた。 (いや、だって気持ち悪かったからつい手加減ミスっちゃって……というか殺す気できてたよなこいつ。いやいや言い訳はいい。どうすんだよコレ……)  ……誰かが駆けてくる足音が聞こえる。  担架だ。 (そうだ)  医療魔術師たちがいたのを忘れていた。実践訓練で死者が出ないように、腕のいい魔術師たちが修練場には揃っている。はずだ。貴族の子息ばかりのこの軍学校ならなおさらだろう。これなら大丈夫だ。きっと。多分。絶対。そうでないと非常に困る。  こんなことで女の子を殺しちゃったりしたら、もう立ち直れない気がする……  シュリアは担架に乗せられ運ばれていく。  結論から言えば、ラセツは愚かだった。  今まで数々の実戦を経てきた。降魔たちと戦い、精霊たちと戦い、ついには勇者とまで拳を交えた。数々の強敵を相手にここまで生き残り、最高幹部のひとりとして君臨しているその戦闘センスは紛れもなく本物で、相手が何者であろうと加減を間違えるなどありえないのだから。  つまるところ。  ウサギ耳のこの女子生徒は、ラセツの期待通りのずば抜けた強者だったということだ。 「――――!」  ラセツの一瞬のスキをつき――シュリアが担架から跳ね上がる。まるで突風のような素早さで、影すら残さず一直線にラセツへと肉薄する。右手をチョキの形で構える。狙うのはもちろん眼球。一切の容赦や迷いのない――目潰しだ。  結論から言えば、シュリアは愚かだった。  目潰しを決めようとした瞬間。  シュリアの全身を重い衝撃が突き抜ける。まるで内蔵を圧殺されたかのような死にも勝る不快感。抗うことも出来ず、意識が理性を手放していく。視界が歪み、霞む。何が起こったのかまったく理解出来ないまま――今度こそ本当に、シュリアは気を失った。  シュリアの腹。そこにはラセツの拳が打ち込まれていた。  そう。  強いとはいえたかだか軍学校の生徒ごときが、闇の国二強ともくされるラセツに勝てるはずなどないのだ。あの一撃で絶対的な力の差を感じただろうに、それでもなお逃げず、諦めず、策まで弄した。大人しく別の相手に標的を切り替えていれば何の苦労もなく勝者になれただろうに、愚かにもラセツにこだわったがためにシュリアは惨めな敗北を迎えたのだ。 「……まったく」  ラセツは困ったように首を振る。 「油断もスキもないな、こいつは」  倒れていく少女の体を支えてやると自分の腕で担架へと運んでやる。  相当に手加減をしたから――おそらく彼女の実力なら数十分で意識を取り戻すことだろう。 「まぁ――その心意気や良し、だ」  勝てないからと、最初から心をくじかれ戦うことから逃げていた他の生徒たちに比べれば、なんと見込みのあることか。  たしかに実力差をわきまえ逃げることだって大切だ。生き残ることは、何よりも大切な優先すべき目標でもあるのだから。  だが……戦場ではそれが許されない時だってある。  絶対に背を向けられない戦いだって、あるのだ。  だからこの愚かな強者を、ラセツは好ましく思う。  きっとこの敗北で、彼女はまた一段と強くなることだろう。 「立派に育てよ、シュリア」  担架で運ばれていく少女を、ラセツは微笑みながら見送る。  いつか、近い未来の再会を強烈に予感しながら。  ……と、ここで終わればそれはそれで綺麗な話だったのかもしれない。  だがしかし、現実は残酷だ。  視察を終えて大宮殿クリスタルファンタジアへ戻ろうとしたその時。  軍学校の出入口でそれは起こった。 「うわぁ!」  馬車に乗り込もうとしたラセツのすぐ横を大鎌が走り抜ける。 「……ちっ」 「お、お前……何のつもりだ、シュリア!?」 「何って……まだ殺し終えてないですから」 「はぁ!?」 「殺させていただきます」 「再会はええええよ!!」  言って襲いかかってくるシュリアを軽くあしらい、叩き潰す。 (……なんども付け狙われるって、実に鬱陶しいんだな、ハーディアス……)  かつてハーディアスをぶちのめそうと躍起になって、何度も戦いを挑んでいた頃を今になって猛烈に反省するラセツであった。 「く……うぅ……」  シュリアは悔しそうに涙する。 「もう諦めろ。悪いがお前じゃ俺は倒せない」 「いや……」 「嫌って……」 「そ、そんないやらしい目で私を舐め回すように見つめないでください、このド変態!!」 「なんで!?」  顔を真っ赤にし、両腕で自分の体を抱きしめるようにして震えながら、少女は言う。  恥辱に涙を流しながら。 「く……立派に育てって……私が寝ている間に、あんなひどいことを」 「どんなことだよ!?」 「ひどい! やっぱり私とのことは遊びだったのね!?」 「俺とお前に何があったんだよ!?」 「ひーどーいーひーどーいーマジでひっどーい。この鬼畜外道が!!」 「お、お前なぁ」  と――  ハッとして後ろを振り向くラセツ。  遠巻きに生徒たちが冷たい目でこちらを見ていた。ヒソヒソと何か話し合っている。ラセツと目が合うと、汚物でも見たような顔をして蜘蛛の子を散らすように去っていった。 「…………」  貴族のクソガキどもに、あんな目で、見下され、た……  開いた口がふさがらない。  いったい自分が何をしたというのだろうか。  いったいこれは、何の罰ゲームだと言うのか。  ちょんちょん。  服の裾を摘まれ、振り返る。  シュリアがペコリとお辞儀をした。 「そういうことでー、以後よろしくお願いしますね」 「は……?」 「あれ、聞いてないんですかー? ここのルールですけど」 「ルール?」 「敗者は勝者の奴隷にならなきゃいけないんですよー。というわけで、私は貴方のペットにならないといけないんですよ、まことに遺憾ですが」 「はぁ!?」  そういえば、そんなことをテカってる奴が言っていた、ような…… 「いらねぇよ。邪魔だからとっとと帰れ!」 「そんなひどい。私とのことは遊びだったのですね……」 「……じゃあ一緒に来るのか?」 「いぃーーやぁーーーー! おーーかーーさぁーーれぇーーるぅぅーーーーー!!」 「がああああああ鬱陶しい!!」  思わず頭を抱えて悶えるラセツ。  どこまで真面目でどこからが不真面目なのかさっぱり分からない。  とりあえず分かるのは――この少女と話しているとメチャクチャ疲れるということだ。 「ああああ、もう知らん! 俺は知らん!」 「はい?」 「もう知らないからな!! 俺は帰る!!」  それだけ言うと、ラセツは馬車を置き去りにして超速で軍学校から離れていく。全力でクリスタルファンタジア目指し駆け抜けていく。ラセツの脚力ならば、数時間もあれば帰還可能なのだ。実は馬車を使うよりもずっと早かったりもする。 (ちくしょー、もう仕事だろうと何だろうとあの学校にだけは絶対に行かないぞ)  なんかもう、本当に散々だった。  泣きたくなったのは何年ぶりだろうか……  最後に一度だけ――ちらりと背後を振り返る。 「まってくださいよー」 「げぇ!?」  一定の距離を保ってシュリアが追いかけてきていた。 「お前……こんなに速かったのか!?」 「半獣化しましたから。足腰の強さだけはすごいことになってますよー。ウサギだけに」  よくみると、スカートから覗くシュリアの足が獣化している。 「あ、今いやらしい目で私のこと見ましたね。ホントにししょーは気持ち悪いんですから」 「見てねーよ!! てか誰がししょーだ誰が!!」  言い捨て速度をあげる。  それにシュリアは余裕で付いてくる。それどころか、徐々に距離を縮めてきていた。 「あ、ししょー。言い忘れてました」 「はぁ!?」 「胸糞悪くなるんでー、私の半径二十メートル以内に近寄らないでくださいね」 「お前の方から近づいてきてるじゃねーか!!」  ギャーギャー言い合いながら、超人ふたりの珍道中は続く。  結局。  ラセツは最後までシュリアを振り払うことができず――不本意ながらも、この危険人物な少女をお預かりすることになったのであった。  ラセツとシュリア。  鬼将軍とその腹心。  後に迷コンビとして活躍することになるふたりの因縁。  それは――闇の国に大きな転機をもたらすことになる――……  小さな出会いからはじまる、  大きな運命の出逢いだった。 【03/ゴッドメモリーズ】  ある夜、ミサハが目を覚ますと隣で寝ているはずのフォルトゥーナの姿がなかった。  闇の国の居城――  大宮殿クリスタルファンタジア。  白く厳かなこの魔王城の最奥にあるフォルトゥーナの寝室。その大きなベッドの中で、ふたりで一緒に眠りに付くのがいつもの日課だった。その夜も、たしかにふたりで一緒に床に付いたはずなのだが…… 「…………」  暗い室内にヒトの気配はない。  気配はない、が―― 「…………」  ミサハはベッドから降りると、大きな扉へと歩み寄る。  寝室への唯一の出入り口である大扉。  寝る前にちゃんと閉めたはずなのだが――何故か微妙に開いていた。  扉をくぐる。  窓から入る月明かりだけが頼りの、薄暗い通路が続いている。  かつては女性衛兵たちの部隊であるクリスタルナイツが寝室への道を警護していたが、今となってはもう誰もいない。人員不足、それに――惡兎臣フォルトゥーナの求心力の低下が理由らしい。最も、ミサハには詳しいことはわからないが。 「…………」  無音でミサハは歩を進める。  フォルトゥーナを捜して、夜の城を歩き出す……  フォルトゥーナは静まり返った城内を、ひっそりこっそり、忍び足で歩いていく。特に武道の心得があるわけでもないので気配を消すなんて高等技術はもちろん出来ないが、それでも精一杯気を払い、注意深く歩いていく。  こっそりと。  ひっそりと。  やがてフォルトゥーナは、とある部屋の前で足を止める。 「…………」  静かに、音を立てないように慎重に扉を開けると――誰もいないことを確認し、ささっと素早くその身を室内へと潜り込ませる。  赤い夜に輝く青い月が、窓から淡く室内を照らし出す。  整然とした書架の群れ。  紙とインクの匂いが、鼻腔をくすぐる。  アレクサンドロス大図書館・分館。それがこの部屋の名前であり、用途であった。  その蔵書数は六百五十万冊にも及ぶと言われている大図書館である。 (……なんだか、すごく久しぶり)  読書を趣味のひとつとしているフォルトゥーナではあるが、自分で図書館まで足を運ぶことはほとんどない。いつもは侍女たちに頼んで必要な書物を借りてきてもらっているからだ。  だが――今回ばかりはそうはいかない。 (……ええと)  受付で検索システムを起動させる。闇を裂くマナの輝きに少女は目を細める。 「Aの二の……と……」  検索を終える。どうやら目的の物は二階にあるらしい。  少女は暗闇の中を足を忍ばせ歩いていく。魔王たる少女は当然のごとく夜目が効くため、月明かりだけでも行動に何の支障もなかった。  二階に上がる。  集められた数々の知識の欠片が少女を出迎える。  ふいに……一冊の本に目がとまる。古めかしいハードカバーの、分厚い本だ。それは上下巻になっていて、どうやら二十年ほど前に執筆された、私製の歴史家が寄贈した地上世界の歴史書のようだ。……しばし迷った後、手に取ってみる。大きな本は、少女の小さな手ではとても重く感じられて、それだけ長い時をこの世界が刻んできた事を思い知らされる。  ページをめくる。  創世神話――魔王と精霊王の戦いからはじまるそれは、ルネシウスの大地を失わせたあの戦いを最後に記述を終えていた。 「…………」  そっと、本を書棚へと戻す。  結局――地上は崩壊しなかった。  大地を司るマナクリスタルを失っても、精霊王たちはそれを別の形で補い大地を維持し、ルネシウスはその存在を保っている。  それは――素直に喜んでいいことだろう。  魔王だろうと関係ない。  惡兎臣フォルトゥーナという存在は、どうしようもなく、地上を愛しているのだ。  その思いは八年前、夢幻街へと出かけてより確固たるものとなっている。 「…………と、はやくしないと」  寄り道をしている場合ではない。  こっそり部屋を抜けだしてきているのだ。バレたらまたハーディアスに叱られてしまう。 (ええと、確か)  記憶に刻んだ番号を頼りに、目当ての書物を探そうとする――が、なんだかよくわからない。巨大な書棚と書棚の間を行ったりきたりしながら、視線をせわしく動かし目的地を探す。その途中、カモフラージュ用にいくつかのソレっぽい本を手に取るのも忘れなかった。 『はじめての政治経済・下巻』 『軍事学入門』 『ガーデニングの達人』  いかにもソレっぽいな、と深く頷く。  数分後。  やっと見つけたそれは――――遥かな、頂にあった。 「…………」  見上げる。  高い。  よりにもよって……書棚の一番上。 「…………」  見回す。  踏み台見たいのがあった。  とりあえずそれに上って――……届かない。 「――――」  再チャレンジ。……届かない。あきらめずにもう一度。……届かない。まだまだ。……届かない。爪先立ちになる。……届かない。身体をばねの様に伸ばす。無理。顔を真っ赤にしながら。無理。半ば自棄になりながら。無理。 「…………」  少女の顔がひきつっていく。  たらりと汗が流れる。  なんというか……これは傍から見るとものすごく間抜けな光景なのではないだろうか。 「…………えい!」  右手をうんと伸ばしてぴょん、と跳ねる。ジャンプ力にはちょっと自信があるのだ。ウサギだけに。 「……ん!」  本に手が届く。少しだけ本が引き出される。ぎっしり詰まっているせいか、なかなか本が取り出せない。フォルトゥーナは繰り返し跳ねて、徐々に本を引っ張り出していく。  そして。  スポン、と小気味いい音を立て、本は書棚という束縛から解放された。 「――あ」  その勢いのままお目当ての品はあらぬ方向へと落っこちていき、自信もまた跳躍の大勢のままバランスを崩してしまう。身体を浮遊感が襲う。となれば、結末は限られてくるだろう。フォルトゥーナは本能的に、せめて頭を打つことだけは避けようと衝撃に備えて身を縮こませた。  ……と。  次の瞬間、予想していた硬い床の感触ではなく―― 「――え」  ヒトの優しいぬくもりが、少女をふわりと包み込んでいた。  あらぬ方向へダイブしていた目的の本が、バサリと床に落ちた。 「……なにしてるんだ、お前は」 「え、あ――」  見上げる。  長身の青年――ラセツが、どこかムカっとした表情で自分を見下ろしていた。 「ど、どうしてここに……」 「見回りをしてたら、ミサハからお前がいなくなったって連絡が来てな。それで、捜してた」 「よく、ここが分かったわね」  フォルトゥーナはちょっと驚いた。  図書館なんて、それこそ利用するヒトなんてほとんどいないというのに。 「そりゃ分かるだろ」 「分かるんだ」 「ああ。だってお前――本、好きだろ?」 「――――!」  かっと顔が赤くなる。 「ん? どうかしたか?」 「な。なんでもない」 「そうか」 「…………」  なんでこう、この男はこうなのだろうか。  ちょっとイラッときたフォルトゥーナであった。 「とりあえず、今夜はもう遅いしミサハも心配してる」  青年は少女が必死に引っ張り出した本を拾おうと手を伸ばし…… 「これ持ってとっとと帰――」  その動きが唐突に止まる。フォルトゥーナの探していた本。そのタイトルをまじまじと見つめている。少女も青年の後ろから顔を出して――絶句した。  忘れていた。  何のためにこんな夜中に、こっそりと本を探しに来たのか。  その最大の理由を―― 『おっぱいを大きくする百の方法』 「…………」 「…………」  本には、そう銘打たれていた。 「…………」 「…………」  ふたり、見つめ合う。  無限のような一瞬のような一瞬のような無限のような時間が過ぎて―― 「は、き、は、はわわわわあああああ!!」  先程とは別の意味で真っ赤になると、フォルトゥーナは飛びかかるようにして本を回収する。その勢いたるや凄まじく、鬼将軍ラセツとはいえ瞬間でも気圧されたほどだ。こんなナリでもさすがは魔王だ、と妙なところで感心してしまうラセツであった。  一方のフォルトゥーナは青年に背を向けたまま、ゼェ、ゼェ、と荒れた呼吸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返している。  なんというか……いや、なんとも言えない微妙な空気が漂いはじめる。  ラセツはしばし宙を仰ぎ――  少女の背中に、妙に優しい声で言葉をかけた。 「――まぁ、なんだ。気にするな」 「うるさい、ばかー!」  振り向きざまに『おっぱいを大きくする百の方法』を投げつけるフォルトゥーナ。それはヴァゴン、と非常にいい音を立ててラセツの顔面に直撃した。鼻血が流れる。 「ばか、エッチ!」 「…………」  鼻血を拭き取りながら青年は理不尽に耐える。相手は女子供なのだ。ムキになるなど大人気ない。自分は闇の国の幹部のひとり鬼将軍ラセツで、惡兎臣フォルトゥーナに仕える将軍だ。こんな事はさらりと流すべきで――……しかし、肝心のフォルトゥーナが理不尽の元凶で、そもそも女ではあるけど子供ではないだろう。いや子供なのか? 見た目はチンチクリンだが実際は自分の何百倍、もしかしたら何千、何万倍も生きているかもしれない相手なのだ。子供ではないのではないか。でも子供だよなぁ、こんなんだし。  胸を見る。  ――『ガーデニングの達人』が飛んできた。 「まったく! もう知らない!」 「ああ、もう、悪かったって。少しは落ち着いてくれ」 「だ、だって――……あれ?」  フォルトゥーナは目をぱちくりする。  その視線の先にあるのは『おっぱいを大きくする百の方法』――のページの間から覗いている、一枚の古ぼけた写真だ。 「なんだ、これ」  ラセツは写真を拾い上げる。  目を細め、凝視する。  白い髪の少女と桃色がかった銀髪の少女が仲むつまじく写っていた。  本当に――本当に古い写真だ。  少女のひとり、白い髪の女の子には見覚えがあった。というか、よく見知った顔だ。 (……フォルトゥーナ?)  そう。  それはたしかに、彼が仕える魔王フォルトゥーナだ。  この髪、この顔、この目。どれだけ昔に撮られた写真なのかは分からないが、今と変わることのないフォルトゥーナの姿。むしろ今ではなかなか見ることの出来ない晴れやかな笑顔を写真の中の彼女は浮かべていて……そんな表情を隣で写っているこの銀髪の少女がさせているのかと思うと、軽く嫉妬すら覚えてしまう。  とにもかくにも、ラセツがフォルトゥーナを見間違えるはずもなかった。  だが…… 「んー……」  首を傾げる。  間違いなくフォルトゥーナなのだが――どうしようもない違和感がつきまとう。 「……ラセツ?」 「んー……」  不思議そうに呼びかけてくるフォルトゥーナと、写真の中のフォルトゥーナを見比べる。  何か。  フォルトゥーナを構成する何かが、この写真には足りていない。  それはどうでもいい瑣末なことのようで、  それがなくては決定的に違ってしまうような、  そんな――何かだ。  何か。  何か……  何か。 「――――あ」 「耳がない!!」 「え……?」 「ほら、この写真のお前、耳がないぞ!」  謎は全て解けたとばかりに、勇んで写真をフォルトゥーナに見せるラセツ。  そうなのだ。  写真の中のフォルトゥーナには、彼女の特徴であるケモノの耳がなかったのだ。 「どうりでこう、なんだか物足りないと思ったんだ」  ラセツはうんうんと頷く。  写真を受け取ったフォルトゥーナは、驚いたように目を見開いていたが、しばらくして、まるで数年ぶりの友と再会したかのようにクスリと微笑んだ。 「この耳がないのは当たり前だよ。だってこれ、神霊時代の写真だもの」 「神霊……!?」  つまり、フォルトゥーナが魔王になる前――まだ世界が大十字界(エクスワールド)と呼ばれていた頃の写真ということか。 「なんでそんなものが、こんな本に挟まってたんだ」 「う〜ん……しおり替わりに使ったのかな?」 「…………お前、前にもこの本借りてたのか……」 『おっぱいを大きくする百の方法』を構えながらラセツは言う。 「そ、そんなことはどうでもいいじゃない」  フォルトゥーナはラセツから本をふんだくると、隠すように胸に抱え込んだ。  ――まぁ、今更隠してもしょうがないのだが。  それはそれ、これはこれである。 (……わけがわからん)  それはともかく。  写真を見ながら、フォルトゥーナはちょっと寂しそうに、口を開いた。 「なつかしいなぁ……昔はよく、こうやってハルシャギクに髪の毛を編んでもらってたっけ……」 「はるしゃぎく?」  死の国の魔王、黒死将ハルシャギク。  なぜここでその名が出てくるのだろうか。  これじゃ、まるで…… 「ほら、私と一緒に写ってるじゃない」  フォルトゥーナはそれが当たり前のことであるかのように、銀髪の少女を指さした。  とても穏やかな微笑みを浮かべた、心優しき少女の姿を…… 「はるしゃぎく?」 「うん」 「これが――黒死将ハルシャギク?」 「だから、そうだって」  とても愛らしい、まるで天使のような笑顔を浮かべた少女。  これが――  これが――  こくししょうはるしゃぎく??? 「な……なんだってー!?」 「わ!」  いきなりすってんぎょうてんしたラセツに、フォルトゥーナはビクリと身を縮こませる。 「ビックリした。ラセツ驚きすぎ……」 「いや――だって、これ、え、ハルシャギク!?」 「そうだよ」  あっけらかんとフォルトゥーナは言う。  黒死将ハルシャギクといえば、魔王最強の武闘派として名を馳せているほどの猛者だ。  その手腕は辛辣にして辣腕。  冷酷無情な瞳はただ己が大命だけを見据え、絶対にブレることなく魔道を突き進む、魔王の中の魔王。  肩書きに嘘偽りのない、まさに死と破壊を司る魔界の大将軍。  それが――黒死将ハルシャギクだ。  ラセツも何度か写真を見たことがあるが、この少女とは似ても似つかない。  いや、たしかに言われてみれば造形は……同じだ。同じなのだが……  目を白黒させ唸るラセツに、フォルトゥーナはどこか困ったような微笑みを浮かべ、こう言った。 「昔は、綺麗なハルシャギクだったから」 「……何気にヒドイこと言ってないか、お前……」  しかし、なるほど。  かつて魔王たちは神霊だったそうだが――その変質は、こんなにも違う印象を与えるほどのものだったのか。  ふと、そこでラセツは疑問に思う。  彼が子供の時、その刃になろうと忠誠を誓った相手。  その誓いは……結局、果たされることはなかったけれど。  もしかして、彼女も―― 「……夜姫様も?」 「ネフティースは変わってないよ」  即答だった。 「そ、そっかー」  嬉しいような悲しいような。  複雑な気持ちになるラセツであった。 「……そういえば、さ」 「んー」 「……私ね」  悪戯を自慢する子供のような顔で、うっすらと頬を赤らめ少女は言う。 「私、世界を創造(つく)ったこともあるんだよ」 「はぁ?」  いったい何を言ってるのだろうか。 「創世って、超越神と女神マリアだけが行ったんじゃないのか?」  少なくとも歴史はそう伝えている。  超越神エルシャダイが天地開闢を行いこの世界をゼロから創世して、その世界を女神マリアが創世し直し、今のルネシウスと魔界が作られた。それが創世の全てだったはずだ。 「どういう事だか、知りたい?」 「……ん」 「あのね、これはハーディアスやガロウも知らないことなんだけどね――――」  当時、エクスワールドを構成していた三界。  ひとつは奈落。  世界中の悪意を集める掃き溜めであり、今の魔界の前身となった負の世界。  ひとつはエクスワールド。  クロスワールド、大十字界とも呼ばれる、神の翼より作られたと言われる主要世界。人々が暮らし、神霊が神として管理していた十の世界。  そして――神界。  神霊と、彼女たちに仕える大精霊が住まう神の世界。その中央には超越神が眠る神殿があり、例え神霊であったとしても神殿へは立ち入ることは許されない。  神殿へ踏み入ることが――ひいては超越神への面会が許されているのは、三幻神(トリニティ)と呼ばれる神霊の上位存在だけであった。  ただ、一度だけ。  その掟が破られたことがある。  超越神の命により、神霊フォルトゥーナは神殿へと招かれたことがあるのだ。  その目的は、彼女に新たな世界を創世する力を与えること。  その目的のために、彼女は神の左腕を授かることとなって――  光り輝く六枚の翼を持つ闇に沈んだ女性と、黒く淀んだ六枚の翼を持つ光り輝く男性。  ふたりの神が見守る前で、姿を現すことも声を掛けることもなく、超越神はその力の一部をフォルトゥーナへと授けた。  まさに爆発的な力だった。  まるで世界のすべてが思い通りになるような圧倒的な全能感。  自分が自分でなくなるような、そんな恍惚とした絶頂感。  だが。  それに惑わされるほど、フォルトゥーナは野心をたぎらせてはおらず、また賢くもなかった。  ただ言われたとおりに世界の創世を行った。  彼女に与えられた大命は、異界の創世。  自動書記システム「ヒストリア」を備えた、全ての世界のありとあらゆる事象を記録するための異世界――アレクサンドロス大図書館の創世だった。 「――――ということがあったの」 「……お前って……意外と大物だったんだな」 「えっへん」  フォルトゥーナは小さな胸を大きくはる。 「そのアレクサンドロス大図書館ってのが、この図書館の名前の由来なのか」 「うん。記念に、ね」 「記念ねえ。……で、その本館は、今はどうなってるんだ?」 「……わからない」  目を伏せて、フォルトゥーナは首を振る。 「ルネシウスの創世で旧世界はメチャクチャになっちゃったから……あの世界への道は、もう閉ざされてしまったの」 「そうなのか」 「もしかしたら、どこかに通じる道がまだ残ってるかもしれないけど……少なくとも、私は知らない」  自分が作った世界がどうなってしまったのか。  心配ではあるが――同時に、無事だという確信もあった。それは他でもない、アレクサンドロス大図書館を創世した自分だからこそわかる、根拠のない絶対の確信だった。 「でも、きっと。今も静かに、世界のことを記録し続けてるんじゃないかな」 「昨日の夕食のメニューとかも記録されてるのか」  冗談交じりにラセツは言う。  なのに。 「されてるはずよ」  あっさりと、大図書館の創世神は肯定してくれやがった。 「……マジか」 「うん。自動書記システム「ヒストリア」は、世界すべての動向から一個人の人生まで、その時何があったのかを確実に記録していくから。夕食のメニューどころか起床時間、就寝時間、その日一日の行動、誰と会って誰としゃべって、トイレはいついったか、だ、大か小かまで、全部完全に記録している、はず……」 「……うわぁ」  ラセツの顔が青ざめる。 「お前、なんでそんな超ストーカーシステムなんて作りやがったんだ。てか世界がこうなる前はお前、そこで人の人生盗み見し放題だったわけか」 「ち、違うもん! 私そんなことやってないもん!」 「本当に?」 「本当に!」  どこか半泣きで訴えかけるフォルトゥーナに、ラセツは苦笑した。 「わかってるって。冗談だよ冗談」 「……もう」  ふくれるフォルトゥーナ。 「しっかし、何だって神様は、お前にそんな世界を創らせ――た――……」 「……? ラセツ?」  ラセツは顎に手を当て、しばし黙考する。 「なぁ。もしかして、だけど」 「うん……」 「……お前が魔王になっても、神霊としての自分を保っていられるのって……その、神の左腕のおかげ、なの、か……?」  他の魔王たちとフォルトゥーナとの決定的な違い。  それが、神から創世のための力を分け与えられたことだとするのならば―― 「……そう、かも」  フォルトゥーナは驚いたような顔で、自分の体を見下ろした。 「考えたこともなかったけど……たしかに、それならつじつまが合うかもしれない」  あのハルシャギクですら逆らえなかった奈落の汚染。  淡く儚く優しかった少女は、冷徹な戦士へと変貌を遂げた。  ハルシャギクだけでなく、彼女の姉妹たちは誰ひとり抗うこともかなわず魔王へと堕ちていった。  本当にどうしようもない、絶対に逃れられない奈落の悪意。  それに、フォルトゥーナという無能な神霊が未だに抗い続けられている理由として、これ以上に相応しいものはないだろう。  ただ。  だとするならば――…… 「……ひどい、話だよね」 「フォルトゥーナ?」 「腕をあげた当人は、さっさと邪神になっちゃったっていうのに……私は、今も……ここにいて……」 「…………」 「今も……抗い続けてるのに……」  眠りについていた超越神は奈落の悪意に抗しきれず、邪神へと堕ちた。  姉妹たちは魔王となり、  父たる神は邪神となった。  ひとり取り残されたフォルトゥーナは、どっちつかずの存在として今も苦しんでいる。  だから、彼女には言う権利があるはずだ。 「ちょっとだけ……だけどね」 「……ああ」 「ちょっとだけ……お父様を、嫌いになったかも……しれない」  顔を伏せ、つぶやくように感情を吐露する。  泣きたいのか、怒りたいのか。あるいはそのどちらでもなく、どちらでもあるのか。  やりきれない思いが、フォルトゥーナの胸を締め付ける。  ――と。  ポン、と。  ラセツは、フォルトゥーナの頭を撫でた。  まるで妹を慰めるようなその仕草は、いつも通りのラセツのもので――気持ちが、ほんわりと温かくなる。  不思議だった。 「俺は――ちょっと違うかな」  苦笑するように言う。 「俺は神に感謝したい。魔族の俺が言うのも何だが――まぁ、その神も今は邪神だしな」 「ラセツ?」 「だってさ――俺がお前と出会えたのは、神様のおかげってことだろ?」 「あ――……」 「だったら、神に感謝しなくちゃな」  くしゃっと、フォルトゥーナの頭を撫でた。 「うん……そうだね」  神の力がなかったら、フォルトゥーナもハルシャギク同様、面影すら残さず変質していたかもしれないのだ。  別に、今のハルシャギクが嫌いなわけではないけれど。  でも。 「私が私でいられたから――みんなと出会えたんだよね」  ハーディアス。  ガロウ。  ミサハ。  そして――ラセツ。  フォルトゥーナがフォルトゥーナでいられたからこそ、彼らと出会い、こうやって仲良くなることができた。  それはきっと、本当に幸せなことで。  感謝しても、しきれないことだ。  もちろんこんな生き方をする原因になってしまった神の力とやらを疎ましいと思う気持ちは依然として存在する。  だけど、それも含めてフォルトゥーナは思う。  辛いことの方が多い人生だったけれど。  同時に、嬉しいこと、楽しいこともあった人生だから―― 「……ありがとう、お父様」  父たる神に、心の底からありがとうを言った。 「……そういえば、お前の耳ってどうなってるんだ?」 「ふへ――?」 「ほら、ミサハは頭にキツネの耳が生えてるけど、ちゃんとヒトの耳も生えてるだろ?」 「……それで?」  フォルトゥーナは首を傾げる。 「いや――だから、さ。お前はどうなってんのかな〜……と、思ってさ」  フォルトゥーナのヒト耳にあたる場所は、彼女の白い髪に隠れていて見えなくなっている。その下がどうなっているのか気になる……と、つまりはそういうことだろう。 「ふぅ〜ん……」  ほんのりと顔を赤らめるフォルトゥーナ。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」  ……なんなのだろうか、この微妙な空気は。  視線を彷徨わせながらラセツは思う。 (まるで……セクハラをしている様な、……気分だ)  なんとも言えない変な気分。 「いやまぁ、別に無理して知りたいわけでも……ないんだけどな」 「…………」 「…………」 「……ねえ」 「な、なんだ」 「……知りたい?」 「………べ、別に……」 「…………」 「ま、まぁ。ちょっとくらいは……」 「…………」 「……知りたい、かも」 「……いいよ」 「ほへ!?」  フォルトゥーナは顔を真っ赤にさせ、視線をそらし気味に、手を体の前で組んで、もじもじさせながら―― 「……ラセツにだったら……見せても、いいよ」  そんなことを、言いやがった。 「―――――」  ゴクリと、息を飲む。  目がしばしばする。  のどが渇く。  ドキドキと……鼓動が馬鹿みたいに跳ね上がる。 「い……いいの、か……?」  こくりと、少女は頷いた。 「…………」  ラセツはこっそりと、周囲に誰もいないことを確認する。  服で手の汗をふくと、おそるおそる手を伸ばす。  ゆっくりと……  白い少女へと手を伸ばす。  その指先が、 「……んっ」  白い髪へと、そっと、触れた―――― 「…………ラブラブ?」 「おわあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」 「きゃっ」  いきなりひょこりと顔を出してきたミサハに、ラセツは大声を上げて飛び退る。フォルトゥーナも驚いてビクリと身をすくめた。 「…………?」  状況をいまいち把握できないのか、ミサハはふたりを見回し首を傾げるばかりだ。 「お、お前……」  ぜぇぜぇと肩で荒く息をしながらラセツが問いかける。 「い、いつのまにここへ――」 「……さっきからいた」 「なん……だと……」 「気配を消してフォルトゥーナを捜してた……見つけたけど、取り込み中のようだから黙ってた……」 「ぬぬ……」 「このくらいの気配なら、気づかないとダメ。ラセツはまだまだ、未熟者……」 「ぐぅ」  返す言葉もない。  このミサハ、フォルトゥーナ以上に小さい身なりに反して異様に強かった。何度か模擬戦闘を行ったことがあるが勝てた試しがない。彼女は妖怪、それも大妖怪と呼ばれる屈強な存在のひとりらしいが、なるほど、大層な名に恥じないとんでもない強さである。 (もしかしたらこいつ、ハーディアスより強いんじゃないだろうな……)  そんなことを思うラセツであった。 「……で?」 「で?……って?」 「……続きは?」 「……は?」 「イチャイチャの……続き……」 「はぁ!?」  至って真剣な顔と声で(最も顔は仮面で覆われていて判別つかないのだが)ミサハは言う。 「い、イチャイチャって――」  フォルトゥーナの顔がかぁっと赤くなる。ほとんどトマトだ。 「さぁ、続き」 「おい――」 「続き」 「お、お前――」  助けを求めるようにフォルトゥーナを見る。  白い少女は、顔を真っ赤にし――目をぎゅっとつむるとラセツへと向き直った。 「ど、どう……どうぞ……」 「いいっ!?」  ドクンと――  鼓動が跳ね上がる。  じー……と凝視してくる(最も顔は仮面で以下略)ミサハ。  じー……と緊張した面持ちで、その時を待ち構えているフォルトゥーナ。 「――――」  ラセツの頬を汗が一滴、流れ落ちた。 「……そういえば」  ポンと手を打つと、ラセツは言った。 「そういえば、まだ見回りの途中だったんだ、俺」 「え――」 「はやく仕事に戻らないとな! お前たちもはやく部屋に戻れよ。ハーディアスの野郎に見つかるとうるさいからな。じゃ、俺はこれで!」  わざとらしくビシっと腕を構えると、そそくさとラセツは図書館から逃げ出していった。 「…………」 「…………」  後に残されたのは、宙ぶらりんな気持ちを抱えたままの白い少女と、やはり状況を把握しきれていない妖怪の少女だ。  ……沈黙が訪れる。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………いくじなし」  ぽつりとフォルトゥーナはつぶやいた。  一方、ミサハは―― 「……これ」 「あ、それ? 私が神霊だった頃の写真よ」 「心霊……?」  宙を仰ぐ。 「……心霊写真……?」 「うん」 「……心霊……?」  じーっと写真を見つめ続ける。  釈然としないのか――ミサハは不思議そうに首を傾げるのだった。 【04/とある青年の追想】  はじめて彼女と出会ったときのことなど、もう覚えてはいない。  それはあまりにも昔の出来事で。  ここに至るまでに、あまりにも多くの物語がありすぎた。  魔王ならぬヒトの身で、その全てを覚え留めておくことなど不可能だ。  ただ――  悲しそうに微笑んだ白い顔と、青く濡れた瞳だけは、今も心に焼き付いていて。  きっと、今までも、これからも……  ずっと消えることはないのだろう。  ある晴れた昼下がり。  美麗荘厳なこの闇の国の白い居城を、闇元帥ハーディアスは散歩していた。  気分転換だ。  この頃は頭をかかえる難題が多い。  西部の反乱を収めたと思ったら、今度は北部で反乱ときた。しかも相手は降魔の残党だ。  降魔――  鋭い牙が生えそろった巨大な顎、鉄のように硬い皮膚、黒い四肢に翼と尾をもつ異形の存在。かつて魔界が奈落と呼ばれていた頃、神の意図を超え、悪意の坩堝より生まれいでた純粋な邪悪生命体。  世界が再構築され、旧世界の半数が奈落へと堕とされ魔界となり――魔族たちは、降魔の驚異とも向き合わなければならなくなった。  魔界の覇権をめぐり、激しい戦いが行われた。  その結果、大半の降魔は魔界軍に敗れすでに死滅している。  だがその中心とも言える高位降魔である降魔王一派は未だに健在であり、ついに魔界側に対して攻勢に出てきたのだ。  もちろん黙ってみているような魔王たちではない。  なんでも、近々冥帝ヘルをリーダーとした魔界連合軍が魔界統一へ向けて本格的な降魔狩りをはじめるそうだが…… 「さて、どうしたものか」  連合軍に協力して降魔狩りを行うか。  ……いや。  頭を振る。  創世戦争後、魔王である惡兎臣フォルトゥーナは他世界との接触を可能なかぎり絶ってきた。ハーディアスが推測する限り、それは明確な意図のある政策でも何でもなく、子供の現実逃避に近い感情からくるただの『ひきこもり』であろうが――鎖国は鎖国だ。  自国の降魔は、自分たちで対処していくしかない。  だが……フォルトゥーナは戦いを極度に嫌う。  それが兵士たちにも伝わり、士気は確実に落ちていく。  ただでさえ最近の軍は反乱の鎮圧が主な任務だった。何が悲しくて自分たちが守るべき民と戦わなければいけないのか。  そんな歪みの中心に位置するのが、誰であろう惡兎臣フォルトゥーナである。  いつからかはわからない。  しかし、その歪みは確実に闇の国を犯していた。  思えば、創世戦争。  彼女とその臣下の意志は乖離していた。戦いを――世界をメチャクチャにした者たちへの復讐を望む人々と、何故か戦うことを拒否する魔王。そのどうしようもない不協和音が連戦連敗を繰り返し、さらなる士気の低下を生む。下がりきった士気のもとでは勝利など呼び込めるはずもなく……  まさに敗北と敗北が敗北を招く負の連鎖であった。  その一方で、彼女におもねる貴族たちが増えだした。  彼らは戦争による自領の疲弊をひどく嫌った。地上への復讐を強く望む国民の感情などどこ吹く風で、ただひたすらに自分の富を肥やしていくことだけしか考えていない。  軍と貴族の間で深い溝が生まれた。  それはより一層、闇の国という建造物へと大きな穴を穿っていく。  ハーディアスが闇元帥として軍を率いるようになってからはだいぶ改善されたものの……当時は、本当に闇の国は瓦解寸前の危機だったのだ。  それは今も続いていると、ハーディアスは考えている。 (……なんとか陛下を説得して、降魔たちと戦っていかないとな……)  またぞろ現れるであろう、諸々の問題を考えると頭が痛くなる。 (さて。どうしたものか……)  城の影で青年はうなだれる。  闇元帥の名は伊達ではない。  彼が全力を尽くしているからこそ、闇の国という世界は危ういバランスながらも今の形を保っていられるのだ。  人前で弱気は、絶対に見せられない。  だからこそ。 「――――はぁ」  人知れず、深く、ひとりで――ハーディアスはため息をついた。  ふと……  よく知る気配の怪しい動きに、顔を上げる。  噂をすればなんとやら。 (あれは――陛下?)  柱の影に隠れるようにして、白い少女の後ろ姿が見えた。  辺りをキョロキョロと警戒しながら――トコトコと駆けていく。  城の衛兵たちが不思議そうな顔で少女を見るが、声をかけようという輩はいない。それだけ身分の差という壁が厚いのか、それとも単に彼女の人望がないだけか。 (何をしているんだか……)  フォルトゥーナはズサンな警戒を続けながら、何処かへといそいそと向かっていく。  ハーディアスは気配を殺し後に続いていく。  目的地は…… (裏庭、か?)  今日も空は良い黒空で、まさに魔界日和なのだが――城の影になっている裏庭は、どこか肌寒い。  人気のない場所だ。  わざわざこんな所に足を運ぶものはいないだろうと思われる、城のブロックとブロックの間隙をついた見事なまでの僻地だった。  荒れてはいないところを見るときちんと手入れはされているようだが……  そんな裏庭の一画にしゃがみ込むと、フォルトゥーナはじーっとソレを見つめはじめた。 (あれは……花?)  そこにあったのは小さな花壇だ。  白、青、黄色。様々な色をした綺麗な花たちが、小さな花壇の中で精一杯に咲き誇っている。  陽が差さないせいか、どこか元気のない花たちをフォルトゥーナは寂しそうな顔で見つめていたが……やがて立ち上がると、近くにこしらえられた水道へと向かう。やはり常備されているらしいじょうろへと水を注いだ。  花壇へと水やりをする。  一連の作業が終わると、やはりどこか寂しげな――加えて、慈しむような顔をしながら花たちを見つめた。  そうして、白い少女は立ち上がり―― 「……え?」 「……どうも」  ハーディアスと目があったのであった。  とりあえず、ちょこんとお辞儀をしておくハーディアス。 「は、は、はは、ハーディアス!? なんで……」  顔を赤くしながら、あたふたと慌てふためく白い少女。 「偶然通りかかったもので。陛下こそ、こんな所で何をなさっているのですか?」 「え……と……」 「…………」 「……かくれんぼ?」 「…………」 「……ごめんなさい」  うなだれるフォルトゥーナ。 (何もやましいことがないのなら、はっきりと答えればいいものを……)  ため息をつくハーディアスであった。 「花を見ていたのですか?」 「う、うん」  コクリとフォルトゥーナはうなずく。  ハーディアスも花壇へと近づくと、ゆっくりと観察してみた。どれもこれも見たことのない花ばかりだ。 「めずらしい花ですね」 「……魔界の花じゃないから」 「……どういう意味です?」 「うん。……ここはね。この場所はね、この世界で一番、奈落の悪意に汚染されていないところなの」 「奈落に?」 「そう。だから、ここの土は旧世界と同じ。この花たちは、魔界になっても昔の姿のままで頑張って咲いてる花……奈落に負けず、変質していない、昔の世界のままの花……」 「…………」  不思議なこともあるものである。  奈落の悪意からは何人たりとも逃れられない。天地開闢を行った超越神ですら邪神になったというのに、神に比べればちっぽけな存在でしかないこんな世界ひとつすら汚染(よご)しきれていないなどと、常識的に考えてありえない。  これが奇跡というものなのだろうか。  だとしたら―― 「……なんともまぁ……」  なんとも……安っぽい無駄な奇跡である。 「ん?」 「……いえ……それはそうと、こんな所に置いておいては花が可哀想なのでは。土はここのを使うとして、もっとしっかりと陽の当たる場所に――」 「……ダメなの」  フォルトゥーナは首を振る。 「……ここを出たら、汚染はあっという間にこの子たちを襲うわ。別のものへと変質させてしまう。あれは概念的なものだから、土がどうとかは関係ないの」 「そうなのですか」 「うん。だから――この子たちは、ここから出られない」  今にも泣きそうな顔で、少女は言う。  いや……  実際に泣いていたのかもしれない。  その白い頬を、一筋の雫が流れ落ちていくのをハーディアスは見逃さなかった。  ……わからない。  理解出来ない。  仮に花が黒く染まったとしても。  それは、悲しむことなのだろうか。  昼なお暗い城の裏庭。  こんなところで、人知れずひっそりと寂しく生き、その生涯を終えることが……  それが、本当に――――幸福なことなのか? 「――陛下」 「ハーディアス?」  少女が見上げてくる。 「……例え汚染されようと、それで花が消えてなくなるわけではありません」  その青い瞳を真っ向から見つめ返し、腹心たる青年は言う。 「なのに……何故、陛下は白い花にこだわるのですか。このような、陽も当たらないような場所に押し込めてまで……」 「……それは」 「本当に……そのままの花である意味はあるのでしょうか?」  しょぼくれた花。  そう遠くない未来。  いつか枯れてしまうだろう小さな花園。 「この花たちはそれで――本当に幸せなのでしょうか?」  自分なら――そんなのは、イヤだ。 「……優しいのね、ハーディアス」 「は? あ、いえ……そんなことは、ありません」 「ううん。優しいよ、ハーディアスは」  微笑んで、フォルトゥーナは言う。  でも、それはうらはらで。  微笑みの奥から透けて見えてくる、少女の心はあまりにも悲しそうで。  ……胸が、痛くなるようだった。  結局のところ。  惡兎臣フォルトゥーナという魔王は、ハーディアスには到底理解出来ない存在であった。  闇の国の民も同じだろう。  一時期は沈静化していた反乱だが、ここ数年は再び増加傾向にある。  だがそれはいつものことだ。  沈静化されようともその火はくすぶり続け、月日が経てばまた大きく燃え上がる。そんな繰り返しを、もう何千年とハーディアスは見続けてきた。  情けないことだ。  どれだけ歳月が経とうとも、フォルトゥーナと闇の国との溝は埋まらない。それはひいては、パイプ役である闇元帥としての彼の力不足を示していた。  だが、どうすればいいというのか。  フォルトゥーナは折れない。ルネシウスへの侵攻など、絶対に認めはしない。  闇の国の民も折れはしない。地上世界への怨みや憎しみは歪んだ形で沈殿し続けており、もはや誰にも止められるものではない。それどころか降り積もった鬱憤は、今や戦意を失った惡兎臣へと向けられているのが現状なのだ。  そんな彼女を守るための闇の軍団も、今や気持ちは国民に近い位置にある。  彼女を担いでいる大貴族たちはもちろんあてにはなるまい。  彼らはいざとなったら、我が身可愛さにフォルトゥーナという神輿をあっさりと投げ捨て壊す。そういう奴らだ。  本当の意味での彼女の味方は、鬼将軍ラセツと、夢幻街で拾ってきた妖狐の少女くらいだろうか。  まさにフォルトゥーナは四面楚歌であった。  それでも彼女は夢をみる。  平穏を――誰もが幸せであって欲しいと願い、叶わない夢をみる。  その願いが、この国を歪めていると気づいていながら、見て見ぬふりをしている。  ハーディアスは思う。  あの花を愛でる気持ちの十分の一でもいい。  ほんのちょっとでもいいから……民を、国のことを思いやってくれたのなら…………  ハーディアスは足をとめる。  いつの間に足を運んでいたのだろうか。  そこはいつか見た、だけど、見知らぬ風景だ。  …………荒れ果てた裏庭。  もはや花ひとつ咲くこともない……クリスタルファンタジアの裏庭。  荒涼とした光景を、ハーディアスはただ見つめる。  静かな瞳で、見つめ続ける。  ふいに……  その瞳がすぅっと細まる。  裏庭へと踏み込んだ彼は、そこに咲く一輪の黒い花を摘み取った。  かつて抗っていた白い花たちの子孫であろうか。  もはや完全に奈落の闇に侵されており、以前の面影は見て取れない漆黒の花。  だが――間違いなく、花であった。  ハーディアスは天を仰ぐ。  巨大な城に遮られ、黒い晴天はその姿をまともに見せてはくれない。  世界はいつも通り、ただ、儚(くら)かった。 【05/くらむせかい】 「ふわぁ……」 「どうしたの、大あくびなんかしちゃって……」 「ん、いや――」  夜――  いつもの冥桜樹の下、腰をおろしフォルトゥーナとラセツは語り合う。  心地いい風が吹いていく。  髪の毛が、ふわりとなびいていく。  少女の白い髪に飾られた黒い花が、嫌に目についた。  ラセツは思う。 (俺は……)  あの日。  夢幻街から帰還したあの日、フォルトゥーナ自身から聞いた彼女の体の秘密。  神霊と魔王の間で揺らぎ続ける不安定な命。  癒えることのない体の傷。  病の元凶たる奈落の呪い。  彼女を苦しめ続けている――猛毒。  小さな白い手は、本当に痛々しくて。 (……俺はこいつのために、何をしてやれるんだろうな)  青年に少女の病を治す手段はない。奈落の呪いをはねのけるなど、そんなことはこの世界中の――魔界全土やルネシウスを含め、誰にもできはしないことだ。  呪いを受け入れ完全に堕ちるか。  あるいは、最期まで呪いに抵抗し――魂を燃やし尽くすか。 (俺は……) 「ねぇ」 「ん!? な、なんだ」 「顔色悪いけど……大丈夫?」  覗き込んでくるフォルトゥーナ。  ラセツは苦笑する。 「疲れが溜まっているだけさ……ぶっちゃけるとちょっと寝不足なだけ」 「だめだよ、ちゃんと睡眠時間はとらなくちゃ。特に将軍なんて身体が資本なんだから」 「わかってるって」  ここ最近は、自分がどうするべきなのか、どうしたいのか、そればかりを考えている。  答えはでない。  フォルトゥーナの剣になると誓ったが――彼女は剣を必要とはしていない。  自分の私利私欲のために剣を振るわない。  だから彼女の力になりたいと思うのならば、剣自身が考え、決めていかなければならない。  これからの道を―― 「……ぇ。ねぇってば」 「あ、ああ――」 「どうしたの、ぼうっとしちゃって」 「すまん。ちょっとコムズカシイこと考えてた」 「……お疲れさまです」 「おうよ」  ペコリとさげられた少女の頭を、ラセツはくしゃくしゃと撫でてやった。 「……あの、さ」 「んー?」  フォルトゥーナは背筋をピンとのばすと、正座している膝の上をパンパンと軽くはたいた。 「どうした?」 「ん……」  顔を赤くし、チラチラと青年を見る。  コホンとわざとらしく咳払いをした。 「お、お疲れのようだし……よかったら、どうぞ」 「???」 「だ、だから……」  もう一度、ポンと膝を叩く。 「その……ひざ……まくら……、とか……」 「――――は?」  きょとんとするラセツ。  さすがに……顔に血が上るのを抑えきれなかった。 「いや……お前、さすがにそれは――……まずいだろ」 「そ、そうなの?」 「そうなの」 「そっか、そうだよね――。…………」  フォルトゥーナは頷くと、虚空へと両手をかざした。  空中にポンっと目玉が現れ、瞬時に赤い構築線が空間を走る。まさにあっという間に、それは少女の両腕の中に収まっていた。 「……なんだそれは」 「私の固有兵装だよ。永眠まくらと快眠まくら」 「こゆ――」  魔王の固有兵装といえば、アレだ。  かつて地上の戦いで大地の都を粉砕した夜姫の大暗黒槌のような――魔王が持つ絶対の神器のはずだ。  それが……まくら??? 「ラセツなら使っていいよ」 「あ、ああ――」  恐る恐る受け取る。  表は可愛らしいウサギの表情が描かれた愛らしいまくらであるのだが――裏返すと、逆に絞め殺される寸前のウサギの断末魔みたいな表情が描かれている。夢で見たらトラウマになりそうだ。お陰さまで表の愛らしさも何かの罠のような気がして仕方がない。  総合すると、なんともいえないシュールな形をした不気味なまくらであった。 「……本当に、使って大丈夫、なんだよな?」 「大丈夫だよ」  あっけらかんとフォルトゥーナは答える。 「表は永眠まくらっていって、それを使うとぐっすりと気持よく永眠できるし、裏は怪眠まくらっていって、使うと必ず悪夢を見れる素敵な一品だから」 「そっかー、なら安心だ……――――って、殺す気か!!」  べちっと殺人まくらを投げ捨てる。  怪眠まくらは、ひどく恨みがましい顔でこちらをみた――ような気がした。気がしただけ――後、溶けるようにして消えていった。 「お前なぁ……」 「えへへ」  はにかんだように笑いながら、フォルトゥーナは膝の上をぱんぱんと叩いた。 「む――」 「……♪」 「く、むぅ――」  仕方なく。  そう、仕方なくだ。  ラセツは、少女の膝の上へと頭を横たえた。 「そう言えばさ……」 「なに?」  赤い夜と青い月を背景に、フォルトゥーナが優しい顔で覗き込んでくる。  なんだか気恥ずかしいが――どういうわけか、目が離せなかった。 「いや……」 「ん……?」 「…………」  何を言おうとしていたのか、それすらも忘れてしまった。  適当に、何か話題がないか検討し――適当な話を引っ張り出す。 「そう言えばな」 「うん、うん」 「――うちの部下にシュリアってのが入ったんだけど」 「――うん?」 「そいつがもう酷いヤツでさ。毎回わけのわからないことを吹聴しては俺をからかってくるんだぜ。油断してるとマジで斬りかかってくるし。お陰さまで、俺を見る部下の視線が冷たいこと冷たいこと――……って、どうした?」  ギョッとするラセツ。  さっきまであんなに優しい微笑みを浮かべていたフォルトゥーナは……何故か、ものすっごく不機嫌な顔で自分を見下ろしていた。 「……フォルトゥーナ……さん……?」 「…………」 「ええと――どうか、した……のか?」 「…………」 「あの――」 「……べーつーにぃー」  フォルトゥーナはラセツの頬を、思いっきりつねり上げる。 「い、いひゃ」 「むー……」 「いひゃいって」 「……ふん」  手を離す。  ぷいっと、フォルトゥーナはそっぽを向いた。 「……てて」  わけがわからない。  さっきまであんなに機嫌が良さそうだったのに、なんでこう、急に不機嫌になるんだろうか。 (女ってのは、謎だ)  むむむっと、眉根を寄せて考え込むラセツであった。  風が吹く。  涼しい、風。  さらさらと吹き抜ける。  雲が月明かりを遮り――しばらくの後に、再び顔を出す。  静かな、夜だ。 「……あの……さ」 「ん?」  フォルトゥーナが、そっぽを向いたまま、つぶやくように、言う。 「……さっきの、話だけど」 「さっき?」 「その――シュリアって子のこと」 「ああ……」 「その子って……もしかして、ラセツのことが、好きなのかな」 「――はぁ?」  思わず変な声を出してしまう。 「なんでそんな話になるんだ……?」 「だって、構って欲しくて、ついついちょっかいをかけちゃったりとか……普通、するじゃない?」 「する――のかぁ?」  ラセツにはよくわからない。  わからないなりに、考えてみる。――今までのシュリアの行動から、その裏を。好意と呼べるものがあるのかどうかを。深く、じっくりと考え――…… 「ないな」  即決したラセツであった。 「ないの?」 「ないって。間違いない」 「ホントにホント?」 「マジだって。だいたい、俺はだな――」 「俺は?」 「俺は……」  気がつくと、フォルトゥーナの青い瞳が自分を見つめていた。  吸い込まれるような、青い瞳。  手を伸ばせば、確実に触れられる――白い肌。  純白の髪が、夜風に揺れた。  少女の温もりが、  すごく、温かくて――――  ラセツは、目を逸らした。 「……なんでもねーよ」 「……そう」  小さな少女の声。  フォルトゥーナも、それ以上追求してくることはなかった。  夜風が吹く。  さわりと、冥桜樹の葉が音を立てる。  少女の髪がなびいていく。  白い髪に映る――黒い染みが、青年の気持ちを荒立てる。  ふいに、ラセツは少女の髪へと手を伸ばす。  ずっと気になっていた、それ。  白い髪を彩っている、漆黒の花へと。 「それ――どうしたんだ?」 「これ?」  はにかんだように、少女は笑った。 「あるヒトからもらったんだけど――そうね、ラセツには内緒」 「なんだよそれ」 「だって……」  どこかいじけたような顔をするフォルトゥーナ。 「……お前には」  手を伸ばす。  そっと――黒い花を、少女の髪から取り去った。 「ラセツ……」 「お前には、こんなのは似合わねーよ」  はらりと。  風にさらわれ、黒い花は散っていく。  はらり。  はらり――――  黒い花びらは、夜風に舞い――どこかへと、消えていった。  ――――フォルトゥーナが重い病に倒れたのは、それから数日後のことだった。 【EX/あとがき】  なんか毎回書き方違う気がします。安定しねーな自分><  そんなわけで今回はオムニバス風です。  一応それぞれ独立した話しとして書いていますが、一応です。繋がってたりそうでなかったりもするので適当です。まぁいいや。今頭痛いんよ。  閑話休題(それはともかく)。  せっかくですから各話解説とかやってみます。 【01/誇りと誓い】  (U^ω^)わんわんお! よくある話ですね。 【02/モンハン】  最初は本当にモンスターをハントする話でした。でもめんどくせーからやめた。  あとシュリアの親御さんごめんなさい。  この場を借りて全力で土下座させてもらいますorz 【03/ゴッドメモリーズ】  蒸発しろ。 【04/とある青年の追想】  くらいって書いて儚いって変換された! 素敵!! 【05/くらむせかい】  蒸発しろ。  そんな感じです。  本当なら今回から最終章突入のはずだったんだけどなー……どうみても引き伸ばし回です本当にry。意外とこいつらの話を完結させたくないのかもしれません。なんてこったい。てかこんなんで本当に三月上旬までに終われるんだろうか……  ダメだったらm9(^Д^)プギャーしてください。それではこれで。また次回。ぬこぽ。狭い。